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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

K賀との再戦

投稿日:2007年8月22日

中学時代の印象に残る喧嘩がもう一つある。
以前、2007/02/12の記事『空手バカ一代に学ぶ』の最後の方で「6年生のときに同学年の1人に負けてしまった」と書いた。
その相手が今回登場するK賀だ。
K賀との再戦は中学3年のときで、およそ3年ぶりのリターンマッチだった。

そもそも小学6年生のときの喧嘩は、あまりはっきり憶えていないが、学校の運動場で三角ベースをやっていたときに、何かのイザコザで起こった。
僕はK賀に怒って怒鳴ったが、初対面だったし、あまり強そうにも見えなかったので、いきなり殴ろうなどとは思っていなかった。
しかしK賀は、黙って近づいて来て、いつの間にか手に持っていた砂を僕に浴びせかけた。
油断していた僕はもろにそれを喰らって目が見えなくなり、その間に何発か殴られて、転かされ、馬乗りになられてしまった。
そのときは周りが止めに入って、見ていた者はK賀を卑怯だと非難した。
しかしこんなことは小さい頃からよくあったことで、もし近くに助けてくれる者がいなければただやられていただけになる。
負けは負けだ。
K賀は隣のクラスだったので、確か、翌日以降、何度か追いかけ回したが、K賀はすばしっこくて、僕をからかいながら逃げ回った。
そして周りからも止められ、いつの間にかあきらめてしまった。
どのようにあきらめたのかはよく憶えていない。

その頃K賀は黒縁メガネをかけていて、青っちょろいガリ勉くんのように見えた。
実際、成績も良かったらしいが、運動神経もバツグンで、知っている者の間では喧嘩が強いことも認められていたらしい。
…まぁ、人を見かけで判断すると痛い目に遭うという教訓になった。。

それからK賀とはほとんど接点が無かったのだが、中学3年で同じクラスになった。
K賀はサッカー部に入っていた。
背も伸びて、僕より少し高いくらいで、たくましい体つきになっていた。
また、この頃には普段はメガネを外していて、真っ黒に日焼けし精悍な顔つきになっていたので、同学年の女子からよくモテていた。
昔の印象とは別人のようだった。

ただ、喧嘩のことは根に持っていなかったが、僕はK賀があまり好きではなかった。
K賀が陰で僕をヘタレ(弱虫)扱いしているのを聞いたことがあったし、接する態度も偉そうだった。
僕からすれば、明らかに、昔勝ったからといい気になっているように見えた。
それからK賀は、勉強もでき、運動神経もよく、女子からもモテる…と三拍子揃っていたが、自分より劣る者に対する態度がぞんざいだった。
「前より嫌なヤツになってやがるな…」
というのが僕の率直な感想だった。
それでも、すぐにK賀と喧嘩にならなかったのは、Yの存在が大きい。
Yとは、1年生のときに集団で僕を袋叩きにした中心人物だ。
(※Yについては2007/02/02『空手 Part 2』参照)
前にも書いたが、Yは僕との一件以来大人しくなり、真面目になっていた。
3年生のときにはクラスのリーダー的存在で、K賀とはいつも一緒に居るほど仲が良かった。
K賀は勝ち気で気が短いので、Yがよく抑えていた。
そしてYは、K賀が僕につっかかるような言い方をするときがあったので、僕がキレてしまわないようにも気を遣ってくれた。
だが、結果的にはキレた。

確か、2学期の終わりか3学期だったと思う。
体育の時間、バレーボールをやっていたときのことだ。
K賀はこの少し前から、他人への八つ当たりが目につくようになっていた。
目立たないヤツ、大人しいヤツ、鈍くさいヤツ、を、ハナからバカにして、高飛車な物言いをしたり、気に入らないことがあるとすぐ怒鳴り散らしたりした。
それが顕著になるのが体育の時間だ。
チームに分かれてサッカーやバレーの試合をするとき、自分のチームに足を引っ張る者が居ると、容赦なかった。

その日は、よく憶えていないが、バレーボール2チームに分かれていたように思う。
喧嘩になったとき体育の先生がそばに居なかったので、確か女子の先生が休みで、そっちをかけ持ちで見ていたのではなかったろうか…。
で、バレーボールだが、僕はK賀と同じチームにはならなかった。
しかしその頃よく話すクラスメイトだったO崎というヤツが居て、O崎はK賀と同じチームになった。
O崎ははっきり言って運動神経がよくない。
心配通り、K賀の八つ当たりの的になってしまった。

K賀は自分のチームの鈍くさいヤツがミスをする度に怒鳴り散らした。
まさに癇癪そのものだ。
特にO崎がミスをする度にイライラカッカして、エスカレートしていった。
「K賀、ええ加減にせんか!」
僕は我慢できなくなって声をかけた。
「なにぃ!」
K賀は即座に、怒鳴り声で返してきた。
「なんじゃこらぁっ!オレに文句あんのか!こっち来いボケェ!しばいたらぁッ!!」
僕は呆れて冷めていた。
不思議なことに僕はまた冷静なままだった。
「お前がこっちに来いよ」
と返した。
K賀はみるみるカーッとなって即座にドスドス歩きでネットをくぐった。
そしてまっしぐらに僕の方にやって来て、わめき散らしながら、目の前でさっとしゃがんで砂を投げつけてきた。
僕は過去に嫌な思い出があったので、腕を顔の前に上げ、目を細めて防いだ。
考えてみれば進歩の無いヤツ。
それに前はいつの間にか隠し持っていたが、今回はそんな間が無かったようだ。
防ぐと僕はすぐ向かって行った。
K賀は慌ててちょっと退いたが、腕力に自信があるからか、すぐまた前進してパンチを出してきた。
僕は受けては殴り、避けては殴った。
どう防いだかを一つ一つ憶えているはずもないが、一発も喰らわずに数発入れると、あとは一方的に殴った。
そこに周りの者が止めに入り、先生も慌ててやって来た。
K賀は起き上がると、負けた悔しさで大声を上げながら突然走り去ってしまった。

そのあとは僕と、見ていた者が事情を聞かれ、説明した。
先生は、
「あとでK賀にも事情を聞く。着替えに戻れ」
と言ってすぐ帰してくれた。

そして教室で着替え、隣の教室の女子が着替え終わるのを待っていた。
そのとき、
廊下の向こうの、階段に通じる角からK賀が飛び出し、棒を持って走って来た。
「うわーーーっ!!」
距離は教室2つ分、あっという間に目の前まで来て、棒を振り回した。
僕はとっさに構えて、その棒を肩や背中で受けた。
すると3~4発目で棒が折れてしまい、その機に僕が前に出ようとすると、みるみる顔が恐怖に変わって、また大声を出しながら逃げてしまった。
…僕は呆気にとられた。
あの気位の高いK賀がここまで壊れるとは。。
それに、棒で殴られたというのに当たった箇所に痛みは無く、それどころか折ってしまった。
棒はみんなが休み時間に庭球で野球をするのに使っていた、どこかで拾ってきた木材の切れっ端だった。
我ながら驚いた。

K賀はみんなの前で僕に殴られ、仕返しをしようとして失敗するところまで見られてしまった。
しかも一目散に逃げた。
本人も相当パニックだったろう。。

それから女子の着替えが終わって、教室に入った。
体育は6時限目だったので、担任の先生が来てホームルーム終了後、解散となった。
K賀は戻っていなかった。
その間、僕は何人かの女子に睨まれたりした。
O崎も、恩着せがましく言うつもりは無いが、結果的に守ってやったのに礼を言うでもなかった。
平和主義で、事情はどうあれ喧嘩は反対だから、礼は言わないのだそうだ。
「けったくそ悪い…」
そう思いながら帰り支度をしていたら、K賀がYを始め数人に連れられて教室に戻って来た。
しゅんとした様子でうつむいていたが、Yに促されて僕を見た。
するとこっちに歩いてきたので、僕も立ち上がって備えた。
目の前まで来て立ち止まると、
「ゴメン…。悪かった」
と、落ち着いた口調で目を伏せながら謝った。
「???」
さっきまでと別人だ。
「仲直りしてくれ。頼む」
仲直りも何も、元から仲良くも無い、と思ったが、
「もうええよ」
と答えた。
するとK賀は右手を差し出して握手を求めてきた。
さらに???だったが、握手をすると、
「ありがとう」
と言って、待っている友達のところに戻っていった。

まーしかし。
この件で、K賀との確執は終わった。
K賀も丸くなって、怒鳴り散らすようなことは無くなった。
今から思えば、中学3年の微妙な時期だし、家庭とかでイライラの原因になることでもあったのかも知れない。

ちなみにK賀は、割と成績がいい方だったが、高校は工業高校を志望していた。
先生から、
「工業高校ならどこでも入れる」
とお墨付きをもらっていた。
何故、工業高校を志望していたのかはわからない。

高校生になって、僕は週末だけ深夜営業の喫茶店でバイトをしていたのだが、あるときK賀がふらっと現れて、それから何度かやって来た。
僕の記憶に間違いが無ければ、そのときK賀は高校をやめてしまったと言っていた。
成績も良かったのに、どうしてだったのか、今となってはわからない。

Y崎にしてもそうだったが、何で2人ともぶん殴られた相手にあとでわざわざ会いに来たんだろう?…と、可笑しく思っていた。
しかしK賀とも、特にそれ以上親しくなることはなかった。
僕はその喫茶店に長く居なかったし、K賀も家にまで訪ねてくることはなかった。
だからその後、どうしているのかはわからない。

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