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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

空手 Part 1

投稿日:2007年1月31日

僕の父は空手をやっていたそうだ。
小さい頃そう聞かされていて、物心ついた頃には武道に興味を持っていた。
また、僕はドラマ『柔道一直線』に夢中だったが、主人公が空手使いに苦戦するエピソードがあり、父親からの影響やひいき目もあって、
「きっと空手の方が強い」
と思ったりした。
父が本当に空手をやっていたのか、またどの程度の腕前だったのかは、はっきりとは判らない。
7歳のときに両親が離婚して、僕は母親に付いていったからだ。
周囲の大人からは、
「お前の親父は空手をやっていて乱暴者でしょっちゅう喧嘩していた」
とよく聞かされた。
後の話だが、成人してから、奇妙な偶然が重なって父親と再会することになり、何度か会った中で武道の話もした。
その限りで言えば、確かに空手をやっていたようだったが、それほど深くやったようには見えなかった。
幾らかは詳しかったこと、衰えたとはいえ若い頃には筋骨が発達していたと思えるような体つきだったこと、などから察すれば、もしかしたら数年くらいは真剣にやった時期があったのかも知れない。
ともかく小さい頃は、この父の影響で、僕もずいぶんと喧嘩っ早かった。

父親から空手の手ほどきを受けた記憶と言えば、拳の握り方と突き方くらいで、それ以外を教わったことは無かった。
あとは、喧嘩に負けて帰ると夜中に公園に連れ出されて特訓を受けたり…というのがあったが、それは特に空手の練習というようなものでは無かった。

母親は田舎のお嬢さんで、父親は貧乏育ちの悪ガキで、どういう経緯なのか未だに知らないが、2人で東京で共働きをしていて、僕は3~4歳頃から鍵っ子だった。
しかし留守番をしている間に、アパートの階段から転げ落ちたり、おやつを買いに行って交通事故に遭ったり、何度か大怪我をして、田舎に預けられるようになった。
そして5~6歳頃に親元に戻った。
その頃には、両親は東京から京都に流れて来ていて、ほどなく大阪に移った。
そんな風に環境がコロコロ変わっていたから、僕は行く先々でよそ者扱いを受け、同年代のガキ共からちょっかいをかけられた。
いじめられっ子になるか、向かっていくか、どっちかしかない。
僕は向かっていく方だった。
それに、何人かに追いかけられて家に逃げ帰ろうものなら、その夜、親父の特訓を受けることになる。
当然、親父の方が怖いから、翌日、意地悪をしてきたヤツらに仕返しに行く方がマシだった。

子供の頃、僕がどれほど悪ガキだったかということは、書けばキリがない。

親が離婚して、僕は母親に付いて行ったのだが、誤算があった。
僕は、厳しいながらも父親に懐いていたのに、離婚前の数ヶ月、夫婦喧嘩をしては泣いている母親を見て、子供心に、
「自分が付いていてやらなければ…」
というような気持ちになった。
それで付いて来てみれば、知らないおじさんが居て、
「今日からお父さんと呼びなさい」
の世界だった。。
僕はこの…つまりは義父と、うまくいかなくて、ずいぶん軋轢があった。
しかも、義父の実家があり、引っ越してきて住んだのは、全国的にも知れてるほど悪名高い土地。
たぶん、10歳頃までは、ほとんど毎日と言っていいほど喧嘩ばかりしていたと思う。

そんな中で、自分の心のよりどころは、
「あの恐ろしい親父から空手を習った。だからオレは強い」
ということだった。
もちろん、前述のように、まともな手ほどきを受けたわけではないのだけど、まぁ、子供同士の間で、
「オレは空手やってたんやぞ!」
というようなハッタリもあった。
当時は、空手をやっている子供なんてめずらしかったし…。
それに、田舎に預けられていたおかげか、都会の子に比べて足腰が強かった。
成長するにつれどんどんフツーの人になっていったが(笑)、子供の頃の僕はかなり強く、その地区では結構有名な悪ガキだった。

そんな頃、TVでアニメ版の『空手バカ一代』が始まった。
毎回夢中で見た。『柔道一直線』『タイガーマスク』以来の興奮だった。
それからしばらくして、原作本があることを知って、貸本屋で借りて読みふけった。
「やっぱり空手や!一撃必殺や!」
僕の中で空手への憧れが膨らんでいった。

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