中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

徒手空拳

投稿日:2008年11月7日

今回は原点に立ち返ってみる。
素朴な疑問、徒手空拳(素手)の武術って何なのだろう…?

中国武術は、武器法を含む総合武術であり、拳法も刀、剣、槍など、武器の操法が元になっていると言われている。
昔、戦場で戦った時代や、何らかの武器を携えていた時代なら、個人戦における武技と言えば拳法より武器の使い方が中心だったことだろう。
しかし今は刀剣類を持ち歩く時代ではないし、もちろんそれらを使って戦う時代でもない。
日本で中国武術が脚光を浴びるようになったのも、当初は徒手空拳の格闘技“中国拳法”としてだった。

ところでその武器だが、現代では、武器の操法は型として伝えるしかない。
例え武術家同士でも実際にそれで命がけの果たし合いをするわけにはいかないから、本当にその型のように使えるのかどうかは、つまるところ、わからない。
日本にしても、古流剣法や居合は、型が中心だ。
竹や藁の試し切りはしても、本当に人を斬るわけにはいかないし、まして刀を抜いての真剣勝負などできないのだから、昔の人がどう戦ったのかは、やっぱりわからない。

何かの本に書かれていた幕末の話で、こんなのがある。
あるとき、志士たちが集まった場で、その中の2人が口論となり、お互いに抜刀した。
周囲が止めに入ったので大事には至らなかったが、後で振り返ったとき、当事者の2人は、お互いに剣を交えて戦ったつもりでいたが、周りで見ていた者からすれば、2人は遠間のまま剣先をカチカチ当てる程度にしか接触していなかったそうだ。
うろ覚えだが大体こんな話だ。
これを引き合いに、本当の命のやりとりでは、そう簡単に踏み込めないし、真剣勝負などこんなものだという意見もある。
しかし、この2人はそうだったかも知れないが、実際に斬り合った人や、それで命を落とした人も居たことだろう。
ただ、真剣なら真っ向斬りつけなくても、急所や太い血管のある箇所に切っ先が触れるだけで大怪我となり、勝敗が決してしまう。
手や足をほんの少し切られただけでも動きが鈍るだろう。
現代剣道にあるような技や一般的に知られているような剣術の操法がどれほど使われていたのかは、やっぱりわからないし、簡単には検証できそうにない。

現代の徒手空拳の武技は、基本的に素手対素手の技術だ。
最近は凶悪犯罪が増えて対武器を意識せざるを得なくなってきたけれども、通常、武道の道場で、武器への対処法を真剣に練習し続けるところはあまり無いだろう。
武道に対して“武術”という言葉に拘る武術道場でも、その点あまり変わらないのではないだろうか?
武道だ、武術だ、と言っても、町道場や教室・サークルで行われているのは、本当に殺し合いをするための軍事教練ではないのだ。
そして、徒手空拳の武技が素手で人を殺傷し得るものであったとしても、本当の殺し合いは素手とは限らないのだから、そこは分けて考えておく必要がある。
中国拳法は暗殺術として発達してきたとか物騒なことを言う人も居るけれど、仮にそうでも、そのための具体的な方法は簡単に学べないし、また学んでもフツーは使えないではないか。

また、昔のことを考えてみるに、治安や人心が荒れているときは諍いも多かったことだろう。
そんなときは喧嘩沙汰も起こりやすい。
しかし、幾ら何百年も前でも、ちょっとやそっとの諍いで即殺し合うことが一般的だったわけではあるまい。
殴り合い・掴み合いの喧嘩の方が多かったはずだ。
腕っ節の強い者の我が通りやすい現実もあったりして、喧嘩に強くなりたいと何らかの武技を習おうとする人は昔から居たと思う。
それが最も顕著なのは、子供の世界だ。
結局、強くなりたいという素朴な想いは、まずは喧嘩しても負けない強さを身につけること、簡単に喧嘩を売られないような自分になること、体を鍛えて自信をつけること、などではないだろうか?
実際に喧嘩することが目的ではないにしても。

それで考えれば、空手でも柔道でも、どんな格闘技でも必要充分なものを備えていると思う。
本当に戦ったときどれだけ役に立つかは本人次第だろう。
もし、どちらか、あるいは両方が武器を持ったら状況が一変することを思えば、徒手空拳の武技同士が唱えるちょっとした優劣の理屈など現実にはあまり意味がない気がする。
そして、
美容・健康が目的だったり、表演競技を楽しむ人は別として、強くなりたくてやるのであれば、ちょっと考えてみなければならない点があると思う。
それは、強くなるための方法論だ。
昔日の人々の工夫を重宝がるあまり、中国武術を学ぶ人は特に、教えられたことに何の疑問も抱かずに素直に受け容れる傾向が強い気がする。
もちろん、習うときにはその通りにやってみなければならない。
しかし自分で検証したり工夫してみることも必要だろう。
僕が最も疑問に思うのは、
“鉄は熱い内に打て”
というのに、何故中国武術には悠長な方法が多いのかということだ。
強くなりたいという動機で何らかの武術を習い始める人は多いと思うけど、その熱意が続くのは大抵は10代の内か、せいぜい20代半ばくらいまでだろう。
青少年の頃に武術や格闘技を始めて30代を過ぎても続けている人は、少しでも経験がある人全体の中では、ごくごく僅かに違いない。
武術の世界では、何年も経ってから僅かな人にだけ上級のことを教えるような習わしがある。
それには、技の流出を防ぐという意味もあるそうだ。
しかし、だからと言って、3年習ってる人が自信を持てないような教え方はどうだろうか?
また、それを当たり前として、アヤシイ指導者が同様に基本ばかりやらせてお金を取っていても、有り難がって習っている人も多いようだ。

この世界、よくよく目を養わないと、いつまで経っても武術と言えないまま…ということになりかねない。
そして、自分が習っている武術が、もし本当に何らかの危機的状況に陥ったとき、咄嗟に役立つのかどうかは、そのときになってみないとわからない。
とても曖昧で自己満足な世界だ。
…とすれば、、
スポーツ競技としての武道をやって賞状やトロフィーを目指した方が、よほど有意義で、自信もつくのかも知れない。。

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