中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

あくなき探求

投稿日:2007年6月18日

中国武術に興味を持ち松田隆智さんの本を読み漁っていた頃から、根本的かつ素朴な疑問があった。
それは松田さんが、何故あんなにもたくさんの武術各派を訪ね歩いたのかということだった。
もちろん研究家としての知的好奇心もあっただろう。
しかし、漫画『拳児』の元にもなった『謎の拳法を求めて』やその他の著書からも、松田さんが少年時代から強さに憧れ、その憧れから優れた武術を探し求めていたことは充分に伝わった。
松田さんが紹介する武術は、日本の古武術も含めてどれも凄いと思った。
しかし、それまで学んだものや訪ね歩いた武術には、納得できるものが無かったのだろうか?
さらにさらに他を追い求めて行き、少なくとも松田さんからすれば、中国武術の方が日本古武術より上だったのだろうか?
そしてその中でも、お気に入りである八極拳が最上ということだったのだろうか?

…まぁ、中国武術や八極拳については、ご自分に合うと思ったのが最終的にそれだったのかも知れない。

今となっては“3年かかって良師を探せ”なんて言葉もあったものの、
「ずいぶんかかったものだなぁ」
という感も拭えない。
そしておそらく、松田さんから影響を受けた世代なら、
「太極拳なら陳家、できれば八極拳を習いたい」
と思った人が多かったのではなだろうか。
かく言う僕も最初はそうだったし、また、このようなことから当時は中国武術至上主義的な思いが芽生えた。

後々の思いで言えば、少なくとも僕の経験上(僕が学んだものの上で)、中国武術と日本武術は甲乙つけ難いと思う。
細かい比較は置いて、根本的な理合いはそれほど変わらないという気がする。

松田さんの著書『秘伝・日本柔術』(1978年・昭和53年)では、大東流合気柔術、諸賞流、竹内流、柳生心眼流などが紹介されていた。
中でも特に大東流は、まさに神秘の武術というように描かれていて、武田惣角の逸話などは中国武術への興味もぶっ飛ぶほど凄いという印象だった。
しかしそれでも、
松田さんが中国武術に行き着いたということは、きっとそっちの方がもっと凄いんだろうと思った。
どこがどう違って、どう凄いのかということも含めて、知りたかった。
とにかく本物の中国武術というものに触れたかった。

当時、故・佐藤金兵衛先生が主催していた全日本中国拳法連盟(http://www.jujutsu.com/jujutsu/index.html)では、太極拳、形意拳、八卦掌の他にも、少林拳(南派少林金鷹拳)、柳生心眼流、大和道などの武術を教えていた。
ウチの先生方もそれらを学んで、また、僕らも教えていただいた。
(※現在は、HPに少林拳(査拳)、大東流、浅山一伝流なども書かれてあるが、当時からそれらも教えていたのかどうかはわからない)

金兵衛先生には、僕は直接お会いしたことが無いのだが、元々家伝の柔術があって、その後幾つもの古流各派を学んだそうだ。
そして王樹金老師と出会って、中国武術もかなり熱心に修行されたらしい。
ちなみに、家伝の武術に各派を加味して創始したのが大和道だそうだ。

金兵衛先生に対する評価は色々と分かれるようだが、少なくとも僕が師匠筋から聞かされたことのある話では、若い頃にはとても強かったらしく、柔術の腕前も大したものだったそうだ。
前に書いたW先生(※2007/05/29『W先生との出会い』参照)は、確か僕の記憶では、植芝門下では金兵衛先生と兄弟弟子の間柄で、後に太極拳を金兵衛先生に学んだとのことだっので、やはりW先生も金兵衛先生のことは認めてらっしゃったのではないだろうか。

ただ、この項の主題に戻るが、金兵衛先生に対しても、
「何故あんなにたくさんの流派を学んだのだろう!?」
…と、疑問に思った。
日本の古武術だけでも名のある流派を幾つも学び、大和道と心眼流は宗家である。
また、王樹金老師の技に魅了されて内家三拳を学び、その後にも金鷹拳や他派の八卦掌を学んでいる。
もし、中国武術にしても日本武術にしても、優れた流派が真の部分は大同小異であるならば、そう幾つも学ぶ必要は無いと思える。
それでも訪ね歩いたり、学ぼうとするのは何故なのか…。

まぁ、金兵衛先生も、松田さん同様、武術研究家としての側面もあり、優れた武術を保存して人に伝えようという気持ちもあったのかも知れない。

また、そもそも中国武術では、他派を併習することが多いようだ。
例えば陳伴嶺・王樹金系の伝でも、太極拳、形意拳、八卦掌を統合して編纂した太極拳であるにも関わらず、やはり形意拳や八卦掌も学ぶ。
それ以前にこの三派は、お互いに共通の理合いがあり不足を補うところがあるとのことで、いつからか併習することが多かったようだ。
他派でも「〇〇拳と△△拳は相性がいい」とか「補い合う」とかで併習する例は幾つもあるようだ。
しかしそれなら、正宗太極拳のように統合するとか、他派を参考に取り入れた技を型の中に入れるとかする方が合理的なのに、何故か別々のものとして伝え、たくさんの型を学ばなければならなくなっている。
こういったところ、何だか事情がややこしい。
良くも悪くも、考えられることは幾つかあるが、これについてはまた別の機会に書くことにする。

主題に戻るが、ウチの先生方が後に師事したとある先生も、幾つもの武術に精通している方だった。
世間的には無名だが、有名・著名な人も学びに来ていたそうだ。
その先生も、やはり幾つもの武術・流派を訪ね歩いている。

結局思うに。

松田さんも、金兵衛先生も、ウチの先生方が師事した先生も、また同様に幾つもの流派を訪ね歩いたり研究したりする人は、ある程度精通したとしても、それでもまだ何か足りないものを求めているからではないのだろうか…?
優れた武術は根幹の部分が大同小異でも、それでも何か、まだ知らない、あるいは気づかない、奥の手や秘伝があるのではないか?…というように。。
…まぁ。。
言ってしまえば当然のことのようだが、ここには考えるべき点がある。
結局どの武術を学んでも100%ということはあり得ないということだ。
「こうすれば絶対に勝てる」
という真理は、フツーに妥当に考えて、あり得ない。
それに、素手による戦いの優劣など今の時代ではあまり役に立たない。
イザというとき、最後の最後にハダカの自分の五体だけが頼りだという場面に遭遇したとき、もしかしたら役に立つかも知れないというだけの話で、そんなことは一生無いかも知れない。
現代空手、特にフルコン系では、
「空手に秘伝無し!」
と言って、型を捨て、ひたすら基本的な突き・蹴り、裁きやコンビネーションを練習し、ウエイトトレーニングに精を出すと聞く。
伝統派や古流、中国武術の立場からはそれを否定的に見る向きが多いが、そのようにシンプル化した現代空手は、それだけで相当強いこともまた事実だ。
どのような方法で強くなるかは、武術や流派によって色々な考え方があり、また学ぶ方も人それぞれだが、ただ、少なくとも初心者や途上の人は、そういう現実も踏まえておかなければ幻想に陥ってしまいかねないという気がする。

…で。。
武術というものが多少わかった気になって、ある時期に僕が至った考えはこうだ。

少なくとも僕にとって武術は、好きな世界で、生きるために必要だと思っている一つの術だが、各派を訪ね歩く先生方のようなパワーは、気力、時間、金銭面なども含めて僕には無いし、それどころかブランクがあったり、技量も中途半端だ。
そんな僕が、同じようなことを真似しようと思っても、できない。
またそんな僕が、「奥」や「秘伝」を学び、伝承者の一人として名を連ねるような資格があるとも思えない。
まぁ、「空手に秘伝無し!」というほど達観し、またそこまで単純に考えることには抵抗もある。
中国武術や古武術を学んでいると目からウロコなことも多々あるし、そういったことも味わいつつ、カラダもちゃんと鍛えて、納得できる技術に触れていければ幸運だと思っている。
あくなき探求の世界は、僕は僕なりに手の届く範囲で考えている。
また、そんなことをあれこれ想像するのは楽しいものだ。
決して妄想の世界でなく。。

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