中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

王樹金站椿

投稿日:2008年12月12日

正宗太極拳には、“站椿”(タントウ)と呼ばれる練功法がある。
まず、大きな樽または球を抱えるような姿勢で、中腰で立つ。
幾つかの手形があるが、要は内家拳で使われる手のかたちで、それを一定時間おきに変えて、静かに立ち続ける。
昔のジャッキー・チェンの映画でも似たような鍛錬をしているシーンがある。
中国武術の世界ではめずらしい練功法ではないようだが、門派によって方法や目的に違いがあるかも知れない。
また、站椿は“立禅”(りつぜん)とも呼ばれ、“意拳”やその流れを汲む“太気拳”などでも同様の鍛錬が行われているそうだ。

一説によると、王樹金は意拳の創始者である王コウサイ(ネット上で調べてみると「王向斉」「王郷斎」などと表記されているが、ここではカタカナで表記しておく)からこの站椿を学んだと言われているが、僕はよく知らない。

王コウサイは、形意拳の達人として有名な郭雲深(かく・うんしん)の閉門弟子(最後の弟子)で、後に“白鶴拳”から影響を受けて意拳を創始したそうだ。
郭雲深は、100年くらい前の人物で、崩拳を得意として無敵を誇ったと言われている。
崩拳とは形意拳の突き技で、簡単に言ってしまえば縦拳の中段突きだ。
「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」
と賞賛されたとのことだ。
中国武術の達人といえば、日本では漫画『拳児』で紹介された八極拳の李書文(り・しょぶん)が有名だと思うが、僕が拳法を始めた頃、僕的にはこの郭雲深の方が好きで、逸話をよく読み返したものだった。

ところで、意拳や太気拳は、あまりよくは知らないのだが、見た目は形意拳より白鶴拳に近そうな感じがする。
もちろん形意拳も白鶴拳も同系の技はあるだろうが、郭雲深の流れでありながら形意拳の型を捨ててしまっているところは、どんな経緯や発想だったのか、なかなか興味深い。
(※意拳の一部の派では形意拳の型もやるそうだ)

站椿に戻るが、最初は、
「力を抜き、リラックスして、心身統一を図りながら瞑想するように」
と教えられることが多いようだ。
そのため
「気持ちいい」
「眠ってしまいそうになる」
…など、よく耳にする。

果たして、気持ちいい鍛錬が、鍛錬になるのか?

という疑問もあるが、まーそれはそれとして。。
また、站椿は内功法として紹介されるのが一般的だ。
内功とは、“気”を用いて体の内部機能を鍛えることで、武術的にはそれによって強い力が発揮されると言われている。
…ただ、
「そもそも“気”とは何ぞや?」
という部分で、初心者どころか中級以上の者でもきちんと説明できないことが多いのに、
「気の鍛錬」
の一言では片付けられないだろう。
そしてまた、太極拳や内功を行うと“気感”というようなものが得られるのだが、これはそもそも何なのだろうか?

乱暴を承知であえて言えば、僕は、
「そんな気がする」
という範囲のものでしかないと思っている。
ここで一旦、“気”を「気持ち」の「気」に限定して説明するが、そういう意味での気の持ちようは、身体の調子や状態とも無縁ではない。
気持ちが高揚すれば元気バリバリだし、怒りは通常以上のパワーを引き出す源になる。
精神の働きは、他にも色んな作用がある。
だから、イメージトレーニングという意味での瞑想法も、それはアリだろう。
ただ、気の流れ云々、エネルギーのようなものに置き換えて、それを体内にめぐらせるような訓練となると、実際には無いものを仮想的に扱うこととなり、人によって感じ方に差異が生じ、中には大きな勘違いをする人も出てくるのではないかという気がする。
そうなると、瞑想で“気”を実感しているつもりの人が、その方法で威力養成のための鍛錬になるのだろうか…?

あとイメージトレーニングとしては、怒りや憎しみの状態をイメージし自らに精神的な圧迫を与え、それを一気に放出(爆発)させるというようなやり方もあるけれど、それは例えば、ボクサーが控え室で憎くもない対戦相手と戦う前にモチベーションを高めるのとそう差はない気もする。
門派によっては、動物霊を呼び込んで野獣の強さを引き出すというような方法も伝えられていると聞くけど、自己暗示の一種だろうし、やはりこれも大きな差はない気がする。
もしかしたら僕の理解が足りないのかも知れないけど、僕的には、戦う意欲の高め方は、人それぞれ自分のやり方を見つければいいだけだと思う。

さて、瞑想的なことだけではなく、站椿には別な意味の鍛錬もある(と思う)。
その一つが脱力訓練だろう。
(※2007/03/21『脱力と力との狭間の迷路』参照)
そして一方で筋トレも兼ねている。
つまり、手形により力を入れるところと抜くところを探りながら、一部の筋を鍛えているのだ。
(…というか、そういう表現に留めておこう)

また、王樹金伝の站椿には、技としての用法もある。
ここでは具体的には触れないが、全日本中国拳法連盟(http://www.jujutsu.com/)で出している太極拳のビデオで解説されている。
(今の僕からすれば他団体なので、宣伝のつもりではなくて、一応、情報として)
…ただ、、
技なら技として練習すればいいのに、
「站椿の手形の中にはこんな意味がある」
といった風に隠して伝えるところ、中国武術の気風というか何というか、、ナンダカナァ…って感じが拭えない。

それから。
このブログで時折話に出てくる“X先生”が一時、台湾の白鶴拳(食鶴拳)の師範と交流していて、僕らも基本の“五行手”というのを教わったことがある。
これが站椿の手形とよく似ていて、当時は、
「まー太極拳も蛇と鶴だと言われているし、白鶴拳と似ているところがあっても不思議じゃないのだろうけど、結局どこも同じようなことやってるモンだなぁ…」
などと話していたのだけど、今思えば、前述の、王コウサイと王樹金、意拳や太気拳との関係性などを考えると、何となく繋がるようで面白い。
そうかどうかは、僕にはよくわからないのだけれど…。

また、白鶴拳と言えば南派拳の代表的な門派の一つでもあるが、意外と太極拳と共通の技法も多そうだ。
王樹金站椿が王コウサイ経由で白鶴拳の影響を受けているのだとしても、手形はやはり太極拳・形意拳・八卦掌で用いるカタチを用いている。
それが白鶴拳の手形とも通じるのだから、やはり遠からずと言えるのではないだろうか…?
そしてまた、白鶴拳は空手の源流の一つとも言われている。
昔は南派拳といえば、北派…ことに内家拳とは相容れないような印象があったと思うけど、少なくとも僕が、多少なりとも触れたことのある金鷹拳や食鶴拳に関しては、ことさらそうということは無かった。
空手も、沖縄の古流は、白鶴拳などを通して見れば、太極拳ともそう大きな違いは無いのかも知れない。

まー他の拳法をやってる人は、全然違う意見を持っているかも知れないけど。

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

はじめまして。私は香港系意拳&王樹金系形意八卦&鄭子太極拳をやってるものです。
確かに意拳は白鶴拳の影響を受けてますが、鄭子太極拳も白鶴拳の影響を受けています。意拳はほかに六合八法拳の影響も強く受けてます。
王樹金先生は民国23年すなわち1934年に王郷斎先生から教えを受けています。孫立さんの著書「意拳・大成拳王郷斎伝」の中に王郷斎と王樹金先生が一緒に写った写真がのってます。また北京の萬安公墓の王郷斎先生のお墓には王福来先生の名前と王勝之先生のお名前が彫ってあります。
そうそうそうなんです。「「站椿の手形の中にはこんな意味がある」
といった風に隠して伝えるところ、中国武術の気風というか何というか、、ナンダカナァ…って感じが拭えない。」の件ですが、確かにそうです。あのビデオ私も見ましたが意拳から見ると滑稽ですね。デタラメというかなんというかこじつけでしょうね。あの站椿の用法というのは。

Posted by cayama at 2010年10月18日 22:18

初めまして。コメントをありがとうございます☆
レスが遅くなってすみません。王樹金系の形意拳と八卦掌をやっていて太極拳は別派というのはめずらしいですね?情報をありがとうございます。
ただ、写真や墓の文字がある→教えを受けた…とは、それだけでは特定出来ないと思いますが、まぁそれは僕にはどっちでもいいです。

> あのビデオ私も見ましたが意拳から見ると滑稽ですね。デタラメというかなん
> というかこじつけでしょうね。あの站椿の用法というのは。

意拳から見るとどう滑稽なのでしょうか?
どこを以てデタラメやこじつけと断じているのでしょう?
その辺はもう少し説明を足してもらわないと、何とも判断しようがありません。
また、
僕が言っていることとcayamaさんが言っていることは、同じではありません。
僕はあの用法説明を否定しているわけではなく、いちいち細かく隠して伝える昔からの中国武術の秘密主義な気風を「ナンダカナァ」と言っているのであって、技をどうこうは言っていません。

Posted by hide at 2010年10月21日 15:34

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