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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

Y崎との喧嘩 Part 1

投稿日:2007年8月20日

中学2年の終わり頃のことだ。
もしこの喧嘩に負けていたらどうなっただろうと、今考えてもぞっとする。

Y崎は、中学になるまであまり目立つヤツではなかったらしい。
僕が大阪市内に来て最初に2年から3年まで通った小学校の出身だが、僕は中2になるまでY崎を知らなかった。
だからK野のように、子供の頃から隣地域あたりまで名前が知れ渡っているような札付きのワルだったわけではない。
(※K野については、2007/05/02『小男の強さ』参照)

きっかけは、Y崎が僕の親友“カズ”をイジメの標的にしたことだった。
(この項では、イニシャルを多用すると判りにくくなるので、僕の仲間については仮のニックネームを付けることにする)

カズは僕が小学4年のとき転校した隣地区の小学校で、5年、6年と同じクラスになり、その後もよく遊ぶ仲間の一人だった。
子供の頃は、遊び仲間というと、同じように鍵っ子か、クラスであまり目立たない大人しいヤツか、どちらかであることが多く、カズは後者の方だった。
ちなみに、兄貴のような存在だったSくんは鍵っ子繋がりだ。
(※2007/02/12『空手バカ一代に学ぶ』参照)
その他、悪ガキ連中はというと、上下関係のある先輩・後輩か喧嘩相手であって、仲良く遊ぶ相手かというと・・・だ。

カズのことは僕もいじめていたことがある。
…というより、結果的にそうなってしまった。
僕は鍵っ子で、門限も無いので、
「まだええやん」
と、遊び仲間を遅くまで引き留めたりすることが多かった。
別に脅していたわけではないが、相手にすれば僕のことが恐かったのだろう。
ただ、自分より弱い者に対しては優しかったつもりだ。
だからカズも僕に守られている中の一人のはずだった。
そして遊び仲間によく駄菓子やアイスクリームを奢ってやったりして、僕は同学年の中では、ガキ大将というよりは、お殿様的に慕われていた。
…いや。
そう思っていたと言った方が正しいのかも知れない。
実際にそう評価されたこともあるのだが、やはり恐い存在であったことも否めないのだろう。
6年生のときだったと思うが、僕がカズを遅くまで連れ回したことが学校や父兄の間で問題になって、責められたことがあった。
僕も、そのときなりに色々考えて反省した。
そしてカズと2人だけで会って、謝って、自分の気持ちを説明し、改めて友達を続けて欲しいと頼んだ。
カズはそれまで、親に言い訳などをする内にオオゴトになってしまい、内気な性格も手伝って、僕を断るときおかしな態度を取り、僕からも責められ、板挟みになって、恐くなってしまっていたらしい。
その後は少しずつ打ち解けた。
当時、休み時間になるとほとんど一緒だった仲間が何人か居たが、中でもカズや僕を含めた4人は、中学時代も、中学を卒業してからも仲間だった。

カズは、いわゆる「鈍くさいヤツ」で、何をやっても平均以下だった。
だが僕はカズを気に入っていて、カズと一緒に居るのが楽しかった。
何が気に入っていたのだろう?…と考えてみるに、やはり最初のきっかけは、僕がノートに描く漫画の読者だったことだろう。
読者といえば、4人の中では“マサ”が最初だ。
マサは僕と同じ鍵っ子で、5年で同じクラスになったとき、僕が漫画を描いていると気さくに話しかけてきて、
「上手いなぁ。面白いなぁ」
と言って、それから続きを気にして覗きに来るようになった。
僕もマサが面白がるのが嬉しくて、ついつい筆が進んだものだ。
そんなやりとりが周囲の目にも留まって、僕の読者は次第に増えていった。
ちなみに、中学2年のとき空手の道場に一緒に行き始めたのは、マサの弟だった。
そして、元々マサと仲が良かった“ヨシ”というヤツが居たのだが、こいつは人が善いものの、あまり細かい機微を解るヤツではなくて、僕にしてみれば、漫画を読んだときの反応がイマイチで不満だった。
カズは、それが一番伝わる相手に思えたし、また、カズ自身も漫画を描きたいと言い出し、僕がその師匠になったことも大きい。
そして空手も、
「お前もやってみるか?」
と訊いたら、即座にやりたいと言って練習仲間になった。
相変わらず鈍くさいヤツだったが、中学2年のときに剣道部に入って心持ちたくましくなった。
案外続いているのを見ると、僕もやってみたくなって剣道部に入った。
そんな風にいろんなことを一緒にやって、いつの間にかカズは気の合う親友になっていった。

前置きが長いが、もう少しご辛抱願いたい。
この喧嘩については、僕なりに思い入れが強い。
退屈に思う人も居るかも知れないけど、前後や経緯も合わせて書きたいのだ。

…で。
Y崎の話に戻るが、まず風貌から説明すると、ガタイのしっかりした四角い感じの顔や体つきの男だった。
まぁ、昔で言うところの柔道体型もしくはキャッチャー体型といった感じか。。
身長は僕と変わらないが、Y崎の方が少し低かったかも知れない。
でもがっしりしていたので、体重は15~20キロほど差があっただろう。

前述のように、Y崎は元々目立たない方だったので、同じ小学校出身の不良連中も最初はY崎をあまり知らなかったようだ。
だがある時期から少しずつ視界に入って来始める。
K野を始め名の知れている不良連中やその仲間、あるいは喧嘩が強いと言われているヤツ、目立っているヤツ…などに、急に馴れ馴れしく話しかけ始めた。
僕にも同様に近づいてきた。
Y崎は目つきが悪く、ドスの効いた声で、ゆっくり、いやらしく喋る。
最初はみんな、
「誰やねん、コイツ…?」
というような怪訝な反応だったろう。
そのうち、Y崎をなめてかかったヤツが1人か2人、ボコボコにされたという噂が流れてきた。
密かに、どれくらい強いんだろうかという関心が集まっていった。
そして間もなく脚光をあびる。

K野に近づいたY崎は、その周辺にも取り入り、仲間に入った。
当時、隣の地区の中学や、果ては他府県の中学まで喧嘩をしにいくことが連中の間で流行っていて、それを“遠征”と呼んでいた。
K野の仲間になったばかりのY崎は、ワルのライバル校である隣地区のT中学に数人で遠征に行って、大活躍をしたそうだ。
噂によるとこうだ。
まず同じような者同士でイザコザが起こった。
イザコザを求めて行っているのだし、当然の成り行きだ。
最初はお互いにガンの飛ばし合いやイチャモンのつけ合いになった。
こういう場合、にらみ合いの緊張感そのものが度胸試しで、大抵は乱闘にはならず、1人か2人が殴り合いをするかどうかだ。
だが、Y崎はいきなり1人をぶん殴ってボコボコにし、そのままの勢いで2~3人を蹴散らして圧勝したそうだ。
仲間も相手も呆気にとられている間にY崎が1人で済ませたような格好だ。
遠征が行われた次の日、K野は小躍りするようにはしゃぎながら、
「あいつは度胸あるワ~!」
と触れ回った。
K野はその件一発でY崎のことを気に入り認めたようだった。
最初はY崎をなめていた連中も気を遣うようになった。

Y崎のことを知っている者から後で聞いた話だが、親父さんは土木か建築現場の日雇い労働者で、兄弟が多く、長屋のような木造の狭い家に大家族で住んでいるそうだ。
親父さんと一緒に土方の現場に行くこともあるそうで、
(だからあんなに体格が良くて力がありそうなのか…)
と思った。
ただ、親父さんとうまくいっていないらしく、いつからか段々と大人しい性格では無くなってきたという。

幅を利かせるようになってきたY崎は、相変わらず僕のところにも寄ってきた。
2年のときY崎とは隣のクラスで、体育や技術・家庭科の時間は男子と女子が分かれて、隣のクラスの者と一緒に授業を受けた。
だから話しかけられること自体は不自然ではないのだが、
「お前、喧嘩強いらしいな。〇〇とどっちが強いん?」
とか、
「今度オレともいっぺんやってみようや」
などというような挑発的なことがほとんどで、鬱陶しかった。

そして、カズはY崎と同じクラスだった。
さらに悪いことに、K野とつき合いのある不良連中の何人かも、そのクラスだった。
僕は、
「いつかこいつとは喧嘩になる」
と思い始めていた…。

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