中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

小男の強さ

投稿日:2007年5月2日

気づいてみれば先月は3つしか記事をアップしていなかった…。
まぁ、色々と都合はあるのだけれど、ネタに困っているわけではないので、ブックマークをして下さっている方は粘り強くおつき合い下さい(笑)
ちなみにこのブログスペースを借りている“Seesaa”には、アクセス解析機能があって、アクセスに関する最低限の簡単なデータが判るのだけど、リンク元などの項から察するに、結構ブックマークして下さっている方が多いようだ。
通常の太極拳・中国武術愛好家からすれば、ひねくれた意見と取られるかも知れない内容を、継続して読みに来て下さっている方には感謝デス。

ちなみにネタに関しては、普段から思いついたことを書いては取ってあるし、ほとんど書いてしまっているのに細かい箇所に迷って寝かせているものもある。

今日アップするのも、そんな中の一つ。

小・中学時代の同級生にK野というヤツが居て、札付きの不良として恐れられていた。
K野は小学生の頃から背が低くて細い体つきだった。
中学生になってもチビだったが、例えればマラソン選手のように、細いが全身が筋っぽくバネのようで、運動神経が良く、敏捷で力も強かった。

子供の頃はよく噂話で誰かと誰かを比べて、
「〇〇と△△だったらどっちが強い?」
なんて話が出るものだが、そんな中でいつの間にかみんなが思う序列が出来上がっていたりする。
しかしまぁ全員が実際に総当たりするわけでもないので、本当のランキングなんて判らない。
誰かが喧嘩をして勝っても、同じ相手に次も勝てるとは限らないし、普段は大人しいヤツの中にも強いのは居る。
多少はそんなことも踏まえて、
「アイツなら何番以内に入る」
というような言い方になることもある。
K野は、そんな話が出るときは大抵、10番以内だと言われていた。
5番とか3番とかでないところは微妙だが、一学年350人ほど居た中での話だ。
そして、序列はともかく、誰もK野とは喧嘩をしたがらない。

「コイツと喧嘩になったら、とことんいくしかないことになってしまう」

…という怖さがあったからだ。

僕は小学2年のときに大阪市内の小学校に転校して来て、その頃にK野とも喧嘩をしたことがあるらしいのだが、よく憶えていない。
K野は小学校の頃から有名な問題児の1人で、僕のように喧嘩ばかりしているというだけではなく、イジメ、恐喝、盗みなど、警察に補導されるようなことも多々あったようだ。
また、同じように札付きと言われる先輩たちとも通じていて、僕の兄貴のような存在だったS君も、その連中と関わるのは嫌がっていた。
(※S君については2007/02/12『空手バカ一代に学ぶ』参照)

K野とは住まいが近所だったので、僕が4年生になって隣の小学校に転校してからも、行く先々でよく顔を合わせたのだが、あまり親しくなりたくなくて、会う度にやんわりと振り払うのに苦労したものだ。
正直言って、喧嘩になっても、その場だけなら勝つ自信があった。
しかし後々面倒になるのが嫌だったし、そう思っている時点で僕の負けだったのかも知れない。

小学生の一時期、K野は少林寺拳法の道場に通っていた。
銭湯でバッタリ会ったとき、道場に少し慣れた頃だったのか、自慢げに少林寺拳法の話をして、僕の手のひらを叩かせろと言ってきた。
仕方なく叩かせてやると、普段の喧嘩のときと変わらないようなモーションだったが、バチーンとズシーンが合わさったような感触で、速くて重かった。
いかにも、
「コイツは喧嘩が強い!」
と思わせるようなパンチで、ジーンという痛みが残った。
「どうや?」
と、にやにやしているK野に、
「さすが習ってるだけあってええパンチやな」
と、涼しげに返すと、ちょっと悔しそうな顔をしていたのを憶えている。
僕はその頃、父親から空手の指導を受けたとハッタリをかましていたので、対抗意識があったのかも知れない。
K野が少林寺拳法をその後どれくらい続けたのかは知らないが、たぶん1年も通っていないだろう。
元々喧嘩が強かったので、道場に通い続けるのは間怠っこしく感じたのかも知れない。
中学になって、僕が空手を習い始めると、自分が中途半端にやめたせいか、僕が続けているのを気にしているところもあったようだ。
「ちょっと空手習ってるくらいでええ気になんなよ」
というようなセリフも、一時は顔を会わせる度に言われた気がする(笑)
別にカラむ相手は僕だけではなかったのだろうが…。

ところでK野には、内心、喧嘩しても勝つ自信があったとは言っても、なめていたわけではなかった。
K野が誰かとド突き合いするのを見たこともあったし、人をぶん殴るときの動きを見て、強いことは認めていたし、恐い気持ちもあった。
K野は中学生になっても身長はたぶん160cm無かったのではないかと思う。
当時僕は172cmくらいで、K野の頭が僕の口元くらいだったように記憶している。

K野は背が低いし敏捷なので、僕からすれば、殴るにしても掴むにしてもやや前屈みになってしまう。
捕まえようとすれば手足が間延びしてしまう。
僕はその頃、武道の理屈をそんなに判っていたわけではなかったが、そんなことを考えて本能的に小男に対する苦手意識が湧いていた。

というより、K野に対する苦手意識か…。

もちろん、上から被さるように飛んで来るパンチは避けにくいわけだし、リーチの面でも身長が高い方が有利だ。
もしK野でなく他の小男相手なら、こんな不安は無かっただろう。
そして、K野は小さいのに力も強い。
筋力ではあまり差を感じなかったし、すばしっこいので、こちらのパンチをくぐられたとき頭突きを喰らうのがこわい。
大阪では頭突きを“パチキ”と言って、僕が育った界隈では、不良連中が喧嘩のときの得意技の一つとして必ずと言っていいほど練習していた。
よくヤンキー同士の喧嘩で、近距離でにらみ合ったりするが、そこからいきなりパチキを入れてボコボコ…なんてのは、よくあるパターンだった。
また、うかつに捕まえようと前にいけば、掴まれたり引っ張られたりしてつんのめるとか、あるいは投げられたり引き倒されたりするかも知れなかった。
K野は本当に相手しにくいタイプの小男だった。。

そして今、曲がりなりにも武術をやっている立場で、思うのだ。
小男の強さの一端は、こういうところにあるのではないかと。

名人・達人と呼ばれる人には小男が多いと言われる。
小男には小男であることを生かした“理”があると思う。
それはやはり前述のように、自分が低いことによって、相手の重心が崩れやすいという点ではないかと思っている。
ただ、しかし、
「小さくても、力が無くても、大きい相手を倒せる」
ということには異論がある。
相手にも何らかの心得があれば簡単に技が通用するわけではないし、大の男を、昏倒させたり、足腰立たないくらいのダメージを与えたり、あるいは殺傷するほどの威力を出すためには、基礎的な筋力がある程度以上は必要だと思う。
だから名人・達人と呼ばれる人は、技が巧いにしても、決して非力なわけではないだろうと思う。

…まぁ、子供の頃の、ちょっとくらい喧嘩が強かったヤツの話を引き合いに、名人・達人のことを語るというのも何だけれど、案外こういう身近なところに真理があるかも知れないということで、書いてみた。

ちなみにK野はその後、僕の中学時代最大の喧嘩に首を突っ込んで来たこともあった。
なので、またあとで、別項で登場することになる。

最もあぶないヤツのレッテル通り、K野は中学を卒業するとヤクザになってしまった。
父子家庭で、親父さんだけは恐かったらしく、よく家を飛び出して夜中あちこちを徘徊していたのだが、中学のときには、どういうわけか裸足で家出して僕の家を訪ねてきたこともあった。
それで親身に飯を食わせて服を貸してやったのに、敵対関係は変わらず、恩もクソも無いというワケわからんヤツだった。
たぶん、僕のことを、
「あいつはお人好しだから、行けば何とかなるだろう」
くらいの感覚だったのだろう。
高校になって、僕が週末だけ深夜営業の喫茶店でバイトするようになると、その店にやばい物を持ち込んで来たり、とんでもないヤツだった。。(^^;
店でそれのうんちくを語ろうとするのをさすがに制して、そういうのだけはやめてくれと説得するのにも苦労した。
今でも生きているのだろうか…。。

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