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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

2つの喧嘩のその後

投稿日:2007年8月24日

まず、この前の記事、2007/08/20『Y崎との喧嘩 Part 1』~2007/08/22『K賀との再戦』について、大切な部分を書き忘れていたので、補足しておく。
それは、これらの喧嘩に臨んで、僕自身、内心は不安でイッパイイッパイだったということだ。
この2つの喧嘩が印象に残っているのは、快勝できたからではなくて、勝てるかどうかわからない相手に必死で向かっていったからだ。
どちらも、もし負けていたら、その後どれほど惨めな思いをしたか知れない。
特にY崎のときは、事が大きくなっていったので、場合によっては死ぬかも知れないということも考えた。
だからもし今、
同じような状況で同じことができるだろうか?
---と考えたとき、正直言って自信がない。。
K賀のときは、余裕で勝ったような感じになっているが、実際に喧嘩に至るまでにはずいぶん迷いがあった。
それはやはり、一度負けた相手だし、昔よりもたくましくなっていて、
「もう一度負けたらどうしよう」
という不安があったからだ。
…しかし、
つまらない意地だと思うが、少なくとも少年時代のそのときの僕にしてみれば、
「これ以上我慢してなめられたままでは自分が自分でなくなる」
と思うほど限界に達していた。
それはどちらの喧嘩についても同じだ。
あとは無鉄砲と言う他ない。
人を助けたとは言え、やはり自分のための喧嘩だったのだろう。

次に、少し検証してみる。
何故、僕は勝てたのか、相手は負けたのか…。

僕が優位な理屈として、もちろん空手をやっていたことが第一だろう。
しかしY崎との対決時は、道場に通い始めて1年にも満たない。
K賀のときには1年半~2年未満あたりか。
いずれにしても大した腕前ではない。
そもそも、少しくらい武道や格闘技をかじっただけでは、最初から喧嘩が強いヤツにはそうそう敵わない。
では、何らかの格闘技を学んでもいないのに強い者は、何が違うのだろうか。
僕が思うに、強い者には以下のような特徴があると思う。

1.勝気である
2.根性がある(精神的強さ)
3.力が強い
4.体格に恵まれている
5.敏捷である(運動神経がいい)
6.目がいい(動体視力)
7.勘がいい(感覚的察知)
8.しぶとい(打たれ強い)
9.執念深い

細かいことを言えば他にもあるだろうが、大体このような感じではないだろうか。
カッコ内は、言葉が広い意味になり過ぎないように補足した。
どの項目も喧嘩や格闘に関する狭い意味で捉えてもらいたい。
例えば2は、人間的な意味合いでの精神的強さではなく、戦いに際してビビらない(心が折れてしまわない)強さということだ。
ちなみに「スタミナ」は入れなかった。「しぶとい」にかかる部分もあるし、喧嘩はすぐに終わることが多いからだ。
…で。
強い者には、上記の当てはまる項目が多いはずだ。
それぞれを5段階くらいに分けてもいいのだが、ややこしくなるので、ひとまずシンプルに考える。
例えば僕から見た場合、Y崎なら「1、2、3、4、8、9」、K賀なら「1、2、4、5、7、9」といった感じに思える。
いずれにしても勝気で、体格に恵まれていて、力があるか敏捷かを備えている。
まぁ、これが、誰もが認めるシンプルな強さであることは、言うまでもないだろう…。
そして現実、元から強い者が、フルコンタクト空手や格闘技で短期間に頭角を現すことが多いのも、また事実だ。

ただ、同じように体格に恵まれていて運動神経が良くても、喧嘩が弱い者も居る。
何が違うのかと言えば、メンタル面だ。
先ほどの項目で言えば1、2になる。
結局、気が強くて人を呑んでかかる大胆な者が幅を利かせることができる。
運動だって思い切りの良さが上達に繋がる。
Y崎も元は大人しかったのに、心が荒れてから恐ろしいヤツになっていった。
逆に言えば、相手も同じ人間なのに、恐れる心が余計に自分を弱く、相手を強くしてしまうのだろう。
しかしこの部分はなかなか簡単ではない。
ちなみに、松田隆智さんも「心は体の主人」なんて言葉を使っていたが、まさにそうだろう。
弱い者が武術を通じて強くなろうとするとき、戦いに際して心を強くできるかどうかは、一つの重要な鍵になると思う。
例えその元になるものが、自暴自棄であろうと。。

話を戻すが、少しばかり喧嘩慣れしている者の決まり文句として、
「喧嘩は根性」
というのがある。
基本的にはその通りだし、僕と喧嘩した2人はそういう意味で根性があるタイプだったろう。
僕も子供の頃は、喧嘩は勢いだと思っていた。
つまり負けず嫌いで根性があり、相手を呑んでかかって、怯ませることができれば、あとは先手必勝。
怯えている相手は十中八九、萎縮していて殴られてしまう。
前に書いたヤンキー同士のにらみ合いでも、ビビッてしまった途端にパチキを喰らったりする。(※2007/05/05『パチキ』参照)
そして、お互いに勢いがある場合は、より勢いがある方が勝つ、という図式だ。

だが、そうとばかりも言い切れない。
大声で吠えたり、凄んだりしなくても、強いヤツは居る。

一体どちらが真なのかを、何となく考え始めたのは、中学生の頃だった。
そして僕の場合、自分の臆病さにも気づいていた。
中学1年のときに集団で袋叩きに遭って、なおさら根は臆病になった。
だからこそ強さへのあこがれもいっそう増したのだが、結果的にはこの臆病さが冷静さにも繋がった。
冷静に見れば、自分がビビッているからこそ吠えるヤツも居る。
そういうヤツはみっともない。
それに、声を出し勢いを奮い立たせるのもいいが、場合によっては相手の勢いも引き出してしまう。
また、怒りにまかせて見境無くなると、思わぬ不覚を喰らうこともある。
どの程度がいいのかはよくわからなかったが、ともかく、相手が強いと思えばなおさら、僕は冷静になるようになった。
だから、Y崎のときには周りがよく見えていたし、K賀のときには相手の動きをよく見ていて、どちらも、一発もパンチをもらわずに勝った。
もちろん闘志だけはメラメラと燃やしていた。
臆病と言っても、ただ避けることだけを考えていたわけでないことは、読んでもらっていればわかると思う。

ただ、空手の経験がまだまだとは言え、突き・蹴りが速くなった実感はあった。
遊びのような組手でも、人とそんなことをやっている内、それまでよりは相手の動きが多少は見えるようになっていた。
結果、強敵に勝って、少しばかりいい気になった。

ある日、僕をなめていたヤツの1人が廊下でカラんできたことがあり、掴まれたので振り払ってそのままぶん殴ったら、廊下の壁で後頭部を打ち、そのまま脳しんとうを起こしてズルッと落ち、気を失いかけた。
軽く殴っただけなのに…と、恐ろしくなった。
そして、そんなことも、「自分は強い」という勘違いに繋がった。
またしばらくした頃、5~6人に囲まれたことがあった。
その中のリーダー格のヤツは、小学校の頃に僕に殴られたことがあったそうだ。
何年も経つのに根に持っていて、たまたま人数が居るときに僕を見かけて、仕返ししようと思ってカラんできたらしい。
いい気になっていた僕は、リーダー格のヤツが目の前に来たのをいいことに、僕にしてはめずらしく、先手必勝とばかりに先に手を出した。
多勢に無勢なので、リーダー格のヤツをぶっ倒してそのまま逃げてしまおうという腹だった。
ところが、そいつは今まで体を鍛えていて、まず1発目が効かなかった。
すぐさま、
「やったな!そんなパンチが効くか!」
と言いながら反撃してきた。
僕は慌てて、それを避けて2発目、3発目と入れた。
だが倒れない。
結局5、6発入れて、相手が怯んだ隙に走り出してその場を逃れた。
後ろで、
「憶えとけよっ!」
という声が聞こえて、僕は振り返りながら、
「今度は一人で来い。アホンダラ!」
と怒鳴って、そのまま走り去った。
家に帰ってから、また不味いことになったと思った。
しかし幸い、その連中は仕返しには来なかった。
その場では効いていないフリをしていただけで、結局あとでビビッてしまったのかも知れない。
しかし僕はショックだった。
あのY崎やK賀を沈めたパンチが効かなかったからだ。
いや、実際には、効いていたから仕返しに来なかったのかも知れないのだが、そのときはそう思ってショックを受けた。
素人相手の喧嘩でこうだ。

どうすればもっと強くなれるんだろう…!?

そんな迷いが、結局は後々に太極拳や武術に傾倒していく元となった。

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