中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

昔の兄弟弟子からのメール

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先日、2月4日(日)のことだが、嬉しいことがあった。
35年以上も前にT先生の元で同門だった“O君”という人からメールが来たのだ。

忘れてしまっていたO君

O君は今後もこのブログを読みに来てくれるだろうから、この記事は部分的に本人への言い訳も兼ねて書くのだけど、僕はO君のことをすっかり忘れてしまっていた。
フォームから送信されてきたメールには本名を書いてくれていたのだけど、僕は完全に失念してしまっていて、すぐにはピンとこなかった。(O君、申し訳ない)

正直、当時一番弟子だったT君の次の人が何という名前だったかも憶えていなかったため、最初はその人かと思った。
けれどメッセージに僕のことを「hide先輩」と書いていたから(実際には僕の本名)、その人ではあるまい。それにその人は当時、僕より兄弟子だったのだから。
ちなみにその兄弟子のことは、あとからO君とのやりとりで“I田君”という名前だったことが判ったが、I田君は、2007年3月27日の記事『初めての気づき』の中で「仮にA君~」として書いた人だ。
また、僕のことを「○○先輩」という呼び方をする人も居なかったから、本名や電話番号が書かれていて、イタズラとは思わなかったが、念のため幾つか尋ねる返信をした。
そして、
返事を待っている間、「O君……O君……」と心の中で何度かつぶやく内、
(そう言えば、そんな名前の人が居たような気がする……)
と、ちょっとおぼろげながら浮かんできた。けれどはっきりしない。

しばらくして返事が来て、当時の主要メンバーの本名や思い出などが書かれてあって、少なくとも元兄弟弟子であったことは間違いないと判った。
それで早速、こちらから電話をした。

で、懐かしさと惰性諸々で、結果的には5時間くらい話した(笑)

ただ、O君は一年くらいしか在籍していなかったそうで、僕が記憶から除外してしまっていても無理からぬことではあるまいか。
けれど一緒に稽古したこともあり、僕の家に来たこともあったのだった。
僕が好きだった音楽グループの話も憶えてくれていて、少しずつ記憶が蘇ってきた。
そして、そんなふうに僕を憶えてくれていたことに感激した。

あと、僕がO君のことを忘れてしまっていた理由の一端は、このブログでも書いたことがあるように、当時、家庭内が荒れて、仕事や将来のことで悩んだり、金銭的に苦しくて仕事(アルバイトだったが)に追われていたりして、稽古を休むことが多くなっていたことにもあると思う。
だからO君が居た一年くらいの内、僕との期間は、他の兄弟弟子たちより少なかったのではないだろうか。
そしてまた、そんなごたごたしていた時期のことだったから、いつの間にか記憶から抜け落ちてしまっていたのだと思う。

さらに言えば、その後の30歳前後の頃の失敗や苦労のあと、過去の記憶がところどころ飛んでしまっていたりする。
ただまあ、物語にあるような記憶喪失ほどひどいわけではなくて、何かの糸口があれば少しずつ思い出せたりはする程度のものだけど……。

電話を切ってからは、さらに記憶が戻ってきた。
顔や体型や雰囲気なども、合っているかどうかは自信が無いが、何となく過去のイメージが湧いてきている。
逆に、どうして忘れていたんだろうと思うくらいだ。
K池君と一緒に来ていたM君のことは憶えているのに、そのM君より一緒に稽古した数が多いかもしれないO君を忘れていたとは……。

昔の兄弟弟子たちのこと

O君からは、昔の兄弟弟子のことも少し聞けた。

まず最も驚いたことなのだが、O君はT先生のところをやめたあと、しばらくして、当時の一番弟子だったT君に連絡を取り、何年か一緒に稽古をしていたそうだ。
要するにT先生のところを一年程度でやめたあと、T君に何年も教わっていたわけだ。
そう言われれば、T君と最後に会ったときに、誰かと一緒に稽古していると言っていたような気もする。けれどこれも自信が無い。

K池君は、もう武術をやめてしまっているらしい。
O君が最後にK池君と話したときには、そんなことを言っていたそうだ。
K池君はK阪さんと仲が良かったが、K阪さんと会うことも無くなってしまったのだろうか?
それから、K池君は最初、友達同士3人で来ていたらしいのだが、僕はM君と2人だったと思っていた。僕の記憶もアテにならないもんだ。
T先生が昔のことをほとんど憶えていなくて、「何でそんなに忘れているんだ?」と思っていたが、これでは人のことを言えないな……。

それからK阪さんとは、十年ほど前に大阪城公園でバッタリ会ったそうだ。
島田道男さんが主催する太気拳の大阪でのセミナーがあって、O君はたまたまスポットで参加したのだが、K阪さんは継続的に来ている会員の一人だったらしい。
K阪さんは「O君やないの?」と向こうから声をかけてきてくれたそうだ。
その時点でも二十年以上ぶりだったわけだから、1年程度しか居なかったO君のことを、よくK阪さんは憶えていたものだなあ、と思ったが、まあ、普通はそうかもしれない……。

僕も、少しでも交流があった人のことはよく憶えている方だったと思うのだが、前述のようにめまぐるしい環境の変化のせいか、結構記憶が抜け落ちるようになってしまった。
もっとも30歳を越えてからは、新しく知り合った人と深く関わることが減って、そういう人のことは印象に残らないから、すぐ忘れてしまうようになってしまったけれども。
あと僕は、人の顔をあまり注視する方では無く、視力も落ちたから、知り合いと街ですれ違っても気づかないことが多い。
そういうときは相手の方から声をかけられることがほとんどだ。

K阪さんに戻るが、O君が最後に会ったときは、ジークンドーをやっていると言っていたそうだ。
太気拳と平行してやっていたということかな?
K阪さんは元々ブルース・リーに触発されて武術を始めた人だったので、もしジークンドーをやっているのなら、自分の原点に戻ったということなのかもしれない。

T先生の失態

ところで、面白かったのがT先生の失態話だ。

O君がまだ道場に来ていた頃、T先生が用法を説明しようとK阪さんに突きを要求して、K阪さんが突くと、それを捌き損ねて顔面にもろにヒットした、ということがあったそうだ。
T先生は鼻血を出してしまい、稽古がしばらく中断してしまったとのこと。

この話も、あとになってみると何だか聞き覚えがあるような気がしたので、もしかしたらK阪さんやK池君と最後に会ったとき、あるいはT君と最後に会ったときに、聞いたのかもしれないのだが、たぶん初耳だと思う。

まあ、何にせよ、T先生は一時、奥さんといちゃついてろくに稽古も指導もしなくなった時期があったらしいし、それでこんな失態を演じていたら、そりゃ弟子も離れていくというものだろう。

……ただ、O君は、T先生に習うことは、一年やそこらで答えを出したと言っていたのだが、それは早すぎるだろう、と返した。
T君以下の主要メンバーは5年以上習って答えを出したわけなので。
またO君はその後、T君に教えてもらったりもしたわけだし、太気拳のセミナーに行ったりするくらいだから、武術に対する未練や他への目移りもあったのだろう。
そして細々と、今でも太極拳を続けているそうだ。

僕らはT先生を、特別できる人だとは、当時から思ってはいなかった。
K阪さんはT先生と年が二つしか違わなかったし、僕でも四つだ。空手などを含めれば武術を始めた時期も変わらない。
当時の僕は遊び半分のところもあったし、四つの違いでもT先生とはかなり差があると感じて遠慮していたが、K阪さんは武術に対する取り組み方が真剣で、僕よりもずっと、はっきりと、T先生の粗が見えていたことだろう。
それでもT先生に習い続けようとしていたのは、先生たちの先、つまりその師匠や流派全体を見ていたからだと思う。
いずれ奥のことに触れられるようになるためには、今の師匠の元で頑張るか、もう少しキャリアを積んでから優れた先生を探し、直接訪ねて金でも積むしかない。
少なくとも当時はそう思っていたし、僕らはまだまだ浅い段階だった。

その奥のことというのも、あとになってみれば即座に強さに直結するようなことではなかったが、知らないと上達の足がかりにならないようなこと、教わらなければ一生気がつかなかったようなこともあるので、無駄とも言えない。

ある時期から思っていることは、こうだ。

例えば、現代空手や格闘技などは、最初の一、二年で教わるようなことでも戦えるし、その範囲のことは本やビデオでも知識が得られるので、少し習えば独習も可能だ。
……まあ、独習ではなかなか上達できないとは思うが。

けれど、ほとんどの日本に伝わっている中国拳法は、基本の基本や、表層的な型稽古が主体で、もっともらしい理屈を言うが嘘だらけで、その実まともに戦えない。
型をたくさん輸入してきて、伝人の一人に名を連ねることを金で買って、それをお墨付きにして教えている、またはそういう人の下で教えている、というような場合が多い。
そういうところの指導者は、型と、屁理屈と、ちょっとしたデモンストレーションに使えるような芸を幾つか知っているだけだろう。
そういう、玉石混淆どころか、縁日の露店の景品くじみたいにオールハズレかもしれない世界だから、なまじ何年もハマるくらいなら、他の武道・格闘技をやる方が賢いとも言える。

――それでも、あの当時僕らがこの流派にしがみついたのは、この流派なりの理屈があって、それに納得できる部分、そしてこの先を知りたいという思いがあったからだ。
もっとも僕が中年以降にやり直そうとしたときには、そういう期待よりも、余所でまた一からやるよりは、慣れ親しんだやり方の上で、体を戻して、そんじょそこらの者に負けない程度になれればいいと思っていたから、極端に言えば、ある程度納得できるものであれば何でも良かったのだけれど。

長くなったが、だから、O君が一年やそこらで「答えを出した」みたいな言い方をしたときには違和感を覚えた。
O君の場合、腕前も未熟で、ろくに拳理もわからないうちに、T先生だけを見て答えを出したわけだから。
まー結果的には、T君やK阪さんや、僕も、T先生に愛想を尽かせて離れたわけだけれども、一定以上の期間この“流派”に居たことで、ここから吸い取って自分のものにできた部分はあると思う。

もちろん、ダメだと思いつつ無理に習う必要は無いので、そう思ったらすぐにやめることも選択肢の一つ。それをどうこう言うつもりはない。
僕としては、T先生のダメっぷりと、流派に伝わる技の部分とを、混同して言われると、ちょっと違うんじゃないかと思う、――ということだ。

尋ね人

先ほどK阪さんのことで、太気拳やジークンドーの名を出したのだけど、実はこれに関して、心当たりのある方がこのブログを読んでいたら、本人に伝えてもらうか、もしくはこちらに情報提供してもらえないかという期待があったからだ。

実は、兄弟弟子たちのことは、少し探してみたこともある。
割と最近だと、Facebookなどは本名が主だと聞いて、検索してみたり。
また、K阪さんは最後に会ったとき、整骨院を開業していると言っていたので、K阪さんの名前の整骨院が無いか探してみたり。
残念ながらそのときは見つからなかった。

あとO君のように、昔の知り合いでこのブログを読んでくれている人もいるんじゃないかという気がしているのだけど、もし読んでくれていたら、連絡してもらえると嬉しい。武術関係に限らず。

しかしまあ、S先生やT先生あたりから、僕より十ほど下の年齢あたりまでが、「これからはパソコンの時代」なんて言われつつ、修得しようと頑張る人と難しそうだと尻込みする人に分かれた過渡期の世代。
件の兄弟弟子たちはどうかなあ……。
ネットも見られない年寄り世代の方に寄っていたら哀しい気もするが……。

ちなみにO君は僕より3、4歳下だが、やはりパソコンはあまりできない様子なので、スマホが普及していなかったらネットにアクセスすることも無かったかもしれない。

まとめ

O君は、昨年末あたりにこのブログを見つけて、それからアクセスしてくれていたらしい。
O君が使っているiphoneの解像度が「320x568」だったのだが、引っ越し後のアクセス解析で、この解像度のiphoneからのアクセスがずいぶん多いのは気がついていた。
もちろん他にもこの解像度のiphoneを使っている人は居るだろうし、そういう人からのアクセスもある。
そして、携帯キャリアはIPアドレスが一定でないことが多いので、どのIPとどのIPが同じ人かは、厳密には判らない。
ただ、アクセスが目立つ「320x568のiphone」の大半がO君だったらしいことが判って「納得」という感じだった。

兄弟弟子たちの消息については、O君も今は、誰の連絡先もわからないらしい。
T君に教わりながら一緒に稽古していたのも、20年くらい前までの話だ。
それはともかく、せっかくこうして縁があったのだから、
「一緒に稽古でもしようよ」
と誘ってみた。
「いやあ、僕では稽古相手は務まりませんよ」
O君は消極的な感じだったが、まあ、型稽古だけでもいいじゃないか、というように言っておいた。
今は健康のためにやっているとのことだけど、型にしてもどの程度できているのか見てみたい気もする。

前にちょっとブログ上でも触れたことがあるが、一昨年「交流を持ちたい」ということでコンタクトしてきた人が居た。
会ってみるとその人はS先生の昔のお弟子さんだったのだけど、ずいぶん独自のやり方になっていて、太極拳の体を為していないように思えた。
何でも、S先生の元を離れてから色々な他派と交流を持ち、その中でも武壇系の人に内功面のことを教わって、武壇の内功を取り入れて、型は正宗太極拳のままやっているとのことだった。
ところが、どういうことをやりたいのかということは動きから大体想像がつくのだけど、それはどうかなあ……と思ってしまう。
例えば、
「この動きは“火”に属するから心臓からの“気”を送る感じで」
――などと言うのだけど、果たしてそういう動きになっているかな? と思ってしまうのだ。
つまり、自分の内面的なイメージだけでそんなふうにしていても意味がないし、そして何より、武術の修練法の一つであるのだから、型の動きがきちんと攻防動作になっていて、力の伝わりが表現できていなければ、それは間違っているのではないかと思うのだ。
少なくともウチのやり方では、上の例えで言えば、五行の考え方は同じだが、ちゃんとそれを力の伝わりに生かしている。
その人の場合は、動きを小さくまとめようとして内面にばかり気を配り、攻防動作というものを疎かにしているように見えるのだ。

ちょっと脱線。

この人のことは、また改めて書こうと思うが、とにかく。
O君との話の中でも、この人を思い出させるような、内面に拘った言葉がちらほらあったので、ちょっと気になった。
陰陽や五行などを当てはめたやり方も、ごく当たり前な「こうすれば強い」とか「こうすれば強く打てる」というやり方から離れては意味がないのだ。
そして、武術としての太極拳が「健康にもいい」と言われてきたわけだから、武術から離れたやり方をするのなら、ラジオ体操でも何でもいいのである。

そんなこともO君には話したけど、はてさて。
直に会う機会は今後、あるかな?

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