中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行23:二年目からの数年間【2】

投稿日:2018年7月26日

春頃からブログの更新をサボり気味になっていたのを反省しつつも、また間が空いてしまった。とにかく書くことにしよう。

前々回の投稿(5月7日分)の際に告げていた、ある人とのメールのやりとりに関する記事変更の件も、まだ済ませていない。
これは近々作業して、次回にはその経緯を書く予定だ。延び延びになったままなので一週間くらいの内には済ませたい。
……が、ちょっとまた色々と立て込んでいて、今回の記事もなかなか捗らず何日もかかってしまったので、多少はまた遅れてしまうかもしれない。

とにかく、“第二期修行”の続きを優先する。
今回は、K拳のことを中心に書く。

K拳に関するあれこれ

K拳についてのおさらい

まず書き忘れていたことを少し説明しておこう。おさらいがてらの部分も交えて。

K拳は、北派、内家拳の一種で、“中華民国”が中国本土にあった時代までは、身分の高い裕福な医家で伝えられてきた、家伝の拳法であったそうだ。
そのため伝承者は少なく、あまり知られていないとのことだ。
ちなみに「K拳」の「K」は、日本語読みした場合のイニシャルだ。

T先生から聞いた話や、あとからS先生から聞いた話などを合わせた、僕の記憶、理解で言うと、西郡先生は若い時期に、台湾から横浜の中華街に出稼ぎに来ていたK拳の先生と縁あって出会い、この拳法を習うことになったそうだ。
K拳の先生のことは便宜上、今後は“K先生”と呼ぶことにする。

西郡先生がK拳を習ったのは、西郡先生が最も羽振りが良かった時期で、かなりのお金を注ぎ込んで習ったそうだ。
それによってK先生は早い時期に台湾に帰ることができ、向こうで豪邸(?)を建てたという。
K家は、中華民国政府と共に台湾に逃れてきた中国人の中の人たちで、台湾移住後は生活が困窮していたらしい。それが西郡先生からの謝礼によって生活を立て直したというのだから、レートの差が大きかった時代とはいえ、相当な金額だったようだ。

西郡先生はご自身の拳法流儀の中ではK拳を本門としながらも、佐藤金兵衛先生との付き合いから全日本中国拳法連盟(以下、全中連)では師範代のような立場で、支部も受け持っていたので、建前上は全中連の教授内容を中心に教えてらっしゃった。
西郡先生が金兵衛先生とどういう経緯で知り合い、どういう付き合いだったのかは、僕はほとんど知らない。
また、K拳と王樹金系内家拳では、王樹金系を習われたのが先だったようなのだが、それは金兵衛先生に習われたのか、金兵衛先生や地曳さんと同時期、一緒に王樹金に習われたのか、その辺もよくわからない。

ただK拳には、“套路”と言われるような“型”は、ほとんど無かったそうで、西郡先生は、基本のような型を習うのはすっ飛ばして、代わりに太極拳の型の手直しをしてもらったという。

当時のK先生曰く、

『あなた、私に高いお金を払って、似たような型をまた一から習いたいですか? それよりは、この内家三拳の型はよく出来ていてK拳と同じところが多いですから、これを直してあげましょう』

――と、そんなふうなことをおっしゃって、「ここは、本当はこうです」というように、手直しされたそうだ。

なので、この話からすれば、王樹金系の内家拳を先に修得していたことになる。
ちなみに、K拳には套路のような型は無いとは言っても、K拳としての技はもちろんある。そういったものは僕らにも伝わっている。

まあ、そんなわけで、僕が習った正宗太極拳は、最初は、金兵衛先生やW先生が柔術・合気道の理を加味したもので、型そのものは全中連の東京本部で教授されているものと大きく変わるわけではなかったのだが、西郡先生が小出しに手を加えていたため、振り返ってみれば、細部は異なっていたと思う。
そして僕が復帰したときには、ほぼK拳式――となっていた。
特に、小架はそうだろう。
今までにも、王樹金系の内家拳を習った人と話をした際、小架の話を出すと、話が合わないことがあったが、復帰後、徐々に合点がいった。

要するに僕が習った太極拳は、ベースは正宗太極拳(九十九式)でも、西郡門下特有の太極拳なのだ。もちろん技としては共通の部分も多いので、まったく別物というわけではないが。

K拳を始めるにあたって

これは時期を戻って最初の年、K拳を始めるときの会話なのだが、T先生から、まずこのように念を押された。

『K拳をやりたいか? ついてこられなくなる可能性もあるが、それでもやりたいか?』

――と。

僕は、このときの気持ちとしては、そんなに前のめりでもなく、
「そりゃあ、そんなにすごい拳法でしたら、せっかくの機会ですし、教えてもらえるならやりたいです。僕もこんな歳からなので、体力的には自信がないですが、それでも教えてもらえるなら……」
と、やりたい前提ではあるが、やや消極的に答えた。

「わかった。まあ、Sさんからも教えてやれと言われているし、これからはK拳の鍛錬も入れて稽古しよう。ただ、もしこの鍛錬について来れなくなって途中で挫折しても、鍛錬の内容を口外せんように!」

「……わかりました」

もちろんこれは「安易に人に漏らすな」という意味であって、絶対に言うなというほどの拘束ではない。そして、指導する側になって誰かに伝えるのも、また別の話だ。

で、僕がこの時点であまり前のめりでなかったのは、前に習ったものが中途半端なところで止まったままになっていたからだった。
新しい拳法を習うより今までのものを磨きたかったし、もう少し奥まできちんと習いたかった。
最初に在籍していた頃にも、予期していなかったものとして、まず金鷹拳があった。金鷹拳は思いの外、やってみて良かったと思えたが、その後は食鶴拳や真極流など、中途半端にサワリだけやらされたものが幾つかあって、新しい武術が入ってくる度に基本の型をやらされるのがしんどくなっていた。
だから、違う拳法を出してこられても「またか……!」という程度の認識でしかなかったのだ。

けれどまあ、太極拳にもK拳が入っていると言うし、結局、内家三拳のように一緒にやるようなかたちになるのなら「まあいいや」という感じだった。
あまり期待せずにおいて、結果的に「やって良かった!」と思えればメッケモンだし、――と。

K拳と太極拳

確か、K拳の鍛錬を始めることになって最初の稽古日は、立ち方と基本の構えを説明してもらって、すぐ鍛錬に入ったのだったと思う。
そしてその後はとにかく、最初の説明以外は、しばらくはずっと、鍛錬ばかり。
その鍛錬は段階的に進んでいくのだが、K拳の技の実態はわからないままで、太極拳の中に入っていると言われてもピンとこないままだった……。

まあ、あとから思えばだが、T先生からすれば、その時点で説明できるようなことは、すでに太極拳を始めとする今までの武技の中で習っているわけだから、今さら細かく説明するまでもない、というような思いだったのだろう。
そして、太極拳の型が変更になった分を、「そこはこう」と手直しされる内容自体、同系を含め余所の太極拳には無いことで、結局そういう部分がほぼ、K拳だったのだ。

そしてまた時が流れていくうち、K拳にはどんな技があるとか、どんな稽古をするとか、そういったことを口頭で小出しに話してもらえるようになっていった。

そういった話の中で、前に、兄弟弟子の中で一番弟子だったT君と最後に会ったときに、太極拳の技として、僕が抜けている間に二つほど新しい技を習ったと言っていたのが、実はK拳の技だったということが判った。
T君のときには、まだK拳の名を出さずに太極拳の技という建前で伝えていたのかもしれない。
僕はその技名を足がかりに、復帰前や復帰して間がない頃、同系の太極拳をやっている人の何人かに、
「○○という技を知っていますか?」
などと、技名の一部を伏せながら尋ねたりしたこともあったのだが、誰も知らなくて当然だった。

K拳の弓歩

中国拳法の“弓歩”は、後ろ足を伸ばしたものと、曲げたものの二つに分かれるが、ウチは曲げる方の流儀だ。
僕が習った流派での弓歩は、さらに前足のつま先を少し内側に入れる。
これは最初、『金鷹拳の立ち方』として教わったのだが、これに合わせて、ウチでは内家三拳もこの立ち方に統一することになった。また、転身の際は踵ではなくつま先側で回る。これも当初は金鷹拳からだった。

――けれど。

もしかしたらこれも、K拳を意識したものだったのかもしれない。

金鷹拳が前述のようであることは事実だと思う。
ただ、Youtubeが普及してから、台湾の金鷹拳修行者の演武動画を幾つも見たが、つま先を入れていない場合が多い。少し内側に入れているように見える人もいたが、そう教わって入れているのか、その人の癖でそうしているのか、はっきりしないほどあやふやな入れ方だったりする。
だが昔、佐藤金兵衛先生が出した『中国少林拳法』という本の中で、先代宗家の陳炎順先生や高弟の林茂南先生が演武している写真の立ち方を見ると、つま先を内側に入れているようだ。
金鷹拳は、台湾では大勢の門弟がいる大きな流派なので、基本程度のことであっても肝心なことはあまり伝えられていないというような話を聞いたことがある。
そして実際、Youtubeにアップされている動画を見ると、僕らが習ったような金鷹拳ではなく、表演武術と変わらないような演武のものが多い。
だから、今となってはきちんと確かめられないのだが、つま先を内側に入れるのが正しいのだったと思う。

――で、何故それがK拳と繋がるかだが。

K拳の弓歩は、「弓歩」と呼ばれてはいるが、元は“丁字馬歩”から来ているそうだ。
K先生によると、同様の立ち方は大抵そうであろうということらしい。
もしかしたら後ろ足を曲げている弓歩全般がそうだと言っていたのかもしれないが、とにかく金鷹拳の立ち方がK拳と同じであれば、やはり金鷹拳の立ち方も、丁字馬歩に由来するのかもしれない。
そういったところの共通項があったので、「金鷹拳に合わせる」と言いながら、当時からうっすらとK拳を混ぜていたのかもしれない。――これは僕の勝手な推察なのだが。
まあ、でもK拳は、西郡先生が長年秘していた拳法だから、いずれみんなにK拳を教えようとしていたわけではなくて、表看板として教えていた拳法に自流を少し混ぜていたという程度のことなのだろうけれども。

K拳に思いを巡らせたこと

鍛錬を始めて数年 1

鍛錬を始めてから、ひどい筋肉痛に苛まれ続けたことは、今までにも書いた。
最初の頃の鍛錬は、人間同士で負荷をかけ合うということ以外は単純な動作の筋トレだったので、
「ジムでトレーニングする方が効率的ではないか?」
と、思ったりもした。
けれど、家で筋トレをしても、筋肉痛の度合いがまったく違っていた。
例えば、T先生との稽古は「月3回」から「なるべく毎週」になっていったが、T先生の仕事の都合で一週空いたりするとき、器具を使ってなるべく同じような負荷になるよう工夫して筋トレをしても、何だか温いのだ。
この“人間同士”というだけで、ずいぶん違うものだった。

そして、鍛錬のメニューが核心的な部分に入っていくにつれ、体の変化に気づかされていく。
S道場に通うようになって、以前“定食”と書いた、最もよくやる鍛錬がメニューの中に入ってきてからは、特に変化が著しかった。
最初の気づきとしては、力が伝わる経路が、体内で繋がるような感じが実感できるようになってくる。
よく型で表現するような、足から拳先まで順番に……というような、勁道云々の話ではなく、ただ相手に向かって手を出せば、当たる瞬間には一瞬で繋がる感じだ。言葉を変えれば、全身が一致する感じだ。
短い距離でも打ちやすくなる。
ウチには“勁”という言葉を用いた説明は無いが、もし勁道というものを言うのなら、こういう繋がりこそが本当に勁道というものではないか、と思った。

当然、打撃力も向上した。
もちろん短期間で急成長するものではないが、通常のストレートパンチのような距離での突きは、ミットで受けてもらった相手が「最初の頃とは明らかに感触が違う」と感想を漏らすくらいにはなった。
まあ、最初があまり威力が無かったからこそ、この間は成長が著しかったわけだが……。
問題はそこからで、そこからが、なかなか威力が上がらない。ましてや、S先生のようには打てないのだ。

あと、力の鍛錬をするからこそ、力の抜き方が解る部分もある。

筋肉がつくことで、体が固くなる、動きが固くなる、ということは無いが、柔軟性を保ち続けていないと、動かしていない部分から自然と固くなっていく、という面はあるだろう。
これは力も同じで、筋肉・筋力は使っていないと衰える。
また、力を入れることにばかり意識が働いていると、動きが固くなるという面もあるだろう。
そういう意味では、最初に力を抜く訓練をすることも間違いではない。
実際、太極拳を始めた頃は、とことん力を抜けと言われ、抜くことで気づかされた部分があった。生活上も、いかに余計なところに力が入っているかということに気づかされたりした。そこは他派の太極拳の人も同じだろう。

……けれど、そればかりになるのもまずい。

「力を抜くことで発揮される力」というものは、もっと適切な言葉に置き換えるなら「力の使い方を知ることで効率よく発揮される力」であって、「力を抜けば抜くほど発揮される力」では、決してないからだ。

その力を「抜く」部分も、力をつけるからこそ、力を入れたときと抜いたときの差が大きくなり、ちょっと力を入れたつもりの力でも瞬発性が増すのだ。

さらに言えば、「歳を取っても衰えない」なんていうのは、嘘だ。
歳を取っても鍛え続けているからこそ、長く元気で、若々しくいられるのだ。
“気”の作用に関しては、きちんと証明も否定もできないので何とも言えないが、それもベースとなる体を鍛えていて元気でなければ、気もへったくれもないだろう。

さて、K拳の鍛錬では、武術的な攻防動作のために必要なところを鍛えるわけだが、型の動きに合わせて鍛えるやり方もある。単に腕力をつけるというわけではない。
力はあればあるほどいいが、力任せの動きに偏るのは、それも違う。
これに関して、修得には個人差がある。「力任せ」という力の発揮の仕方に近くなってしまう人もいる。身に付いている度合いは人それぞれだ。
それでも、いずれにしても鍛錬の結果、凄い力を発揮できるならば、それはそれで、立派に“技”と言えるだろう。
ちょっと重いものを持って多少の期間エッチラオッチラ体を動かせばそういう威力が出る――というものでは、ないのだから。

“力の鍛錬”は、筋力を鍛えることには違いないのだが、その方法自体が“型”のような役割もあり、先にも述べたように内部的な繋がりを養う部分もある。
補助的な筋トレとは、意味合いがまったく違うのだった。

鍛錬を始めて数年 2

技芸には、最初に目に見えて成長できる部分を除けば、年季が物を言う部分と、頭の切り替えによって変わる部分とがある。
S先生と自分とを比べた場合、年季の部分で大きな差があるのは当然なのだが、後者の部分で、何か気づいていないところがあると、S先生の動きを観察し続けていた。
けれど、あまりわからなかった。
結果から言えば、自分で気づいた部分も少しはあったが、それだけでは至ることができず、後にS先生から直に教わることでやっとわかった。
突きのフォーム一つにしても、ほんのちょっとのやり方の違いやコツなのだが、それがなかなかわからない。
また、解ればそれで出来るというものでもなく、解っても、上手下手は当然ある。

それから、読者からすれば、僕のことを、
『力の重要性を強調しているのだから、さぞかし筋肉が発達しているのだろう』
――と想像する人もいるかもだが、実はそうでもない。
やはり始めるのが遅かったせいもあり、S先生と決別する前あたりでも、門内では力が無い方だったと思う。
自分が始めるのが遅くて、強大と言えるほどの筋力にまで達することができなかったからこそ、その大事さを語っているのだ。

もう一つ言えば、体が大きい人や、肩や背中の筋肉が発達している人でも、全身がムキムキとか、モリモリということは無かった。
“体デザイン”みたいにバランス良くカッコいい体を目指して筋トレしているわけではないから、鍛える部位が偏っていたりするし、腹が出ている人もチラホラ。だから、昔のプロレスラーみたいな体つきだったりするわけだ。
もっとも、前に書いたI内君のように体脂肪を絞っていた人は、細くて全身が締まっていたけれども。
S先生はその辺、非常にアバウトだったので、自然と門内もそういう感覚になっていて、バランス良く鍛えたかったら、自分でそうするしかなかった。

そして、繰り返しになるが、例えば突き一つを取った場合に、同じくらいの威力でも、力任せの度合いが高い体の使い方をしている人もいれば、上手な体の使い方をしている人もいる。その辺も人それぞれだ。

ここで、体を特別鍛えずに、型を通して「脱力」の訓練をしたり、フォームを磨くことで技の向上を目指す人を考えてみよう。
もちろん型もしんどいし、年月を通して少しずつ体力が向上する面はある。けれどそれだけでは、他の、比較的体力が要らないようなスポーツにも届かないのではないだろうか。
そんな体で、「ほら、力は要らないだろ」と、何か技をやってみせても、それは説明上のことであったり、お約束上のことであったりする。
だから自由な攻防となると、それがまったく使えないような事態に陥ってしまう人が多いのだ。
何を目的にやるのかとか、どのように続けていくのかとかは、人それぞれだから、それをどうこう言う気は無い。
ただ、「強くなりたい!」という思いがあるなら、一方の考え方だけでなく、疑問を感じたり、多角的に考えてみたりする感性は必要だろう。
そういう意味で僕は、このブログで書いていることが、考える材料になればと思っている次第だ。

さて、鍛錬も一年が過ぎ、二年目に入るかどうかあたりの頃だったと思うが、僕はなかなか力がついた気がしていなかった。
もちろんついてはいるのだが、T先生を始め、僕よりずっと力が強い人たちに、少しでも近づいたという実感が持てない。

一番身近な存在として、T先生を考えてみた。
T先生はプロのアスリートでもなければ職業武術家でもない。僕が見る限り、毎日自分を追い込んできついトレーニングをしている様子もなさそうだった。
で、あれば、ある程度の筋力がついたら、そこからはなかなか強くなれないはずだ。
体つきだって再会してから特に変わったふうでもないのだから、少しは差が縮まっていても良さそうなものだろう。
(もしかしたらコツがあるのかも。総力を上手く使えない分、差が縮まった感覚が得られないとか……?)
そんなことをあれこれ考えながら、やっていた。

K拳の出自に関して

これは鍛錬を初めて間が無い頃から思っていたことなのだが、
『K拳とは、本当に実在する拳法なのか?』
――ということを、実は疑っていた。

まず最初、基本の説明があまりにも少なすぎて、実体が掴みにくかったことも理由の一つだったが、裕福な医家に伝わってきた家伝の拳法で、常に拳法家の食客が何人かいて、他派とも技術的に深い交流があり、時にはそれらを取り入れて進化してきた――という話が、あまりにも出来過ぎていると思った。
そして、それにしては、ずいぶんと簡素だ。
K拳としての特色がなかなか見えなかったのである。

もちろん、ごてごてと套路を増やせばいいというものではないと思う。
例えば形意拳は、最初は五行拳しかなく、それも元は三拳だったと言われている。
松田隆智さんだって、少ない技を磨くのがいいというようなことを昔の本で書いていて、その考えからか、漫画『拳児』の中では、拳児のおじいちゃんが、拳児の友人の太一に形意拳の崩拳だけを教えている。
もっとも、この型だけを教えて、後に太一がその技で窮地を切り抜けたりするのは、あまりにもありがちでかつ嘘臭くて、これも嫌いなエピソードの一つなのだけれど、それはまあともかくとして。
僕は形意拳は、五行拳だけで充分だとは思っている。
但しそれは、意味や使い方をきちんと学んで、一定以上の威力を出せるようになって、組手などで試して、五行拳を駆使して戦うことを身につければだ。
一つの技で、相手がどんなふうに来ようともそれだけで対処する、という考え方もあるけれど、それは初心者に教えてもハードルが高すぎるだろう。
まして、型一つ教えて、それだけを反復して続けていればできるようになるなんてものじゃない。
『拳児』のエピソードの場合、「漫画だから」という反論もあろうが、かの松田隆智さんなのだから、もうちょっと何か捻りがあっても良さそうなものだったと思う。

――K拳に戻るが。

K拳が仮に、古の形意拳のように、シンプルさを良しとしているにしても、最初に習った基本や構えと、鍛錬の中にある“型”があまり繋がらない気がして、また、太極拳の中に含まれるという部分も解らなくて、それが疑問の元になっていた。
あとになって思えば、例えば正宗太極拳を習った人が、形意拳や八卦掌がこの太極拳のどこに、どのように入っているのかがわからない、という感覚に似ていたかもしれない。

それから、K拳が北派・内家拳というより、南派拳法や沖縄空手のような印象があったことにも、疑問を感じていた。
昔、王樹金の内家拳は日本ではマイナーで、武術雑誌では松田隆智さんが紹介する拳法がもてはやされていたが、西郡先生はそういうものにはほとんど見向きもせず、金鷹拳や食鶴拳などの南派拳法を導入しようとしていた。
これは僕の勝手なイメージなのだが、そのことからも、K拳が北派・内家拳ということがにわかには信じられず、
『もしかしたら西郡先生の創作では?』
――とさえ、思った。

T先生にも、それを話したことがある。後にはS先生にも。
もしやK拳は西郡先生が創ったのでは!? ――と。
これには、二人とも即座に否定。
そんなことは考えたこともない、という反応だった。
それに、一人の工夫で創作できるほどK拳は浅くはない、と。

誤解の無いように言っておくが、疑っていたと言っても、僕はK拳を「武術として偽物だろう」というような疑惑の目で見ていたわけではない。
単純に出自や成り立ちに興味があっただけで、西郡先生の創作だったとしても全然構わなかったし、何にせよ、この先も続けて習いたかった。
鍛錬が進むほどに、単純だけどよく考えられている、と、感心することしきりだったし、体が変わっていく実感もあって、早くこの先のことが知りたかった。
……ただ、もし嘘があるなら、それは明かして欲しいという思いだったのだが、しかしこのことは僕の勝手な想像でしかないのだし、師匠や流派を信じておくしかない。

ちなみに、一人で創作できるかどうかについては、当然、ゼロからであれば無理だろう。けれど、幾つもの日中武術流派に精通している西郡先生なら、その中から自分が必要と思える部分を寄せ集めて作ることは可能だろう。
僕としては、むしろそれで、日本流の拳法流派を作ってくれた方が良かった気がしているくらいだった。

西郡先生のこと

僕が西郡先生について知っていることは少ない。
若い頃に兄弟弟子たちが関東まで稽古に行った際、僕は行きそびれてしまったので、お顔さえ知らないくらいだ。写真を見せてもらったことも無い。

これは二年目の頃だったと思うが、ある日の稽古帰り、T先生との会話で西郡先生の話が出た。僕はそのとき、西郡先生が最初はどの武術をやっていた人なのかを尋ねた。
そのときT先生が答えた内容は、西郡先生は国士舘大学出身で、大学時代に空手部だったとのことだった。
また、ここからはうろ覚えで、情報の全部がT先生からかどうかはっきりしないが、その後、社会人になってから古武術に興味を持ち、あちこちを訪ねて、王樹金の頃には中国拳法にも興味を持って、習うようになった、ということだったらしい。
確か金兵衛先生とは、柔術の関係で知り合ったとかだったような……。
その金兵衛先生のところを離れて独立する際には、柳生心眼流の代わりに看板に出来る古武術が無いかと探していて、真極流に行き着いたらしい。
西郡先生としては、心眼流のように突き蹴りがあるような武術が好みで、そういう流派を探していたとのことだった。

――と、大体こんな感じだったのだが、しかし後に、S先生と話していて驚くことになる。

S先生とマンツーマンで稽古するようになってから、T先生から聞いた西郡先生の話をしたら、「国士舘」と「空手」に関して、
「そんな話はオレは知らんぞ。ホンマにTがそう言うとったんか?」
と、不快そうに返してきたのだ。
僕は面食らった思いで、こっちこそ「ええーっ!?」って感じだった。
「本当にT先生がそう言っていましたよ。どういうことでしょう? T先生、何か勘違いをしていたんでしょうかね?」
「知らん。お前の師匠やろう」
「いや、今は僕の師匠でもないですけどね……」
西郡先生の空手の経験に関しても、S先生は確か、「わからないが、たぶんやっていない」とのことだった。

なので、いつから、何を最初にやったのかは、不明なままだった。
関東の、西郡先生の古いお弟子さんなら、そういう話も聞いているかもしれないのだが。

ところで、西郡先生は気難しい人で、独立後にたくさんの門弟を一気に切ったそうだが、たぶんそれと同じ頃、S先生も切られそうになったことがあったという。
時期的には僕がまだ最初に在籍していた頃で、力の鍛錬を始める前のことだ。
もっともS先生の場合、西郡先生を怒らせたとか、機嫌を損ねたとか、そういうことではなかったと思うが、
『あんたにはオレの知ってることは大体もう教えたから、そろそろ来るのをやめてもいいんじゃないか』
――みたいなことを、言われたそうだ。
そのときS先生は驚いて、
「いえいえ、これからもまだまだ先生に習いたいです!」
と食い下がったのだという。
結果、弟子で居続けることを許されて、それからはさらに謝礼を増やして通うことになったそうだ。そして、
「じゃあ、これから本当のことを教えてやるよ」
と、力の鍛錬が始まったのだった。

僕らは最初、面食らってしまった力の鍛錬だが、S先生はその鍛錬を知ったとき、すぐさま感動したそうだ。
それまで、何かが足りない感じがしていたのが、これでようやく本当の稽古に入っていける、本当のことが習える! ――と。

僕はその鍛錬をサワリだけやったところで一旦抜けてしまったので、長い間それが気になっていたわけだが、戻ってきて、この鍛錬がK拳の稽古だと判り、続けていくうち、やはりS先生と同じ感想に至った。
こういう鍛錬こそが古式の本当の鍛錬なのだと。
昔は、特に中国は文盲の人が多かったわけだし、教養を身につけている人などほんの一握りだったのだから、そんなに高級な理屈があったはずがない。
身分が高い者や教養のある者の間に伝えられた武術が、気、陰陽、五行、八卦などといった東洋思想を当てはめたわけだが、そんなものは後付けの理論でしかないだろう。……と、僕は思っている。

あと、西郡先生は、K拳の第何代伝人となっているのだが、医術、占術、呪術、果ては房中術まで、幅広く習ったとはいえ、基本をすっ飛ばしていたり、全部じゃなかったりするので、そういうところはどう折り合いをつけて伝人となったのだろうか。やはりお金だろうか……。
まあ、まともに一年も習ったかどうかで伝人を名乗ることを金で買う人も珍しくないので、そういうのとはまったく違うとは思うが……。
注ぎ込んだ金額も全然違うだろうし。
ちなみにK拳の伝人については、S先生も西郡先生からそれを許されている。

あと、真極流については、熊蔵先生が亡くなられたので、どこまで教授されて、どこまで許されたのか、これもはっきりとは、僕はわからない。

このあとのK拳

鍛錬の深化と心法

そしてまたあるとき。これも二年目あたり、T先生との会話。

「先生、K拳の鍛錬はこのあともまだ色々種類があるんですか?」
「うん、まだまだ色々あるで。これからは、進むほどにピンポイントで痛くなってくるから、覚悟しときや」
「ピンポイントで痛いんですか? 今でも結構……きついというか、痛いですけどね……」
「それとはまた違う痛さやな。一点がめちゃくちゃ痛くて、筋がちぎれそうになるような痛みや」
「へえ……」
「あと、二人でやる以外に、三人でやるようなものもある」
「なるほど。鍛錬だけでも奥が深そうですね」

それから、僕は少し優遇してもらっていて、鍛錬に関しては、一年目はこれ、二年目はこれ、というようなメニューがあるのだが、そういったものは短期間で流して、S道場にお邪魔する頃から例の“定食”に入らせてもらっていた。
まあ、昔、何年か習っていたからということを考慮してもらえていたのだろうけど、本来なら定食は三年目からで、確かK原君はそうだったと思う。

「それからな、これは僕もまだ途中なんやが、“心法”というのがあるんや」
「心法? 日本武術で言うのと同じ意味の心法ですか?」
「いや違う。これはK拳の“気”の法なんや」
「というと?」
「まあ、今は詳しくは言えん。それに僕もまだ途中やしな」
「先生でも途中なんですか?」
「僕も一時抜けていた時期があったからな」

T先生は仕事や家庭の事情で、一時はS先生のところに行かなくなっていた時期があって、その間にS先生の古株のお弟子さんたちは最後まで進んだらしい。
T先生は確か、戻ってきてからこの心法に入ったのだったと思う。
そして心法は、月に一度、少しずつ教授されて、何年もかかって伝えられるのだという。

「どれくらいかかるんですか?」
「さあ。たぶん五年くらいとちゃうかな。僕は今、三年くらいや」

……となると、僕はいつからそれを伝えてもらえるんだろう? と、またちょっと気の遠くなる思いがした。

「その心法とは、どういうものなんです? 何かアウトライン的なことでも、言える範囲のことがあれば、教えてくださいよ」
「う~ん、そうやな……。僕はまだ途中なんやけどな、まあ、気の鍛錬みたいなこともやるな。んで、これはこれで体が変わってくる感じがする」

その後、実際には、T先生の心法が終わってしばらくした段階で、T先生は僕に伝え始めてくれた。
けれど途中でT先生と決別したため、頓挫してしまい、その後、S先生から伝えてもらうことができたわけだけれども。

この心法は、もう少し言えば、気の鍛錬や呼吸法なども含まれる。
これだけでも、もしS門下に在籍していれば怒られてしまうようなことを書いてしまっていると思うので、さすがにここまでとしておく。

振り棒鍛錬

当流にとって大事な鍛錬の一つに、振り棒鍛錬がある。
これは真極流からだと思うが、K拳にとっても良い鍛錬だということで、S門下では盛んに行われていた。
振り棒と言っても、素振り用の木刀などではなく、ステンレス棒を振る。
皆、持っているのは5キロ以上の棒だ。

S道場に行き始めてしばらくした頃、S先生が、
「おい、ステンレス棒、持ってんのか?」
と、僕に尋ねた。
実はすでに、ネットで売られている、ダンベルの長い版みたいな棒を買ってあった。これは5キロのもので、今も使っている。Youtubeにアップした稽古風景の動画の中で、上げ下げしているのがこれだ。
「あ、はい。ダンベル棒みたいなのを」
「何キロや?」
「5キロです」
「もうちょっと重いの、欲しないか?」
「そうですねぇ。今は5キロのでもいっぱいいっぱいですけど、後々はあった方がいいんでしょうかねぇ……」
「ほなら、I内に頼め。あいつ用意してくれるから!」
「あ、はい。ありがとうございます」

そんな会話のあと、I内君に頼んで、ステンレス棒を用意してもらった。
知り合いにステンレス棒を切ってくれる人が居るのだったかな。詳しくは聞いていないのだけど、とにかく安くしてくれた。
あまりにも安過ぎたので、もう少し取ってくださいと言って、それでも払ったのは数千円程度だった気がする。

I内君にステンレス棒を頼む前だったか、頼んだ直後だったか、そのことをT先生に話したら、
「手間をかけさせるわけやから、きちんとお礼を言って、ちゃんとお金を払いや」
と念を押された。
さすがに、そんな子供に言い含めるようなことを言わなくても、それくらい心得てるよ、と、心の中で思った。
T先生は、最初の頃は特に、何かにつけこういう念押しが多かった。
言っておかないと僕が何か粗相をするかもしれないと心配しているふうだった。

で、予め何キロの棒が欲しいかと聞かれて、よくわからなかったのでI内君に、とりあえず最初、何キロのものがいいかと聞いたら、8キロくらいのにしておいたらどうかと言われて、そうしたのだったように思う。
ただ、この8キロの棒は、振り棒として振るには、今でも結構重い。
5キロの方は振れるのに、3キロ違うだけで全然違う。棒が長めであることも重く感じる要因なのだろうけれど。

あと、道場にはぶっといステンレス棒も置いてあった。
はっきりと憶えていないが、直径が10センチか、それ以上あったんじゃないだろうか。
当然、握れるほどには指が回り込まないので、木刀のような持ち方はできない。重さだってたぶん30キロ以上はあったろう。
「これ、一体どうやって振るんですか?」
と訊いたら、
「抱えるんや!」
と、S先生。すぐにその場でやって見せてくれた。
両手で胸のあたりで抱え込むように持って、それで振る。
僕は最初、抱えるまでが精一杯で、そこから振ることはできなかった。振ると落としてしまいそうだった。

“気”というもの

“気”の概念は、ウチにもある。ただ、K拳と真極流では、少し違う部分、合わさっている部分もある。
道場には木刀や武器の類がごそっと、それらの収納用にしていたゴミバケツか何かに立ててあったが、ある日、それを見ながらふと、
(そうだ、木刀を買おう……)
と考えていた。
重いものを振るばかりでなく、普通の木刀も振っておかねば、と。
すると、僕が木刀を眺めていたその様子を見たS先生が、こっちに来て、一本の木刀を抜くと、
「おい、これ、ここでは勝手に使ってええからな」
と言ってくれた。
しかも、ちょうど僕が眺めていて、買おうと思案していた、一刀流の木刀だった。柄尻に印が入っていて、兼用のものにしているらしい。

「ただな、木刀を持ってきてないときはコレ使ったらええけど、あとで自分のを買って、普段はそれを使えよ。得物には気が宿るからな、自分だけのものにして手に馴染ませておくんや。他人に使わせたらアカンぞ」

これは、別に武術をやっている人でなくても、例えば料理人や大工など、自分の道具を人に触らせなかったりするのと同じだ。
それが解る人は、気に敏感な人だ。

また、中国拳法では、気で打つ、気を吸う、などがある。
これはずっと前に書いた記事で、T宮という昔の友人が僕の気を吸おうとして失敗したように、必ずできるというものではないため、あまりこういうことに傾倒しない方がいいが、ただ自らの内部的には、気の概念や運用を知っておいた方がいい部分もあるだろう。
――ただ、K拳にはそういうことのやり方が伝えられているのだが、けれどK先生は昔、
「気などというものを売り物にしてはいけません」
と、おっしゃっていたという。
これは、気で、動けなくなったり、飛ばされたりするようなデモンストレーションをすることを否定して戒めてらっしゃったとのことで、直接的に人を打ち負かす技術とは関係ない、気を売り物にする行為を蔑視してらっしゃったようだ。

まとめ

かなり長くなってしまったが、今回はK拳スペシャルということで。

K拳の出自を疑っていた話などは、普通は書かないだろうが、僕の修行の雰囲気やK拳のアウトラインを想像してもらおうと、その間の悩み、そのとき思っていたことを、あえて隠さず書いている。
今までもそうだが、僕は大体、マイナス面も正直に書いてきているはずだ。
その辺の機微を感じ取ってもらえるか、意を汲んでこちらの言わんとすることを正しく読み解いてもらえるか、――そういった部分が、このブログから何かを得たり、あるいは楽しみながら読んでもらえるかの境目になると思う。

改めて言うが、実は僕は、この世界の住人があまり好きではない。
武術オタクというより、おかしな新興宗教の信者みたいな人が、非常に多い印象を受けるからだ。また、オカルトを真剣に信じて語る人と変わらないようなメンタルの持ち主も多いと思う。
もちろん僕は、新興宗教にしてもオカルトにしても、全否定するわけではない。
けれど、一般的な感覚や否定する意見などは無視して、ただただ盲信している人とは、まともな話にならない場合が多い。
中国武術や古武術の、何割かの人のメンタルは、それと似ている。
そんな人の割合がどれくらいなのかはわからないが、とにかく僕としては、それとは違う、話の通じる人のために、このブログを書いている。

そして、最初に書き始めてから十年以上も経ってしまった責任感から、たぶんそんなに多くはないであろう、まともな読者のために、最後まで書こうとしている。

できれば、反対の意見・立場の人であっても、こちらの考えくらいは、きちんと伝わる人にだけ読みに来てもらいたいものなのだが……。

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