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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

太極拳における“力”と“使える技”

投稿日:2011年6月28日

前項に関連して思い出したことなど、補足も交えて。。

このブログでは“力の必要性”を説いてきたわけだが、たぶん誤解している人も多いと思うので、まず、この場合の“力”とは何かについて書いてみる。

一応断っておくが、これから説明することは、あくまでも『僕が習った太極拳』もしくは『僕が考えている太極拳』という観点からのもので、一般的な太極拳とは多少隔たりがあるのかも知れない。
ただ、少なくとも僕は、武術としての太極拳はこういうものだと思っている。

太極拳で使う力とは、当然ながら“力む”ことではない。
それは、“張り”や“芯”を形作る力、そして、瞬発力を生み出す力や全身を使って協調一致させた力だ。
とは言え、それはやはり筋力なので、ベースとなる筋力は、あればあるほど良い。
筋力の裏打ちがあってこそ、力を使わないような力の使い方が出来、身法も技も生きるからだ。
その筋力がより効率よく小さな力でも済むようになってくるのは、たぶんもっとずっと巧くなってからだ。
それには時間がかかるのだし、そこに至るまでを最初から小さな力のままで会得しようとするのは、都合のいい話ではないだろうか。
(と言うか…個人的には、趣味や健康法としてならともかく、強くなりたいと思って太極拳を始める人が、時間がかかることへの損な思いや苛立ちを感じずに、それを当たり前として受け容れる考えが不思議で仕方がないが…)

…で、太極拳修行者の中には(指導者も含めて)、
『力はまったく要らない。力は抜ければ抜けるほどいい』
という人も居るのだが、僕はこれとはまったく反対の立場だ。
武術の技は、相手の力と正面からぶつからないようにするのは当然の理で、それは太極拳に限らない。
例えぶつかっても、先んじて方向を変え、相手が力を発揮しにくいように持って行くからこちらの力が勝つという理屈なのであって、力をとことん抜き去れば純粋な力が残るとか不思議な力が出るとかいう理屈ではないのだ。
そして“張り”や“芯”を生かしながら相手の攻撃を、受けたり、流したり、崩したりするわけだし、瞬間的な力や全身を使った力によって、きつい一発をお見舞いしてやるわけだ。
そのとき使われる五体は、決して力を抜ききった状態ではなく、弾力のあるものだ。
(※似たようなことは一般的な太極拳の世界でも“ホウ”勁として説明されているだろう)

それから、余分な筋肉があると『動きが身に付きにくい』とか『力に頼ってしまう』といった考えがあるのだが、それはどうだろう?
動きがなかなか身につかないのは誰だって同じだし、非力な人だって、最初は力む。
体の大きい人や力が強い人は大雑把な力の使い方をしているように見えるが、それはベースとなる体力の違いという場合もある。
「力を抜け」
と言われても、それでも力が強いから、力んでいると思われて、余計な力だの余分な筋肉だのと言われたりする。
しかし、そもそも、力に頼って何が悪いのだろう?
いずれにしても上達すれば自然と力は抜けてくるわけだし、カタチが出来ていて極端に力んでいなければ、力の使い方は少しずつ会得していけばいい。
最初に力を抜く練習をしてから力の入れ方を覚えていくのと、最初に力が入っていて力の抜き方を覚えていくのと、大した差があるだろうか?
いや太極拳的には「違う」と言われてきているのだが、その根拠はどこにあるのか?
それよりは脱力一辺倒で力を否定し続ける方がおかしい気がしてしまうのだが…。

また、太極拳を演武するとき、力を極力抜くことをテーマに、どこかに余計な力が入っていないかを意識し、ただひたすら意念で導くように最小限の力で体を動かす、というのは、初心段階での話だと思う。
もちろん、様々なやり方を学んだ後でも、時には力を抜くことをテーマに演武してみることはあるにしても。
結局、生徒や弟子をなるべく強くしないで、届きそうで届かない小難しい課題を与えて、長く教えて金を取る…という風習が顕著なのが太極拳の世界で、それがこういったカタチや教授方法となって広まってしまったような気さえしている。
(そう考えれば太極拳が王侯貴族や金持ちや知識階級に受け容れられ『貴人の拳』と言われるとかも、ある意味納得…)

さて、『使える技』についてだが。

前項で、一般的に本や映像で公開されている太極拳の用法は大抵使えないというようなことを書いた。
何故かは言うまでもないと思うのだが、一応説明しておくと、例えば、相手の突き一つに対して、複雑な動きであったり2動作以上の動きであったりするような使い方が多く紹介されているからだ。
ただまぁ、考えてみればそれは、太極拳でなくても、空手でも合気道でも同じだ。

空手の本に書かれてある型の用法にしたって、
『相手の中段突きを、下段払いで払って、突きを返す』
というような解説を見て、実際に使えると思う人はあまり居ないと思う。
まぁ、基本習得という意味では通らなければならないのかも知れないし、僕も中学生の時に空手の道場で散々稽古させられたのだが、その後、組手でも喧嘩でもそんな動きを使ったことは一度もない。
ずっと後になって、
「下段払いのあのカタチって、あれはあれで必要だよな」
とは思うのだが、
「でもあの使い方とあの練習は無いよな…」
というのは、今も同じだ。

合気道にしても、複雑な逆手や投げは、喧嘩慣れしている人や何らかの武技経験のある人が相手であれば、まずかけられないだろう。
けれど技の一つ一つを型として反復することで体の使い方を習得する意味もある。
それを実戦でどのように使うのかと言えば、もっと簡素な打ち・当てのためだろう。
合気道家の中には、
「何故、合気道の技は使えないのか?」
ということをテーマに、どうすれば逆手や投げが成功するかを考え、結果、
「当て身を併用することだ」
と言う人が居る。
言わんとするのは、当て身で一瞬相手の動きを止めて、そこに技をかけるというような理屈だ。
しかし、それはおかしい。
ごくフツーに考えて、当て身で面食らった相手に逆手や投げをかけようとしなくても、当てられるのならそれで倒せばいいだろう。
もちろん、シチュエーションによっては、目や急所を狙って、相手が「うっ」となった隙に強力な攻撃(逆手や投げも含めて)を加えるというのはアリだろう。
だが、わざわざ逆手や投げに拘って、それをするために当て身を使うというような考えは回りくどい。
合気道が剣術から来ていることを思えば、この理屈は、
「当て身を喰らわせてから斬る」
と言っているようなものだ。
そんなことなら最初から斬ればいい。
結局、殺陣のような華麗な剣捌きに拘ろうとするから、余計なややこしいことを考えなければならなくなる、ということではないだろうか。

まーそんなこんなを鑑みて、太極拳に立ち返ってみれば、簡素で使いでのある技というのは、自ずとある程度は解ってくると思うのだが、いかがだろうか。

ちなみに、合気道の演武も色々だ。
子供がスーパーマンごっこをしているみたいに突いた格好のまま真っ直ぐ走ってくる弟子を、ひょいと半歩、得意顔で避けて、相手が合わせてくれているのがアリアリな投げを披露している人も居る。
だが約束上とは言えきちんと速い突きや手刀を繰り出してくる相手を、鋭い動きで技をかける人も居る。
そういう意味では、故・塩田剛三氏の多人数掛けなどは、非常に面白い。
まぁ、打ち掛かるお弟子さんたちの攻撃はある程度お約束だし、中には殺陣のような部分もあるのだけれど、受けと攻撃を隙間無く行うような技も多用してらっしゃるので、太極拳的にも大変参考になる。
塩田さんの映像はたくさん残っているので、探して見てみるといい。

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