中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

窮屈な崩拳

投稿日:2009年3月15日

昨年12月の記事で、形意拳の達人“郭雲深(かく・うんしん)”について触れた。
(※2008/12/12『王樹金站椿』参照)
そのとき大雑把に、郭雲深は100年くらい前の人物だと書いたが、もう少し正確には1820年~1901年頃(推定)で、約190年前から100年ちょっと前までの人物だ。
時代的には、アヘン戦争(1940年)の頃には20歳で、日本の幕末期(概ね1853年から1869年とされる)には30代前半から40代後半、日清戦争(1894年7月~1895年4月)のときにもまだ存命であったことになる。
ちなみに、王コウサイ(1886年~1963年)は郭雲深の閉門弟子(最後の弟子)とのことだが、師事したのは少年時代で、郭雲深が亡くなった年でもまだ15歳だ。

さて、その郭雲深。
「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」
と賞賛されたように、“崩拳”という中段突きを得意として、無敵を誇ったと言われている。
敵と対峙したら軽く進んで崩拳一拳を突き込むのみで勝利したそうだ。
一体どうすればいち早く当てて相手をぶっ倒すことができるんだろう?
しかも上段ではなく中段…!?

入門して間がない頃、正宗太極拳を学びながらも、金兵衛先生の『中国秘伝 形意拳』(1986年・愛隆堂刊)や松田さんの『中国拳法 形意拳入門』(1979年・日東書院刊)を何度も見て想像をめぐらせたものだった。
また、形意拳を直接教わる前から、これらの本を見て、太極拳の要領を生かして予習しようとしたりしていた。

先に当てるという意味では、一応の理屈がある。
昔習った初歩的な理合いはこうだ。

敵と対峙して、お互いが少しでも前に動けば届く距離で、まだ何もしていない(構えてもいない)状態を考えたとき、最も短い距離で到達できる手技は中段突きであるというのが、まず一つの考え方。
その理屈では、相手が上段を攻撃して来ても、ほぼ同時に手を出したとすれば、こちらの中段突きの方が先に当たるというわけだ。
そして中段対中段の場合、相手の突きを上から制するようにして自分の拳を突き込み、もし自分の方がやや遅れて、交叉する手が下になっても、相手の突きを逸らすようにして突き込む、というわけだ。
「…なるほど」
教わった当時の僕からすれば、想像を少し前進させる道筋になった。
もちろん、その理屈通りにできるのかは半信半疑だったし、威力の問題もあったが、まずは「先に当てる」ということに主眼をおいてみた。

伝え聞くところによると、郭雲深は、ただ相手にスタスタと歩み寄って一発喰らわして去るといった感じで、まるで一方的に突いているようにしか見えなかったという。
…と、なると、、
先に当てるとは、相手に何もさせない、ということか…。

ここで次のような疑問が生じた。

まず、相手に向かって直進するのみだったのか?
本当に毎回“先の先”をもって先に当てることができたのなら、それ自体、確かに名人芸だと思うが、何らかの技の理はあるはずだ。
相手も臨戦態勢なら、相手が先に動く場合だってあるだろうし、すでに構えていれば前述の理屈のようにはいかないだろう。
それでも崩拳を用いようと思ったら、状況に応じて敵の攻撃軌道を交わす、または逸らす必要があるので、相手との直線上の進退だけでは無理があると思えるのだが、そこをどう消化すればいいのか。。

また、僕が最初に習った崩拳は、肘をくの字に曲げて脇を締め、現代空手と同じ中段(鳩尾の高さ)だったのだが、このかたちを用いるとリーチが活かせず、相手と40~50cm程度の距離から出し始め、さらに幾らか前に進んで突き込むことになる。
そこに至るまでの距離をどうやって埋めればいいのか。。
またその距離は、頭突きや低い蹴りなどにも注意しなければならない。

当時考えた解決法としては、直線上の進退に拘らず、斜めの歩法も使うことだった。
このときに“先”の理合いを交えて考えた。
(※2008/08/22『3つの“先”』参照)
…とは言え、郭雲深のように必ず先に当ててぶっ倒すなんて、僕にとっては夢のまた夢だった。
今だって、当時よりはもう少し考えを進めて、こうじゃないかというのはあるけれど、はっきりしたことはやっぱりわからない。

それに郭雲深は、肩幅が身長ほどもあったと言われている。
サイコロコロスケじゃあるまいし幾らなんでもそんな人間は居ないと思うが、相当肩幅が広くて鍛えられた体だったということなのだろう。
そんな人間の突きを喰らったら、そりゃただでは済まないだろう。。

しかし当時はそんなことも知らないし、崩拳については、どんなかたちがいいのかということを、フォームにこだわって追求しようとしていた。
どんな突き方をすれば、より威力が出るのか、と…。

あるときたまたま他派の演武で、腕を伸ばし気味に、ウチより少し高い位置の崩拳を出しているのを見た。
それでピンときたのだけど、遠くに放るように腕を伸ばして、肩や腰を入れるようにしたらどうか、と考えていた時期もあった。
僕が習った崩拳は、肘を曲げ、筋繊維を絞るように関節を固定して、体ごと当てに行くような突き方なのだけど、これはとても窮屈なかたちになる。
肘を曲げる角度は距離によって使い分ければいいと思うけど、基本的に型通りの崩拳は、そのまま使うのではなくて、型の修練上、そういうかたちを取ることに意味があるのではないかと考えた。
そしてフルコン空手やボクシングを見ている内、形意拳もあんな風に自然に使えばいいじゃないかと思うようになった。
例えば、中段の高さを狙うときは、陽拳(掌の側が上向き)のまま突いたっていいんじゃないかとか。。

実際、一度、喧嘩になりかけた相手の腹を、そんな感じで軽く突いてやったら、ダダッと軽く後ずさりして、すぐ前に出てこようとしたのだが、後から効いたらしく、少し前屈みになって戦意喪失したことがあった。
状況を説明するとこうだ。
僕が商売を失敗して、一時、交通誘導の警備員をやっていた頃のこと。
警備員って、聞こえはいいかも知れないけど、実際にはバカが多い。
そのときも、道路工事で車線規制をしていて、片側一車線しか通れなくなっているところを2人組で交互に通していたのだが、相手の誘導灯を使った合図がわかりにくくて、何度か注意をした。
お互いにアルバイトだが、僕の方が年齢もずっと上だし経験も上だったので、やんわりと諭したつもりだったが、さすがに何度か重なって、車がかち合って、イラッときてしまった。
「何度もこうしてくれと言ってるやろ。何でしてくれんのや!」
と文句を言うと、喧嘩腰に口答えして前に出てきたので、そのとき前述のように腹に一発、反射的に入れてしまった。
陽拳だが、ナイフで刺すような動作だ。
軽く入れただけだが意外に効いたようで、相手は驚いたのか、腹を押さえたあと、すぐにヘラッとした表情になって、
「ま、まぁまぁ。そう怒らんと。すんません、オレが悪かったです」
と言ってきて、それ以上の喧嘩にはならなかった。

崩拳の型は、空手で言えば横受け(中段受け)&中段突きと言えるだろう。
動きをそれに変化させていくと、フルコンやボクシングでよく見かけるようなかたちになっていく。
その関連性を踏まえて形意拳なりの使い方を考えていくのも面白いと思う。
少なくとも僕は、そんな風に考えてみたことで、最初の道筋ができた。

※一部の文章を変更・削除しました。
(2017/12/02)

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

こんにちわ。
初めてコメント致します 。

僕も王樹金の形意拳・太極拳を学んでいる30代男です。練習期間は高校時代から(途中、離れていた時期もありましたが・・・)約15年くらいです。

実は、僕も正直なところ七年くらい前までは中国拳法界独特の妄想にとりつかれていた様な気がします。

中国拳法を習いさえすれば空手家やボクサーなど発勁の一撃で倒し、尚且つ闘牛士のようにヒラリといなし
、それどころか自分の流派の技術が一番優れているとも思っていたような気がします。
今となっては自分がとても恥ずかしく思えます。

なぜならば、ちょうど七年前に指導者の元を離れ、数名の仲間だけで練習する同好会のようなものになったのですが、本音をぶつけあいながら練習していくうちに、当時の指導者の指導方法や武術観、用法・技術論に多くの疑問を持つようになり、懐疑的になったからです。

要は学んだものの多くが<そのまま現実的には使えないのでは?>と考えたのです。

これらの事を研究していくうちに中国拳法至上主義というか中国拳法界をとりまく妄想に気づいたのです。

すこしずつですが最近、納得できるようなものに近づいているような気がしてます。

これは僕の個人的な見解ですが、とかく中国拳法界というのは昔々の教えや代々伝わってきたやり方をありがたがる傾向があります。

だけど、どんなに崇高な教えや、やり方も僕達が納得出来なかったり、現代に使えなければ意味が無いし、それは根底にあるものを曲げなければ変えていくべきだとも考えています。

だから、hideさんのような方がどんどん出てきて、そのような方が指導者になれば、未だ妄想にとりつかれている中国拳法界もどんどん良くなるような気がします。

長々と書きましたがお互い研究頑張りましょう。

もしどこかでお互いの研究を検証しあうことができればこんな素晴らしい事は無いと思います。でも中国拳法の性格上それがい一番難しいことかもしれませんね。

アドレスの記入は御容赦願います。

Posted by がみ at 2009年03月19日 16:20

●がみさん

こんにちは。初めまして。
コメントをありがとうございます。

経歴から察して、柔拳連盟で習っていた方ではないでしょうか?
(特に詮索の意はありませんので、支障があれば答えていただかなくて結構です)
中国拳法を始めた年齢時期や、途中抜けていた時期があるところなど、僕とも少し似ているかも知れませんね。

> 当時の指導者の指導方法や武術観、用法・技術論に多くの疑問を持つようにな
> り、懐疑的になったからです。

なるほど。解る気がします。
具体的に僕と同じかどうかはわかりませんが、重なる部分もあるでしょうね。

> すこしずつですが最近、納得できるようなものに近づいているような気がして
> ます。

それは良かったですね。
一緒に研究し、練習できる仲間が居てうらやましいです。
僕は長い間一人きりでしたので、実際に動いて試すことがなかなかできませんでした。

少し気になったのは、実際に習っていた期間とその習熟度です。
普通に考えて、どんな武道・格闘技やスポーツでも、3年以上も続ければ、一定以上のことは身についているはずです。
しかし、この世界、型や推手がメインだと、なかなか現実的な格闘技術としての動きができなかったり、ということが少なくないようです。
また、指導者がなかなか教えてくれない場合、技としての口伝を授けられていなくて、体の使い方が中途半端なままということもあると思います。
そういう場合に、あまりにも元の技法から離れ過ぎて、フルコン空手もどきのようなスタイルになってしまったのでは意味がありません。
見た目がフルコン空手(いわゆるムエタイスタイル)のようになってもいいのですが、そこに太極拳や形意拳の身法や技が生かされていなかったら、ただの真似事になってしまいます。
そうなってしまうのなら、いっそ空手の道場に行った方がいいと思うのです。
それらを踏まえて、うまく消化できる方向に進んでおられるのでしたらいいのですが…。

> 要は学んだものの多くが<そのまま現実的には使えないのでは?>と考えたのです。

僕もこのブログで書いているように、同様の意見です。
ただ、型が無駄であるとか、分解用法が間違っているとまでは思っていません。
今の時代に合わせて、あらゆる格闘技を想定して、それに対応できるスタイルを作り上げていかなければならないと思っているだけです。
僕としては、中国拳法をやっている人の多くが、現実的でない使い方を、
「上手くなれば使える」
と、そこに固執している姿を見て、このブログを始めるきっかけになりました。
まぁそういう人たちは、僕自身のかつての姿でもありますしね…。

> だから、hideさんのような方がどんどん出てきて、そのような方が指導者
> になれば、未だ妄想にとりつかれている中国拳法界もどんどん良くなるような
> 気がします。

ありがとうございます。
まぁ、この世界全体を変えようなんて思っていませんが、「気」や「発勁」に期待し、イメージを膨らませている人たちに、少し考えるきっかけを提供できればと思っています。

> もしどこかでお互いの研究を検証しあうことができればこんな素晴らしい事は
> 無いと思います。でも中国拳法の性格上それがい一番難しいことかもしれませ
> んね。

…まぁ、僕のようなレベルでも、大人の事情で、習ったことを外部の人にあまり見せることは出来ませんが、自分が気づいた範囲のことや、実は他の武道や格闘技にもあるようなことはお話できると思います。
ここでも多少は書いていくつもりですが。。

そちらで今、どのようにやってらっしゃるのかにも興味があります。
こういう場での交流がきっかけでも、いつか直接会ってお話できるような機会があるといいですね。

> アドレスの記入は御容赦願います。

構いませんが、今後は、フリーメールなどでも、なるべく連絡がつくようなかたちで投稿していただけると有り難いです。
今までコメントを下さった方に、特にメールで連絡したことはありませんが…。

Posted by hide at 2009年03月19日 19:34

随分遅れてしまいましたがご返事頂き有難う御座いました。

それと・・・僕は柔拳連盟の人間ではありません。

僕の先生の先生は王樹金先生に直接習った方です。
同好会になってからは今はその方に教えて頂いています。

これ以上の事はネットの性格上、人物を絞られてしまいますのでお話しすることは出来ません。

今回コメントさせて頂くのはhideさんのブログにも度々触れられることもある脱力と筋力の事です。

僕がhideさんと完全に同意見かどうか判りませんが、僕も筋力は必要だと思います。

というよりも、人と人が喧嘩や試合で実際に戦うとき
攻守にわたって筋肉に入力されると考えるからです。

戦う相手が幼稚園児か死にそうな老人であれば自分に余裕が生まれニュートラルな感じで、さして筋肉に入力もせず戦えますが、そうではなくて例えば相手が何らかの心得のあるような人間か、もしくは自分よりも数倍もある様な体躯の持ち主と戦うとなると絶対に筋肉を使うことになると考えるからです。

しかし、筋力のみに頼っては僕達の中国武術の技術にすぐ限界が見えてしまいます。

筋力のみに頼るのであればボクシングやムエタイ等現代格闘技のほうが攻防技術的に特化している様な気がします。

僕が今、考えている筋力の部分なんですが、打つ時や受ける時、単純に筋肉を誇張させて入力させるのではなく、

一瞬<指のスジや健を張る>

様な感じで結果、筋肉に入力させるやり方です。

その他には通背や腕から踵までの間接をうまくつなげる(僕は間接のコネクトと呼んでいます。)なども使用したりします。まだまだ研究の余地はありますが僕的には三体式にそういった部分を研究の対象にしています。

少し話が変わりますが僕が脱力のみの考えに疑問を持ったきっかけの話をお話します。

僕の門派は脱力至上主義です。攻防の全てが脱力によるものと教えられました。

僕の先生も王樹金先生もそうであったと話していました。
僕も脱力が要らないとは考えていません。

しかし、脱力が全てであるならば、『站樁など無かった王樹金先生から前の時代の先人達は技術的にみんないま一つか別路線だったの?』って思ったのがそもそものきっかけです。

まぁ、そこは、もしかしたら、王樹金以降の人たちが勝手に脱力だけを崇め奉っただけなのかも知れないし、脱力だけではないのに王樹金先生もそこは認めなかっただけかも知れないし、色々な憶測は出来ますけどね・・・。

書きたいことをかなり圧縮したので読みにくくなってしまい申し訳ありません。

今回はhideさんにというよりも未だ妄想にとりつかれている同系列・同好会以外の仲間に向けて書いた次第です。

hideさんのブログを勝手に利用したみたいで申し訳ありません。

また、こうやって僕の意見をちょくちょく発信(笑)させて頂ければ光栄です。

※以前、フリーメールをとのことでしたが、そういうことに疎い私は設定の仕方がわかりません。

出来ることなら、今のスタイルで続行させて頂きたいです。

宜しく御願いします。

Posted by がみ at 2009年05月04日 02:43

※5月4日のコメントの中に

站樁 とある部分は <タンチュン>の文字化けです。

Posted by がみ at 2009年05月04日 08:40

>>がみさん

お久しぶりです(笑)
コメントをありがとうございます。

> 僕の先生の先生は王樹金先生に直接習った方です。

そうですか。。
もしかしたら?…と思う人は居ますが、これ以上は言わないでおきます。
別にここで必要なことでもないですしね。
同系の太極拳をやっているということさえ解っていれば、幾らか共通の話もできると思いますし…。

> 僕がhideさんと完全に同意見かどうか判りませんが、僕も筋力は必要だと
> 思います。

この後の文章からすれば、僕が言わんとしていることとは多少ニュアンスが違いますが、まぁ、概ね方向性は同じだと思います。
また、がみさんのおっしゃることに異論は無いですよ。
つまり、そういうことも含む、ということです。

> というよりも、人と人が喧嘩や試合で実際に戦うとき
> 攻守にわたって筋肉に入力されると考えるからです。

…と、言うよりも。
そもそも人の体を動かしているのは筋肉です。
だから至極当たり前のこととして、筋肉や筋力のことは考えて当然なのに、脱力信者の人たちは、まるでアレルギーのように「筋肉」「筋力」…いやそれどころか「力」という言葉にさえ拒否反応を示して、話もまともにできないことがままある有り様です。
「力を抜く」とか「力は使わない」というのは言葉のあやであって、現実まったく力を使わないはずは無いのです。
例えば、地面を蹴ったり、踏ん張ったり、重心移動をしたりするだけでも、そこには必ず力が働いているのです。
---まずこれが僕の考えというか、話の前提です。

> 戦う相手が幼稚園児か死にそうな老人であれば
(※以下略)

ごもっとも(笑)

> しかし、筋力のみに頼っては僕達の中国武術の技術にすぐ限界が見えて
> しまいます。

…まぁ、そうですが、、
筋力のみに頼った武術・格闘技というものも、無いと思いますよ。
ボクシングやムエタイも、技術上、相手の直線を外したり、大きな衝撃をなるべく逃がすようにガードしたりはするわけで。。

> 一瞬<指のスジや健を張る>
>
> 様な感じで結果、筋肉に入力させるやり方です。

これ、先月の記事『脱力とか緩急とか』と少し重なりますが、僕がはっきり書かずに濁した部分です。
僕が「決め」と表現したのは、「張る」という表現を、別の記事で書こうと思っていたからです。
また、この記事にある体験のときは、決めるような動作と表現する方が合っていましたから。。

…で、指を使うのは、まぁ、ご存知だと思うんですが、基本にもありますね。
例えば、合気道の構えや、太極拳の琵琶勢などで、指をパラッと開いて伸ばすのも、前腕部の伸筋に張りを作るためです。
合気道で「曲がらない腕」などと言っているのも、この応用だと思います。
屈筋、例えば上腕の力こぶのあたりは、腕を曲げて力むことで固くなりますが、肘から先の外側(手の甲側)にある伸筋群は、筋を伸ばすことで張りができます。
そのための方法として、指を伸ばすことや、あるいは曲げること、また、手のかたち(例えば鈎手とか鷹爪手とか)の工夫があるのだと思います。
もちろん、手形には手形なりの用法もあるでしょうが、伸筋を利用するため、というのも、一つだと考えられます。
他にも、纏糸とか、身法とか、色々あります。
やり方が解って、慣れれば、ちょっとした力の入れ方で強い張りや姿勢が作れるので、これもまぁ、
「力ではない」
…と、言えなくはないですね。
しかしやはり力です。
力が要らないと思っている人は、こういうのを少し誤解して、本当に力が要らないと思っているのではないでしょうか…。。

ついでに言えば、もしかしたら僕の方が間違っていて、名人・達人の域になれば、本当に力が要らないのかも知れません。
でもそういう人は大抵、若い頃に力の鍛錬をしていて、剛のアプローチから柔に至っているようです。
脱力信者の人たちが、大して体も鍛えず、本当にそういう訓練ばかりで使えるようになるのか、僕には疑問です。
まー他人事なので、別にそれを変えろとまでは言いませんが。。

(続く)

Posted by hide at 2009年05月04日 11:54

(続き)<※長文になって一度に書き込めなかったため。。(^^;ゞ

> その他には通背や腕から踵までの間接をうまくつなげる(僕は間接のコネクト
> と呼んでいます。)なども使用したりします。まだまだ研究の余地はあります
> が僕的には三体式にそういった部分を研究の対象にしています。

姿勢の完成を形作るとき関節がギヤのようにかみ合って繋がる感じ…ということなら解る気もしますが、三体式に…という部分は、ちょっとよく解りません。
三体式を繰り返す中で、そういう感覚を練っているということ…なのかな?

> 僕の門派は脱力至上主義です。攻防の全てが脱力によるものと教えられました。
>
> 僕の先生も王樹金先生もそうであったと話していました。

ふぅむ。。
僕が習ったものは、元は王樹金-佐藤金兵衛先生の伝ですが、僕の知る限り、そこまで脱力一辺倒では無かったように思います。
王樹金の映像を見ても、動きは柔らかいですが、今の、簡化や楊家などの表演太極拳ほどではないし、さっきの表現で言えば、張るところを張っていて、剛を含んだ柔という感じです。
…まぁ、がみさんが習ったのはそうだったのでしょうが、王樹金もそうだったというのは、どうなのかなぁ…?
もっとも、僕は王樹金のことも直接は知りませんし、何とも言えませんが…。

> しかし、脱力が全てであるならば、『站樁など無かった王樹金先生から
> 前の時代の先人達は技術的にみんないま一つか別路線だったの?』って思った
> のがそもそものきっかけです。

站椿やそれに類する鍛錬は昔からあったと思いますが、今のように力を抜いて瞑想的にやるようなものではなかったと思います。
まー、脱力・瞑想的な站椿をやるところもあれば、鍛錬としてきついやり方のところもありますから、站椿にも色々流儀があるわけです。。

それから、脱力が主となる技術として成り立つのかということについては、すでにブログ上で何度も書いているように、僕個人は否定的な考えです。

動くときに力が抜けているのは当然で、走るときに足の筋肉に力を入れている感覚がないのと同じです。
また、余計な力みは動きを阻害します。
そういう意味では、力を抜けと教えられるのも当然なのですが、イコール、力が要らないということにはならないでしょう。
誰も、陸上競技の短距離ランナーが筋力が必要ないとは思わないはずです。
脱力信者の「筋肉は邪魔」「動きが固くなる」というのが本当であれば、
ランナーも、
「足の筋肉を鍛えると早く走れない」
ということに、なってしまわないでしょうか…。。(^_^;)

そういう矛盾を消化しないまま、脱力を金科玉条に掲げるのはどうか…って感じですよね。。

> まぁ、そこは、もしかしたら、王樹金以降の人たちが勝手に脱力だけを崇め
> 奉っただけなのかも知れないし、脱力だけではないのに王樹金先生もそこは
> 認めなかっただけかも知れないし、色々な憶測は出来ますけどね・・・。

僕的には、乱暴な言い方になりますが、要は“客寄せパンダ”なだけだろうという気がしています。
僕自身が一時期は幻想に陥っていた1人でもありますが、今のように情報があふれている世の中なら、もう少し良識的かつ妥当な考えをもって修行できる人が、もっと増えてきてもいい気がしているんですけどね。。

> 今回はhideさんにというよりも未だ妄想にとりつかれている同系列・同好会
> 以外の仲間に向けて書いた次第です。

そのお仲間もこのブログを見に来られているんでしょうか?
まーしかし。。
そういう目的なら、ご自身でブログを立ち上げてはいかがでしょうか?

> ※以前、フリーメールをとのことでしたが、そういうことに疎い私は設定の
> 仕方がわかりません。

一応説明しておきますが、フリーメールとは、例えばヤフーメールのように、無料で使えるメールサービスのことです。
普段使っているメールアドレスを記入するのがはばかられるようでしたら、そういうのを利用する手もあるということです。

> 出来ることなら、今のスタイルで続行させて頂きたいです。

それは構いません。
コメントは、メールアドレスを必須項目にすることもできましたが、記入したくない人のために任意としています。
但し、メールアドレスを記入しても、ブログには表示されません。

Posted by hide at 2009年05月04日 11:55

丁寧なコメント有難う御座いました。

>今回はhideさんにというよりも未だ妄想にとり>つかれている同系列・同好会以外の仲間に向けて書>いた次第です。

と書いたのは脱力信者になっているみんなにもhideさんのブログを見て何かを感じて欲しいと思う僕の私的な気持ちを表現したものであって実際には僕以外は誰も見ていません。
変な誤解をあたえてしまったらどうもすみません。

妄想じみた自分の中しか通用しない話を勧めるへんてこな中国武術マニアのブログを見るならhideさんのブログを見て変わって欲しいんです。
そういう気持ちから上記の事を書いてしまいました。

また、フリーメールの件ですが、自宅にネットを引いたのも最近の事なのでちょっと真剣に勉強してみますね(笑)。

あと、三体式の関節のコネクトの話ですが・・・hideさんのご返事の文中にあった

>姿勢の完成を形作るとき関節がギヤのようにかみ合って繋がる感じ
>やり方が解って、慣れれば、ちょっとした力の入れ方で強い張りや姿勢が作れる

っていうことなんです。

三体式の最後の極めの姿勢をとって、突き出した掌を仲間の胸に付けてもらい全力で押されても潰されず、逆に痛みと共に相手を押し返すことが出来ます。(因みに仲間も僕も体重80キロ同士です)

これを形意拳の崩拳や劈拳などの打撃力にしようと考えているんです。

言ってみれば、壁に突き刺したつっかえ棒にぶつかって貰うような感じです。

今は、練習の三体式から出る強い張りを小さい姿勢で同じように出来るよう四苦八苦しています(笑)

Posted by がみ at 2009年05月04日 19:03

僕の最新コメントの2行目から3行目にかけ、乱文になりましとことお詫び申し上げます。

Posted by がみ at 2009年05月04日 20:45

うげっ!!また間違えてしまった(T_T)

重ね重ねすみませんです。

Posted by がみ at 2009年05月04日 21:36

>> がみさん

コメントをありがとうございます。

> と書いたのは脱力信者になっているみんなにも

なるほど、そういうことでしたか。
別に不快に思ったわけではないので気にしないで下さい。

> また、フリーメールの件ですが、自宅にネットを引いたのも最近の事なので
> ちょっと真剣に勉強してみますね(笑)。

このブログ云々はおいて、一般的な話として、わかっていれば便利なので、ご参考までにヤフーメールを少し説明しておきます。
http://mail.yahoo.co.jp/
↑にアクセスして、
「Yahoo! JAPAN IDをお持ちでない方 Yahoo! JAPAN IDを取得」
と書かれた箇所がありますので、そこをクリックして、必要事項を書き込めば、使えるようになります。
IDを取得すれば、ヤフーの他のサービスも同じIDで使えます。
あとはヤフーの「ヘルプ」を見て下さい。

> 三体式の最後の極めの姿勢をとって、突き出した掌を仲間の胸に付けてもらい
> 全力で押されても潰されず、逆に痛みと共に相手を押し返すことが出来ます。
> (因みに仲間も僕も体重80キロ同士です)

なるほど。
しかしそれは、完成した姿勢の強度を、一つの目安として測る実験にはなりますが、鍛錬や攻防練習(組手)とは、ちょっと遠い気もしますね。
もちろん、その感覚を試して、どこに負荷がかかるか、どこを強化すべきか、などを工夫する道筋にはなると思いますが。。

80キロとはなかなかの体格ですね。身長はどれくらいあるんでしょうか?

> これを形意拳の崩拳や劈拳などの打撃力にしようと考えているんです。
>
> 言ってみれば、壁に突き刺したつっかえ棒にぶつかって貰うような感じです。

そのつっかえ棒理論は昔からありますが、もし待っている姿勢で、相手が突進して来たら、物理的には、同じ体格の相手にでも当たり負けしてしまうでしょうね。
もちろん、顔面などにヒットすれば効くわけですが、それは体重を乗せて踏み込んだパンチでも同じことです。
あるいは迎え撃った方が威力は上かも知れません。
また、お互いに手を出すときに、こちらがつっかえ棒になろうとするのは、考え方として“待ち”になる上、窮屈です。
その辺のことも踏まえて工夫してはいかがでしょうか。

> 今は、練習の三体式から出る強い張りを小さい姿勢で同じように出来るよう
> 四苦八苦しています(笑)

思うに、それを小さくするということは、腕を曲げることになるわけですから、伸筋の張りが活かせなくなります。
三体式の構えを小さくするというのは捨てて、別の構えを模索した方がすっきり解決するのかも知れませんよ?

Posted by hide at 2009年05月04日 21:48

貴重なご意見有難う御座いますm(__)m

実は昨晩、コメントを一生懸命打ったのですが書き込みを押したつもりが確認を押して画面を閉じてしまった為、書き直した次第です(T_T)

> 今は、練習の三体式から出る強い張りを小さい姿勢で同じように出来るよう
> 四苦八苦しています(笑)

の部分ですが、これにはちょっと説明不足があります。小さくというのはあくまでも歩幅の事です。
歩幅を練習の時の様に十分広げなくても、ちょっとした前後の開きでも、同じように強い張りを出せるようにしたいっていうことなんです。
したがって腕をたたむということ考えてはいません。

>そのつっかえ棒理論は昔からありますが、もし待っている姿勢で、相手が突進して来た
>ら、物理的には、同じ体格の相手にでも当たり負けしてしまうでしょうね。

このご指摘にお答えする前に、お話したいのは僕の方法は完全な待ち状態での突っ張り棒ではないです。
突ききった後、腕にかかるテンションが踵と一緒に支えることが出来る突っ張り棒になるんです。
ですので僕のは前提として<突き>ありきなんです。
ちょっと判りずらいでしょうか?(^^ゞ

それで、肝心のお答えの内容ですが、僕もこの事については仲間内で何度も検証してみました。
まず初めは仲間に軽く胸を突き出すような感じで自分のほうに強く飛び込むように突っ込んでもらい、それを自分が三体式で打つという内容で試したのですがこれは見事に失敗しました。
安全の為、打ったのが胸というのもあったと思いますが、相手も打たれるということから終始、体を固めていたからというのが理由として大きいようです。
ですが、自分の腕が押し込まれたり、勢いに負け自分が大きく後ろに引いたりということはありませんでした。

次に試したのが相手に突きながら強く突っ込んでもらいます(フックでもストレートでも試しました)。
それを受けながら突くと思った以上に効かすことが出来ました。
理由として、これから相手を打とうとしている人間は自分が打たれることは体が想定していません。
早い話、ボクシングのカウンターですよね。
ここには中国武術の虚実があると考えました。
ですので、僕なりの身体運用は必要ですがhideさんのおっしゃるような当たり負けというのはこの場合僕の中では見当たりません。

ですが、僕の中で今一番の研究課題があります。
それは、自分から仕掛けなければならないときです。
中国武術は後の先の説明に終始することが多いです。しかし、実際には後の先なんて格好つけていたら殴られて終わりってことになりかねませんよね?
しかもきれいに一撃で倒しちゃってるし・・・(この話の件はhideさんのブログの記事にあったような・・・)
試合ならいざ知らず、実際の喧嘩で実力の判らない相手の出方を伺うだなんてのは喧嘩をあまり知らない僕ですら自殺行為な気がします。
その辺はhideさんのほうがお詳しいですよね?>^_^<

僕の仲間の1人が実体験からこう言います。
『本気で倒すんなら後の先じゃないよ、先の先だよ。相手に何かさせる前に相手の動きを封じてボッコボコにしないと』と。
おまけに『中途半端な突きなんかじゃあ高揚した状態の人間は簡単に倒せないよ』とも言われ、いっそう考えさせられているんです。
相手の勢いも利用できなくて後の先の利も無く、自分から打たなければいけない時どうするか?
距離によっては相手を崩しながら等して頭突き・肘・膝などを上手く当てるというのもあります。
しかし、話を突きに限定した場合、シュッっとやる(ふざけてませんよ)寸勁に通背・張りなどを加えたもので崩気味に相手の弱い場所を打つくらいしか思いつきません。
小さい三体式っていうのもこの辺りの話に絡んでいるんです。
むやみやたらに真っ直ぐ打ったらボクサー相手ならこっちがカウンターを貰っちゃうんじゃないかなって心配もあります。

まだまだ研究が必要な僕です(*^_^*)
精進したいと思います。

因みに僕の身長の話が出ましたが、嫁からよく『インパルスの堤下よりは痩せてると思うよ♪』と馬鹿にされているのか慰められているのかよく判らないことを言われます。
その辺りの事からご想像くださ~い(~_~)

※今回、hidedさんに実体験を正確に伝えようと思い、僕なりの技術的な事をだらだら書いてしましました。
もし、hideさんがブログの趣旨にそぐわないと判断されたら記事として乗せていただかなくても結構です。

Posted by がみ at 2009年05月06日 01:07

>> がみさん

コメントをありがとうございます。

> 実は昨晩、コメントを一生懸命打ったのですが書き込みを押したつもりが確認を
> 押して画面を閉じてしまった為、書き直した次第です(T_T)

ネットやパソコン操作に不慣れな人にありがちなミスですね。。(^^;
エディターなどで下書きして、一旦保存することをお薦めします。
僕は操作歴が長いので滅多にありませんが、たまに短い文章を直接書いたときに限って、そういうミスをしてしまいます。

> 小さくというのはあくまでも歩幅の事です。
(※中略)
> したがって腕をたたむということ考えてはいません。

なるほど、そうでしか。

ちなみに、僕的には、三体式の構え自体、あまり対応しやすい構えに思えなくて、腕を直角あたりまで曲げた構えをとっています。
もちろんそれも、三体式のまま折り曲げるのではなくて、結局ムエタイスタイルのような感じなんですが。。

> 突ききった後、腕にかかるテンションが踵と一緒に支えることが出来る
> 突っ張り棒になるんです。

ふむふむ。
僕も、『2つの突き』という記事で、そんな突き方のことを書いたと思うんですけど、補足を交えて書くと、手の出し方はともかく、当たる瞬間につっかえ棒状態を作るということです。
たぶん同じですね?

また、僕が勘違いしたのは、胸に手を当てて突っ張ってる状態を説明されたからだと思います。
相手がそれを押してきても押し返せる、と。
相手の攻撃を捌いて“突き”を出すのであれば、それは解ります。
しかし、正面からぶつかった場合は、体幹対腕であれば、やはり当たり負けする可能性があると思います。

> 理由として、これから相手を打とうとしている人間は自分が打たれることは
> 体が想定していません。

タイミングや角度で、相手の虚を突くことにはなるでしょうね。
攻撃を出し始めた瞬間から伸びきった直後までは、力が抜けていて、攻撃に備えられない最も弱いときですからね。

> ここには中国武術の虚実があると考えました。

そうですね。
まぁ、日本の武術でも陰陽・虚実という捉え方はするようです。

> ですが、僕の中で今一番の研究課題があります。
> それは、自分から仕掛けなければならないときです。

いいところに目をつけてらっしゃると思います。
それが一番難しいのだと、僕も思います。

> 中国武術は後の先の説明に終始することが多いです。しかし、実際には後の先
> なんて格好つけていたら殴られて終わりってことになりかねませんよね?

そうですね…。
ただ、場合によると思いますが、始まると思った瞬間に警戒距離(自分が得意な間合い)を取って対峙できれば、一撃目を避けることは比較的簡単だと思います。
一旦向かい合えば、心得のある者同士では、初っ端、有効な一撃を当てること自体が難しいわけですから、仕掛ける方が不利とも考えられます。
しかし、向かい合う余裕さえ与えずに、何もさせずに倒すというのが先制攻撃の在り方ですから、向かい合ってしまったらお互いに先制の機を逃しているわけですね。
そのときはやはり、そこから一呼吸置く間もなく即攻撃、ということにしなければいけないわけですが、…まぁ、相手があることなので、難しいです。。

結局、その“場”を支配しているということが大事だと思います。
言葉、かけひき、身の置き所、角度…等々、主導権を取っていることがすべての“先”に通じるのでしょう。
…まぁ、言うは容易いですが。。。(^_^;)

> 試合ならいざ知らず、実際の喧嘩で実力の判らない相手の出方を伺うだなんて
> のは喧嘩をあまり知らない僕ですら自殺行為な気がします。

…でも。
それで自分が悪くなってしまうケースもあるので、難しいところです。
僕の場合、自分から手を出したことはほとんど無いです。
だから恐ろしいし、ドキドキもんです(笑)
また、自分から手を出して、一撃目が外れたり効かなかったりしたときの怖さというのもあります。
そういう意味では、僕は慎重に対応する方でしたが、相手が何をするか判らず身の危険を感じるときは、四の五の言っている場合ではないですね。。

> 僕の仲間の1人が実体験からこう言います。
> 『本気で倒すんなら後の先じゃないよ、先の先だよ。相手に何かさせる前に
> 相手の動きを封じてボッコボコにしないと』と。

その通りだと思います。
本気で倒すべき“相手”で、そういう“とき”なら…ですが。。

> おまけに『中途半端な突きなんかじゃあ高揚した状態の人間は簡単に倒せないよ』
> とも言われ、いっそう考えさせられているんです。

怒っている人間は、痛みに対する感覚も麻痺するし、普段よりずっと強い力を出しますからね。
「何でコイツ倒れないんだ?」
って経験が、僕にもありますよ。

> 相手の勢いも利用できなくて後の先の利も無く、自分から打たなければいけない
> 時どうするか?

僕なら具体的にどうする…ということは、この場で書きたくないので、半分パスします(笑)
まぁ、自分なりに自信のあるきつい一発を、普段から内に秘めておくこと…くらいでしょうかねぇ、結局は。。

> 距離によっては相手を崩しながら等して頭突き・肘・膝などを上手く当てると
> いうのもあります。

自分から相手を崩すというのは、何か心得がある相手なら難しい気もしますが。。

> 『インパルスの堤下よりは痩せてると思うよ♪』

堤下の身長や体重を知らないのでよくわかりませんが、なかなか体格良さそうですね。

> もし、hideさんがブログの趣旨にそぐわないと判断されたら記事として
> 乗せていただかなくても結構です。

感想や意見として書かれたものなら、基本的に削除はしません。
認証式にしているのは、アダルト、商用宣伝、いたずらを避けるためです。

ただ、元記事の内容から外れてきたときは、ほどほどに切り上げて、
また別の記事にコメントしていただければ助かります。(^_^ゞ

Posted by hide at 2009年05月06日 09:34

普段は仕事の終わる時間が遅くなかなかコメントを書く時間もありません(T_T)

なので、自分勝手なゴールデンウィークスペシャル(笑)ってことで長々付き合って頂き有難う御座いましたm(__)m

明日からまた地獄(笑)の始まりです。

hideさんの記事を見て『あっ』と感じることがあればまたコメントさせていただきますね。

そのときはお付き合い宜しく御願いいたします(^_-)-☆

Posted by がみ at 2009年05月06日 13:40

>> がみさん

コメントをありがとうございます。

了解です。
こういうやりとりは嬉しいので、こちらこそまたよろしくお願いします。(^_^ゞ
Posted by hide at 2009年05月06日 18:56

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