中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

迷走

投稿日:2007年3月25日

3人の兄弟弟子を思い返してみて、ふと思うのは、僕は良くも悪くも彼らの中間だったなぁ…ということ。
T君ほど努力家でも無い、K阪さんほど拘りもない、K池君ほど素直でもない…といった感じ。

みんなとの稽古は楽しかったのだが、結局僕は、一番後から入って一番先に抜けてしまった。
約4年居たろうか…。

その頃の僕は、親がまた離婚するかも知れなくて、家の中でごたごたが続き、居場所が無くなっていた。
将来への不安もあり、気持ちが荒れ、当時つき合っていた女の子にも当たったりして、別れてしまった。
それから母親が怪我で入院して、義父は妹を連れて実家に帰り、僕だけが一人で家に居て、バイト代だけで食いつないでいるような生活になった。
道場は楽しかったのだが、先生やみんなと会っているときだけ平然としている自分とのバランスが少しずつ取れなくなっていった。
バイトも忙しく、金銭的なこと精神的なこと諸々絡んで、段々休むようになった。
そして、みんなとの差が開き始めているのを感じるようになった。

それまで、内心、競争意識が無かったといえば嘘になるし、少なくとも後れを取りたくなくて頑張っていた気持ちが、一気に緩んで、萎んでしまった。

それで先生に、
「しばらく来られなくなります」
というようなことを言って、行かなくなってしまった。
休み始めた頃は、兄弟弟子たちは、特にK阪さんが中心になって、
「新しい型を習ったから…」
というように連絡してきて、続きを教えてくれたりした。
とても嬉しかったが、僕的には何となく限界のようなものを感じてしまったのと、私生活での気疲れで、結局、一旦やめるという選択をしてしまった。
落ち着いたら戻って来たいとは思っていたが、その後は完全に水商売どっぷりな暮らしになったし、何となく顔を合わせ辛い思いで、月日が流れていった。
拳法の練習は自分なりに続けていたのだが、仕事柄毎日酒を飲むので、頻度は落ちていった。

そして数年経った。
あるきっかけがあって、水商売をやめようと決心し、自分を叱咤する意味でもう一度鍛え直したいと思うようになった。
それで道場に復帰させてもらおうと、先生に連絡を取ってみた。
…だが。
僕にとってあまりにも意外なことになっていた。
あの熱心だった兄弟弟子たちがみんな居なくなってしまっていたのだ。
先生は快く受け容れてくれたが、弟子は新しい人が1人居るだけだった。
一体どうしたのかと思って、みんなに連絡をとってみた。

…それぞれの考えがあった。

僕が居ない間に学ぶことも幾らか進んで、みんな自分なりの武術観を持っていて、あとは自分たちでやっていけるという考えになっていた。
まぁ、先生の元を離れた理由の中には、先生とのすれ違いや誤解なども含まれていたのだが、それはそれで仕方がない。

ともかく僕は、続きを習いたくてまた先生のところへ通うようになった。
新しく入っていたT中君は、そのとき入門して半年ほどで、太極拳の型もまだ全部覚えていなかった。
先生のところでは、僕が前にやめる少し前から特殊な稽古を行うようになっていて、この頃にもその稽古に時間を割くことが多くなっていたため、型がなかなか進んでいなかったようだ。
それで帰りに型の続きを教えてあげたこともあった。
しかしT中君は、理由は忘れてしまったが、しばらく来られなくなるとのことで、残っているのは僕1人になってしまった。

この頃の先生は、すでに就職して、結婚していたため、支部道場というかたちでやっているわけでは無くなっていた。
僕が最初に居た頃、先生方はとある師範に師事するようになり、その方に付いて、金兵衛先生のところを離れて別団体となっていたのだが、先生は仕事の方が忙しく、支部として続けるのが難しくなっていたようだ。
なので、ご自宅で個人的に教えてもらっているようなかたちだったのだが、やはり仕事が忙しいためか、帰宅するまで待たされることも時折あり、自分1人のために申し訳なく、居辛い気持ちになった。
また僕も、せっかく水商売をやめて就職したのはいいが、給料がそれまでの半分ほどになり、生活に窮してしまった。
生活のことを考えると仕事をまた変えざるを得ない。
あまりにも計画性が無く、甘かった。
それで結局、
「すみません。仕事の都合で…」
と、また先生の元を離れてしまった。

それからいろんなことをやった。
しばらくして何とかマシなところに就職し、サラリーマンとして落ち着きかけたが、何年かすると小ぢんまりとまとまるのが嫌になり、飲食店を始めた。
だがそれは2年ほどで失敗。
そして、大怪我をした。
利き手である左手が不自由になったため、武術をあきらめてしまった。

拳法の練習は、頻度はともかく、怪我をする前までは続けていた。
独自に試行錯誤もしていたし、本当にまた先生のところに行きたいと思っていたのだが、さすがにこの怪我は堪えた。
左手がある程度は運動に耐えるほど回復するまでには、結構時間がかかった。
商売にも失敗して二重苦の状態…。
そこから新たに自分がやっていけることを確立するまでには、何年もかかってしまった。

今の仕事をするようになって、収入が落ち着いてきてからは、時々また拳法の稽古をするようになった。
どこかしら未練があった。
しかし、あれほど熱心にやっていたにも関わらず、習った型の幾つかは忘れてしまっていた。
年齢も上がり、体も鈍ってしまったし、
「何か習いに行こうか…」
と思うようになった。
しかし、それにしても、一度は先生に連絡を取ってみようと思っていた。
何だかんだ言ってもこの流派で習ったことが自分に馴染んでいたし、
「今頃何言うてんねん」
と突っぱねられるにしても、ともかく話してみて、それで他に行くかどうかを決めようと思っていた。
それで、連絡する前に少しくらいは自分の体を元に戻そうと、それまでよりはマメに稽古して、拳法関連の書籍を改めて読んだり、ネット上の情報を集めたりした。

先生と再会したのは一昨年のことだ。
ネット上の某所で、先生が僕を見つけて、メールをくれた。
連絡しようと思っていた矢先だったので飛び上がるほど驚いて、すぐに返事を書き、今までの事情を説明した。
それから直に会って、また教えていただけることになり、今に至っている。

ところで、奇妙に思うことがある。

先生の元を最初に離れたとき、少しばかり限界を感じていたし、太極拳の動きが体に馴染んでいる実感も無かった。
入門した頃は、3年もすればそこそこ使えるようになると思っていたのに、自分が変わったとは思えなかった。
それが、
体の使い方や色々なことに気づいて来たのは、1人になってからだ。
もちろん、それぞれきっかけがあった。
それはまた別項で書くけれど、結局、細々とでも続けて来たことで、いろんなきっかけや出会いがあった。
そしてそれが今に繋がっている。
これも縁というものか。。

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