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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

当流の太極拳

投稿日:2012年2月24日

2007年1月に書いた『僕が学んだ太極拳』という記事がある。
アクセス解析によると普段からコンスタントに参照されている記事の一つだが、最近何故か特によく参照されている。
まぁ、僕のプロフィールの一端でもある内容なので「どんな人がこのブログを書いているのか」ということで見て下さっているのだろう。
それで改めて読み返してみたのだが、さすがに5年も前の記事だけあって、入門当時の自分自身のこと以外はちょっとぼかした、遠慮した書き方になっている。
訂正は特に無いが、5年前には書かなかったことを、改めて書こうと思う。

正宗太極拳に関する概要は以前書いた通りなので、今回は当流の太極拳について。

僕は便宜上、『正宗太極拳』の呼称を使っているが、実はウチの太極拳は、細かい点では他団体の王樹金系“正宗太極拳”と同じではない。
まぁ、大筋でその流れなのだから正宗太極拳と言って差し支えないと思うが、端的に言って、改変されている部分がある。

まず型についてだが、故・佐藤金兵衛先生が他派太極拳や柔術から取り入れた動作があるということは前にも書いたが、僕の元師匠であるT先生のさらに師匠であるW先生が、合気道の理を取り入れて変更した部分もあるそうだ。
(※W先生についての詳細は『W先生との出会い』参照)
例えば先月の記事『一般的な型との違いについて』で書いた“上歩打セイ”の中心線上で受ける動作などは、W先生がそのように変更したと聞いている。
僕は昔、これは余所が隠しているのだと思っていたのだが、T先生によると、そうではないそうだ。
で、何が違うのかと言うと、あくまでも型の初歩的な用法上での理屈なのだが、従来の型通りに動くと、上段への突きを受けた動作から“打セイ”までがスムーズに行かない。
従来の型では受け手を右方に移動させて流すように受けるが、それでは相手は右方に移動するので、打セイを行うはずの相手は、型通りに前方には居ないことになってしまう。
(まぁ、用法上は相手が退くのでそれに合わせて一歩進んで打セイを行う、ということになっていたと思うけれど…)
それで、
「技がより然るべきかたちで成り立つにはこうした方がいい」
という意味合いも含めて、改変されているわけだ。
また、この例の中心線上云々だけでなく、技の出し方や角度など他にも幾つか変更されている。
但しそれはX先生も行っているので、誰がどこをどう変更したのか、僕は隅々まで正確に把握しているわけではない。

それから、立ち方や身法も違う。
基本的な弓歩は、大きな変更はないが、王樹金系の内家拳の本で紹介されている立ち方よりも少し歩幅を狭くし、前足のつま先をやや内側に入れ、重心は前後のほぼ真ん中としている(もちろん動作上は多少前後する)。
身法については、かなり違うのだが、ここで詳しく書くことは出来ない。
ただ、他の内家拳や北派拳法からすれば、聞けば意外に感じると思う。
僕らは、
『本当はこうやるんだ』
と教わったのだが、しかしそれはX先生の伝として理解しているので、たぶん余所では(内家拳系では)、どこもやっていないのではないだろうか。。
もしかしたらやっているところもあるのかも知れないが、僕が知る限りそういうことを解説しているのは見たことがない。
やや近いことを書いているのは、空手だったり、南派拳法だったり、日本武術だったりする。

ここでX先生の武術について少し触れよう。
X先生は日本武術や中国武術に造詣が深い方だったそうで、王樹金系の内家拳もやって来られたが、本門としていたのは、別の、とある拳法だった。
その拳法は一般的にはまったく知られておらず、内家拳の一つとのことだが、印象としては南派拳法を思わせ、技は太極拳や白鶴拳のようにも見える。
一方、日本武術で、柳生心眼流のような打撃を含んだ、とある古武術の流派がある。
完全なかたちのものは失伝したとも言われていて“幻の柔術”と呼ばれていたりもするらしい。
この日中二つの武術には多くの共通点があり、核心的な部分に違いは無いそうだ。
結果、これらがウチの流派の二大支柱となっている。
なので、当流の太極拳には、この二つの武術が加味されている。
表面上は正宗太極拳だが、中国でもきっとあまり知られていない古流の拳法と、日本の古流柔術が合わさり、独特の進化をした新太極拳と言っていいと思っている。
そして、武術とは本来こうだろうというところをごく当たり前に踏まえて、幻想部分など無い、ある意味洗練された拳法、ある意味泥臭い拳法、となっている。

二つの武術については、ここで詳しく書くことは出来ないのだが、余談程度にもう少しだけ書こう。

古武術の方は、昔、T先生の元を一度去る前に基本の稽古をし始めていた。
僕らはそれまで、太極拳、形意拳、八卦掌、金鷹拳、大和道、柳生心眼流…と、修得順はこの通りではないが、ともかくこれらを覚えて、稽古していたわけだが、時折他の武術が入って来ることがあった。
例えばX先生が台湾の故・劉銀山老師と交流を持ったことがあり、その際には食鶴拳の“五行手”を習った。
他の武術にも興味がないと言えば嘘になるが、早く上のことが習いたいのに、これ以上色んな武術を一からやるのはしんどい…と正直思い始めていた。
その古武術が入ってきたときも、
((また基本だけだったら嫌だなぁ…。どうせなら心眼流の奥伝の型を教えてくれればいいのに…))
などと思って、そんなことを兄弟弟子たちとこそこそ話していた。
でもまあ、やってみれば案外面白い。
その古武術も心眼流のような短い型があるのだが、雰囲気は八極拳のようでもあった。
(まー心眼流も形意拳や八極拳のような印象ではあるが…)
余談ついでだが、、
当時、様々な拳法が国内に入って来始めていたのに、どうしてX先生はメジャーどころの(というか、松田さんの本や中国武術雑誌などでよく紹介されている)八極拳や蟷螂拳の拳法家と交流を持たないのだろうか?…と思っていた。
何せ当時は、王樹金は無名なイメージだったし、金鷹拳も「ナニソレ?」だった。
まー、X先生のお眼鏡には適わなかったということなのだろう。
もちろん八極拳や蟷螂拳がダメということでは無くて、X先生が「これは!」と思う師範と出会えなかったか、あるいは単純に好みの問題だったのかも知れない。。
結果から言えば、流行りを追いかけて単純に型を輸入するだけのような道場で無かったのは良かったと、思ってはいるが…。。
…話を戻そう。
件の古武術については、最初は柳生心眼流と似たようなものという程度の認識だったので、心眼流が好きだった僕としては、
「心眼流だけでええやん」
と思っていた。
前述のように、新しいものを一から習うのがしんどくなってきていたからだ。
ただ当時は、シンプルな基本の型を三本習っただけだった。
たぶんそれだけで終わったんだろうと思っていたら、その後も続いていたわけだ。
復帰後はその古武術流派に含まれる柔術や剣術や棒なども教わった。
それらがまたうまく拳法とも解け合う。
しかしこれだけで充分という気もする。
これをちゃんと習っていれば中国拳法なんて要らなかったに違いない。
きちんと系統立って伝わっていないのが残念ではある。

さて、とある拳法の方だが、何故こちらを後に持ってきたかと言うと、この拳法の存在を知ったのが、僕にとって時系列的に後だったからだ。
実はこの拳法のサワリを稽古をし始めたのは、上記の古武術が入ってきた頃だった。
(X先生がこの拳法を始めたのはもっとずっと前からだったようだが)
T先生から、
「これから本当の稽古に入る。これは太極拳の“奥”になる」
と言われて、そう信じていたのだが、実はこの拳法を元にした稽古だった。
ただまぁ、結果から言えば、ウチの流派においては太極拳との融合も図られていることだし、太極拳の技を使うための稽古にもなっているので、あながち嘘というわけでも無いのだが、その時点で言っていたことは、正しいとは言えないだろう。
それで思い出したが、古武術の方についても、
「他派の人に聞かれたら“○○流”とでも言っておいて」
と言われて、僕らは苦笑したものだった。
無闇に見せるなと言われているのに、他派の人にどう聞かれると言うのか…。
どこか外で稽古しているところをたまたま見られたとか、他派の人と何らかの交流を持って一部見せ合ったとかが仮にあったとしても、
「わけあって流派名は出せない」
だけでいいではないか。
それを、実際にある他流派の名を出して、それを名乗っておけというのはおかしい。
若い頃は、この世界の秘密主義とはそういうものかと思っていたが、まぁ、それほど秘匿を重んじる習わしは理解しておかなければならないにせよ、嘘は良くないだろう。
それはともかく。
その拳法の鍛錬が始まった。
これが実は、前に、
『外功鍛錬を始めるようになった』
と書いていたものの正体だ。
当初、僕らは混乱したが、このベースがあったおかげで、後に独りで太極拳の研究をしていた際、どうあるべきか、どう使えばいいか、ということのヒントになった。
では、どんな鍛錬を行うのか。
まったく言わないのは不親切なので、軽く触れておこう。
乱暴ながら一言で言ってしまえば、それは人同士でやる筋トレだ。
似たような鍛錬は空手や少林拳系にもあると思う。
例えば空手の“カキエ”など。
最近はネットで誰かが“力推手”などという書き方をしていたのを見たことがあるが、それと似たようなこともやる。
但し鍛錬法は色々あり、単純に現代の筋トレと同じやり方のものもあれば、技の稽古を兼ねているものもある。
そしてまた、当然ながら拳法の技に必要な筋肉を養成し鍛えるわけだが、上級のものは秘伝的扱いとなっている。
そして、これまた乱暴な例えになるが、太極拳で10年かかって出来るかどうかわからないことを、必要な部分をまずきちんと鍛えて、3年くらいで出来るようになりましょうという練習方法…とも言える。
もし現代の太極拳がひたすら柔を磨いて柔を極めようとするものだとしたら、ウチは、剛の鍛錬も行って剛柔併せ持った拳法を目指している、ということだ。
まーそれが至極当たり前のことだと思うのだが…。。
…で。
この拳法の存在を知ったのは、T先生と再開するにあたって、事前に電話で話したときだった。
そのときに、昔やり始めていた筋トレが実はその拳法のサワリであったこと、今では太極拳もその拳法式に行われていること、などを聞いた。
正直、最初は、
「また何かややこしいこと言ってるなぁ…」
と思った。
僕としては、独りで研究・工夫したこともあるので、昔やったことをやり直して、体が多少でも元に戻れば、あとは細々と続けていければいいや程度に思っていた。
ところが、やってみれば、改めて目からウロコなこともあったし、習わなければ解らなかったことも多々あった。
今は(前にも書いたことがあると思うが)、自分が紆余曲折あって回り道をした分、後進の人を例え一人でも、二人でも、ちゃんと育ててみたい、というのがささやかな野望だ。

さて、長くなったが、ここまで読んでいただいて、
「じゃあ、太極拳ではなくて、そのとある拳法なのでは?」
と思った方も居るだろう。
しかしその拳法はひっそりと伝えられているし、また僕はその拳法名を名乗ることを許されていない。
少なくとも僕が伝えるものは、あくまでベースは正宗太極拳で、それに様々な武術要素が加味され、さらに自分の工夫を加えた独自のもの、ということだ。
但し誤解の無いように書いておくけれど、正宗太極拳としてもそれなりに奥のことを学んでいるので、ほとんどを勝手に創作した、というようなものでは決してない。
また僕自身、長年最も好んでやってきたのは太極拳なので、一番系統立って人に教えられるのは、やはりこの太極拳なのである。

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