太極拳の武術性については今までにも幾らかは触れているのだけど、長らく休んでしまったので、改めて。
以前、『武術としての太極拳』(2007/01/09)という記事で、
「太極拳は使えると思う」
---と、書いた。
そのとき言いたかったのは、当然、太極拳に含まれる技は使用に足るという意味ではあるのだけれども、一般に知られているような太極拳の型、そして本や映像などで紹介されているような用法が、そのまま使えるという意味ではない。
門外から見て、一般に知られている太極拳を、
「あれで本当に使えるんだろうか?」
と思っている人が多いことは事実だろうし、それどころか太極拳をやっている当の本人たちでさえ太極拳でどう戦えばいいか迷っている人が多いことも、また事実だろう。
もちろん本や映像に出ている人たちのことを、ことごとく皆使えないと言いたいわけではないし、紹介している型や技法についても、その人やその流儀なりの公開の仕方、また、教え方や段階があるのだろうから、そこをあげつらう気はないのだが、しかしこうも使えない印象がまん延している現状はどうなのだろうか…?
結局、ごく当たり前な範囲の格闘技術の部分が抜け落ちたまま理想が一人歩きしているような気がしてしまう。
動画サイトに、簡化太極拳(二十四式)の用法を紹介した動画があるのだが、これを、
「二十四式でもこれだけ使えるんですよ! やはり太極拳は武術ですよ!」
などと言ってネット上で紹介している人も居るのだけど、少し目が肥えた人ならそうは思うまい。
あくまでも基本的な用法説明に過ぎないので、自由に動き回る同士でならこんな技をかけられるはずがない。
こういった技を「どうだ、すごいだろう!」と見せられても、フツーは「すごいのかな…」と微妙な反応しか返せないと思うのだが…。。
また、周知のように簡化太極拳は万人向けに動きを整えて編纂されているため、武術としてよりも体操としての色合いが強い。
動きが大きく、体重の移動も見るからにはっきりしている。
前進する際は、前足をまっすぐ伸ばしてつま先をしっかりと上げ、踵を着けて、体重が移るに従って、前足が曲がり、後ろ足が伸びる、といった動作になっている。
基本と言えば基本なのだが、こんな動きのままでは戦えないだろう。
では、武術性の高い型とはどのようなものなのかというと、一例を挙げれば、ボクシングのように小さい構え、高い姿勢、いわゆる“小架”(もしくは中架)で、あくまでも型の上でだが、中心をきちんと取り、ガードを意識し、同時に効率よく攻撃に移れる、最小限の動きとなっているもの、だろう。
足運びも、速く動くのに適した自然でスムーズな範囲のもので。
ただ、そのような型であっても、型を通して攻防技術を養うというのには限界がある。
型としての様々な役割を含んでいても、ある程度こなれたら、自分の動きを矯正したり、力の使い方を探ったり、型を通して体を動かしておく、といったくらいが、妥当な型の在り方ではないだろうか。
剣術の達人が幾ら技法に精通しても基本的な素振りは続けるように、型をどのように表現し熟練していくかは一生かけてやればいいのであって、型そのものが目的になるのはおかしいだろう。
また、これはついでだが、僕が習った九十九式(正宗太極拳)の場合、型は目的別に幾つも型があるというのではなく、一つの型で行うので、下肢を鍛えたい場合は低くやるし、初心者に力の伝達や体重移動を解らせたい場合には大きく伸びやかにさせるし、武術性を意識するなら、姿勢を高くして動きを小さくまとめていく。
またその上で小架のやり方もある。
ただ、小架の場合もベースは同じ型なので、一つの型を目的別にやり方を変えて行うわけだ。
…で。
まぁ、型は、大事なのだが、万能ではない。
少なくとも僕はそう思っている。
昔は僕も、型が上手くなることで強くなれると思っていたし、そのためには1回でも多く型をやることだと思っていた。
だから、前に書いた“W先生”が、一日に九十九勢を3回もやると聞いて驚いたし、
「使えるようになるにはそれくらいやらなきゃダメなんだ?」
と気の遠くなる思いだった。
(※『W先生との出会い』(2007/05/29)参照)
しかし、
型の有用性における様々な意味はともかく、型やその基本的な用法がそのまま実戦に役立つのかと言えば、それは、少なくとも僕の答えは『ノー』だ。
さっき書いたような二十四式の用法なんて論外。
世の中には二十四式の武術性を説く人も居るし、そういう人と議論する気はないが、ああいう太極拳や、あれと同じようなカタチで行う類の太極拳が、多くの誤解を生む元になっている気がしている。
もちろん、太極拳の基本となる体の使い方を養うという部分や、基礎体力を養成するとか、そういった理屈に異論は無いのだが、武術としてなら、もうちょっとちゃんとした型を最初からやればいい。
それを、基本養成にばかり心血を注いで、使いでのない技をお約束の中でひたすら上手くかけようとばかりしているから、他の武道・格闘技の人と軽い組手でもやってみるとオタオタしてしまう。
オタオタしないまでも、太極拳から離れて、見よう見まねのK-1やフルコン空手と同じようなスタイルで戦って、結局はおくれを取ってしまったりする。
武術ということに拘るなら、何も組手や競技のスタイルに精通する必要は無いのだが、それ以前の問題で、3年以上やっていてもまったくお話にならないような人が大勢居るではないか。
型の中には、どう受ける、どう攻撃する、といったことがちゃんと入ってはいるが、用法として紹介されているような使い方は、所詮は殺陣のようなものでしかない。
型を研究するなら、そういった虚飾を取り去ったところを見るべきなのだ。
あと、ついでに。
前にも触れたことがあるが、僕が習った太極拳は、陳伴嶺・王樹金系とは言っても、同じ九十九式をやっている他派とは少々異なっている。
それは、他の拳法や日本武術(古流剣術や柔術)などの理を合わせて改変しているためだが、元々共通の理もあるので、ウチ的にはきちんと整合性がとれている。
そして厳密に言えば、ウチでやっているメインは太極拳ではない。
だが僕は、個人的には太極拳が好きだし、それを追い求めている部分もあって、このブログを立ち上げたわけだ。
今の太極拳は、
「太極拳だけをやっていて強い人はあまり居ない」
と言われたりするが、そういう意味では、ウチでやっていることも純粋な太極拳ではないので何とも言えない。
個人的にも、最初は空手をやっていたわけだし…。
しかし、僕が習った太極拳は、それだけで戦えないというような拳法ではないと思っている。
(もちろん、太極拳だけにかじりつこうという気持ちも無いけれど…(笑))
で、戦い方を知ったからと言って、やはり技量には個人差があるわけで、それで他の格闘技術を圧倒できるのかといえば、そうではない。
けれど、3年やったなら3年やったなりの、5年やったなら5年やったなりの、他の武道・格闘技を同じ程度やった人と極端な遜色がない程度には身についていなければ、やっている意味がないだろう。
とにかく、今までの太極拳のイメージにあるような、相手に逆らわず力を殺して勝つという理想にばかり囚われていては、太極拳は使えないと思う。
「いつか名人になれたらいいな」
という望みを持つのはいいが、最初は力技から入るくらいの気持ちでないと、武技として成立しないのではないだろうか。
以下、コメント
旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。
おっしゃっていたみたいに再開されたんですね。これからも参考になるコンテンツよろしくお願いいたします。楽しみにしています。太極拳の型や用法が使えるのか。は興味深いですね。僕はまだ再開したばかりの初心者なので、まったく使えませんが武術として中国拳法を習い始めたときからずっとそのことを考えています。(そして答はいまだ出ておりません)ただ、正宗太極拳を習っていると、形意拳の影響か、ひとつひとつの技がかなりシンプルで使えそうだったり、力の出し方も、はっきりしているので期待しています。站椿もけっこうキツいですが、それはそれで力の土台となる足腰と体幹、力を出しやすい筋を鍛える効率的な方法だと思うので実戦的な力がつくのかな、なんて思ったりしています。またご意見お聞かせください。では。
Posted by kankoben at 2011年06月29日 18:53
>>kankobenさん
コメントをありがとうございます☆
技の使い方というのは、そう多くはなくて、同系の技を分類していくと、結局、形意拳の五行拳のようにまとまっていくのだと思います。
ただ、最初からそれでは難しいこと、そして、体は色んな風に動かしておいた方が良いことなどあって、太極拳はバリエーションに富んだ動きとなっているのかも知れません。
簡化太極拳や表演で見られるような太極拳は、記事本文に書いたようなことだけでなく、一つの技をさらに、
「ここでこっちを向いて、それから前を向いて…」
というように(動きを理解しやすくするためか)、動きを分けて、余計な動きを付け足しているので、なおさら使いでのない動きとなっているように見受けられます。
強いて例えれば、1つの動きを2~3動作に分けて行うような感じです。
(まぁ、それを一連の円の動きでやってはいるんですが…)
だから九十九式がそれらに比べてシンプルなのは、本来そうあるべきことをやっているので、古式として当然だと思います。
しかしその九十九式も、近頃見られる型は、簡化や表演のような動きになっていて、見てちょっとガックリきたりしています。
站椿については、改めて書こうかと思っていましたが、効率云々で言えば、あまり効率的ではない気もします。
初期に習った站椿の要領なんて、今にして思えば、特にそうです。
しかし必要ないかといえば、そうとも言えないんですよね。
…まぁ、書ける範囲で、そのうち書くかも知れません。
またよろしくお願いします。
Posted by hide at 2011年06月30日 00:23
いろいろお教えいただきありがとうございます。なるほど、形意拳の五行拳のように絞られていくんですね。ますます太極拳に興味がわきました。站椿の解説、楽しみにしています。昔習っていたときはもっとも苦手だったのですが、いまは威力を求めているので、ちゃんとやろうと思っています。最近、習っている老師に改めてカタチについて質問したのですが、「細かなことはそんなに重要なことじゃないよ。苦しくなったら、いろいろな下肢の筋肉を使って持ちこたえることに意味がある」というような意味のことをおっしゃったので、「筋トレの意味が強いのかな」と思い、必要な下肢の筋肉を一度に鍛えられるなら効率いい、と思ってました。
どうも僕が教えてもらっている老師は、「気」という言葉を
「意識を集中し、体重を載せた力を瞬間に出す」という意味で使っているようで、そのために1時間ぐらい站椿ができるようにならないといけないと考えているようです。いまはまだ用法さえ、ままならない(知らない)のでとにかくできることを続けていこうと思います。これからもよろしくお願いします。Posted by kankoben at 2011年06月30日 11:01
>>kankobenさん
コメントをありがとうございます☆
> なるほど、形意拳の五行拳のように絞られていくんですね。
太極拳に限らず、どんな武術の技も、一定の法則で出来上がっています。
一例を挙げれば“八方向”です。
五行拳のような簡素な技も、八方向に拡げてバリエーションを考えれば色んな使い方があります。
太極拳の場合、一見、印象の違う技も、反復してやっているうち、似ている技に気づくと思います。
そしてある程度共通の法則的なことに気づけば、技はそんなに多くなく、実はあまり複雑なことはやっていないんだということにも気づいてくるはずです。
そうなると、
「ああ、なんだ。五行拳も同じじゃないか」
…と、なるわけです。
まぁもちろん、攻防の考え方の違い、力の出し方に関する流儀の違いなど、細かい点は、流派や指導者により色々はあるのですけれどね。。
> いまは威力を求めているので、
物を叩くのが一番手っ取り早いです。
サンドバッグ(無ければビッグミット)やミットを打っていると、ある程度はどう打てばいいかが判ってきますし、体も反動に耐えようとしますから多少は筋トレ効果もあります。
> 最近、習っている老師に改めてカタチについて質問したのですが、「細かなこと
> はそんなに重要なことじゃないよ。苦しくなったら、いろいろな下肢の筋肉を使
> って持ちこたえることに意味がある」というような意味のことをおっしゃったの
> で、「筋トレの意味が強いのかな」と思い、必要な下肢の筋肉を一度に鍛えられ
> るなら効率いい、と思ってました。
…まぁ、最初に言われるようなことですね。。
上体の姿勢や、腰をどこまで低くするか(膝をどこまで曲げるか)にもよりますが、初歩的な站椿の辛さは、いわゆる“空気椅子”+腕の重みの辛さです。
上体を真っ直ぐにして、前に出した腕に張りを作り、その姿勢を維持しながら腕の重みがじわじわとのしかかってくるのに耐え、下半身ですべてを支える感じ。
太腿ぷるぷるです。
そんな站椿は今はほとんどやってないので、僕は低い姿勢で1時間なんてとてもできません。
で、站椿は、筋トレの意味もありますが、全身に負荷がかかるようにやります。
また、太腿よりは内側や裏側の筋肉を意識し、体も芯の方を意識して。
あまり低くやると、太腿ばかりに気を取られてしまいますし、集中力も途切れがちになります。
最初は、低い姿勢に耐えるのも必要かとは思いますが、必ずしも長時間やらなければならないというものでもないと思います。
一定時間耐えるのは大事ですが、負荷を高くして短い時間でもきちんと集中してやればいいと思います。
それに応じて、多少の無理をすればいいのです。
> 「意識を集中し、体重を載せた力を瞬間に出す」
体重を乗せた力は、集中云々の訓練をしなくたって出せます。
ただ、一定以上の威力があって、色んなシチュエーションで出せないと、武術的に役に立たないだけです。
それを訓練するのに站椿が効率的な方法かといえば、必ずしもそうではないように思います。
まー、以上はご参考までに。
指導を受けている以上はその人が先生ですから、少なくとも先生の前ではその通りにやってみて、あとは自分で考えることだと思います。
頑張って下さい。(^_^)
Posted by hide at 2011年06月30日 13:28
的確なご解答ありがとうございます。なるほど、確かに方向が違えば同じ技でも使用法がぜんぜん違いますよね。深い....。
サンドバッグか、、、。そうなんですよね。あまり打つ練習や相対的な練習がないので、「ほんとうに強くなるのだろうか?」なんてバチあたりなことを考えてしまうんですよ。こんなことをしていてほんとうにバシバシ打ってくる人に対抗していけるのだろうかと。ただ以前はそう考えてしまったばかりに結局、あまり站椿とかもせずに形意拳の型ばかりを練習して結局太極拳をほとんどちゃんとやらなかったので、今回は反省してとにかく地味なことから頑張っていこうと思ってます。内側と裏側と体の芯、難しいそうですが、意識してやってみます!
Posted by Kankoben at 2011年07月02日 18:11
>>kankobenさん
本当に強くなれるのか、疑問を持つのは当然です。
それは正しい考えなのですよ。
…まぁ、あまり何も出来ない内から師匠の指導に口を挟むわけにも行きませんが、素直に受け容れ、何でも真に受けていればいいとも限りません。
少なくとも僕の経験上はそう思います。
そしてこれも僕の経験上での話なので、どう判断するかはkankobenさんの自由ですが、ミット打ちや筋トレは、やって利こそあれ、それが修行に害になるなどということはありません。
もし師匠が「そんなことしなくていい」と言っていても、友人同士でやればいいのです。
案外、やるなと言われるようなことにこそ、真が隠されている場合もあるのですよ。
但し自由な組手は、やってみるのはいいですが、あまり経験がない内は、1本だけに限定した約束組手などから段階的に練習した方がいいと思います。
特にライトコンタクトな組手は、太極拳や形意拳が得意とする(はずの)距離での応酬がやりにくく、遠間から手を出し合って寸止めして、と、ゲーム感覚な組手になってしまいがちです。
そういうのが当たり前になると、実際には浅くて有効な打突にならないような突き蹴りが癖になってしまいかねません。
まー、そういう組手ばかりやってる人でも、バネが身についてくれば、フツーの相手には充分効くでしょうし、型ばかりやってる人より手っ取り早いのですけどね。。
> ただ以前はそう考えてしまったばかりに結局、あまり站椿とかもせずに形意拳
> の型ばかりを練習して結局太極拳をほとんどちゃんとやらなかったので、今回
> は反省してとにかく地味なことから頑張っていこうと思ってます。
站椿はともかく、太極拳は地味ですか?(笑)
僕的には、単体の技を繰り返す形意拳の方が地味に感じて、あまりやって来なかった方なんですが…。。
形意拳が好きなら、形意拳を中心にやっていてもいいと思いますよ。
> 内側と裏側と体の芯、難しいそうですが、意識してやってみます!
立ち方にもよります。
指導されている立ち方や要領が、そういうところでないなら、先生の言う通りにやっておく方がいいでしょう。
ただ、一人でやるときは、自分なりに工夫して、もし僕が書いたことを考えてみるなら、時には立ち方を変えてみる等「どうすればそんな風になるだろう?」と試行錯誤してみればいいと思います。
で、前回も書きましたが、少なくとも僕的には、站椿は効率のいいトレーニング法ではありません。
筋トレという部分に絞れば、特にそうです。
あくまでも補助訓練の一つと捉えて、站椿に過度な期待はしない方がいいと思います。
Posted by hide at 2011年07月02日 23:12
初めまして、白黒パンダと言います、今後ともよろしくお願いします
6月21日のタイトル一覧が昔の記事をわかりやすく見ることが出来
最近になって拝読させていただくようになった私としては
すごくありがたいですまたhideさんの中国武術に対する考え方も面白く、また非常に勉強になります
話は変わるのですが、ここまでhideさんとkankobenさんとのやりとりをみていて
少し意見を言いたくなってきましたので(悪いクセなんですが^^;)
後日、考えがまとまったらこちらに書かせていただきますので
またよろしくお願いします(長めの文章になると思うのですが大丈夫でしょうか)
Posted by 白黒パンダ at 2011年07月03日 18:05
>>白黒パンダさん
初めまして。コメントをありがとうございます☆
ご意見を書いてもらえるのは歓迎です。
ただ、「後日、考えがまとまったら~」とありますが、あまり気負って書かれても内容によってはきちんとレスできないこともありますので、気軽にやりとりできる範囲のことがこちらとしては望ましいです。
(但し特に制限するものではありません)
長文になるのは極端でなければ構いませんが、程度はご自身で判断して下さい。
Posted by hide at 2011年07月03日 18:57
こんなに早く返信ありがとうございます
書きたかったことは主にkankobenさんにちょっと別の視点からの意見
を言ってみたかったんですただ、今読み直してみると、勘違いしてるかもしれませんので
間違いがありましたら、訂正よろしくお願いします私も以前、型を延々と続けていくような練習を続けていたのですが
正直、いっこうに強くなった感じがありませんでした
確かに体力はついてくるのですが、強くはない、そんな感じですkankobenさんの習っている老師が站椿を1時間出来るようになった方が良い
ということであれば、それは何らかの意味があるのかもしれませんし
私個人の意見としては、1時間出来るようになった方がいいと思います
理由は、体力は無いよりあったほうがいいのと、ご自分が習われている老師ですから
信じてやってみるのも意味あることと思うからですそれで体力がついてくると、どんなメリットがあるかと言いますと
その老師が本格的な練習を教えてくれ始めたとします、その時に
一般の初心者です、という人より、基礎体力がある人の方が
順応性が高いということなんです、早く上達すると思いますただ、hideさんのおっしゃるように、効率はあまりよくないかもしれません
確かに筋トレやってる人の方が結果が出るのが早く、組み手とかやってみると
鋼鉄の牙城のようです(笑)、それに比べると站椿は結果が出るのが
遅い気がします、しかも、本気出したら押し切れそうな気がしますので
鋼鉄の牙城になる筋トレはうなづける気がしますですが、老師のおすすめの練習ですから、信じてやっていくことも大事かなと
創意工夫、疑問も大事ですが、信じることも必要であるかなと感じました
信じてやってみて、もし本当にだめであったとしたら
あきらめなければならないのかもしれませんが、がんばってる人には
別の道が見えてくると私は思います、皆さん、お互い歩んでる道は
違うかもしれませんが、これからも切磋琢磨で
よろしくお願いします!hideさんへ
どうしても今日書いてしまいたくなり、今の時間になってしまいました
hideさんのお仕事などのご都合もありますから、また余裕のある時に
更新をよろしくお願いします、無理しないでくださいねそれでは抽象的で長くなってしまいましたが、またよろしくお願いします
Posted by 白黒パンダ at 2011年07月04日 00:46
>>白黒パンダさん
概ね異論はありませんが、このブログで僕が言いたいことについては誤解されている部分があると思いますので、ちょっと書きます。
站椿を1時間できないよりはできる方がいいというのは、僕もそう思います。
それ以外のどんなことでも、当然、できないよりは、できる方がいいでしょう。
また、習っている先生から、できるようになれと言われれば、そうするしかありませんしね。
僕も初期の頃には、同じように指導されて、低い姿勢での站椿を頑張っていた次期があります。
しかし、それが何になるのかは「・・・・・」ですし、今もやっているのかというと、そんな站椿はやりません。
基礎体力は必要ですし、中国武術がことさら足腰を重視するのももちろん解っていますが、空気椅子的な站椿にそれほど重要な武術的意味があるのか、と言えば、個人的には特に意義を感じません。
最初にそういう站椿をやらせるのは、いきなり細かい指導をしても理解できないということと、あとはせいぜい、やる気があるかどうかを見る程度のことだと思っています。
だから、
そういった初期の站椿については、足腰を鍛えるという意味では「効率が悪い」と言ったわけです。
他の筋トレと併用すれば1時間立てるようになるのも早くなるでしょうしね。
そして、こんなことを言うと、
「いや、站椿はきちんと站椿をする中で長時間立てるようになることに意味がある」
とか、色々な理屈を返す人も居ますが、僕にはどうでもいいことです。
…で、あと細かいことは割愛しますが。。
まず、少なくともこの世界において、我々日本人は総体的に、素直に言われた通りのことを言われたままにし過ぎていると思います。
白黒パンダさんの意見も、ごくごく素直で真っ当なことです。
しかし結局、本当に早く“上達”するようになるのかという点、それを“武術的な強さ”として見るなら、色々問題が生じているのも事実でしょう。
なので僕は(まぁ…考える材料にしてもらう程度にですが)、あえてひねりを加えて、このブログで書いてきているわけですので、それを当たり前な理屈で返されても、伝わっていない感が生じますし、もし意見交換をすれば堂々巡りになってしまいます。
師を信じる云々についても、そういう素直で優等生的な考えは誰だって根底には持っているので、わざわざ書いても仕方がありません。
それにそんなことは既存の入門書などにも散々書かれてあることです。
このブログでは、半年、一年…あるいは2年、3年、もしくはそれ以上、、
やっていても、期待していたほど強くなった気がしなくて疑問を持っている人を対象にしています。
そういう人は、
『信じてやるしかない、それはわかっている、わかっている…けど、本当に?』
と思っている部分の答えを、結局求めているのです。
僕はそこに、自分の経験を通して、問題を提起したり、考える材料を提供したりしているわけなのです。
ちなみに、日本の古流武術の世界でも、回りくどい習得方法や弟子が師匠に勝てないようにする(悪く言えば「騙す」)ための色々な方法があります。
それでも中国武術の世界ほどえげつなくはないと思っていますが、まーそれはともかく、そういう段階的なシステムは、ある意味仕方がないと思う部分もあります。
いきなり何もかも教えられるはずもありませんしね。。
…で。
一定以上の修行歴があるとか、あるいは大人としての感性が備わっているならば、いい意味で疑ってみる物の見方も必要であると、僕は考えています。
当然、習う以上は、習っている先生の言うことは聞かなければならないわけですが、一方で、考える、工夫する、ということが、本当の上達の道であると思っています。
騙されて物を買わされても得した気分でいるような人が、あとで騙されたと判って「騙すよりは騙される方がいい」とか「勉強になった」とか“いい人”を気取っても、その人は人間的に成熟した人とは言えないのです。
師匠との人間的な繋がりや信頼関係は、他の人間関係でも同じように、お互いの努力があって、時間をかけて築き上げていくものなので、ハナから手放しに信じていればいいというものではないでしょう。
この世界には精神的・性格的に難のある人も多いことですしね。。
あと、
「色んな方法があっても目指す頂は同じ。通る道は違っても同じ山を登っている者同士、共に頑張りましょう!」
なんて言い方をする人も居ますが、型ばかり覚えて、回りくどい練習法に励んで、師匠の言うことを盲信して、“気”や“勁”の幻想部分に囚われて、長い期間をかけて年寄り名人になろうとしているような人は、僕からすれば“別の山”を登っている人です。
そういう人とは話すこともありませんし、社交辞令的に、
「そうですか、頑張って下さい」
と返すしかありません。
ただまぁ、それではあまりにも素っ気ないので、一度くらいは話してみるにしても、次からはなるべく関わりたくないのです。
ちょっと尖った感じになってしまったかも知れませんが、これが正直な思いです。
> hideさんのお仕事などのご都合もありますから、また余裕のある時に
> 更新をよろしくお願いします、無理しないでくださいね
お気遣いありがとうございます。
昨日はたまたまブログの管理ページにアクセスした時間が近かったのですぐにレスできたのですが、時には、長時間アクセスできない場合など、承認やレスが遅れることもあるかと思います。
その際はあしからずご理解下さい。
Posted by hide at 2011年07月04日 12:42