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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

高校時代の喧嘩

投稿日:2007年9月27日

中学3年になり、みんなが進路のことで右往左往する時期、僕は何もかもが他人事のように、ただぼーっと過ごしていた。
僕は小学5年生くらいまでは、通知票の評価は悪いがテストの点は悪くないというような子供だった。
どういうことかと言うと、まー、遅刻はするわ、休むわ、授業態度は悪いわ、宿題やって来ないわ、諸々で、評価は散々…というわけだ。
でも理解力と記憶力はいい方だったようで、授業中に遊んだり漫画を描いたりしていても、授業に出てさえいれば大体のことは判って、それがテストに出たときはいい点が取れるといった具合だった。
だが、6年生のときに肺炎にかかって40日以上学校を休んだ。
そのとき算数と理科が解らなくなり、そのままずるずる落ちこぼれていった。
また、今まで書いたような家庭環境だったし、そのせいにばかりは出来ないが、ともかく、気がついたらあっという間に、落ちこぼれのまま中学3年生。
公立高校では学区で一番レベルが低い高校に行くしか無理だと言われた。
そこは噂では、ワルとバカとワルでバカの巣窟だという。
進路のことで先生に呼ばれて、
「高校には行きません」
と、僕はあっさり、答えを出した。
「何?なんでや!?」
驚いて尋ねる先生に僕は、勉強しなかったのは幾らか後悔しているが今さら仕方がないし、私立高校には行かせてもらえないと思う、例のワル高校になど行くだけ無駄だから、働くつもりだと説明した。
それに、正直言うと、中学を卒業したら東京に行って漫画家の永井豪さんのところを訪ねて行こうと、本気で考えていた。。(^^;(苦笑)

しばらくして母から、
「高校には行かへんって先生に言うたんか?」
と尋ねられた。
担任の先生が母に話してくれたらしい。
「私立には行かせてもらえんって言うたそうやな?」
「…うん」
「私立でもええから、高校に行き!」
(えっ!?)
僕は驚いた。
先生からは、工業系のとある学科を勧められていたが、その学科があるのが私立校なので、親に相談もしなかった。
そこへ行けと母は言った。
僕も高校へ行きたくなかったわけではない。
このときばかりは母に感謝した。

その夜だったか、母は妹である田舎の叔母に電話して、僕が高校に行かないつもりだったことを、「担任の先生に~~言ったらしい」から始まり、「よほど金が無いように思われる」だの「格好悪い」だのを長々と愚痴っていた。
母は僕に対して、きちんと向き合って親身に心配する態度などは、まず取ったことが無い。
それでいて、体裁を気にするようなことを露骨に口に出す。
そんなことを思って嫌な気になったが、まぁそれでも、僕は嬉しかった。

進学した高校は、男女共学で普通科や商業科もあり、工業系のとある専門課程の学科が2クラスだけあった。
もちろん、僕のレベルで入れるようなところだから、偏差値は低いし、ワル学校の部類であることに変わりは無かった。
それでも、先に書いた公立のワル学校よりは数段マシだという世間の評価だった。
ちなみに僕が通ったその私立高校は、今ではまあまあの学校になっているらしい。

毎度のことながら前置きが長いが、何故こんな経緯を書いたのかと言うと、話の筋として当然、高校時代の喧嘩と無関係では無いからだ。

僕はこの高校進学に際しては、冷えた関係ながらも親に感謝していたし、金銭的負担をかけてしまったことへの引け目も感じていた。
今さら生まれ変わったように勉強に励むほどの気概は湧かなかったが、それでも、絶対に卒業だけはしようと心に決めていた。
高校に行くと、停学や退学などの処分がある。
問題だけは起こさないようにと、自分に言い聞かせた。

それから。
中学3年のときに、何もかもどうでもよくなった理由の1つに、失恋があった。
色々書いた家庭環境のことなどもあって、僕は自分なりの一途な恋愛観を持っていた。
相手にすればそういう気持ちが重かったようだ。
その相手とは付き合うことができたのだが、しばらくすると離れていった。
だが離れていったかと思うと、向こうから戻ってくるのだ。
僕は想い続けていたので受け容れるのだが、その歓びも束の間、また離れていく。
相手には相手の考えがあって、その子なりの事情や、迷いや葛藤などもあったのだろうが、そんなことを繰り返して、結果的に僕は振り回されたかたちになり、へとへとになった。
そしてそれは、中学3年から高校3年までの約4年間、続いた。

以前も書いたが、空手の道場に通っていたのは中学3年までで、あとは自主練習。
(※2007/02/03『空手 Part 3』参照)
高校に入ってからは、練習相手は先月書いた“Y崎”の記事に登場した“カズ”だけだった。
カズは同じ沿線の高校に通っていたので、時間が合うときは一緒に通学した。
下校後や休日など一緒に遊ぶことも多かった。
しかし空手は、僕が教えるだけで、本人はそれほど熱心では無かったので、型もなかなか覚えず、組手などは“ごっこ”になってしまい、充分な練習相手ではなかった。
そして僕も、付き合っている女の子とうまくいかない悩みで、何もかもが面倒になって、空手の練習頻度は次第に落ちていった。
また、正直言えば、中学のときに強敵に勝って、まぁそれなりに多少は強くなったつもりでいたから、少しくらいの練習不足はいつでも埋められると思っていた。
ずいぶんなご都合主義だが、まー10代の頃なんてこんなもんだ。。(^_^;)

高校3年のとき、学校では休み時間に蹴鞠をやるのが流行っていて、多いときは20人以上が輪になってサッカーボールを蹴り合っていた。
空手経験者が数人居て、それ以外にも、真似事でも足技に自信のある者は、様々な蹴り技を駆使してボールを返した。
完全に、サッカーと言うよりも格闘技まがいの遊びだった。
動きを見ている内に、
「ほう。あいつも空手か何かやってたんだな…」
と、ある程度見分けられるし、僕は何だかんだとサボッていてヘタクソになってきていたので、遊びとは言え見ているうちに触発されてきた。
また、同じクラスに日本拳法をやっているヤツが居て、その頃よく武道の話をするようになった。
そして、あるきっかけで知り合った他校の生徒たちが居たのだが、そのメンバーの内2人が、それぞれ剣道と中国拳法をやっていて、僕の武道好きの想いが再燃することとなった。

さらに。
1年生のときからずっと僕にちょっかいをかけ続けてきているヤツらが居て、僕は爆発寸前になっていた。
でも停学や退学にはなりたくない。
迷いながらも、自信と余裕を取り戻す意味と、もしやることになっても簡単にやられないための準備を兼ねて、空手の練習を再開した。
そしてこれが、記憶に残る2度の喧嘩に繋がっていく…。

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