中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

公園での喧嘩のその後(まとめ)

投稿日:2012年12月4日

※この記事は『若い頃の話の続き』(2012年10月23日)以降、続き物となっています。
なるべくそちらから読んで下さい。

今回は上記一連の記事のまとめ。

ピンチの局面で空手に戻ったのは、我ながらショックなことだった。
空手は子供の頃に親父からちょっと手ほどきを受けたが、その後は入門書を参考に見よう見まねでやっていただけで、道場に通って習ったのは中学生のときのたった2年だ。
その後も稽古をしていたとは言っても、仲間同士のお遊び稽古。
高校を卒業して、T先生のところに入門してからは、空手を捨てて中国拳法や古武術に傾倒したはずだった。
それからニッカとの喧嘩まで、約10年。
10年も親しんで、それなりに深いところまで学んだつもりでいた中国拳法よりも、ごくごく浅い範囲でしか習っていない空手の方を、戦い方として選んだのだ。
もちろん、中国拳法がすべて無駄だったとは言わない。
体の使い方、受け方、打ち方、突き方、など、それらはやはり空手の頃とは違うのだし、空手のスタイルを取ったと言っても、何もかも昔に戻ったわけではない。
その後に知ったことや身につけたこと…などが無ければ、高校時代までやっていた空手のままでは、たぶんニッカに太刀打ち出来なかったか、もっと苦戦していたことだろう。
それでも。それでも、だ。
中国拳法というものが、期待していたほど身についていなかった、ということに変わりはなかった。

いや、このときすでに判っていたことだが。

例えば、太極拳の型の用法には、初めに説明されるやり方以外に、
「本当はこう使う」
という用法がある。
しかしそれにも段階があって、
「いや、あれも実は使えない。本当はこうだ」
と、またさらに奥の用法がある。
そういったものも幾らか教わってはいたのだが、それさえも、この当時知っていたことは、そのまま使えるものでは無かった。

もっと後の工夫や、復帰後に習ったこと、総合的な僕の解釈…など、交えて言えば、結局のところ、戦い方というのはシンプルでなければ即応できないので、空手も太極拳も、他の拳法も、実は大した違いは無い。
実際に戦えば、少なくとも見た目は、ほんのちょっとした違いにしかならないだろう。
それを、上手く受け流そうだの、交差法的に攻防一体の動きをしようだの、型にあるような技を使おうだの、そういうことに拘るから、結局は体が思うようには動かない。
もちろんその流派なりのスタイルを身につけてそれなりの動きをすればいいのだが、それは、基本は無論、型などよりは、ずっと自由でなければ使えないのだ。
基本も、型も、その自由な動きができるまでの段階に過ぎない。
--と、僕は思っている。

ともかく。

当時の僕は、
「結局こんなものは役に立たない!」
…とまで思ったりはしなかったが、秘密の多い武術の世界に懐疑的になった。

それから、思ったことがもう一つ。

僕は確かに(ニッカとの喧嘩で)、最後にきつい一発をもらうまでは優位に運んでいたのだが、結果は負けだと思っている。
もしこれがルールのある試合なら、あんなところで気を抜くことも無かったろうし、あの一発があっても、まだ僕の方がポイントは高かったのではないだろうか。
それに、窮地に立ってはいたが、まだ挽回できる自信もあった。
あるいは道場などで、お互い良心的にルールを守った上で、寸止めや当て止めでライトコンタクトな組手をやっていれば、見ている者が居たら僕の方が一枚上手に見えたに違いない。
しかし実際、お互い引き際を選んでシャンシャン手打ちとなったわけだが、その時点でのダメージは僕の方が大きかった。
もしあのまま続けて負けていたら、怪我の程度もあれくらいでは済まなかったかも知れないし、下手をすると死んでいたかも知れない。
つまり。
実戦というものは、組手とも試合とも違うということだ。
これもハナから解っているつもりのことだったが、改めて思い知らされた。
それを、
「つまらん喧嘩くらい~」
と、喧嘩は実戦に入らないような括りで「武術は殺し合いの術だから~」と、喧嘩の一つもしたことが無いような者が、基礎や型にしがみついて、組手さえろくにせずに名人達人を目指しているような様を見ると、憐れを通り越して可笑しくもある。
しかし…とは言え…このときの僕は。
これから先の道筋が見えなくなってしまったのだった。。

その後の僕は、武術への熱はやや冷めてしまって、だからと言って捨て切れもせずに、独り、ちょろちょろっとは稽古を続けた。
そして就職口が見つかって(前に書いた学校運営をしている会社だが)、仕事が忙しくなり、何年かサラリーマンをしたが結局は嫌気が差してまた水商売をしたりした。

その間にあった人との諍いをあと2つ、駆け足で書こう。

30歳手前頃のあるときだった。
素人の相手からタックルを喰らって転かされてしまったことがある。
経緯は省くが(今後気が向いたら書くこともあるかも知れないが)、そのとき僕はまったく喧嘩する気も無く、ただ相手に文句を言ってやろうと思っていたのだが、相手は、
「うわーっ!」
と大声を上げながら2メートルほど前からいきなり向かって来て、僕に体当たりの勢いでしがみついて来た。
僕は、その男に対する害意など無かったし、大人しいタイプの男だったので、殴り合いなどまったく想定していなかった。
相手は、親しくはないが、顔見知りで、僕が武術をやっていると知っていたので、
「やられる前にやらなければ!」
という恐怖に駆られたのだと思う。
しかし、とにかく、いきなりのことに面食らって、僕は転倒させられてしまった。
僕より一回り小さい素人に、だ。
あとは殴って来ようとする相手の手を振り払って起き上がるのに必死。
何とか殴られずに起き上がると、相手はすでに恐怖満面、一目散に逃げてしまった。
ほんの一瞬の出来事。
僕はあっけにとられてしまった。。
しかしまー。
まさに「窮鼠猫を噛む」だ。
護身術の鏡ではないか。。

ただまぁ、相手は何の前触れも無く一方的に手を出したので、これは「傷害」ということになるだろう。
実際、そのあと男が警察を呼んで警察沙汰になったのだが、手を出したのがその男だと判ると一転、警察は僕を被害者として扱った。
しかし僕は相手が顔見知りであったので(親しいほどではなかったが短い期間ながら一緒に働いた関係)、事件にはせずに穏便に済ませた。

けれどこれもショックなことの一つ。
素人で特にスポーツ経験も無いような男でさえ、必死になれば一回り大きい僕を転倒させるほどのパワーを発揮するのに、それを咄嗟に「用意不用力」などと言われるようにリラックス状態で捌く、なんてことが出来るだろうか…?
名人達人になれば出来るとしても、そこに至れるかどうかも判らない、もし至れるとしても、そこまでの遠い道のり、その間はどうすればいいのだ?

それからまたしばらく後。
30代ギリギリ前半あたりだったか…。
泥酔状態のときに喧嘩になって、柔道経験があるという90kg以上はありそうな巨漢にしこたま投げられ、殴られてしまったことがある。
(※当時の僕は70kg弱くらい)
このときは、意識的には何とか正気を保っていたので、以前からの得意な構えで前手を何発か当てはしたのだが、足腰が定まらないへなちょこパンチ。
結果、顔も体も擦り傷やアザだらけで3~4日は寝込んでしまった。
骨折や内臓損傷が無かったのが不思議なくらいだ。
そして、これほどのダメージは中学のときに大勢から袋叩きに遭って以来だった。
(※『空手 Part 2』(2007年02月02日)参照)

実のところ、殴り合いの喧嘩というのはこのときが最後だ。
(殴り合いに至らない諍いや、殴り合ってる人を腕ずくで止めた経験などは、この後もまだあるのだけど…)
ちなみに利き手である左手を大怪我してしまったのは、この巨漢と喧嘩する数年前。
武術をあきらめてしまって、稽古も何もしなくなって久しいときの出来事だった。
それでも。
負け惜しみになってしまうが、シラフのときなら勝てる相手だったと思う。
ただ、パワーは段違い。
酔っぱらっていて力が出なかったのもあるが、一旦捕まったら散々振り回されて投げられて…為されるがまま、だった。
だからシラフだったら離れて戦うだろうし、腕でも捕まれたら必死に解こうとするだろう。
力が抜ける方向だの、道場ではそういう稽古をするにしても、危急のときにそんなことはやってられない。
少なくとも、圧倒的な力の差があると、ちょっとやそっとの技でその差を埋めることはできない。

力は要る、のだ…!

僕が力の必要性をはっきりと悟ったのはこのときだった。
いや、今までだって解っていたはずなのに、中国武術の魔法にかかって、幻想を信じて、おかしな夢を見ていただけなのだ。
相手の五指よりはこちらの両手、相手の腕よりはこちらの全身を駆使した力…。
それが優っていればこそ勝てる道筋もあるのであって、ハナから力を否定していては夢の中の住人にしかなれない。
そして僕は、根本を見つめ直さなければどうにもならないと思うに至った。
だが、遅かった。
僕は利き手を大怪我して、武術をあきらめてしまっていたのだった。。

それからまたしばらく、僕はただの中年のまま過ごした。
武術への未練を捨て切れずに、たまに一人稽古をしたり、誰かに教えたり、自分であれこれ考えたりはしたが、マメに稽古をするというほどでは無かった。
30代後半になって、T先生にもう一度連絡してみようと思い始め、その前に少しでも体を戻そうとするようにはなったが、太極拳の型と、基礎体力をつけるためにウォーキングをしたり、1~2キロ程度の軽いダンベルで筋トレをする程度のことだった。

今回、T先生や兄弟弟子の話をしたのは、後の話に繋げるためといった意味もある。
それはまた追々。。

 

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

お久しぶりです。
続き楽しみです。

それから、メールを送る場合はメールフォームからのみの受付けとなりますか?

Posted by ムツバチ at 2012年12月06日 00:02

>ムツバチさん

コメントをありがとうございます。

> それから、メールを送る場合はメールフォームからのみの受付けとなりますか?

基本的には鍛試会のメールフォームからの受付となります。
メールフォームから送信してもらえれば、鍛試会のメールアドレスで返信しますので、その後はメールソフトでのやりとりが出来ます。
もし何か支障があれば、事情をお知らせいただければ方法を考えます。

Posted by hide~☆ at 2012年12月06日 00:46

支障という程ではないのですが、名前はしばらくはムツバチで構いませんか?

Posted by ムツバチ at 2012年12月06日 01:09

>ムツバチさん

それは構いませんよ。
本名は「面談・見学・体験」や「入会」を希望する場合には書いてもらわないとダメですが、それ以外はハンドルネームでOKです。
入力必須項目は「お名前」「e-mail」「武術歴」「メッセージ」の4つだけです。
「お名前」欄にHNを書いてもらえればいいです。
あまり固く考えないで大丈夫ですよ(笑)

でもそういう風に躊躇する人も居るということは、メールフォームページでの説明が足りなかったかも知れませんね。
説明文を見直してみます。

Posted by hide~☆ at 2012年12月06日 01:27

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