中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

元同門Nさんとの交流

投稿日:

本当はもう少しあとにする予定だったのだが、タイトルにある“Nさん”とのこと、そして一昨年習いに来ていた“Iさん”のことを、先に書くことにする。Iさんのことは次回。

前回、Nさんのことに触れたのだけど(その前に連絡をくれた元兄弟弟子のO君にも電話で少し話したが)、内容的にリンクする部分があるので、この機に先に済ませてしまおうというわけだ。

そのあと「第二期修行」の続きの予定としては、修行再開後三、四年くらいまでの印象的な出来事を、数回に分けて書いていく予定だ。
S先生との距離が縮まる大きなきっかけは三年目のとある出来事からだが、それは上記の話がざっと済んでから書くことになる。

それから、これは個人的にO君に向けて書いておくのだけど(本人が必ず読むかどうかはわからないが)、電話では今回書くNさんのことを「Yさん」と言っていたのだけど、間違えていた。Nさんが正しい。
早くも名前をど忘れして勘違い……。

Nさんからのコンタクト

同系の太極拳

Nさんからメールをもらったのは、一昨年5月末のことだ。
Nさんは60代だそうで、拳歴は四十年ほど。
良ければ交流したいとの申し出だった。
Nさんが主催している会のHPも書かれてあり、イタズラや冷やかしではないことは見て取れたが、まったく無警戒というわけにもいかない。
ひとまずHPを見せてもらった。
すると、Nさんらしき人と女性会員の写真が1枚ずつあった。
楼膝拗歩の按撃や、ラン雀尾の途中動作のようだ。

(あれ? 同系の太極拳……?)

立ち方や姿勢ですぐにピンときた。
けれど、だとすると、どこで習った人だろう?
四十年も前だと、大阪ならウチくらい。
あるいは東京方面か、どこか余所で習ってきたのだろうか……。

で、返信して、また返事がきて、判ったのだが、NさんはS先生の元お弟子さんだった。
S先生の元で十年ほど習ったのだという。
その十年については疑問もあったが、元同門ということで一気に親しみが湧いたので、早速だが数日後に会うことになった。

待ち合わせ

待ち合わせ場所は難波千日前のアムザ1000。
ここはサウナ&カプセルホテル、ゲームセンター、カラオケ、飲食店などが入っている複合ビルで、割と古くからあり、大阪人、特にミナミに親しみのある人になら、大体通じる場所だろう。
Nさんはここを知らなかったが、ネットで確認できたから来れるとのこと。
午後6時半に1階ロビーで、わかりにくい場合は入り口前で、ということにした。

当日は、行ってびっくり。
アムザ1000の中に入ると、1階ロビーは狭い通路に様変わりしてしまっている。
僕が知っていた頃は、複数の人々が待ち合わせに使えるような少し広い空間が設けられていたのに、そこが店舗スペースとして埋められてしまっていたのだ。
ただ突っ立って待つにしても、立ち位置にも困る。それに暑い。
これは入り口前で立っているしかないか……。

ちなみにアムザ1000の画像を貼っておこう。こんな建物だ。
下記2枚は、ストリートビューやネット検索で見つけたもの。
1枚目の写真のように入り口横にはドトールコーヒーがあったのだが、現在は無くなっていて、2枚目のようになっているらしい。

アムザ1000 ドトールコーヒー

アムザ1000 現在

で、この日僕は、40分以上も早く着いてしまった。
普段から時間を守る方だし基本的に早めに行くようにしているのだが、警戒心もまったく無いわけではなかったので、武道の心得として、先に着いて下準備をしておこうと思ったのだ。
けれど、それにしても、早く着きすぎてしまった。
陽が落ちるのも遅くなってきている季節。夕方だというのにまだまだ空は明るい。
(入る店でも探しておくか……)
時間潰しにちょっとぶらぶら。
千日前道具屋筋のあたりとか、少し外れの方に行けば、平日だしそんなに混んでいない店もあるだろう、と、ひとまずそっちの方へ。

途中、吉本の『なんばグランド花月』の前を通ると、若い男の子がビラ配りをしているところに遭遇。
「僕、漫才師で、あとで舞台にも立つんで、良かったら来て下さい!」
「えっ、そうなん? 頑張ってるねぇ! でも今日は人との約束があるから行かれへんわ。ごめんな-」
などと言いながら素通り。
それにしても駆け出しとは言え芸人が直接ビラ配りとは、なかなか大変なもんだ……。

そのグランド花月の南側に、扉を開けて準備中のような店があったので、ひとまず覗いてみた。
落ち着いて話せるよう、孤立したテーブルか座敷があればいいのだが……。
「2階にお座敷がありますよ。平日は2階を利用する人は少ないので、よかったらどうぞ」
愛想のいい30代の女性店員が言ってくれた。
「じゃあ、あとで来ますね」
僕は即決。大体の時間を告げてアムザに戻った。

ちなみにこの店、屋号は『羅漢』
オススメなので、大阪の人のために情報提供しておこう(笑)
下記リンクは『食べログ』内の紹介ページ。

◆羅漢(らかん) 本店
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270202/27003213/

やって来たNさん

アムザに戻った時点で20分前。まだ時間がある。
歩いて喉が渇いたので、ドトールコーヒーに入ってアイスコーヒーを飲みながら待つことにした。

SIMフリーのスマホ端末でゲームをして暇つぶし。
このスマホは外出時、移動中に音楽や動画を視聴するために買ったもので、電話や通信の契約はせずに使っている。今も健在だ。
ただ、携帯はガラケーなのだが、最近スマホをもう一台契約したので、この端末はあまり使わなくなって、今はトイレ用ゲーム機と化している。

しばらくすると、Nさんから携帯にショートメッセージ。
難波に着いて、こちらに向かっているとのこと。
こちらは先に着いていてドトールコーヒーの中に居ますと返信。

待ち合わせ時間の2分ほど前だったかな、Nさんらしき人がアムザ前にやって来た。
HPの写真だけでは判りにくかったが、たぶんそうだろう。
本人なら店に入ってくるだろうと思って見ていたら、アムザとドトールの間付近でこちらに背を向けて立ち始めた。
さっきの居酒屋『羅漢』に移動するには早いかもしれないので、少しお茶でもと思ったのだが……。
しょうがない。まあ一人で来たようだし、出ていくか。
そして表で挨拶。やはりその人はNさんだった。

Nさんはメールでの文章の通り60代で、かなりの猫背。そして、こう言っては申し訳ないが年齢よりちょっと老けた感じの人だった。
僕は早く着いたので店を見つけてあることを話して、そちらに移動しましょうと一緒に歩き始めた。
そしてまたグランド花月の前で同じ芸人の男の子に声をかけられ、それを断って、『羅漢』へ。

Nさんの武術歴

入門時期と在籍期間

『羅漢』の外観の写真を見つけたので画像を貼っておこう。

羅漢

白い看板の横に見える窓が、2階座敷のあるところだ。
座敷の写真はこれ。

羅漢 2階座敷

写真の右側奥の窓際のテーブル。Nさんに奥の窓際に座ってもらい、僕は手前に座った。

この日はひとまず親睦のための会合。昔話に花が咲いた。
話によるとNさんは、どうやら僕と重なる時期にS先生のところで習っていたらしい。
そして入門は僕より早いようで、話の内容から察するに僕の兄弟弟子だったT君がやめるのと同じ頃まで居たようだ。

ただ、S先生に十年習ったというのは、つじつまが合わなかった。
まず最初、メールには「18歳から習った」と書いていて、その後のやりとりで「20歳からだったかもしれない」と訂正していたのだけど、S先生が支部を任された時期からすると、それでもちょっと合わない。

18歳って高校を卒業する時期だから、そんな頃に入門した記憶の18歳と20歳を間違うかなあ? ……というツッコミは置いて、僕の記憶では確か、S先生が道場を始めたのは、T先生より半年か一年先だったと思う。
T先生が道場を始めたのは22歳のときだ。
S先生は学年でT先生より一つ上だが、早生まれなので生まれ年は同じ。
月で言えば差は半年ほど。
S先生が21歳で道場を始めたとして、NさんはS先生より2、3歳上だったから、23、4歳で入門したことになる。
仮に僕の記憶が間違っていて、S先生がもっと早くから始めていたのだとしても、未成年の内に……ということは無いのではないか。

で、Nさんが、S先生が道場を始めてすぐ入門していたとして、やめたのがT君と同じ頃なら、T君の在籍期間が6年くらいだったから、Nさんの在籍期間は長めに見積もって8年くらいだろう。
――なので、
始めた時期や習っていた年数に関しては、記憶違いと言うよりは、嘘をついていたんじゃないかと思っている。

けれどまあ、それ以外は、Nさんは割とオープンな印象だったし、当時のことをよくご存知で、僕の記憶と合うところも多く、僕たちと同時期に在籍していたことはほぼ間違いない。

他派との交流を経て

S先生のところを離れてからは、他派の人を訪ねて色々交流してきたそうだ。
その中でも“武壇”の人と知り合ったことが大きくて、武壇系の内功を教わり、主にそれを取り入れて今の自分の太極拳を作り上げたのだという。

そのあたりになると僕はちょっと首を傾げてしまったのだが、まあ、話だけでは何とも判断できない。
ちなみに何故、僕が訝しく思ったのかというと、日本では松田隆智さんの影響で「武壇」が一種のブランドのようになっている向きがあったからだ。
武壇の名を出せば、それだけで「凄い」と思ってもらえるような……。
だから、武壇の技を取り入れたというのが本当でも、それで箔をつけたつもりだとしたら、返って胡散臭くなってしまうではないか。

それはともかく、面白い話もあった。
印象的だったのは、中国人武術家Iさんの話。
「Iっていう人を知りません?」
「いえ、わかりません。有名な人ですか?」
Nさんはちょっと発音がおかしくて、ところどころ早口になったり舌足らずな感じになったりで、音を省略したような発音をする。
その中国人のことも、日本語読みで5文字なのに4文字に聞こえて、また、ちょっと不明瞭な発音だったので、僕は最初は誰のことかわからなかった。
で、話をするうちに、武術雑誌で見たことのある人だと判った。

そのIさんは、入門書も著していて、一時は中国武術雑誌にもよく登場していた、割と有名な人だ。
もっともその時期、僕は武術雑誌をあまり買わなくなっていたので、どれくらい雑誌に登場していて、どの程度の知名度だったのかはよく知らない。
住まいや活動は兵庫県の大阪寄りの地域らしかったが、今も活動を続けてらっしゃるのだろうか……。

で、一時はネット掲示板などで、女性会員をレイプしたとかいう悪口を書かれていたらしいのだが、それで「レイプのIさん」という言い方でNさんは僕に伝えようとした。
「あー、そう言えばそんな書き込みを見た覚えがありますよ。でもそれってホンマの話なんですか?」
Iさんのことが判ってから改めて訊いたが、Nさんは知らないと言う。
じゃあ、決めつけた言い方をしたらダメじゃないですか、と、僕は笑いながら返したのだけれど。

「で、そのIさん、会ってみてどうだったんですか?」
「いやあ、ちょっとおかしな人でね。いきなり不意打ちをされそうになりましたよ」
「へー。どんな状況で、どんなふうにですか?」
するとNさんは、言葉をうまく整理できないのか、ちょっとわかりにくくて、僕は途中で聞くのが面倒になってしまったのだが、要約すると、有名な人なので期待して会いに行ったが、いきなり殴られそうになってカチンときた、大した人では無かった、ということのようだった。

まあ、印象に残ったのは、IさんよりもNさんとのやりとりの中で感じた会話のもどかしさの方だったかもしれない。
他にも一つ二つ聞いたと思うが、それはあまり憶えていない。

そうそう、前に書いたことのある“F田君”(具一寿さん)のことも憶えてらっしゃった。
いつのことかわからないが、一度街で偶然バッタリ会ったそうだ。

――で。

武壇の人と出会って、その人としばらく交流を持って、色々教えてもらったとのことで、その人は蘇昱彰さんの系統だったそうだ。

ただ、Nさんは、八極拳と何か武壇の型を幾つか習って、稽古しているものもあるけど、基本的には長年馴染んでいる正宗太極拳を中心にしてやっているのだという。
この太極拳だけは気に入っているので、武壇の身法や勁論や気や呼吸諸々を融合させて続けてきた、とのことだった。

また、何年か前に何やら重い病気にかかって、その後、太極拳をやることで健康回復を図れたので、その良さを伝えたくて、護身と合わせて教えているのだそうだ。

……ただ、まあ。

正直言うと、Nさんの言っていることは、それはそれで解るのだけど、どうも何か勘違いしてらっしゃるような気がしてならなくなり、交流することで何かを得られるとか、参考にさせてもらえるとかいうような期待は、話しているうちに萎んできてしまった。

けれど元同門の誼や縁というものもあることだし、考えの違いはあっても、Nさん自身は気のいい人のようだったので、今後も会うこと自体は、この時点では、やぶさかでは無かった。
昔話をするのも楽しかったことだし。

そんなこんなで、とりあえず、
(次回は外で何か見せてもらおう)
と、思いつつ、終電近くまで飲んで、その日は別れた。
ちなみにその日2階のお座敷には客がまったく来なかったので、終始落ち着いて話が出来た。階下では賑やかな声が聞こえていたけれども。

思い当たること

ところで、Nさんと話していて、気になることと言うか、思い当たることがあった。
それは、前にネット上で話したことがある、同系の太極拳をやっているらしき大阪の人で、師匠のことは明かせないという人が居たのだが、どうもNさんのことじゃないかという気がしたのだ。
何となく話の内容がリンクするような感じだったので……。
けれど、そう思ったのはNさんと最後(二度目)に会ったときで、そのときは聞くのを忘れて、その大阪の人とも交流は無いから、もう確かめようが無いのだけれども。

二度目の会合

稽古のお誘い

一週間ほどして、二度目のお誘いがあった。
Nさんがやっている教室でモニター(無料?)の指導を始めたため、しばらく忙しくなるが、その週の土曜日は少し時間が空いているので、夕方あたりに会って一緒に稽古しないか、――とのことだった。
僕は承諾の返信をした。
再びアムザ1000、今度は午後5時半に待ち合わせ。

6月の第二週。結構暑い日。
少し外れに行けば公園があると思っていたのだが、甘かった。
長らくミナミをあちこち歩くことが無かったから、その様変わりを知らないでいたのだ。
繁華街近くの公園には柵が設けられて施錠されていたのだった。
「えーっ! こんなことになっているの?」
セキュリティ対策なのか……。
夕方以降は入れないということかな?
僕は浦島気分でただただ驚くばかり。

で、大国町寄りのオフィス街あたりで庭のようなスペースがあったので、そこに入った。
記憶を頼りに地図やストリートビューで探してみたら、あった。
南海なんば第1ビル。↓写真のような場所だった。

南海なんば第1ビル

ひとまずNさんの型を見せてもらうと、前回書いた通り。

次は僕の型を、と、やりかけていたら警備員が通って、ここから出るようにと怒られてしまった。
写真を見てもわかるように、そんな注意を受けるような場所かな……と思ったのだが、けれどまあ、ごねても仕方がない。
写真の右脇付近の歩道側まで出て、そこで続けた。

「hideさんの型は、何だか意拳のような感じですね」
「え? そうでしょうか……」
元同門だというのに、こんな意見が出るとは。
(いや、シャレでは無くて)

「ところでNさん、実はミットを持ってきたんです。ちょっと突いてみてもらえませんか」
僕はカバンから小さいミットを出して構えた。
「こういうミットは打ったこと無いんですが……」
「そうですか。どんな突き方でも構いませんから」
するとNさん、軽く一歩出る感じで、崩拳で打ってきた。

ボスンッ。

ちょっと頼りない当たり。

威力がイマイチですね、と言うと、Nさんは「いや、実際には体当たりのような感じで突くし、浸透するから」というようなことを、ムキになって言い返した。
「じゃあ今度は、空手や少林拳みたいに横拳で突いてみてくださいよ。そっちの方が普通に威力出るでしょ」
そして突いてもらったが、それもあまり変わらなかった。

実は、僕が前回ちょっと触れたNさんのことついでに、Nさんや去年ウチに習いに来ていたIさんのことを先に書こうと思ったのは、この部分を思い出したからだった。
(※このIさんは、さっきの中国人Iさんとは別の人)

Iさんが面談・体験に来たときにもミットを打ってもらったのだが、まったく同じだった。
同じように崩拳で突いてきて、ボスンッ、――という頼りない突き。
さらに言えば、何年か前に見学に来た100キロ以上ある人も同じだった。
どうしてみんな、長年やっていて、そんな突きのままで疑問を抱かないのだろう……?

それから、前に柔術の話が出て、僕とそういう稽古も一緒にしたいと言っていたので、心眼流や大和道の型をやった。
その中で大和道の型(二人組でやる基本技)を、忘れたと言うので実技を交えて説明していたのだが……。

Nさんは固い。体が固いのは僕もそうだが、Nさんは動き自体が固い。
それに加えて、僕が説明しているときに不意打ちを警戒するような感じで、手首を捻る動作のときに逆らったり、身構えたりする。
僕は、呆れるのとカチンときたのとで、パンッとNさんの肩のあたりを叩いて、
「今説明してるやないですか! 心配せんでも、いきなり痛いことやひどいことをしたりしませんから!」
と、ちょっと怒った口調で注意した。
Nさんは、女に頭の上がらない男が怒られたときのように、ちょっとシュンとして、照れ笑いと苦笑いが混ざったようにへらへらと笑っていた。

それからK拳の鍛錬をサワリだけ教えて、一つを10回程度だが、一緒にやった。
Nさんはそのときも、ムキになって力んで、同じような鍛錬は武壇のにもあると、そのあと対抗するように、二つ三つ僕に説明した。
ただそれはどこでもやるような、他のスポーツでもやるような、ごくフツーの筋トレの類で、K拳の鍛錬の意味がまったく伝わっていない感じだった。

……まあ、素人でなくとも他派の人ならそういう反応でも仕方がないが、
(S先生に何年も習っていてそれ?)
と、内心はちょっと呆れてしまっていた。
それに、些か感情的になっていて、それが武壇の側のスタンスなのも引っかかった。
両方からいいとこ取りしているのなら、もう少し中立的に物事を判断しても良さそうなものだし、交流したいというのなら、謙虚に理解しようとするところも必要だろう。

それにしても暑かった。
土曜日のオフィス街とは言え、人通りも多少はある。
歩道側に出てから30分もしないうちに、今日はもうここまでにして飲み屋に移動しようということになった。

移動の道々

僕は『羅漢』が気に入っていたので、またそこに行こうと誘った。
繁華街であんなに落ち着いて話せる店はなかなか無いだろう。穴場だ。
千日前までは、一駅分くらいの距離を戻らなければならない。
まあ、それくらいを歩くのは何でも無いが、途中から人混みの中を通るので30分くらいはかかりそうだ。
その間も武術の話をしながら歩いた。

前記事にも書いたように、Nさんの太極拳がしっくり来なかった僕は、少々意見を述べた。
あまり憶えていないが、たぶん、型が小さくなり過ぎていて攻防動作が疎かになっているというようなことを言ったと思う。
動きを小さくするというのは、無駄を省いていくことで、ただ単に動きそのものを小さくしたり省いたりするのとは違う。
それくらいフツーわかるだろうって話だ。

それに、例えばウチの太極拳で言えば、どこを中心にして演武するのか、どこを支点にするのか、という点が変わったりする。
それは教えてもらわないと気がつかないだろうから、少なくともNさんは、そこは知らないことになる。

つまりNさんは、ウチのやり方については、僕が最初に4年ちょっとで一旦抜けた頃と変わらない知識のままなのだ。
それで余所の内功を教わって、奥のことを知った気になって、そっち側に立った言い方になるのだろう。
少なくとも僕からすれば、そのように見えた。

それに僕も、前に“T宮”という昔の友人のことを書いたが、そいつが双龍会で習ったという武壇系の八極拳や内功の一部を教えてもらった。
数年しか習っていなかったT宮がどれほど知っていたのかは、今から思えば怪しいが、Nさんが話すことはT宮とも似ていて、ほとんど変わらなかった。
いや、まだT宮の方が、“新聞抜き”も出来たし、重みを感じさせる突きも繰り出していたので、その分武術らしかったのではあるまいか。

まあ、そんな話の流れで、武壇を特別みたいな捉え方をすることに対する批判のようなことも言ったと思う。
するとNさんは、一時期よく会っていた極真空手の人が居て、その人が武壇八極拳の人と組手をしたという話を持ち出してきた。
その極真の人は、Nさんが認めるくらい大した腕前だったが、八極拳の人が手強くて、極真の人も唸った、――とのことだった。

「そう……なんですか…………」

その説明がまたひどかった。
「八極拳の側が猛虎硬爬山を打ってきたから、極真側はそれを避けてローキックを返したんですけど、すると八極拳は……」
――と、正確では無いがこんな感じ。

とにかく「猛虎硬爬山」だけは話の最初に出してきたのを憶えている。
お互い『男組』を知っている世代だから、食いつくと思ったのだろうか。
けれど、漫画はともかく、僕は実際の猛虎硬爬山をよくは知らないが、型をそのまま技として、自ら仕掛けるようなものなのだろうか……?
どんな技でも、自ら仕掛けるときには、誘いや牽制のようなことをするはずだろう。
それも含めて、初動を見ただけで「これは猛虎硬爬山だ」となるだろうか?

要するにそのときのNさんは、極真相手に善戦した武壇八極拳の人のことを、武壇擁護として言いたかったようなのだが、僕はちょっと辟易して、
「いや、そういう話はもういいですから」
と、話が長くなりそうなところで最後まで聞かずに切ってしまった。

もっと言えば、極真空手を特別視するのも、梶原一騎原作の漫画を読んだ世代にありがちで、僕も昔はそういう時期があったのだが、それもどうなのよ、――なのだ。
それに、Nさんが力量を認めていたからと言って、どれくらいの腕前かは、伝わらないではないか。

再び羅漢2階

当てが外れて、『羅漢』は2階座敷も混んでいた。
それもそのはず。土曜日なのだった。
週末なのは判っていたことなのに、Nさんにかき回されて、いつの間にか前回のイメージのままお邪魔しようとしていた。
若いグループが何組か居て、その喧噪もあって、ただでさえ聞き取りにくいNさんとの会話に支障があったが、まあせっかく来たのだからと、そのままここで飲むことにした。
余所に行ったって混んでいるに決まっているので。

店に入ってからの会話で憶えているのは、Nさんがあまりにナニナニ拳とか言うものだから、面倒になって、僕が「どれも一緒ですよ」と返したことだ。
「例えば楼膝拗歩ですが、これ大雑把に捉えれば、空手の下段払いから中段突きの動きと同じでしょう?」
するとNさん。
「いや、僕は空手はわかりませんから……」
僕は両者を身振り手振りで説明して、ほら、同じでしょ、と繰り返したが、それを見ても「いや、わかりません」の一点張り。
この比較はちょっと乱暴かもしれないが、同系の技という意味ではそうだろう。
そして、何を言いたかったのかというと、名の通った拳法だから優れているとは限らない、同系の技はどの拳法にもある、ということだ。
もちろんその中での優劣はあると思う。
特に、基本の基本のような大きな動きの型をそのまま実戦で使えると教えるようなところや、押し飛ばすような用法しか教えないようなところの技は、僕は、比較にならないと思っているが、きちんと威力養成を行って攻防の術を教えるところのものなら、それは習う人自身がどれだけ自分のものにできるかで、ナニナニ拳をやったから強いというような問題ではないだろう。

『ダメだ、この人は。話が通じない……』

とてもS先生に何年も習った、元同門の人とは思えない。
Nさんは、どちらかと言えば、日本で一般的に浸透している、武術雑誌にあるような見方の中国武術の人だ。
まあ、「気」だの「勁」だの言うのだからそうなのだろうけれども、これほどまでにそっち系に染まっているとは……。

「ところでNさん、昔、力の鍛錬を少しはやったでしょう? そのとき、K拳のことは教えてもらわなかったんですか?」

――と、こんなことも、尋ねてみた。

確かこれについては、僕同様、昔は「太極拳の鍛錬」と聞いていたのだったと思う。
ただ、S先生が自宅の庭で稽古していた時期にも、NさんはまだS先生に習っていたそうだが、その当時にもS先生から年寄り扱いされ、
「あんた、年でしんどいんやったら、この稽古はほどほどにしときや」
と言われて、あまり一緒にやらなかったのだそうだ。

それで、その後の他派との交わりで、中身がほとんど他派に染まってしまうのだったら、いっそ全部乗り換えてしまえば良かったのに。
これでは、ご本人はいいとこ取りしているつもりかもしれないが、芯というものが無くなってしまっているように、僕には思えてしまうのだが……。

結局また終電近くまで飲んだが、最後の方では、僕は辛辣なことを幾つも浴びせかけた。まあ、年上なので多少は言葉を選びながらも。

そして、これでもう交流は終わったと思った。

するとNさんは、次の月になって、またメールをくれた。
しばらく多忙になるが、それが落ち着いたらまた連絡します、というようなことが書かれていた。
けれどそれきり、その後は連絡が来ることは無かった。
僕は正直どっちでも良かったので、こちらからは連絡をしなかった。

その後……

余談だが『羅漢』にはその後も何度か足を運んだ。
但しその内、店に入ったのは2回だけだ。
一度は平日、小用でミナミに出たついでに一人で寄ったのだが、その日はお客がほとんど来なくて、1階で飲んでいるうちに店長や女性店員と話し始め、一緒に飲もうと振る舞って、終電ギリギリまで飲んだ。
それで二人とも仲良くなったが、あまり大阪市内に出て行く機会が無いため、それから何ヶ月も行かなかった。

そしてしばらくして行ってみたら、女性店員の方はやめてしまっていた。
僕は二人と話すのが楽しかったので、半分がっかり。
それでも、その日も空いていたので店長と二人で長々と飲んだ。
店長は、お客が来てオーダーが通る度に厨房に入ったが、また戻って相手をしてくれた。そして、またもや終電近くまで。

それからまた何ヶ月も空いたが、行ってみたら、1階が改装されてカウンター式になっていた。

羅漢 1階 旧

↑こんなだったのが、↓こんなふうに……。

羅漢 1階 現在

外から見えた店内は、平日だというのにずいぶん賑わっていた。
で、何となく一人では入りづらくて、引き返してしまった。
あともう一回、別の日にまた店の前まで行ったが、そのときも混んでいたので引き返した。……小心者なもので。

補足とか諸々

この記事を書いている途中で、Nさんは今どうしているのだろう、と思ったので、久々にHPを見てみようとした。
すると、NさんのHPは無くなってしまっていた。
検索エンジンで会の名称を入力すると、教室案内やら掲示板やらあちこちに宣伝して回っていたらしく、その残骸がヒットした。

Nさんは電子書籍を作ってアマゾンで売っていたのだが、それは残っていて、今も売られていた。
ちなみにこの中身については、僕は知らない。
レビューもついていないので、売れていたのかどうかもわからない。

あと、Facebookで検索してみると、ご本人らしき人が2人ヒットした。
2アカウント取っていたのだろうか……。

それと、これも検索していて見つけたのだが、情報商材としても太極拳のDVDやら何やらを売ってらっしゃるようだ。
形振り構わず商売にしようとしている感じだなあ……。

色々書いたけど、向こうから連絡があればまた会ってもいいくらいの気持ちはあった。
でも、この情報商材の売り方を見て嫌になった。

あと、書き忘れていたことを幾つか。

Nさんとの思い出話の中で出てきたのだが、Nさんは僕の兄弟弟子だったT君のこともご存知だった。
T君がS先生の預かりになった時期に会っていたようだ。
そして、驚いたのが、僕がT先生と再会後に通っていた学校に、NさんはT君と一緒にお邪魔したことがあるとのことだった。

また、S先生のところに行くようになって5年くらいのときの夏の飲み会の帰り、お弟子さんのST君も、T君と一緒にT先生の学校にお邪魔したことがあると言っていて、驚いたのだが、同じ話をNさんからも聞くとは。

そして、笑ってしまったのが、両者共、学校に着いてからずいぶん待たされたのが印象に残っていると話したことだ。

いや、本当は笑えない話なのだが、やっぱりT先生は、T先生だ。

ST君は飲み会の帰りの電車の中で、
「すっごい待たされたのが印象に残って憶えてますよ」
と言っていて、そのときは呆れる思いだったのだが、それと同じセリフがNさんの口からも出たときには、思わず吹いてしまった。

ただ、僕は、これは記憶違いだろうけど、学校があるA駅の隣のN駅に住んでいたのがT先生と再会する約10年前から7、8年前までの数年間で、T先生の赴任年数を聞いて、
「ギリギリ、どこかですれ違っていた可能性もありますね」
というような会話をした記憶があるのだが……。
そして、僕がT君と最後に会ったのは、T先生と再会した時点からすれば十数年も前だ。
だとするとT先生は、そんなに前からあの学校に居たということか……。

それからもう一つ奇遇なことが。

今までにも書いたことがあるS井君というお弟子さんが、東京に転勤になった時期があって、その間は西郡先生の道場に通わせてもらっていたそうなのだけど、そのとき、稽古後にみんなでお茶(?)する際には、西郡先生が「もっとこっちに来い」とか「遠慮せずに真ん中に来い」とか言ってくれたそうだ。
「お前、S君の弟子なんだから、もっと偉そうにしてていいんだぞ」
――みたいなことも。

Nさんも、同様に仕事が東京方面になったことがあって、その間は西郡先生のところにお世話になったそうで、やはり同じことを言われたらしい。
西郡先生と会ったことがあるかという話の流れでNさんがこういうことを言ったので、思わず僕は、
「あっ、それS先生の他のお弟子さんも同じことを言ってましたよ!」
と返した。

以前コメントをくれた、西郡先生の元お弟子さんだったジャッキー・チュンさんも書いてくれていたけど、また、他のネットでやりとりした人からも聞いたことがあるけど、西郡先生はS先生のことを「大阪のS君」と言ってよく話題にしていたそうだ。

こんな感じの思い出話は、聞いていて楽しかったのだけれども。

……それにしても。

同じ門下出身で、一定の年数以上習った者同士でも、こうも考えが違うのだから、おかしなものだ。
Nさんと会って、こうしてまともなことが伝わらなくなっていくんだな……ということを、改めて思った次第だ。

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