中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

王樹金系流派・団体についての噂

投稿日:2011年12月14日

さて、前項の続き。

メールをくれた人が、習いに行った先で聞かされたという噂話だ。
団体の名称は、仮に『K会』としよう。
そのK会の代表先生がさも事情通のように話してくれたようなのだが、何のことはない、今までにもネット上でささやかれていたようなことばかりだ。
僕的には、何年か前に2ちゃんねるの過去ログなどを漁っていて見かけたのが最初だと思うのだけれど、その時点で過去ログだから情報としてかなり古い。
たぶんどれも2000年代前半のスレッドだったのではないだろうか。
まー、その人が情報ソースであるのならともかく、ネットで見たことを何の持論もひねりもなく練習生に吹聴しているのだとしたら、底の浅い人だと言わざるを得ないだろう。
ちなみにその人は、武術雑誌などにも登場したことがある、割とよく知られている指導者で、僕は個人的にはまったく知らないのだが、こうも浅いことを口にする程度の人だったのだろうか…。。

ま、本題に入ろう。

項目は5つある。
メール主ご本人の文章そのままではなく、意味がわかりにくいところを僕の解釈でちょっと書き換えている。
また、それぞれに僕が、僕の見解としてレスしたことも、このブログ用にちょっと整理して書き直すことにする。
【1】~【5】は、王樹金やその系統の流派・団体のことを指して言っているものらしいことを踏まえて読んでもらいたい。

【1】
中国人は教え方がいい加減。ましてや外国人にはきちんと教えてくれないことが多い。しかし日本人は真面目で繊細だから、バカ正直にきちんとやろうとする。
【2】
王樹金は太ってから型が変わってしまった。それを通常の体形の人にもそのまま教えて、それを修正していない。
【3】
佐藤金兵衛先生も、太った王樹金の型をそのまま真似したので、腕が広がった(正面ガラ空きの)構えになってしまった。
【4】
全中連では、金兵衛先生が変えた型を臼井さんが元に戻そうと努力しているらしい。
【5】
陳伴領系の方が王樹金系より良さそうだ。何故ならこの方が元々のものだから。

…まぁ、はっきり言ってしまえば、王樹金系というより、主に故・佐藤金兵衛先生の全日本中国拳法連盟(以下、全中連)に対する陰口ということになるだろう。。
僕は、このブログでも書いてきているように、S先生や元師匠のT先生がこの団体の支部の指導者だったので、当然僕もこの団体の出身者の一人ということになる。
ただ、師匠たちは大昔にこの団体を抜けてしまったし、練習内容も変わってしまったので、個人的には、わずかにノスタルジックな思いがある以外、ことさら同門意識も無く、特別な思い入れがあるわけでも無い。
金兵衛先生のことは、お会いしたことは無いのだが、一応師匠筋にあたるから「先生」と敬称をつけているだけだ。
けれど上記【1】~【5】のようなことは、陰口に対する反発というよりも、武術的な意味での認識として浅はかな部分があると思えるので、メール云々が無くてもそのうち触れようと思っていた。

以下、僕の見解を綴っていく。

【1】について

これは、日本の中国武術修行者全般について一般論として言っているのなら解る。
個人的には、
「中国の名のある老師に学んでいる」
と、喜々として自慢している表演系の教室・団体などに特に言えることだという気がしている。
また、そのK会についても同じことが言えるかも知れない気がするのだが…?
同様のことは、2ちゃんねるのような掲示板以外にもアンチ中国武術的なことを書いているHPなどでも見かけたことがある。
しかし、ことさら王樹金系の流派・団体を指して言っているのなら、その根拠がわからない。

それともう一つ。
昔から言われていることとして、
「中国人は金に汚い」
というのがある。
松田隆智さんは、それに対する弁護のようなこととして、昔書いた本の中で、
「金銭も誠意の表し方の一つである」
というようなことを言っていたと思う。
まぁ、どこの国の人であろうと金に汚い人は汚いだろうが、そういう印象が中国人にあるのは、あからさまに「カネ、カネ」言う人が特に多いのだろう。。
それはともかく、日本においても中国においても、昔は武術は金儲けや出世の手段にもなった技能であり、それに対して多大な価値を抱いている人は少なくない。
それを踏まえて考えれば、日本人に対していい印象を持っていない中国人が、はした金でほいほいと教えてくれると思う方がどうかしている。
また一方、偽物大国の中国で、嘘つきかも知れない中国人を手放しに信用して、よく吟味もしないで習うことも、どうかしていると言わざるを得ないのではないか…?
大体、文革以降に中国武術は大きく変わったと言われている。
冷静に考えれば、簡化太極拳のようなものが生まれたのもおかしいし、大道芸、京劇、殺陣などの芸能的要素や体操競技のような動きが加わった武術が伝統武術として行われているのもおかしい。

王樹金が来日した頃、彼に習って後に流派や団体を立ち上げた日本人は、大抵それまでに何らかの日本武術をやってきた人たちで、多少の目利きの上で習っている。
もっと後の人たちが、映画や漫画や武術雑誌などに感化されて、鵜呑みの幻想を断ち切れないまま習っている人が多い状況とは、ちょっと違うだろう。

そして中国武術がブームになる前の草創期に、中国拳法を習った人の話には、拳法を習うだけで家を買えるほどの散財をしたという話が時折ある。
ホンモノと思える師匠に礼を尽くすために、前述のような事情も相まって、結局カネ…ということだ。

そんなこんなを鑑みれば、前項で書いたこととも重なるが、
「○○老師は多額の金銭を払わなくても出し惜しみせず親切に教えて下さる」
とか、相手のことをあまり知りもしないのにそんな風に美化して、本当は師匠が金銭を求めているのも解らず無頓着・不感症に習っているだけかも知れないし、あるいは、大したことは何も知らない師匠だから多額の金を要求しないというだけかも知れないではないか。

本当に善人で、自分が苦労して学んだことを、金品を積まなくても誰にでも忌憚なく親切に教えるような人なんて、そうそう居るものではない。
居たら、日本の中国武術事情も、こんなおかしなことにはなっていないだろう。。

【2】について

まず、僕は、そもそも王樹金に痩せていたときがあったのかどうかも知らないのだが、これを言った人は、痩せていたときを知っていたのだろうか?
また僕は、王樹金が、型を改変したのかどうか、あるいは型の演じ方が変わったのかどうか、など、それらの変遷がわからないので、何とも言えない。
まして外部の人間が、何をどれだけ知ってこういうことを言っているのだろうか?

それと、身法の違いや口伝などによって、型の演じ方が変わる場合もある。
それは門外からはなかなか判らないと思うし、こういうことを最初に言った人は、ちょっと浅はかな物の見方しか出来ていないと思えるのだが…?

また、太った人の太極拳を痩せた人が真似しても、骨格や体型が違えば同じにはならないのは、まー当然と言えば当然だろうが、似たような体型の人に習っても、骨格や筋肉や癖など、人それぞれ違うのだから、やはり同じにはならない。
それより“理”というものがあるのだから、理を教わり、身法や技の意味などを教わって、その人なりに理に叶った動きになっているかどうかが問題だろう。
それを太った人の太極拳を真似した云々は、頭の悪い想像からの言い様だと思う。

察するに、そういう噂は、王樹金系の正宗太極拳をやっている人たちが、あまり上手くなかったり、今の表演武術系の太極拳などで一般的になっている身法からすれば、いびつに見えたりするので、その理由としてまことしやかに誰かが言い始めて広まったようなことではないかという気がする。
…に、しても、それをそのまま広めるのも同類だけれどね。。

王樹金老師ご自身の演武は、残っている映像を見る限り、やはり上手いと思うし、それを、体型云々ではなく、少なくとも角度や身法、方向など、基礎的な範囲ででも技の理を感じ取って一定以上真似できるなら大したものだ。
しかし、外見上どんなに上手く真似をしたとしても、内部的にどんなことをやっているのかは、やはり口伝を得ないと解らないことが多いし、太っている痩せている等の問題ではない。

【3】について

これはたぶん、金兵衛先生の太極拳の本にある写真を指して言っているものと思われるが、金兵衛先生の個人的な上手さはひとまず置いて、型としては、地曳秀峰さんの全日本柔拳連盟(以下、柔拳連)でやっている型も、河野義勝さんという人がやっている型も、同様だと思う。
例えば地曳さんの本にある王福来さんの演武。
上歩打セイのときの受けの動作は、相手の攻撃を受けた手を、中心線より右方に移動させながら受け流す動作となっていて、写真で見れば顔面ガラ空き状態だろう。
ちなみにウチでは、中心線のまま受け流すのでこんな風にはならないのだが、しかし型の上でのことだし、他派や表演型にもこのような動きは多い。
ただ、日本武術では、正中線を守っていなかったり、中心線を大きく外れるような動きはあまり見られないし、武術の理合いが違うわけではないので、公開されている型の嘘の一例と言えるかも知れない。
ただ、道半ばな僕がこのような場で「嘘」と言い切ってしまっては角が立つので、個人的な見解として、
「よくはわからないが理由があってそうしているのだろう」
ということにさせてもらおう。

また、ついでに言えば、正中線や中心線に手があり、鼻先と足が一致している、いわゆる三尖相照などが、必ずしも正しいわけでもないのだが…。

で、金兵衛先生の本にあるご自身の演武写真は、はっきり言って僕から見てもあまり上手くは見えない。
しかし型としては、当時の公開の仕方として、わざと隠している部分もあるように見受けられるので、写真だけでは何とも言えない。
T先生に聞いたことがある話では、金兵衛先生の太極拳演武は、ちょっとカクカクした動きで、若い頃のT先生からしてもあまり上手くは見えなかったが、元々柔術などの下地があったためか、用法などを説明するときにはちゃんと適切な角度で極まっていて、当時のT先生からすればとても太刀打ちできないレベルに思えたそうだ。
そして特に柔術は上手かったとのことだった。
ある先生からすれば、金兵衛先生はあまり器用な人ではなくて、使い分けるというより、何をやっても同じ動きになってしまうような人だったという。
つまり自分の柔術から離れられないということなのだろう。
でもまぁ、それは、使い分けて別々の動きを表現できるよりも、消化の仕方として、ある意味正しい在り方の一つだという気もする。
型の演武でなら、拳種による趣の違いなどを表現できるにしても、実戦では自分の得意なことは限られるし、得意な動きしかできないからだ。
だから何をやっても自分なりの消化の仕方で同じになってしまっても、それは間違いではないと思える。
これが表演競技ならとてもじゃないが入賞できないだろうけど、理を踏まえていて、ご本人が得意とする動きで強いなら、それは武術として成り立っているだろう。

…と、生意気ながら、個人的な想像を交えて、あえて言わせてもらった。

【4】について

話の流れとしては、太った王樹金の型を金兵衛先生が真似しておかしくなったのを、今の師範の一人である臼井さんが本来の型に直そうとしている、ということなのかな…?
だとしたら、何という稚拙な解釈による憶測だろうか。。
臼井さんという方が型を変えようとしているのが本当だとしても、そのような理由からではないと思うが…?

まー確かに、一般的に見れば、同じ王樹金系の中でも全中連の型は、あまり太極拳らしくない型に見えると思う。
僕自身が入門時にそう思ったし、今のように色んな太極拳を見られる状況では、なおさら異質に見えるのではないだろうか?
特に、動きがなめらかで優雅でふわふわした感じの一般的な太極拳からすれば、硬質なイメージだし、ゆるゆる太極拳ではなく、どこかぎこちなく見える。
しかしこの太極拳は、他の太極拳とはまた違った意味で難しくて、なかなか上手く見える太極拳にならないのだ。
…まぁ、他の一般的な太極拳と同じように演武すれば、上手く見せることはできるだろう。
しかしそれではこの太極拳にならない。

あと、全中連の場合は、金兵衛先生が他派太極拳や柔術の理を取り入れて動作を追加した部分があり、僕も型を覚えるときに幾つか「ここは金兵衛先生が~」と聞いたが、それは金兵衛先生なりの考えがあった上でのあきらかな改変であり、間違った修得の仕方をしてしまったからなどというようなことではない。

では何故この太極拳が難しいのかと言うと、まず基本が中架だからだろう。
そしてまた、動きを小さくまとめてあるからだと思う。
もしかしたらここが、王樹金の真似をしておかしくなっていると思われてしまっているのかも知れないが、ごく当たり前な武術の理によって小さくまとめてあるのであって、真似のし損ねではない。
だから大架式や表演でよく見られる他派の太極拳のように、一つの技の動きを幾つかに分解して大きく行うようなものではなく、簡素にできている。
シンプルな分、体重移動も明確でなく、体のどこをどう動かすのかも分かりづらい。
そのため初心者はヌボーと立ったままのような姿勢での動きになるし、その状態からなかなかステップアップできない人が多い。

…しかし。。
武術の基本的な理も解らずに、太った王樹金の真似をしたためおかしな太極拳になったと思った人が居たなら、その人は浅い人であろうし、その言を真に受ける人もまた然りだろう。
ちょっと情けない気もしてしまうのだが。。。

 

そしてもう少し付け加えると、簡素で粗野に見えるものの方が、元々(古流・古式)に近いものだろうという気が、僕はしている。
それに型は人に見せるためのものではないので、他派の浅い人から見ていびつであろうと、下手に見えようと、その流派なりの原理原則ができているなら構わないのだ。
また、他派にあまり悟られないようにするのも、古流の習わしでもある。
まーW先生なんかは、とてもきれいな演武だったけれども。。

【5】について

どーでもいいことなので書くのが面倒になってきたのだが、一度レスした文章がソースとしてあるので、せっかくだから最後まで書こう。。

まず、どちらのことも深く知らない人が言うようなことではない。
それに元の系統をやっているからいいとは限らないだろう。

どんな流派でも、指導者によって教え方は多少異なる。
同じ師匠に習っても、解釈やその後の考え方、工夫などが異なってくるので、同じにはならない。
結果、多くの分派や新興流派が生じる。
そんな中で型のちょっとした違いなどに拘っても仕方が無い。
あきらかに武術的意味から外れて、闘争に使えないほど改変されているというのならともかく、理屈が間違っていなければ、そして使いでのある型ならば、細かいことをどっちがどうの言っても仕方が無い。
好きにすればいいだろう。

どんな流派でも様々な改変を行いつつ流儀が変わったりしてきているのに、型のオリジナル性に拘って、よく知りもしないで「元の方が良さそう」なんてのは、素人並みの意見だと思えるのだが。。

陳伴領が九十九式を創始(編纂)する際の王樹金の関わりについてはよく知らないが、まぁ、陳伴嶺が実質的な創始者で、そっちの型が理論上優れていたとしても、個人的には今更どうでもいい。
僕は今やっている太極拳を気に入っているから、わざわざ他の太極拳を一から習おうとは思わない。
特に大架式やそれに近い型なんて、比べても、どの派であろうと、大した違いはない。
要は、現実的な攻防に向いた技を学び、工夫して、それを自分のスタイルとしてどう確立するかだと思う。
習った通りの型を繰り返しやって、推手に熟達すれば、対人の攻防技術がいつの間にか向上するなんてことは、幻想でしかない。
それより太極拳に限らず、どんな格闘技・武術でも、個人技として、見るべきところがあれば見るし、参考になるところがあれば工夫の糧にする。
そして、どんな流儀にせよ、ちゃんとしたことを知っている先生なら、関係が続く限りはいずれ教えてくれるだろうし、それを自分のものにできるかどうかは自分自身の問題だろう。

ついでのついでに書くが、陳伴嶺系は、日本では王樹金系の「正宗太極拳」に対して「双辺太極拳」を名乗って区別しているようだ。
その代表的な人は、確か師匠の名を明かしていなかったのではないだろうか?
以前、このブログでもその人のことを書いたことがあるが、個人的には面白そうな人だと思っているし、ネット上での意見も興味深い。
けれど、本当に王樹金とは別系統で陳伴嶺の伝を受け継いでいるのかどうかは、僕にはよくわからない。
また、幾つかの太極拳を指導しているTさんという方が居て、その人も「双辺太極拳」を指導しているようだが、元は全中連に居た人だし、双辺と称する型はどこで習ったのだろう?
まぁ、いずれにせよ、よく知らないので、何とも言えないのだが。。

それから、これはあくまでも個人的な思いだが、僕は日本人なのに中国名を名乗る人があまり好きではない。
ネット上のHNやペンネームでも、あまりに普段の自分とかけ離れていたり、現実世界で口にするのが恥ずかしいようなふざけた名前だったり、外国人のフルネームだったりするのは、やはり好きではない。
そして特に、ケレン味たっぷりな中国武術の世界で中国名を名乗るのは、アニメのコスプレをしてキャラクターの名前を名乗るみたいな気恥ずかしさがあるし、一般人に理解できないノリのように感じてしまうからだ。
マジな言い方をするなら、中国武術を中国人に学ぶとしても、日本人なら日本人の誇りを持って、日本人として、真摯に中国人に学べばいいと思っている。
その結果、例えば中国人師匠から中国名をもらうようなことがあったとしても、僕なら丁重にお断りするだろう。
まして、幾ら中国武術や中国文化にどっぷりハマッたとしても、自ら中国名を名乗ったりはしない。
けれどまぁ、これはあくまでも個人的な好みの問題なので、そういう人たちを非難するつもりはない。
そうしたい人はそうしたいように、好きにすればいい。
僕がそういうのを好きではないというだけだ。

長くなったが、まぁ大体こんなところだ。

※一部の文章を変更・削除しました。
(2017/12/02)

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

はじめまして すいませんがいくつか書かせていただきます。私は昔地曳先生のところにいて10年以上まえに辞めたものです。まず 若いときの王樹金老師ですが、天津時代の 1930年代の写真が一枚だけ中国に残っていて、やはり晩年と同様太った体形です。
それから、細かい動作については入室の弟子には教えていたようですが、一般の弟子や学生には大雑把に教えていたのは事実のようです。台湾の入室の弟子から非常に細かい太極拳の流れを聞きました。佐藤先生や地曳先生がさっとA~Bへ流す動作を実際は途中に非常に微細な実はいくつもの見えない形があり、言われなければわからないのです。私はこれは地曳先生からは教わりませんでした。また台湾やアメリカ、イスラエル,EUの王樹金系では正宗太極拳とはいっておらず、誠明太極拳と呼んでいます。正宗は日本だけのようです。
王樹先生は王向斎先生から習ったときいていますが、意拳も正面がらあきですけど、こういった影響もあるのかも知れません。実際 天津に王樹金先生の三体式とそっくりな腕をまるくし、正面がらあきの形意拳がありました。意拳で有名な韓星垣先生の形意拳も似たような形です。

Posted by A at 2012年02月17日 01:36

>Aさん

初めまして。コメントをありがとうございます。

ただ、ちょっと言いたいことがわかりません。

王樹金が昔も太っていたというのはわかりましたが、その情報に意味があるのでしょうか?
実際に太っていたかどうかは問題では無くて、僕が言っているのは、太ったから型が変わったとか、そういうことを外部の人間がさも知っているように口にするのはどうかということを言っているのです。

それから、「佐藤先生や地曳先生がさっとA~Bへ流す動作~」のA~Bがどの動作を言っているのかよくわかりませんが(たぶん、右方に流す動作のことを言っているのかと思いますが)、そんなことはどうでものいいです。
型に見せる型と隠している部分があるのは、武術的なことを多少でもわかっている人なら常識だと思いますし、僕も時折言及しています。
それに、どのように受けるかという当たり前にやらなければならないことを隠すのは理不尽ですし、昔は入室弟子にしか教えなかったかも知れませんが、そういうところで隠している動作や意味など大したことではありません。
(もちろん「見せれば盗まれるから」ということで、一般に見せないとか、入門者にもすぐには教えないというのは、この世界の習わしとして理解はしていますが…)

あと、他にも色々情報を書いてくれているのは有り難いのですが、何故相手がそれを知らない前提で教えてあげるような書き方をしているのか、また、この記事に対してその情報をコメントとして書くことで何が言いたいのかわかりません。

“意拳”については、僕はよく知りませんが、顔面ガラ空き云々は、型はともかく、実際に構える場合のことは、普通に考えれば、わざと隙を作る(誘う)場合でしょう。
また、この記事の中でも書いていますが、中心に手があるのが常に当たり前というわけでもありません。
それから、どこそこの派が(誰が)どう構えていたとか、どんな写真があったとか、そういうことは判断の材料になりません。
それだって隠しているものかも知れませんしね。
現実的には、その派やその人がどういう理由でそうするかが問題ですし、極論すれば余所のことなどどうでもいいのです。
自分が直接習っていないことを、想像するのは勝手ですが、はっきりと判らないことは、はっきりと判らないこととして、そういう書き方をしなければなりませんし、それを耳にする方も鵜呑みにしてはいけません。
僕はそういうことをこの記事の中で書いているのですし、また、僕自身もわざとぼかしている部分もあります。
もう少し記事内容の意を汲んだ上で、何かあるなら書いて下さい。

Posted by hide~☆ at 2012年02月17日 04:02

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