中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

真夜中の公園での喧嘩【2】

投稿日:2012年11月8日

※この記事は『若い頃の話の続き』(2012年10月23日)以降、続き物となっています。
なるべくそちらから読んで下さい。

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最初にT先生のところを4年ちょっとで抜けてから、一つ前の記事に書いた“ボン”との喧嘩までの間、自分なりに色々考えてきたわけだが、結局のところ僕には中国拳法や古武術でどう戦えばいいのかなんて、よくわからないままだった。
中国拳法を始める前の喧嘩の経験や、始めてから考えたこと、その後の20代前半までの喧嘩話など、以前書いた通りだが、20代後半に差しかかったこの時期は、中国武術や古武術の技をどうすれば使えるようになるのか、迷路にハマり込んでしまっていた。
子供の頃から喧嘩に弱い方ではなかったが、本当に強いヤツに絶対に勝てるなんて自信は無かったし、そうでなくともワルそうなヤツのことはやっぱりコワい。
そして好戦的な者数人以上を相手に立ち回るなんて、夢のまた夢…だった。
(複数の相手をビビらせたことはあっても、それはザコばかりだっただけだ)

ボンとの喧嘩では、結局、空手の組手スタイルに、T先生のもとで習った中国拳法や古武術の身法や手技などを、自分なりに工夫して加えた戦い方をした。
と言っても、はた目には、
「空手のようだけどちょっと違うような…?」
という程度にしか映らなかっただろう。
太極拳らしい戦い方など、少なくとも表面上は皆無と言っていい。
強いて言えば金鷹拳だ。
金鷹拳は空手とよく似ているのだが、型の中にも、少なくとも僕が習った範囲の空手よりは使いでのある技が多くて、そして、やってみれば太極拳ともよく合う拳法だった。
最初は、松田隆智さんの本からの影響で「南派と北派は相容れない」という印象があり、南派拳法である金鷹拳を学ぶことには抵抗があった。
そして、ほとんどの技において、受けと攻撃が分かれている空手や少林拳(金鷹拳も南派少林拳系の拳法)と太極拳を一緒にやる意味があるのか、疑問に思っていたが、結果的には金鷹拳を通じて太極拳を理解できたところも大きい。
…しかし、
その頃に気づいたことなど実戦で使えるようなものにはほど遠い。
中国拳法を始めて以降、ある程度は体の使い方が変わったし、手技のレベルも上がったとは思っていたが、現実、相手をいなすとか崩すとかいったことは、なかなか出来ない。
だからたぶん、金鷹拳テイストを含んだ空手…のようなもの?
…だったろう。。
そして見えない部分で太極拳も身についていると思いたい、みたいな。。

ちなみに、金鷹拳は、今ではYouTubeなどでも型をずいぶん見られるようになっているのだが、僕らが習った金鷹拳とは立ち方も突き方も全然違う。
以前紹介した動画もそうだが、何だか表演っぽいものになっていて「あれれ?」な感覚を覚えてしまうのだが…。。(^_^;)

話を戻そう。。

まー何がどう合わさっていようが、今なら、自分のスタイルとして出来上がっていればいいと思うのだが、当時はそんな方向性も見出せなくて、常に何か足りない感じがつきまとい続けていた。

そんな折、ボンは技を試すのには格好の相手だったと言っていい。
なのに、結局何も出来ず終い。
試したことと言えば近距離からのノーモーションパンチくらい。
ちなみに前手(構えた前方側の手)を当てるのは、それ以前から僕は割と得意だった。
だからボンとの喧嘩でもショートパンチを何発も当てていたわけだが、但しボクシングで言うところのジャブとは違うパンチにしたくて、試行錯誤していた。
つまり、牽制だったり、突破口を開くためだったり、捨てパンチだったり、というようなパンチではなく、速くて、そして、一定以上の威力を持たせたかったのだ。
何故かと言えば、僕はサウスポーで、サウスポーだが右利き用と同じく左手を前にした構えを得意としていたからだった。
振り返ってみれば僕が子供の頃から割と喧嘩に負けなかったのは、左利きだったおかげもあっただろう。
しかし左手を前にするが故に強打を放ちにくいジレンマに陥っていた。

ついでに書くが、実は僕は完全な左利きというわけではない。
昔、母親に聞いた話では、赤ん坊のときには右利きだったが、親の不注意で右手首を骨折して、それをきっかけに左利きになってしまったそうだ。
共働きの両親が小さい僕の面倒を見切れずに田舎に預けていた3~4歳の頃には、僕は完全に左利きの子供だった。
ただ、あるとき、たぶん父の兄弟の末っ子の叔父さんだったと思うが、気づいて僕に言ったのを、何となく憶えてる。
「お前、チャンバラは右なのか?」
僕がオモチャの刀を右利きの持ち方で振り回していたからだ。
そして、野球のバットも右。
天性、右利きだった名残なのかも知れない。
けれど他は全部左で、咄嗟に動くのも左側、ボールを蹴るのも左利きだった。
それからずっと後、小学2年生のときに、義父から箸と鉛筆だけは右に直すように命じられて一部矯正。。
そんなこんなで僕は純粋な左利きとも違うわけだ。
だから、
最初からフツーに左利きの人なら、自然と左利き用の構えを取るのだろうけど、僕は右利き用の構えで左で殴るのが得意、という、ちょっといびつな感じになってしまったのだった。
(ちなみに、ブルース・リーが利き手を前にする思想を持っていたのを知ったのは、ずいぶん後になってからだ)

さて、では話の続きに入ろう。。

次にやった少林寺拳法二段の男との喧嘩も、ボンと同じくそのガラの悪い店でのこと。
ボンとの喧嘩からあまり間が無い時期のことだった。
男の呼び名だが、もちろん名前は憶えていないので、ここでは“ニッカ”としよう。
鮮明でない記憶の中でだが、何となくニッカポッカや労働者っぽい作業着をいつも着ていたような感じだったので。
印象としては、いかにも大阪南方のガラの悪いヤンキー上がり。
格好から察するに土木か建築作業の労働者で、日雇いだったのかも知れない。
歳は僕と同じくらいで、顔立ちはどこにでも居そうな、一見すると教室の隅でたむろしていそうな大人しいタイプの、印象に残らない目立たない顔のパーツなのだが、目つきが悪く、人相として、やっぱり悪い。
クスリでもやっていそうな、どこを見ているかわからない、それでいて睨むと人を射るような目。
顔をはっきりとは覚えていなくても、そんな印象だけは残っている。
背は僕より少し低かったが、体格はずっとがっしりしていたので、体重差は10kgほどはあっただろう。

ニッカは、僕と喧嘩する少し前からちょくちょく来るようになった新顔で、ママとも常連客ともあっという間に溶け込んでいたのだが、酒癖が悪く、深夜を過ぎて新聞配達のバイクが走るような頃には、割と人にカラむようになる。
(もっとも、その頃には、客は居ても1~2人なのだが…)
とにかく気分にムラがあり、機嫌がいいときと悪いときの差が激しい。
他の客を一方的に殴ったことも一度か二度、あったらしい。

あるとき僕に気さくに話しかけてきて、少林寺拳法をやっているという話もそのときに聞いたのが最初だった気がするが、ともかく機嫌良く飲んでいたのに、次に会ったときにはかなり酔っていて、まるで僕を初対面のように扱い、敵意の態度だった。
こんなおかしなヤツは小・中学校の同級生だった“K野”以来かも知れない、と思えるほどムラッ気が激しく病的なヤツ。。
(※『小男の強さ』2007年05月02日)
まー見るからにバカそうだし、親しくしたいわけでもない。
その後はあまり関わらないようにしていたのだが、ある日カラまれてキレてしまった。

その日はまだ宵の口(と言っても、その店での宵の口(笑))で、午前1時か2時頃だったような気がする。
ニッカはまだあまり酔っている風でも無かったのだが、機嫌が悪かったのだろう…。
内容は憶えていないが、僕も面倒になって何か言い返して、結局、オモテでやり合おうということになったのだった。
そしてボンのときのように、近くの公園まで行こうということになった。
すると、さっきまで息巻いていた癖に、ニッカは急に冷静になった。
そして状況を楽しむように、じゃ行こうぜ、と、遠足気分のような顔つきだ。
(強がりなのか、よほど自信があるのか…)
少林寺拳法二段だとか言うのが本当なら、後者なのだろう。。
けれどまぁ、僕も負ける気はしていなかった。
それに、他流の有段者、それも初段ではなく二段だという者の実力、そして自分がどれほどのものか、試したかった。
思い返せば、空手の道場に通っていた中学生の頃、主な指導員は25~26歳の二段の先輩2人だった。
僕はもうその歳になっているのだ。
X先生が自分の団体を立ち上げるとのことで師匠たちが全中連から抜けることになった頃、T先生からは、
「今後は(団体を大きくするために)指導者を早く育てなアカンということで、君らには後々入って来る者が三段か四段にならんと習えんようなことも教えてんねんで!」
と言われていた。
僕らは、
(シブチンのT先生が言うことだしなぁ…)
という思いもあったが、しかし武術の“理”という部分では確かに、そんじょそこらの者が知らないことを知っているという自負も持っていた。
今から思えば、
“「識っている」ということと「出来る」ということは違う”
--のだし、根拠のない自信だったと思うが、それでも、拳の速さも威力も拳法をやる前とは違うのだし、喧嘩自体あまり負けたことが無いのだから、
「こんなヤツに負けてたまるか!」
という思いが、心の中で勝っていた。

公園に向かう途中、何故かボンのときと同じように、お互い余裕かましてのそのそと歩きながら、のんびり雑談。。
途中、尿意を催して、
「おい、すまん。ちょっと小便…!」
我慢できないほどでは無かったが、相手の様子を見ようと思った。
こっちが小便している隙に乗じて何か仕掛けてくるようなヤツなら、小便まき散らしながらでも反撃してやろうと思っていた(笑)
するとニッカは、
「あ、オレも!」
と、横に並んでイチモツを取り出し、すかさず放尿。
これから喧嘩する2人が、公園の側にあったNTTの金網の柵に向かって仲良くツレションだ。

それから公園に入った。
ボンと喧嘩したときは、公園の入り口から近いブランコのあたりでやり合ったのだが、僕が立ち止まろうとするとニッカが、
「もう少し奥へ行こう」
と、そのまま歩いて行った。
実はこの公園、割と広い。
子供の頃には織田信長ゆかりの公園だと聞いていたが、園内には池もあり、遊具も豊富だった。
夏には余所の学校のヤツらと打ち上げ花火で戦争をしたこともあったが、そんなことができるくらいの広さだった。
ついでに言えば、そのとき公園脇のマンションの4階あたりに住んでいたヤクザのおっさんが窓から大声で怒鳴ってきたので、僕らは砂を盛った上に乗せたコーラビンの発射台をそのおっさんの窓に向けて打ち上げ花火を飛ばした。
さすがにこれには本気で腹を立てたらしく、ランニングシャツからモンモンはみ出させてバット片手に降りて来たので、みんな蜘蛛の子を散らしたように逃げた。
僕が通っていた学校の学区では無かったが、よく遊びに来ていた公園だった。

公園の南側半分は広々としていて、真ん中あたりに丸い山型の遊具があった。
トンネルや滑り台が付いているアレだ。
ニッカはその付近まで来ると立ち止まった。
「ここらにしようか」
店の中に居たときは飲んでいると判るくらいの顔色ではあったが、喧嘩するとなってから顔色も冷めていた。
そして「獅子は兎を狩るにも~」じゃないが、もうハナから僕をボコボコにしてやるつもりでいる。
しかしそれは僕も同じだった。

最後まで書くつもりだったが、長くなったのでここで一旦置くことにする。

(続く)

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