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徒然エッセイ

10代の頃、僕にとっての武道 Part 1

投稿日:2007年9月24日

小さい頃、別れた父が空手をやっていたことに影響を受け、空手や武道に興味を持ったことは、今までにも何度か書いた。
そして、親が住まいを転々としたり、離婚したりしたせいで、僕はその都度環境が変わり、行く先々でちょっかいをかけられ、喧嘩ばかりを繰り返す少年時代を送ったことも。

そもそも、母の実家は田舎の地主で、まあまあ裕福だった。
祖父からは兄弟姉妹の中で一番可愛がられて、お姫様のように育てられたそうだ。
片や父の実家は炭坑町で、貧乏な暮らしをしていた。
2人がどんな経緯で知り合って結婚したのか、未だによく知らない。
ともかく、僕が物心ついた頃には、2人は東京で働いていた。
母は最初は看護婦をしていたが、いつからか水商売をするようになった。
父は視覚障害者だったのであまり働き口が無く、同様に水商売をしていたようだ。
両親が東京で水商売をするようになった頃、僕は3歳くらいだったが、その頃から鍵っ子生活をしていた。
当時は安アパートの2階に住んでいたが、両親の留守中に、何度か階段から転げ落ちたり、お菓子を買いに行こうとして交通事故に遭ったりしたので、田舎に預けられることになった。
父の実家や母の実家には、4歳から5~6歳くらいまで居たようだ。
赤ん坊の頃も含めて、どちらかに預けられていたことは何度かあったようで、記憶が交錯している。

母の実家は当時、農業を営んでいて、家族と共に20人くらいが働いていたようだ。
牛、豚、鶏などの家畜も育てていた。
農作業をしている端でベビーカーのようなものに乗せられいたことや、男子の初孫ということで祖父から可愛がられ、周りからもちやほやされていたのを憶えている。
父の実家は、まだ炭坑が稼働中で、家族はそこで働いていたようだ。
ぼた山があり、石炭列車が走っていた。
石炭列車はゆっくり走っているので、僕はそれに飛び乗って山奥まで行き、野いちごをたくさん採ってきて、祖母を驚かせたりした。
また、父の弟、妹(叔父、叔母)はまだ中学生と小学生だったので、僕を弟のように可愛がってくれた。
そしてどちらの田舎でも、まぁ、父の影響で元々腕白な方だったから、何人かを引き連れて歩くガキ大将だった。
それでも、環境が変わって知らない土地でカラまれるのは不安なものだ。
親元に帰ってから、引っ越した先でいじめられそうになって、泣いて帰って父から怒られ、特訓を受けて向かっていった話は前にも書いた通りだ。
(※2007/01/31『空手 Part 1』参照)

その後、小学1年生の終わり頃に両親が離婚し、僕は母について行ったが、そのとき母にはすでに再婚相手が居て、知らない土地に来て知らないおじさんが現れたと思ったら、
「今日からお父さんと呼びなさい」
というようなことになった。
義父とはうまくいかず、様々な軋轢があった。
その内容を書けばキリがないが、殺してやりたいと思ったことも何度もあった。
しかもガラの悪い地域でほとんど毎日のように喧嘩…。
問題を起こす度に義父から殴られる悪循環。
そんな中で、僕がぐれてしまわなかったのは、振り返って思えば、まず1つの要素として、田舎に預けられていた頃、父母と離れていたとは言え、双方の実家共よく可愛がってくれて、素直な子供時代を送れたことが大きかったのではないだろうか。
だから、悪友に誘われて悪さをしたこともあるが、良心の呵責というものが強く、自ら断るようになったし、そのまま流されてズルズルというようなことはなかった。
それから、
僕は漫画家になりたいという夢を早い内から心に持っていた。
小さい頃から空想好きで、お話を考え、それを絵にして、留守番している夜を過ごしていた。
小学校上級生になる頃には、漫画家を志していて、そのためには自立するまでしっかり自分を持っていなければならないと思っていた。
そしてそんな自分を支えてくれたのが、武道だった。

実父との思い出の他、武道・格闘技系の漫画、ドラマ、映画などからも影響を受けたが、ともかく武道というものを通して、男とはどうあるべきかを考えるようになった。
もちろん当時の僕が考えていたことなど拙いのだが、そんな諸々で、不良や非行少年と呼ばれるような子供ではなかった。

それに…大人しくなる1つのきっかけがあった。

小学4年生のときだ。
学校が終わって遊んでいて、たまたま地下鉄の駅前を通ったとき、生まれて間もない妹を抱いて駅に入っていく母を見かけた。
走っていって、
「お母さん!」
と声をかけると、母は階段の踊場に差しかかる付近で、チラッと振り返り僕を見たが、何も言わずにそのまま姿を消した。
その夜、母は帰って来ず、義父に尋ねても何も答えてくれなかった。
義父はふてくされるようにテレビを見ていて、ただただ無視。
3日ほど経って、
「お前のオカン、田舎に帰ったわ!」
と一言だけ言い放った。
それからしばらく、義父の実家に預けられた。
義父の実家は、転校した小学校の学区内だったので通学には問題無かったが、その頃は義理の祖母も叔父も僕には冷たく、ただ寝泊まりと食事をさせてもらっているだけの毎日だった。
結局、母は2週間くらいして戻って来て、義父ともまた何事も無かったかのように仲良く過ごすようになったのだが、僕はその間のことが許せなかった。
何があって田舎に帰ったのかは未だに知らないし、その間に僕だけ孤立させたことを謝ってくれたわけでもなかった。
考えてみれば母は、離婚のときのことも含めて、今まで、僕に何らかの話を言い含めてくれたり、謝ったりというようなことは、してくれたことがない。
そういうことが子供の頃から積もり積もって、母とも冷えた関係になっていくのだが、ともかく、このときのことは、10歳の頃の僕にとってはかなりショックだった。
自分が問題を起こしてばかりだから、捨てられたのだと思った。
それからというもの、僕は猫をかぶるようになった。
感情を押し殺して、今までのように瞬間的に怒るようなことはなるべく抑えて、喧嘩してもバレないように努めた。
家では、母に冷め、義父に怨みを抱き、早くこの家を出ることばかりを考えていた。
また、母たちも、僕を除いて3人で映画や遊園地に出かけたりすることもあったが、僕は放っておいてもらえることが返って気が楽だった。

僕にとって幸いだったのは、最初は表面上であっても、大人しくなったことで、友達が増えたことだ。
友達との交流を通して、少しずつ考え方が変わり、バランス感覚も育っていった。
特に女友達が増えてからは、少女漫画を借りて読んだり、詩や恋愛小説なども読んだりした。
それまでの自分には無かった、繊細な考え方が、新鮮に感じられた。
中学生の頃には、時々キレて喧嘩しても、理由のない喧嘩はしなくなっていた。

そして、空手を始める少し前だったと思うが、より強く武道を意識するきっかけがあった。
ちょっと長くなってきたので、項を改める。

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