中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

“拳児”が嫌いな理由

投稿日:2013年4月23日

このところ何かと気忙しくて、またこのブログをサボってしまっていた。
気がつくとまた2ヶ月近く…。
歳をとると時間が経つのがあっという間だ。。

さて、今回の記事。
これも実は、このブログを書き始めた当初から予定していた記事で、何度か書きかけては放ってあった。
(草稿用のフォルダに、入れては出し、入れては出し…)
これまでの話の流れからして、タイミング的にもいいかなという感じなので、ちゃんと書いてアップしておくことにしよう。

タイトルにある“拳児”とは、中国拳法をやっている人ならほとんどの人が知っているであろう、松田隆智さんが原作を担当した漫画、『拳児』のことだ。
僕より幾つか下の年齢以降の人たちは、中国武術を始めたきっかけとしてこの漫画からの影響を挙げる人が結構な割合で居るようだ。
そういう人たちには悪いのだが、僕はこの『拳児』が嫌いである。
今回はそれについてのお話。

『拳児』は週刊少年サンデーで1988年から1992年まで連載された。
連載開始時には、少年サンデーの姉妹誌で武田鉄矢さん原作の『お~い!竜馬』(1986年-1996年)が連載中で、僕は勝手に、武田さんとの繋がりで持ち上がった話なのかな、と想像していた。
説明するまでも無いだろうが、松田さんと武田さんとは、武田さんが原作、脚本、主演を務めた映画『刑事物語』を撮るにあたって、松田さんから蟷螂拳やアクションシーンの武術指導を受けた間柄である。
ちなみに『刑事物語』は、割とヒットして5作も作られた人気シリーズになった作品だが、中でもハンガーヌンチャクが有名で、YouTubeなどにもそのシーンがアップされていたりする。
見たことが無い人は探してみるといい。
今見れば大したこと無いアクションなのだが、当時は(特に拳法をやっている我々のような者たちの間では)、結構話題になっていたものだった。

それはともかく、松田さんご自身の少年サンデーとの縁は、『拳児』よりずっと前に『男組』や『男大空』の頃からあるのだけど(だからかどうかはわからないが『拳児』の作画を担当した漫画家は池上遼一さんの元アシスタント)、漫画原作をやったことが無い松田さんが原作者として直接関わるきっかけとしては、武田さんが先に着手していたことが大きかったのではないだろうか…?
まぁ、それは僕の勝手な想像なので、どうでもいいのだが。
どうでもいいことついでに言えば、僕は、このお二人が、原作者とは言えそんなに細かくご自身でシナリオを書いていたとは思っていない。
たぶん資料や過去の著作やアイデアノートなどと共に編集者や漫画家と打ち合わせをしながら作っていったものだろうと推察する。
それなりにヒットした作品を生み出したのだし、ご自身に漫画原作者としてのれっきとしたノウハウが(連載中にでも)確立されていれば、その後も発表を続けることができたはずだからだ。

『拳児』がリアルタイムに連載されていた頃、多感な中学・高校生時代を過ごした世代は、すでに30代後半~40代になっている。
例えば1988年に中学1年生で13歳だった人は、今年38歳だ。
連載開始時はすでに中国武術がブームまっただ中、武術雑誌『武術(うーしゅう)』も刊行中で、調べてみると創刊されたのは『拳児』よりも約5年前、1982年の暮れ近くだった。
その中国拳法ブームはほぼ、松田隆智さんがもたらしたものと言って過言ではない。
1973年、ブルース・リーがきっかけで、カンフー映画がブームとなり、また、それまで『空手バカ一代』など梶原一騎原作の空手漫画でじわじわと火が付きかけていた空手が一躍ブームとなったが、空手と中国拳法とは、その頃はまだあまり区別されていなかった。
その後“中国拳法”が認知され始めるのは、これも松田隆智さんが関わった漫画『男組』(1974年-1979年)や、それ以降に出版された同氏の数々の著書によるところが大きいだろう。
そしてジャッキー・チェンによるカンフー映画ブームの再燃。。

ついでにこの当時の、『拳児』に至るまでの中国武術やそのブームに関わる出来事を、簡単な年表にして挙げておこう。

1973年(S48) ブルース・リー映画『燃えよドラゴン』日本公開。
1974年(S49) 漫画『男組』連載開始。※休載期間を挟んで1979年まで。
1974年(S49) 松田隆智『太極拳入門』『少林拳入門』(サンポウブックス)刊行。
1975年(S50) 松田隆智『謎の拳法を求めて』刊行。※『拳児』の元となった体験記。
1979年(S54) ジャッキー・チェン映画『ドランクモンキー 酔拳』日本公開。
1980年(S55) 漫画『男大空』連載開始。※『男組』の後継作。古武術&中国拳法。
1982年(S57) 武術雑誌『武術(うーしゅう)』(福昌堂)創刊。
1982年(S57) リー・リンチェイ(現ジェット・リー)映画『少林寺』日本公開。
1985年(S60) 劉雲樵『八極拳』(大柳勝・訳)を始め八極拳の入門書が出始める。
1988年(S63) 漫画『拳児』連載開始。※1988年2・3号から1992年5号まで。

他の作品、著書、雑誌、など、細々としたことは省いている。
一応『拳児』を軸に、ということで。
それから、松田さんの著書でどれが一番古いのかは、調べてみたが定かではない。
中国拳法の本としては、たぶん上記1974年の2冊のいずれかが最初ではないだろうか…?

さて、本題に入るが。
実のところ『拳児』のストーリーを細かく憶えているわけではない。
リアルタイムに連載されていた当時、直接少年サンデーで読んでいたのだが、話が進むほどダレてきて、読む気が萎えつつも一応読んでいる、という感じだった。
好きなジャンルで、それ以前に松田さんの著書にハマッた時期があったのでなければ、とっくに読むのをやめていただろう。
そして、その松田さんに対してもがっかりしてしまう一因になるほど、この作品は(少なくとも僕にとっては)酷い出来だった。

まず、お話が始まって間がない頃、作中でまだ小学生の拳児が、学校の体育の授業で、理不尽な先生にいびられている友人をかばって、先生に逆らい、逆手をかけて撃退するシーンがあった。
かけた技といい、かけ方の描写といい、チビの小学生が大の大人を手玉に取る現実味の無さといい、武術家が思いつくエピソードとは思えないお粗末さを感じてガックリきてしまった。
これが松田隆智原作で無かったなら、そんなことは気にかけなかったことだろう。
しかし、
馬鹿教師相手に毅然とした態度で(悪く言えば上から目線で)、名人さながらに余裕で技をかける、小学生の拳児…。
その態度、姿が、あまりにも鼻につく。
そしてまた、松田さんと関わりのある武術家をモデルとした登場人物のヨイショっぷり。
物語の中で描かれる人生観や武術観についても、優等生や八方美人が口にしがちな、一見正論のようでいて中身の無いキレイごと…といった印象。
出してくることわざなどもいちいち説教臭い。
何より拳児は、よく見れば決して性格は良くない。
礼儀正しいフリをしているだけで、暗に挑発するような態度を取りがちだし、偏った主観を似非君子の衣をまとってごまかす、例えれば「嫌われるタイプの学級委員長」だ。
それが物語の中では都合良く師匠たちに好かれて、色んなことを学んで成長(?)していく…。
それが、何だか空虚なことばかりを言いながら大家気取りになっていく現実の松田さんとリンクするようで、僕にはそう見えて、純粋に漫画として楽しめなくなっていった。
もちろん現実の松田さんとは会ったことも無い。
書いている僕の思い、印象は、あくまでも雑誌や著書を通しての想像でしかない…のだが。。

さらに、漫画を描いていた藤原芳秀氏の絵も、師匠である池上遼一氏の絵に似てはいるのだが、線がザツで、トーンもあまり使わないためのっぺりした画面だったのと、コマ割りや構図が悪いページが多くて読み辛い印象だった。
また、これは池上さんも『男大空』あたりからはそうだったが、戦いのシーンで入門書の用法解説写真そのままのような構図がチラホラあり、漫画としての伸び伸びさに欠けていた。
漫画には漫画独特の大胆な構図の取り方があるのだから、画として迫力ある戦いを演出するべきだろう。

連載が始まってしばらくすると、この話が松田隆智さんの武術体験記である『謎の拳法を求めて』(1975年?)が元になっていることはすぐ判ったのだが、前述のように『拳児』の方が何かにつけ偉そうで、しらけてしまった。
『謎の~』の中で紹介されていた人物も『拳児』の際には、その時点での人間関係によって紹介しないでいる場合があるようだったが、とにかく登場する人物は皆すごい武術家として描かれている。
そして、次々と色んな師に出会って、習っていくわけだが、素朴な疑問、
『そんなすごい人と出会ったのなら、一人に深く習えばいいんじゃないのか?』
と思ってしまう。
経緯の説明が疎かでおかしい。
深く関わってもいないのに、都合良く好かれて教えてもらえて、当の本人はちょいつまみ的に師匠を渡り歩いているだけ、という風に見える。
そんなことで主人公の成長を描くのって、あまりにも嘘臭くならないだろうか…?
他の武術と混ぜて勁道やら戦い方やらを組み立て直す等の理屈も、結局八極拳に戻る云々も、整合性がつかないことだらけだ。
松田さんは漫画原作者としてはプロではなかったにせよ、少なくとも武術に関する部分はもう少し納得できる理屈があっても良かったんじゃないかと思うのだが。

これまたついでだが、
以前、『拳児』のことをもう少し具体的に書くために調べようと検索していたら、赤松健という漫画家のページが目についた。

赤松健論:『拳児』、『史上最強の弟子 ケンイチ』との比較
http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/akamatsu/horon02a.htm

この中で赤松氏は、キャラクターやストーリー手法の面から書いているのだが、僕ががっかりしてしまったことを別の面でほぼ言い表している。
もちろんこの人は漫画論として書いているわけで、一概に『拳児』をこき下ろしているわけではないのだが、ツッコミどころは的確だと思う。
参考までに。

…で。

『拳児』以降、『拳児』に影響を受けて拳法を始めたとか、それが八極拳ならなおさら(笑)、そんな人に出会うと、ちょっとひいてしまう。
ネットでそんなことを書いている人に対しても然りだ。
もちろんこの一点でその人を判断する材料にはならないが、第一印象として、僕の中ではマイナスポイントの一つになってしまう。
SNSや掲示板で、ちょっと中国武術に詳しくて、一見礼儀正しいが正論っぽいことを上から目線で書いているような人を見ると、拳児を模した慇懃無礼なタイプに見えてしまう。。
さらに、武侠映画の中国人のように包拳礼をし合って、武術界を「武林」と言い、拳法仲間が数人寄れば戦隊ヒーローのようにポーズを取ったりする人なら、武術修行者と言うよりもオタ過ぎてアイタタタッ…だ。。(^^;
(まー、現実的視点を持ち合わせた上で武術を追求している人の中にも、そういう人は居るのだろうけど…)

あと、言っておかなければならないが、『拳児』の中では、中国武術至上主義的な主観、その中でも特に北派拳や内家拳が高級拳法という扱い、型を練ることこそが強さへの道、などといった偏った見方が主を成している。
すべてが間違いというわけでは無いにしても、あまりにも鵜呑みにし過ぎて、大人になってもファンタジーの住人のままオタ武術家になってしまうのは、どうにもこうにも痛々しい。
かく言う僕自身が、少しはそんな道を辿った時期もあったわけなので、あまり笑える話では無いのだが…。
だからこそ言うのだが、楽しみ方は人それぞれ、どうでもいいのだけれども、
「強くなりたい!」
--という一点において、そこに拘るならば、現実と幻想の区別をつけて修行すべきだろう。
そしてもう一つ、お節介ながら言うが、手放しに中国人や中国文化大好きな人は別として、強くなりたいがためのアプローチとして中国拳法を選んだのなら、何も中国拳法だけに拘ることはない。
一つを深くやることは大事だが、幅広く見る目も養わなければならない。
それに我々は日本人だ。
中国人のようになりきろうとするばかりでなく、日本なりの消化の仕方があると思う。
そして現代的消化の仕方も。
そんなことも考えながらやってみてはと思うのだが。

まー好き勝手書いたけれども、『拳児』を好きな人は好きなままでいい。
好きな人は好き、僕は嫌い、それだけだ。
ただこういう意見も、客観的に捉えて、何かを考える材料にしてもらえるならば、僕も書いた甲斐があるというものだ。

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

お久しぶりです。
あれから事態はさらに最悪なことになりましたが、
とにかく元気にやってます。資本である体が大丈夫なら、未来は開けます。

ところで、ほぼ同じ理由で私も同漫画が嫌いです。
自分が原因を作っているのに、避けられるケンカを避けようとせず、「ボクは悪くない」と平然としていられる神経が理解できません。
私闘ではなく、友好的な組手や試合のような健全な形での描写にして欲しかったです。

Posted by 東方異人 at 2013年04月28日 10:15

>東方異人さん

お久しぶりです。
あれから時折、「どうしているのかなぁ?」と案じていました。
2~3日前にもふと思い出していたところなので、通ずるところがあったのかも知れませんね。
もうこちらに戻ってきているのですよね?

> 私闘ではなく、友好的な組手や試合のような健全な形での描写にして欲しかっ
> たです。

まー、漫画なので、喧嘩や私闘も含めて“実戦”がある方が面白いし、昔から「ルールある現代武道とは違う」ということを謳っていた“武術”が題材ですから、なおのこと、実戦的な戦いを描いた方がいいという創作上の意図は理解できます。
しかし、戦いに至るまでの理由付け(必然性)や戦いの描写のお粗末さに、失望の念を拭えないといった思いでした。

おっしゃるように組手や試合を通じて主人公が成長していく姿も、描けなくはありませんが、それではスポーツ物になってしまいますね…。
(スポーツ的な側面からアプローチした作品も、それはそれで見てみたい気はしますが…)

どのように描けば良かったかは、人それぞれ思いもあるでしょうが、僕はそこまで口出ししたいのでは無く、穴があり過ぎる内容に嫌気が差したという、ただそれだけです。

Posted by hide~☆ at 2013年04月28日 11:53

はじめまして。
中国武術を斜め読みしていたら貴記事に出会いました。
拳児、懐かしいです。
ダッ、とかいって最初は必ず正拳突きから繰り出さなければ始まらない格闘シーンは今でも“ダサい”の一言ですね。
松田さんは示現流だったかな?、の精神で二の太刀いらずを表現したい向きがあったらしいですが、格闘漫画としてはもうひとつだったなあ。

Posted by さすら at 2014年06月27日 09:52

>さすらさん

こんにちは。初めまして。
コメントをありがとうございます。

> ダッ、とかいって最初は必ず正拳突きから

そうでしたっけ? よく憶えていますね。
でもまぁ、漫画でも、映画やドラマのアクションシーンなどでも、いきなり不用意に正拳突きやストレートパンチを繰り出すというのはよくありますよね。
大勢相手の立ち回りだと演出上テンポ良く見せるためにそういうのも致し方ないかとは思いますが、それなりの役所の相手と1対1で対峙した場合は、もう少し工夫が無いとガックリきますよね。

示現流のことは若い頃の著書でもよく引き合いに出していたような印象がありますね。
晩年になっても武術雑誌の記事などで、一拳に懸ける思いというか、野球で言えば「ホームランバッターを目指す」みたいな意気込みを語っていました。
しかし、松田さんの言う発勁が様々なシチュエーションの打突において本当に強大な威力を発揮出来るものであれば、少なくともその威力については、もっと早い段階で納得出来るものになっていても良さそうです。
あとは当てる工夫というか、技の練度・精度を上げる努力というか…。
これまた野球に例えるなら、ホームランを打てるパワーはあってもボールを打てなければ何にもならないし、ヒットもなかなか打てない人がホームランを打つための素振りばかりしていたとしたら、それはおかしいわけで…。

僕自身は松田さんの語る武術にはツッコミどころが多すぎて次第に受け入れられなくなり、『拳児』はちょうどそういう時期の漫画でもあったので失望を助長するだけのものでしかありませんでした。
でもまぁ、“拳児”をきっかけに中国武術を始めた人は、名作扱いしていたりバイブル扱いしていたりする人も結構居ますね。
それをどうこう言うつもりはありません。
僕は僕なりの考えでこの作品に対する思いを書いてみましたけれども、それでも好きだという人は、好きなままで構わないわけで。
そういう人は、少なくともこの点においては、僕とは相容れないというだけのことですからね。

Posted by hide~☆ at 2014年06月27日 17:37

少年漫画の主人公はヒーローでなくてはいけません(それはスポーツだとかファンタジーのバトルだとか勉強とかジャンルの違いこそあれ)。
でも教科書の代わりになる漫画があってもいい、むしろあるべきと思います。
ただこってり武術教科書を目指していくと「もっと面白くしろ」と当然言われることになり、結局松田氏本人をモデルにしたヒーローが拳児になり、編集長交代による急な連載終了によってあの様な教科書にも完成された少年漫画にもなりにくい中途半端な存在になってしまったと思います。
上で挙げられてるリンク
http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/akamatsu/horon02a.htm
こちらの著者や公開されてる寄せられたメールで見る限り漫画原作をしてない松田氏が原作担当する以上仕方ないですが、そもそも中国武術漫画ですし中国武術至上主義であって普通と思いますし(私は拳児が中国武術至上主義的主張はしてないと取れます。むしろ中国武術じゃなく拳児とその師匠が強いんだと主張してる様に思えます。その証拠に拳児は空手道場に通いボクシングの試合にも出る)。
突っ込みどころのない漫画なんて子供が読んで面白くないと思いますし、そもそも長期連載漫画を構成するメンバーで組まれてませんし(当時の藤原・松田コンビは少なくともそう取れる)。

問題は中国武術関係者が拳児を「迷惑がる」のが問題かと。日本バスケ協会がNBAブームとスラムダンクブームのダブルアシストがあるのに協会が「迷惑」と公言しバスケ衰退させてしまった様に。
ただし拳児は武術書より読みやすくわかりやすいく詳しいため非常に良い漫画と思います。子供が興味を持つのにこういう漫画は必要と思います。そうでないと文化衰退に繋がります。日本バスケの様に(まあ日本バスケのお偉いさんの致命的ポカはそれ以外にも多くあり書ききれませんが)
私は武術関係者でもバスケ関係者でもありませんが、スポーツや武術といったものも当然文化で、武術なんか特に文化保全が難しいでしょう(拳児のお母さんが良い存在になってます)。武術の存在意義もトニーやボビーが良い疑問符を投げかけてくれてます。武術に必要なメンタル面も書いてあります(私の従兄弟が本格的な中国武術家で職場でキレて上司を中国武術でフルボッコして入院させてしまったという問題も起こしてるので他人事ではありません)。

「少年漫画として名作」とは思えませんが「伝統文化保全のための良書」と思います。興味を持つきっかけで難しい点もわかりやすいく書いてある、と思うからです。
というのも私は元教育者かつ趣味がスポーツ観戦でプロスポーツが生き残るためどうあるべきか、伝統文化が若者に継承されるにはどうするべきか、というのを日々考えさせられることが多いからです。

Posted by nysun at 2014年10月29日 03:31

マンガへ現実の投影を求めすぎなんでしょうね。

小説を知っていればコミックが、原作コミックを知ってれば、アニメがしょぼく感じられるのと同じだと思いますよ。

ま、マンガとして拳児ファンとして、文句を書きたくなりますが、こんな考え方もあるんだなと反面教師にさせてもらい感謝です。

Posted by 通りすがり at 2016年09月30日 11:54

拳児の面白さを全然理解してないねぇ。
初期の拳児は少年誌の打ち切りを懸念して万人受けの設定だったから、そこにリアリティ求めるのはナンセンス。
人気が安定して以降の、接近単打、防御技術などの、漫画や映像受けしない要素をとても魅力的に描いている点が価値がある。
師匠を変える点も、漫画としては傑作手法でそこは評価される点だと思うけどねぇ
漫画にしてはリアリティがあり過ぎるからこそ、リアルと混同して文句言う奴が多いのが難点。

Posted by ベガ at 2016年11月10日 12:12

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