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徒然エッセイ

実力伯仲 -柔道編-

投稿日:2007年6月30日

前項『実力伯仲』で極真・フルコン系空手を引き合いに出したので、ついでと言っては何だが、同じテーマで柔道についても書いておこう。

柔道と言えば、僕は『柔道一直線』『柔道賛歌』などをよく読んでいた。
どちらも梶原一騎原作の漫画だ。
ちなみに主人公の名前、一条直也(いちじょうなおや)はカッコイイが、巴突進太(ともえとっしんた)には笑ってしまった。
もちろん『柔道部物語』(小林まこと・作)も知っているが、最初の頃しか読んでいない。
『柔道一直線』はドラマにもなっていて、さすがに「空中二段投げ」は子供心にもできるとは思わなかったが、師匠の必殺技「地獄車」は幾らか現実味があって、その特訓のために僕らも捨ててある布団を拾ってきて、くるまって坂を転がったりしたものだ。
ドラマの中では神社の石段を転がっていたと思うが、さすがにそこまではできなかった…(^_^;)
ちなみに「空中二段投げ」は、一度投げた相手に走って追いついて行ってもう一度投げる技。
2回も投げるので受け身が取れないという理屈だ…。。

あと『柔道一直線』を見ていていつの間にか覚えた背負い投げは、僕が子供の頃に喧嘩で使う得意技になっていて、何度か相手をそれで投げたことがある。
もっとも、実際の背負い投げと違って、相手の左腕を掴んで背中に手を回して投げていた。
そんな投げが有効だったのは、子供の頃だったということもあるけど、僕が左利きなので、相手は左側に投げられそうになるとき踏ん張りにくかったのではないだろうか。

さて、実力伯仲ということだが。。

柔道の試合を見ていても、力相撲になってしまっていることが多い。
これもやはり、子供の頃に見てがっかりしてしまった。
すでに小学生の頃に失望していたし、また、少し体の大きいヤツが柔道を習っていたりして、なおさら敬遠するようになった。
前に書いた、2007-02-12『空手バカ一代に学ぶ』のときの喧嘩相手Nもそうだった。
それで空手へのあこがれが増して実際に習うようになり、その空手にも限界を感じることになるのだが…。。
(※今は改めて柔道や空手を見直している部分もある)

高校生のとき、学校をサボッていて、体育の授業を何度かふけたせいで、柔道部の練習に参加させられたことがある。
担当の先生が柔道部の顧問だったからだ。
乱取り稽古のとき、最初に組んだ相手は同じような背格好の1学年下の子だった。
「げっ、黒帯やん!」
と思ったが、組んでもあまり危機感は無かった。
最初は、投げられまいとして掴みに来る手を何度か払った。
すると相手は、おやっという顔をして、
「空手ですか?」
と訊いてきた。
「うん。中学のときに少しね」
相手は興味を持って色々試そうとして来たが、僕がなかなか掴ませないので手こずっていた。
するとそれを見ていた先生が、
「おい、組まんか!」
と注意してきた。
柔道では相手の手を払って組まずにいるのはダメらしい。
そのときの僕は、組むときは投げるときだと思っていたので、組み合ってから技をかけ合うことには疑問を感じていた。
しかし組まずにいることがルール上もダメだとは知らなかった。

まぁ、ともかく、言われた通りにやるしかない。
それでも相手は僕をなかなか投げられなくて手こずっているので、
「黒帯だけど、何段なの?」
と聞いた。
「初段です。まだ取ったばかりです」
なるほど、それで僕でもまだ何とかなるのか、と思いつつ、こちらも、何とかならないかと色々試した。
しかし僕に出来るのは足払いや我流の背負い投げくらいなので、それだけでは通用しない。
結局、僕は何もできなかったが、相手も僕を投げることはできなかった。
次に組んだ相手は同学年で二段だそうで、さすがに重心を崩しに来るのが上手く、2度ほど転かされ、内一本はキレイに投げられてしまった。

だがこのときの経験で、安易に、
「柔道なんて大したことない」
と考えるようになった。
組むまでの攻防を無視して、組んでからやり合うなんておかしい、と。
乱取り中には、幾らでも突きや蹴りを入れられる場面がある。
体の大きいヤツなら怖いが、体格差があまり無ければ、初段や二段など敵ではないと思った。
しかし、この考えには誤りがある。
柔道をやっていると、少なくとも体は出来てくる。
この、身体のバネや粘りが曲者で、侮れない。
突いたり蹴ったりできるというのは、柔道をやっている当人も感じることで、喧嘩になれば当然そういうこともやる。
技としての理論上の優劣だけで考えると、とんでもない不覚を招くことがある。
対柔道に限らないが、相手をなめてかかるようなことは戒めるべきだ。

ところで柔道は、競技化のため安全に配慮した技がほとんどになっている。
お互いに掴み合った状態から重心を崩し合い、投げは投げられる者が受け身を取りやすいように前方向に倒れる“順投げ”が主だ。
また体重による階級制もあり、これでは小さい者が大きい者に勝つという“柔よく剛を制す”が崩壊してしまったかのように見える。
試合でも、強引に引っ張って投げに持ち込もうとするのをよく見かけるし、自分の体重を利用しようとして相手を掴んだままストンと落ち膝を着いて投げようとする人もいる。
幾ら何でも膝を着いては投げられないだろう…。
ところが、型演武となると、気持ちいいほど人間が宙を舞う。
これを見て大抵の人は、
「まぁ、演武は演武だからな。相手も合わせてくれるし…」
と思ったりする。
だが、そんなことを思う人が柔道の有段者と組み合ったとしたら、まずものの数秒も立っていられないだろう。
柔道を知らない者や実力差のある者であれば、やはり気持ちいいほどの一本を取られてしまうのだ。
僕が経験した高校生の頃の乱取り稽古なら、二段相手でもこちらにも空手の心得があって少しは何とかなったが、もっと経験年数を積んでいる相手ならさらに投げられていたかも知れない。

太極拳をやっている人も、幾ら推手で重心の崩し合いを稽古していると言っても、柔道のルールで組み合ったとしたら、どれほど立っていられるか…。
また、古武術、特に柔術や合気道の人でも、同じようなキャリアであれば、やはり苦戦を強いられる気がする。
これは柔道のルールを前提とするからというのもあるが、柔道の技術をある程度内包していると思える柔術・合気道でも、柔道の試合のような限られたルールの中での、試合用の集中稽古をしていないことが理由として大きい。
「実戦では違う」
と言う人も居るだろうが、しかし少なくとも柔道をやっている人が得意とするシチュエーションにハマッた場合、固いアスファルトの上に叩きつけられる可能性は充分にあり得るのではないだろうか。。
あげつらうならば、例えば柔道で掴みに来るのより打撃の方が速いのでそのとき顔面を捉えられれば勝てるとか、背負い投げは相手がナイフを持っている場合に刺されやすいとか、色々と欠点を指摘する声もあるが、現実その通りになるとも限らない。

そして、フルコン空手の試合についても書いたように、やはり限られたルールの中で、実力伯仲していれば、結局はパワーや気力が物を言うような試合になってしまう面は否めない。
そのパワーや気力は、実戦においても大事な要素だ。
そう考えると、
団子状態の力相撲に見えるからと、安易に否定していいものかどうか…。

非力な人が、力の強い人にどうやって勝つかを色々と考えて工夫するのはいい。
しかし、試合で力技に見える技が、どんな場合にもそうとは限らない。
そして力のある人が何らかの技を身につけていた場合、非力な人が幾らかの技の巧緻だけで勝てるのかどうか…?
力というものをハナから否定したり馬鹿にしたりするのは危険だと思う。。

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