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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行06:稽古を再開して数ヶ月間のこと3

投稿日:2017年2月13日

T先生が勤務する学校に放課後お邪魔するようになってしばらくは、当初の約束通り月3回の稽古が続いた。
T先生は契約を履行するように、この「月3回」に拘った。
例えば多忙なときは曜日を変えたりして、とにかく“月3回”を守るようにしていた。そこはT先生の良いところかも知れないのだが、
“今週は忙しいけど、月3回の約束だから、何とか空けてやろう”
――みたいな、ちょっと恩着せがましい言い方をするのがいただけない。
これもたぶん、本人は、ユーモアで僕をいじっているつもりなのだろうが、いちいちそういうことを言うので嫌みったらしい。
けれど僕としては、まあ、教えてくださいとお願いしている立場だ。
「ありがとうございます。あ、でも先生、忙しいようでしたら、そういう月は2回になっても構いませんよ。もしそれを気にしてくださるのでしたら、次月に補ってもらえるとか。それもできない場合はできないで構いませんので……」
と、こんな風に返しておく。

再会後のT先生がどこかずれていたことの根本部分は、もう一度習うことになった途端、僕を“家来”や“しもべ”のように扱い始めたことだ。
もちろん僕だって最低限は、師弟の立場をわきまえているし、特に稽古中は、ほぼすべてにおいて「はい」だ。
それ以外でも基本的には言うことを聞く。ご機嫌だって窺う。
しかしいきなり主従関係のようにまでなったら、行き過ぎだろう。
僕は、このバランスを取るのが難しい、今後もそれで苦労するに違いないと感じていた。
あまりに言うことを聞き過ぎ、へつらい過ぎると、自分がしんどくなる一方だし、また、それは先生のためにもならない。
犬のようにしっぽを振ってついていっていれば、T先生は満足だったかも知れないが、僕は充分、必要以上に、礼を尽くしているつもりだった。
基本的には、機嫌を損ねて教えてもらえなくなるのは避けたいと思っていたが、何かある度、もう投げ出してやめてしまおうかと迷った。
稽古のきつさ、しんどさよりも、それが一番の難題だった。

もし今、こんなことをT先生にぶつけたとしたら、
『そんなつもりは無かった』
――と、言うかも知れない。
だとすれば、そんな自覚の無さも、T先生の厄介なところだった。

T先生は僕を「○○君」と、君付けで呼ぶ。そこは終始変わらなかった。
何かを直接的に無理強いされたことは無いし、怒鳴られたことも無い。
基本的には大人しいタイプの人だ。
ただいつも結果的に、言うこと為すことが、陰湿だったり、嫌みだったり、卑怯だったりするのだ……。
しかしだからと言って、T先生は悪人というわけでも無い。
それこそ本当に、ほとんどの場合において、悪気は無かったのだろう。
また、僕に対する気遣いも、まったく無かったわけではない。
僕の接待が功を奏したにせよ、その分には応えようとしてくれていたし、技も一通りは教えてくれた。S先生のところへも繋いでくれた。
僕が反感を抱きながらも、何年も付き合って来られたのは、少なくとも謝礼には最低限応えようとするところ、約束は守るところ、などがあったことも言っておくべきだろう。

けれど、前回も書いたように、僕は最初の数回で、内心、T先生にがっかりしてしまっていた。心の奥底では嫌っていたと言っていい。
そんな思いを抱きつつ通っていたわけだが、T先生の方はと言うと、基本的には、毎回の僕との稽古を楽しみにしてくれているようだった。
……まあ、僕も習うのは楽しかったし、フツーに稽古できて、帰りのお酒で話が弾んで、気持ちよく帰って来られるときは、何も不満は無かった。

ある日の帰り、ふと見るとT先生が歩道脇の側溝の蓋の上をパコパコと音を立てながら歩いていたことがあった。
子どもが道路の白線の上を歩くように、遊び気分だったのだろう。
(何を子どもみたいなことを……)
と苦笑しながら見ていると。
「おっとっと……!」
歩道の切れ目で最後の蓋がぐらついていて、それに足をとられてバランスを崩し、片足で二、三歩、道路に飛び出していった。
「先生、危ないですよ!」
脇道から車が来ていた。もちろんその車は一旦停止したし、人が飛び出して来ていなくても停止線があったから交通ルール上も停止義務があったのだが、荒いドライバーなら接触くらいはしたかも知れなかった。
(武道の心得のある者がやるようなことか……)
僕はさらに苦笑。
まーしかし。仕事が終わって、稽古も終わって、これから飲みに行くというので、ちょっと浮き足立っていた感じ。
そういうところは、微笑ましいといえば、微笑ましい。
こんな風に機嫌良さげなこともめずらしくなかったのだが、それがどうして、突然機嫌が変わったり、とんでもない嫌みを言ったりするのか、そういうところが、この人のわからないところだった。

さて、再び学校……。
待ち合わせの時刻までに学校に入って、靴置き場の脇のベンチで待つようになると、そこに行くまでに用務員室の前を通るため、用務員さんと顔を合わせることが増えた。

用務員さんは、初めて会った当時で、見た目60歳前後というあたりだっただろうか。細身で浅黒い小男で、坊主頭で、真面目そうな人だった。
用務員室には奥さんらしき人が居るのを見かけたこともあるので、住み込みなのかな、とも思っていたのだが、先生たちが宿直で泊まりの勤務があると言っていたので、通いだったのかも知れない。
まあ、夜の学校なんて気味が悪いし、普通は住みたくないだろう。
それはともかく、初めて間近で顔を見たときに「こんにちは」と挨拶をして通ろうとすると、僕を呼び止めて、名前や来校目的を尋ねてきた。
もちろん素直に受け答えをして、
「これからも度々来ますので、よろしくお願いします」
と言うと、向こうも丁寧に応じてくれた。
そして、二度目に会ったときには。
「あ、hideさん。こんにちは!」(※実際には「hide」の部分は僕の苗字)
ちゃんと名前を憶えていて向こうから先んじて挨拶をしてくれて、それ以降も親しげに話しかけてきてくれるようになった。

ちなみに靴置き場にあるベンチは、公園にあるような大きなベンチではなく、大人のお尻がどうにか乗るくらいの幅で、2人が横に並んで座れる程度の粗末なものだった。
たぶん、靴を履いたり脱いだりするときに腰掛けるためのものだろう。
壁際に来客用のスリッパを入れる50センチ四方くらいの汚いカゴがあり、中にはほこりまみれのスリッパが無造作に山積。その横にベンチがあった。
靴置き場がある校舎の入り口にはシャッターがあり、閉校時には閉めるが、開校中はずっと開いていて、校庭側も同様なので、靴置き場のあるあたりは吹きさらし状態だ。
T先生と稽古を開始したのは冬真っ盛りの頃なので、極寒だった。
ちなみに夏は、日陰になっていて壁は少しひんやりしているものの、熱と湿気がこもっているので、じっとしているだけで汗ばんでしまう暑さだ。
そしてまた、この生徒用の靴置き場の靴入れは、一足ずつの仕切りになっていたとは思うが、蓋の無い棚状なので、砂やほこりまみれだ。
そんな風に大勢の履き物が置いてあるので少し臭う。居心地は良くない。

T先生がなかなか来ず、僕が長らくベンチに座っていると、時々用務員さんが話しかけてきてくれた。
「あれ? T先生、まだ来ませんの?」
「ええ」
「hideさんが来られてから、30分くらいは経つんとちゃいますのん?」
「…そうですねぇ。まー何か忙しくしてはるんでしょうかねぇ」
「それにしても、こんなところで長いこと待たせるなんて。今度言うといてあげますワ!」
「ははは」
――と、こんな感じ。
その後、僕が長時間待っているのを見かける回数が増えてくると、さすがに用務員さんも「またですか……」と言いながら、ちょっと呆れていた。

こんな調子で年月が経っていくと、用務員さんは僕に同情的だったが、いつだったか、あるとき、こんなことを言われたことがあった。
「hideさんもT先生の相手するのは大変やろうけど、頑張って来続けてあげてくださいや。あの人、hideさんが来るの楽しみにしているみたいやからね。基本、寂しい人やと思うから……」
僕は礼を言いつつ、何でこんなことを言ってくるのか不思議だった。
T先生とのことを用務員さんに細かく話したことは無く、彼は僕が待っている姿を度々見かけていただけだ。会話は前述のような挨拶程度。
T先生とは何か話すことがあったのだろうか?
ともかく、こんなフォローめいたことを口にするほど、T先生と僕のことを用務員さんは心配してくれていたのか……と、これまた苦笑。
他の教職員にはどう見えていたのだろう。
それにしても、寂しい人って、T先生は学校の中で孤立気味だったとか?
それを用務員さんが知っている? う~ん?

ちなみに、僕が座って待っていたベンチの側を教員が通るときは、ちょっと訝しげに見る人が居ても、無視して通り過ぎるのがほとんどだった。
たまに声をかけられることもあったが、前述の用務員さんとの初めての会話のときのようなやりとりをするだけだった。
ただ、それがT先生にも伝わったときがあって、帰りのお酒のとき。
「きみが怪しいから、他の先生が警戒してたワ!」
…………。
そりゃあ、外部の人間が何十分もあんなところで黙々と座っていたら、気になるだろうよ。誰がそんな風にしてるんだよ。
で、T先生は僕のことを、
『昔の教え子で、共通の趣味で、武道の稽古を一緒にしている』
――というように説明したそうだ。
「昔の教え子って、歳は四つしか違わないのに、ちょっと無理がありませんか?」
僕は笑いながら言った。
「まあ、学校使ってるしな。まったく嘘でもないやろ」
「先生がそうしておくのがいいなら、僕は構いませんけどね……」
僕ならどう説明するだろう。
まあ、謝礼云々の問題があるので“弟子”だとは言えないにしても、「昔の教え子」は要らないのではないか?
返ってそこは嘘だと見抜かれて、何か隠し事があると勘ぐられるのではないだろうか。わざわざ勘ぐる人など居ないかも知れないが……。

ここで僕が思うのは、どんな小さな嘘も、何かの折りにほころびが生じる場合があるので、たとえ方便でも、嘘は極力つかない方がいいということだ。
まして、つかなくていい嘘をつく人のことは、僕は信用しない。
「大した嘘じゃない」とか「まったく嘘でも無い範囲だから」とか、そういうことを言っても、嘘は嘘だ。
そういう人は、そういう小さな嘘ならついても構わないと思っているということだろう。つまり嘘に対する良心の呵責というものが緩い。
こういう人はもう少し悪質な嘘も平気でつくことが多い。そして、やがてはもっと大きな嘘をつくことにも繋がりやすい。
それと、小さな嘘やごまかしを普段から平気で用いる人は、自分の嘘が見抜かれていることにも疎い。そうやって自分が信用を無くしていっていることにも気づかないでいたりする。
――つまり、バカなのだ。

僕は、自分を本当に賢いとは思っていないから、どうせならどんなに小さな嘘も、つかない方がいいと思っている。
もちろん人に言いたくないことや、秘密の一つや二つはある。
けれどそれは「言わない」のであって「嘘」では無い。
今までに嘘をついたことが無いわけではないし、これからも嘘を絶対につかないとは、言わないし、言えない。
けれど嘘をつくことには抵抗があるし、つかなくても済ませられる状況で、わざわざ取って付けたような嘘や、取り繕った嘘などはつかないと思う。
嘘をつくにしても、できれば、
『これは重大な嘘だが、その責任は全部自分で負う』
――というくらいの切実さがあるときだけにしたいものだ。

ちょっと話が飛躍したので、元に戻そう。

T先生の悪行やへんてこ逸話は、今回はこれくらいにして、修行の話を少し書こう。
“全中連”の本部ではどのようにしているのか、正確にはよく知らないが、ウチでは昔、内家三拳の立ち方や姿勢に合わせて、例えば柳生心眼流なども弓歩で行ったりしていた。
佐藤金兵衛先生の柔術の本の中には、明らかに内家三拳に影響されて改変しているような写真が散見されるものもあるので、本部でも同様だったのかも知れない。
もちろん家伝の武術とされる“大和道”を宗家である金兵衛先生がどのように変更されようと自由だったろうが、他の武術まで全部同じにしてしまうのはどうなのだろう、と、若い頃、最初はそう思っていた。
しかし、王樹金系の内家拳のように、後ろ足を曲げた弓歩が馴染んでくると、立ち方をあれこれ流派に合わせて変える方がよろしくないと思うようになった。
例えば金鷹拳は、立ち方や姿勢が共通なので違和感が無かったが、もし後ろ足を伸ばした大きな姿勢の太極拳などをやったとしたら、姿勢や動きが安定しなくなってしまいそうだ。
もちろん、型として覚えるだけなら、棲み分けはできるだろうけれども、実戦を想定して動きをまとめていくことを考えると、それでは意味があるまい。

昔、松田隆智さんの本を読んでいたとき、彼の本の中では確か、型には大架式、中架式、小架式などの分類があって、それぞれ、基本習得や下肢鍛錬から実戦的な形式に移っていくというようなことが書かれてあったと思う。
それで言うなら、全中連やウチの太極拳は、中架式になるだろう。
ウチでは大架式用の型が別にあるというわけではなく、下肢鍛錬のためには同じ型を、姿勢を低くして行うようにする。
ちなみに“柔拳連”の型は、姿勢の高さとしては中架だが、動作的には大架で、表演武術っぽい動作が多く含まれているように見受けられる。

そして僕は、“小架”というものがよくわからないままでいた。
もし、それまでの僕の解釈通りであるとするならば、ボクシングのように高い姿勢で攻防を行うときのための実戦的な型で、そういう場合の姿勢や力の使い方が、“小架”には含まれているはずであった。
もちろんこれもベースは九十九式であり、演武の仕方が異なるだけだが、具体的にはどのようなものか、ずっと気になっていた。

結果から言えば小架は確かに、実戦的な体を養い、実戦的な動きを整えるための演武法なのだが、これをやったから強くなれるというわけではない。
どんなことも、いかに身につけるかは自分自身の問題だからだ。
けれど教えてもらわなければ、わからないであろうことには違いない。
(※ウチで言う“小架”は、他の流派や拳種の中の、型の名称として存在する「○○小架」などというようなものとは異なる)

で、小架の前に、何よりもK拳に合わせて立ち方や姿勢が変わったので、その習得が先決だった。
K拳と真極流は、概ね同じ身法である。まあ、日本武術は少々がに股気味に立つから、そこが違う程度だ。
一応そこは分けているのだが、ほとんどはK拳式に統一だった。
最初は戸惑ったが、この姿勢に矯正しながら鍛錬を続けていると、力の使い方が解ってくる。繋がる感触が実感できるようになってくるのだ。
それまではイマイチ威力が出ないというか、出し方がわからない感じだったのだが、半年、一年と経つと、それなりに“力を発する”ことの意味というか、やり方が判ってくる。
しかも高い姿勢で可能となる。
もっと言えば、あまりきちんとした弓歩で立っていなくてもOKだ。
もちろん、だからと言って、筋力が増したから力任せで当たり前に威力が出るようになったとか、そういう乱暴な話ではない。
この身法が身につけば、今までの内家拳の姿勢は、ほとんどが間違いだったんじゃないかとさえ思えてきてしまった。

そして、小架も少しずつ教えてもらい、実際にはもっとあとのことだが、鍛錬がそこそこ実を結んで、高い姿勢でも力が発揮できるようになってくると、型の質も変わってくる。言葉だけでは説明しにくいが……。
――まあ、そのうちサワリ程度でも、イラストなどを交えて説明しよう。
それから、時期は未定だが入門書を一冊くらいは書くつもりなので、その時にはもう少し、幾らか丁寧に書くことになると思う。

で、平行して、心眼流、真極流、形意拳、八卦掌なども少しずつ。
もちろん段階があるから、最初の数ヶ月で全部というわけではない。
ただ、前回も書いたように、T先生が昔、全中連の大阪支部の指導員という立場だったときに知っていた口伝は、数ヶ月のうちに教えてもらえた。
「昔はあんなにシブチンだったのに、ずいぶん大盤振る舞いだなぁ」
と、そのときは感慨深い思いだった。

ある日の帰り。
「先生、口伝とかは、まだ幾つもあるのですか?」
「う~ん。そうやなあ。…まあ、目からウロコみたいなもんは、もう幾つも無いんちゃうか。それに今までの口伝かて、K拳やってたらほとんど、八割くらいは飛んでしまうようなもんやしなぁ……」
飛んでしまうとは、つまり、意味を為さないということだ。
ちょっとした技のコツや威力を増すための口伝などは、K拳の鍛錬さえやっていれば、小手先程度のことに過ぎないという。
つまり、だから。
今まで知っていた口伝など陳腐になってしまったから、僕に簡単に教えたということだったわけだ。
(なんだ。結局、T先生は、T先生だなぁ……)
心の中で苦笑い。

まあ、そうでなくても、口伝を知ったから強くなれるというものでもない。ただ知っても、それは知識に過ぎない。僕はすでにそう思っていた。
何故なら、若い頃に習った口伝の中にも「知っているだけで違う」というようなものはあったが、それが喧嘩のときに即、役立ったというような経験は無かったからだ。
「そんなことはない。仮に素人に教えても、それだけでガラッと変わってしまうようなものもある。そういうのがホンマの口伝や」
T先生はそれでもこういう意見だったが――。
「まあ、そういうのも確かにあると思いますけど、でもやっぱり、身に付いていることのベースがあってこそ生きるものやないですかねぇ…?」
「そうかな……」
「もし素人が口伝を得てガラッと変わったところで、その人がそれまでより少し強くなれるだけでしょう。きちんと修練を積んで、それなりに強い人が口伝を得る方がもっと効果的ではありませんか? それに素人が口伝を得ても、それだけで実力者に勝てるようにはならんでしょう?」
「まあ、それはそうやな……」
T先生は、まだ何か凄い秘密があるようにしておきたかった様子だったのだが、けれど僕は、昔のように意味もわからずただ幻想を抱いているままでは無くなっていたのである。
教わらなければわからないことは、きっとまだあるに違いないが、知るだけで飛躍的に変わる方法などあるはずがない。
それはT先生を見ればわかることだった。

さて、月3回の稽古だが、数ヶ月すると、ほぼ毎週になった。
T先生が、仕事との両立ペースがわかってきたので、できるときはなるべく毎週やろうかということになった。
まー、僕の気配りや接待やへつらいも効いたのだろう。
T先生の方は楽しくなってきているようだったし。
僕も稽古回数が増えることは歓迎だったが、しかしそれは出費が嵩むことも意味していた。
稽古に関わる出費は、月謝の1万円以外に、交通費、お茶代、時間をつぶすときの飲食代、稽古後の飲み代などで毎回1万円くらいは覚悟しておかなければならなかった。
だから月4回になれば、大雑把だが約5万円が毎月必要ということだ。
出費は、そのあとさらに増えていくことになるのだが、それについてはまた改めて書こうと思う。

(つづく)

 

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

こんにちは。

T先生との関係、眼に浮かぶようです(笑)。

もう過ぎたことではありますが、S先生に
習うのは難しかったんでしょうか?

S先生というのは、西郡先生が
よく口にされていた「大阪のS君」の
ことだと思うのですが。

西郡先生は、大阪のS君のことは、
よく褒めてらっしゃいましたよ。

Posted by ジャッキー・チュン at 2017年02月14日 17:53

ジャッキー・チュンさん、こんにちは。

> S先生に習うのは難しかったんでしょうか?

今までにも書いていますが、最終的にはS先生に習いました。
T先生との稽古が始まってから、S先生の道場にも行かせてもらえるようになるまでには、約1年くらいだったと思います。
記事の方でも、何回か後にはS先生も登場することになります。

> 大阪のS君

SNSでメッセージをくれた西郡先生の元お弟子さんも、同じことを言っていました。
あとS先生のお弟子さんや、最近会った昔S先生の弟子だった人、僕が知る限り二人が、一時的に東京方面で働いていたことがあり、その間は西郡先生の道場に通っていたそうですが、やはり同様のことを言っていました。
西郡先生はS先生のことをよく口にされていて、「S君の弟子」ということで優遇してもらえたとのことでした。
ただ、西郡先生が引退宣言をする少し前あたりからは、西郡先生とS先生は関係がうまくいかなくなっていたようですけどね。

Posted by hide~☆ at 2017年02月14日 19:38

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