中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

3つの“先”

投稿日:2008年8月22日

太極拳を始めて1~2年の頃…。
松田隆智さんの入門書にもちょっと食傷気味になった。
肝心なことは謎めいた言い回し、あとは型の紹介ばかりに思えて、段々と気持ちが遠のいてしまった。
まぁ僕も、実際に習うようになってまだ浅いというのに、多少のことは解った気になり、基本的なことは物足りなくなってしまっていた。

またその頃、中国武術雑誌『武術(うーしゅう)』が創刊され、類似誌や中国武術の解説本もちらほら出始めた。
漫画『拳児』の連載が始まるのはもう少しあとだ。
(※『武術』の創刊は1982年11月。『拳児』の連載開始は1988年1月)

『武術』は、もちろん参考になることもあったし、こういう専門雑誌があることは有り難かったのだが、松田さんや、大陸系の武術、老師を持ち上げていて、基本的な型の紹介ばかりが目立つようになった。
細かいことは憶えていないが、僕的にはそのような印象で記憶している。
だから、最初は楽しみに読んでいたのだが、やはりこれにも飽きてきてしまって、しばらくすると買わなくなり、たまに買ってもパラパラと流し見する程度になった。
ついでに言うと、、
僕的には当時の『武術』で紹介されている大陸系の武術にはあまり心躍らなかった。
掲載されていたのは基本と思われる大きな姿勢の套路写真ばかりだったし、そういう型から始める方がいいのだとしても、また、演武者や老師たちが奥深い技術を持っているのだとしても、記事の内容からそこまではうかがい知れない。
僕に時間やお金にゆとりがあったとしても、わざわざそういうものを中国まで習いに行きたいというほどの気持ちは湧かなかった。

結局、もっと知りたい、肝心のところがわからない。

当時の僕は、太極拳の具体的な攻防のイメージがなかなか掴めないでいた。
まぁ、始めて浅いのだから当たり前かも知れないのだけど、他の武術・格闘技に比べて謎が多いのも事実だった。
もちろん型の用法は色々教わっていた。
先生の説明も上手かったし、要求通りにではあっても、僕らが突いていくと、跳ね飛ばされたり、痛い目に遭ったりして、
「なるほど~!」
という思いだった。
しかし、同じような動きがなかなかできず、威力にも自信が無くて、その時点で自分たちはどう戦えばいいのか、ということが判らず、兄弟弟子共々迷っていた。

松田さんの本では、確か、
「まず威力を練り、防御を修得し、そして、必ず当てる技術を学ぶ」
というようなことが書かれてあったと思うが、何はともあれ、僕としては、ひとまず空手の自由組手のように、ある程度それらしく体が動くようになることが先決だった。

入門して1年以上経ったあるとき、“ロウ膝拗歩”の一歩先の使い方を教わった。
それは、最初に教わった型通りの用法ではなく、相手が何をして来てもそれで対応する…といった考えの上での用法だった。
これは“ロウ膝拗歩”に限らず、他の技にも通じる理屈で、僕的にはそれがかなり目からウロコだった。
初めて太極拳のイメージがおぼろげながら湧いた気がした。
相手が動いた、何かした、
その一瞬の対応の仕方として、
教わる前までよりは気持ちが楽になった。

ただ、それでも。
相手と対峙したとき、どのように動きを読めばいいかがわからない。
それまでは、少々経験した剣道にしても空手にしても、リズムをとって機を窺い合っていたが、何だか小うるさく小忙しい動きになってしまう。
そこからどう脱却すればいいのか…?

そんなとき、ふと手にしたのが、剣道の本だった。。

中学3年生のとき1年間だけ剣道部に入っていたが、たぶんその頃に買った本だ。
その中で“先”(せん)について書かれてあった。
そんな説明があったのか…読んだのかどうかさえ憶えていなかったほど、仕舞い込んだままになっていた。
だが意外にも、僕にとってはこれが大きなヒントになった。

“先”には大きく分けて3つある。
確かその本では「先」「先の先」「後の先」という説明になっていたと思う。
解説によっては「先々の先」「対の先」「待の先」など、色々あったり、表現が違う場合もあるが、大きく変わらないと思うので、最初の3つを僕の解釈で説明してみる。

「先」とは、
相手の隙を見逃さず、相手が動く前に、機先を制して先に打つこと。
「先の先」とは、
相手が打とうとする機を見逃さず、相手の“先”に先んじて打つこと。
「後の先」とは、
相手の“先”を誘って、それを受けて(または交わして)打つこと。

…ちょっと観念的ではあるが、結局、実はどれも“先”だ。

武術の型は、基本的には後手になっている。
この中で言えば「後の先」ということになるだろう。
しかしそれも、この3つの“先”を意識すれば、使い方に幅ができる。
少なくとも僕は、単に受けて攻撃というような用法だけでなく、先制攻撃的な使い方や、相手と対峙したときの空間の捉え方を考えるのに役立った。
…まぁ、そういう考えを初めて持つきっかけになったというだけでも、僕には大きな一歩だった。
攻防のイメージ構築に一役…だ。

それからしばらくは、もう少し剣道や剣術、あるいは日本の古武術・武道を見直そうと思って、中国武術より日本の武技に関係した本を探すようになった。
入門・解説本だけでなく、軽い読み物の類も手に取った。
改めて見直すと、日本の剣豪の逸話も面白いし、近代の武道家の話も興味深い。
剣道の道歌(要領、心法、口伝などを短歌にしたもの)もなかなか含蓄があるし、漢文に疎い僕にすれば中国語の要訣などより親しみやすい。
何も中国武術だけが飛び抜けて優れているわけではないと、認識も改まった。
そして、太極拳には太極拳の特徴があるにせよ、同じ五体を持つ人間の動作なのだから、剣術や古武術の理合いから考えてみても、色々と気がつくことはある。

…もし、、
僕のこんな考え方が、例えば、大陸系の老師に本格的に太極拳を学んだという人から見れば、邪道でも、回り道でも、的外れでも、構わない。
要は使えればいいのだ。
極端に言えば、太極拳の使い方を考えていて、いつの間にか太極拳でない使い方になっていても、有効な方法にたどり着いていれば、僕的には結果オーライだ。
だって正宗太極拳自体が形意拳や八卦掌を取り入れているし、ウチの流派はさらに他の拳法や古武術を併習しているので、元より純粋な太極拳にはならない。

つーか、純粋な太極拳って何やねん!?(笑)

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