中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

若い頃の話の続き

投稿日:2012年10月23日

書く書くと言っていながらなかなか書かないままでいた昔の話の続き、いい加減書き始めることにしよう。。

過去記事をあまり読んでいない人のために一応説明しておくと、僕が若い頃、まだ太極拳を始めとする中国拳法や古武術の技の使い方をあれこれ模索していた時代、色々考えていたことや、喧嘩の経験から学んだこと、などの話だ。
このブログを始めた当初からそういったエピソードを幾つか書いて来たのだが、途中で止まったままになっていた。
これからまた何回かに分けて書く。
期間が空いていることもあり、過去記事と重複することも交えて書くと思うが、お付き合い願いたい。

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20代前半のある頃、まだ僕がT先生の元を一端去る前、ウチの流派では“力の鍛錬”を始めていた。
当時、
「これからやることは太極拳の“奥”になる」
と言われて、僕らは、
「???」
…だった。
まぁ、ウチの太極拳はX先生が学んだ他の拳法や古武術が加味されているので、あとになってみればそれはあながち間違いでも無いのだが、少なくとも王樹金から伝えられた範囲の中に含まれていたものかといえば、違うだろう…。
だから日本に伝わっている王樹金系の団体や流派で、これと同じような鍛錬をするところは、X先生の影響を受けている以外で、他には無いと思う。
もちろん何らかの補助的な筋トレをするというくらいはあるだろうが、そういうのは含まない。
で、前にも書いたが。
兄弟弟子のK阪さんは、ちょっと不愉快そうだった。
今まで散々「太極拳は力が要らない」だの「力をとことん抜け」だの言われてきたわけだ。
僕らが中国拳法や太極拳に興味を持ったのは、力に“技”で対抗する術があると思ったからで、結局、力に力で対抗するのだったら、今までやって来たことは何だったんだろう?…ということになる。
いや、ある程度は力も必要ということくらい、僕らだって判っていたが、それ以上に力の鍛錬を行うということなら、何故最初からそう説明して、やらせてもらえなかったのか、それが納得いかないではないか。
今ならそれなりの答えを持っているのだが、このときはただただ困惑してしまうのみだった。
…ただまぁ、僕は上に対する不服はK阪さんほどではなく、この世界の秘密主義や、先生たちが僕らより先にこういった鍛錬に入ったときの困惑なども想像して、何となく受け入れてはいた。
K阪さんも、独自に筋トレを行っていた人なので、筋道として納得がいかないところはあったにせよ、武術としては「結局それが真っ当なのだ」とは思っただろう。
なので、
「hideくん、こういう稽古になったらやめたなるんちゃう?」
などと僕をからかいつつ、この鍛錬にも励んでいた。
しかし当時はまだサワリ程度。
僕らがこの頃にやっていた鍛錬の種類など、初歩の初歩だ。
だから、何となく受け入れてはいたものの、これがどう技に関わるのかは解らず、ただ言われるままにやっているだけだった。
そして僕は家庭内のごたごたとアルバイトの忙しさで道場をチラホラと休むようになり、結果として、一旦止めるという選択をした。

僕の師匠であったT先生のことは、今では決別してしまったものの、当時はまだ尊敬して慕っていた。
ウチでやっている武術の技も、
「これがちゃんとできるようになればスゴイはずだ」
と思っていた。
しかし、その頃の自分の力量で、同等のキャリアの空手や他の格闘技の人より優位に立てる自信など到底持てなかった。
つまり、そのためにはまだ何かが足りないと思っていたのだ。
もしかしたらもう少し続けていれば何かが見つけられたかも知れない、という思いが、未練となって続いた。
だから。
家庭内のごたごたから家を飛び出して、せっかく貯めた自費で入った専門学校も中退して、だらだらと続けていた水商売をやめたとき、T先生のところに復帰したいと思い立った。
最初は手紙を書こうかとか、あれこれ考えたり、迷ったりした。
結果的には直接電話したのだが、それまでにもなかなか行動に移せず迷った。

電話に出たT先生は、穏やかな優しい口調で淡々と話に応じた。
僕は、また教えて欲しいと願い出た。
「今は僕も就職して働いているので、前みたいに支部道場という体裁やないんやけど、習いに来てる子は一応居るし、hideくんが戻ってきてくれるなら僕も嬉しいワ」
僕はその言葉に感激した。
でも、兄弟弟子たちはどうしたんだろう?
「みんなも居るんですよね?」
そして尋ねると、兄弟弟子たちはやめてしまったのだと言う。
あんなに熱心だった3人がみんな居なくなっているなんて、あまりにも意外だった。
「みんなそれぞれの道を歩んでいったよ」
と、そんな言い方だった。
まるで一区切りついて卒業していったように。

それからさらにT先生から聞いた話では、たぶん、僕の記憶の限りでだが…。
K阪さんは自分なりの武道観を持つに至って、K池くんはそれについて行ったかたち。
一番弟子だったTくんは、その後もしばらくは居たが、T先生が就職活動などで忙しくなった時期にS先生に預かってもらっていて、その間にやめたのだという。
何でもTくんは、知り合いの伝手でボクシングのジムを訪ねて行き、そこでスパーリングをさせてもらったところ、自分なりの手応えを感じることができたのだそうだ。
それで自信をつけて、納得できるところまでいった感触を得てやめたのだろう、というのが、当時のT先生の言だった。

僕としてはどうも釈然としない…。

僕が抜けたあと、K阪さんとK池くんが居たのは1年半ほど、Tくんは2年ほどだったらしい。
その間にそこまでのことを習えたのだろうか?

T先生のお家は、家業を廃業して、跡地にマンションを建てて、その屋上に自宅を設け、大家として住んでいた。
高級マンションというような造りでは無くありふれた建物だったが、いわゆるペントハウス。
家業は、実は銭湯を営んでらっしゃったのだが、一転、家賃収入で優雅な暮らし。
…のように、少なくとも僕には思えた。
そして、その屋上で、拳法の指導を受けることになった。
当時、習いに来ていたのは、入門して半年くらいのT中くんが1人だけ。
T先生は私立高校の教師をやっていたのだが、その高校での教え子の1人だという。
T中くん以外にも同じ高校の生徒が2~3人来ていたのだが、その子らは一時休んでいる状態だそうだ。
(その子らとはまったく会わず終い)
ちなみに、僕は、結果的に同門がT中くん1人しか居ないからということで、僕なりに親切に接して、稽古帰りに太極拳の続きを教えようとしたりしたのだが、何となく彼には警戒されているような感があった。
僕が水商売上がりだったからかも知れない。
T中くんは僕が居た北新地の中で、割と古い料亭の息子だったので、僕的には親しみを感じていたのだが、彼の目には、僕はチャラチャラした風に見えたのかも知れない。
いやまぁ、僕の思い過ごしかも知れないのだが…。
ともかくT中くんはしばらくして、何やら忙しいとのことで、休むことが増え、結局、他の子ら同様にしばらく休むことになったそうだ。
ちなみにそのT中くんは、今は声優になっている。
あまり活躍している方では無いが、今も続けているようである。

で、やめた兄弟弟子たちだが。
T先生のところに復帰させてもらって間もなく、T中くんとまだ2人だった頃、釈然としない思いを抱きつつ兄弟弟子たちに連絡を取ってみた。
あんなに熱心だったみんながやめてしまうなんて、一体何があったのだろう?
もし本当に納得できるところまで習えて、卒業気分でやめたのだったら、それはそれでどんな思いなのか、聞いてみたい気もしていた。
仮に卒業みたいな感じだったとしても、妥当な範囲で考えて、キャリアが上で師匠であるT先生を越えたわけではないはずだ。
そのT先生も、まだ道半ばでX先生やS先生から降りてくることを少しずつやっている段階なのに、みんな納得して終われるだろうか…?
色々ハテナは尽きない。

そして兄弟弟子たちみんなと会った。
以前はT先生への遠慮で書かなかったのだが、このときのことを書くことにしよう。
とりあえず次回。
ひとまず今日はこの辺で。。

 

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

待ってました。

ずっと気になっていたんです。
これから楽しみに読ませて頂きますので、
間をあまり空けないでくださいね(笑)

Posted by ムツバチ at 2012年10月23日 23:19

>ムツバチさん

こんにちは。コメントをありがとうございます。

そんなに楽しみにしてくれていたとは、書いている方としても励みになります。
また感想など書いてもらえると嬉しいです。

ちなみに続きはすでに書いているので、これから読み返してみて、多少編集するかも知れませんが、早ければ日付が変わった早々にでもアップできると思います。

Posted by hide~☆ at 2012年10月23日 23:44

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