中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行11:教師としてのT先生 1

投稿日:2017年5月29日

T先生と再会して稽古を始めたばかりの頃、こんなやりとりがあった。
「hideくん、替えのパンツ持ってきてるか?」
「え? いえ、持ってきてません」
「持ってきてへんの? 気持ち悪くならへん?」
「ええ、別に。そんなに汗かきませんし……」
何なんだ、と思いつつも、素直に返した。
するといきなり、
「うわっ。きちゃな! パンツも履き替えへんの。きちゃな!」
と、僕をからかい始めた。
……う~ん。どう反応すればいいのだ?
「先生は替えのパンツ持ってきてはるんですか?」
それには答えず、同じ言葉を何度か繰り返して、T先生は僕を小馬鹿にするような態度をとった。僕はただ苦笑い。

そのとき季節はまだ冬だったが、僕はその後もパンツの替えは用意しなかった。それほどびっしょり下半身にまで汗をかくわけでは無かったので。
二年目か三年目あたりから、夏場は学校のシャワーを使わせてもらえるようになって、その間は体を拭くためのタオルや替えのパンツを持って行くようになったけれども。

それに講堂は、周囲の2階以上の窓からは中が丸見えだし、一人フリチンになって着替えるのもばつが悪い。
T先生の方はと言うと、職員室に戻ってから着替えていたけれども、そんなところでパンツを履き替えていたのだろうか?
後の話になるが、S先生の道場に行くようになると、稽古が終わって着替えるとき、S先生一人だけがいつもパンツを履き替えていた。
他の人たちはたぶん誰も履き替えていなかったと思うし、T先生も履き替えていなかったと思うのだが……?

汗と言えば、僕は子供の頃はあまり汗をかかない方で、例えば中学生のとき、学食で凄まじい汗を滴らせながら必死な顔でうどんやそばを食っているヤツを見ると、おかしくてしょうがなかった。
けれど汗をかかないのが不健康だと知ると、どうすれば改善されるのか疑問に思っていた。
昔は、日常的にはほとんどテレビからの情報しか無く、本で調べようにも、この程度のことでさえ自分が知りたい情報に辿り着くのは大変だった。
まして、今よりずっと無知な子供の頃のことだ。

その後、松田隆智さんの『太極拳入門』(※サンポウブックス版)を読んで中国拳法に興味を持ってからは、まだ少なかった太極拳の本を、見つけては読んでいたのだが、よく太極拳の効能として「新陳代謝が良くなり発汗作用が促進される」というようなことが書かれてあった。
実際、高校を卒業して、T先生のところに入門し太極拳をやるようになってからは、発汗がよくなった。
しかし考えてみれば、それまでにも激しい運動をしたときには当然汗だくになったし、空手の道場に通っていたときにも、もちろんそうだった。
僕の場合、規則正しいとは言えない生活だったし、また、その中で定期的に運動をし続けていたわけではなく、特に夏、運動をしないときはギンギンに冷えた冷房の中で過ごすことが多かったから、代謝が悪くなっていたのかも知れない。

歳を取ってくると、昔ほど暑がりでは無くなり、効き過ぎる冷房が苦手になってきたせいもあり、部屋をあまり冷やさず、家事程度でも少し動けば汗ばむくらいの室温で過ごすようになった。
そして稽古を再開して以降はまた発汗が良くなって、稽古中はもちろんだが、それこそ僕も、熱いものを食えば額に汗びっしょり、というような体質になってきた。
そんなふうに発汗が良くなってくると、股間に汗をかいてムレやすくなるというのも、まあ、わからなくもない感じにはなった。
けれどパンツがどうのと、からかうようなことでもあるまい。
T先生は昔から太っていて汗かきだったし、僕よりムレやすそうだったが、自分だってパンツの替えなど用意していなかったろうに。
そしてこの人、僕を汚い扱いしてからかっていたが、自分は足の匂いが相当ひどかったことに、気づいていなかったのだろうか……?
柔道場に上がるときなど、T先生が靴を脱ぐと、僕はいつもこっそりと息を止めて、しばらく我慢していたのに……。

それから、これは半年前後の頃のことだったと思うが、あるとき技の口伝を教えてもらって、その名称を酒のせいでうっかりど忘れしてしまったことがあった。
今では内容さえ憶えていないが、まー忘れてしまうようなら大したことではなかったのだろう。けれどそのときは、
「なかなかいいことを教えてもらった!」
という気になっていた。
いつものごとく稽古後にあちこちウロウロした挙げ句、一緒に飲んで、へとへとになって家に帰り着いて、バタンキュー。
翌朝、口伝の名称が頭の中からきれいさっぱり消えていた。
教えてもらった内容は(そのときは)憶えていたが、名称だけがどうしても思い出せなかった。
(次に会ったときに聞かなければ……!)
けれどダメな予感しか無かった。言いそうなことは大体想像がつく。

そして案の定、T先生は教えてくれなかった。
「一度教えてもらったことを忘れるのは自分が悪い。昔気質の古流派の先生なら、まず絶対に教えてくれなくなる」
――と。……まったくもって想像通り。

しかし、だ。

僕は稽古後にT先生を接待して、金を遣って気を遣って、そんなふうにして時間が経過してしまった結果なのだ。
昔はどうのと言うのも解るが、今はそんな時代じゃない。
それくらい教えてくれるのが人情ってもんじゃないのか。
こんなところも大家気取りだ。

けれど食い下がったところで教えてくれないものは仕方がない。
ひとまずその日はあきらめて、折を見てまた聞いてみようと思った。
そしてその後、しばらくしてまた聞いてみたが、やはりダメだった。
ただ、……そのときのT先生の言い草だ。
「や~い、忘れよった~! 思い出せんやろ~! 教えて欲しいか~!」
「……………………」
一人で面白がって、まるで小学生のようなからかい方で突っついてくる。
僕は呆れて、しらけて、心の中で(アホか)とつぶやいて、それきり聞くのをやめたのだった。

そんなT先生、一応は大学院まで出ている。
私立だが関西圏では有数の大学の一つだろう。
とは言え、僕は落ちこぼれだったから詳しくはわからないけれど、当時なら「中の上」あたりをどうにかキープしていれば行けるくらいのレベルだったんじゃないだろうか?
学部は中国文学か何かで、文系だったし。

で、僕なりの人生経験上で言えば、そんなふうに平均前後の人には、面白味の無い人、勉強が少しくらいできても頭の悪い人、あまり役に立たない人、――などが、多い気がする。
だって、例えば、学校の勉強も出来て、本当に頭がいい人は、「いつ勉強しているんだ?」というくらい、ガリ勉でも無いのに成績が良くて、色々趣味や特技があったり、何でも卒無く出来たりする。
また、真面目に勉強している人や、塾に通って進学を目指している人なら、もう少し上位に居て当たり前だろう。
逆に、勉強が出来なくても頭がいい人は、学校の先生の常套句などではなく、本当に「やればできる」タイプで、自分が興味を持ったことには高い集中力を発揮したり、必要なことは要領よくこなせたりする。
平均的な人で、あまり賢くなかったり、役に立たない人だったりするのは、努力していて、どうにか「中」や「中の上」って人だ。
そういう人は学校の成績向上に注力していながら上位にも行けず、趣味に没頭する余裕もあまり無い。できることも少ない。
まあ、努力もせず、ただただ頭が悪いだけの人が一番ダメなのは言うまでも無いが……。
もちろん、このような分け方がすべての人に当てはまるわけではない。
だが周囲を見回してみれば、こういうことが当てはまっている人も多いのではないだろうか。

T先生が実際にどんなタイプだったか、はっきりとはわからないが、少なくとも僕の目からは、親の言いつけを守って、親の敷いたレールの上に乗って、ほどほどのところをほどほどにキープして、平均的に、マニュアル的に生きてきた人に見えていた。
T先生自身、
『普通が一番面白くない』
――と、時折口にしていたが、正にその「普通」だ。
羽目を外さず普通に生きるというのも、それはそれで苦労もあろうし、大変なことだとは思う。
そして親のささやかな期待通りに、大物になるわけでも、大成功や大出世をするわけでもないが、フツーに世間から認められる職に就いて、フツーに人並みに稼いで、フツーに家庭を築いて、と、フツーの親がフツーに願う生き方をフツーに叶えて、今に至っている。
もちろんそれが“いけない”なんてことはない。
家庭環境が複雑だった僕からすれば、うらやましい限りだった。

ただ、フツーに恵まれた環境の中で生きてきて、そして人を指導するような職に就いていながら、どうしてもっと、他人の痛みがわかるとか、他者への気遣いや思いやりがあるとか、様々なことに想像力が働くような深みのある人物になることができなかったのか、ということだ。

それが、いい歳こいて小・中学生みたいなノリで人の股ぐらやらパンツやらをネタにからかってきたり、こちらの気遣いや接待の苦労など汲みもせず、ちょっとしたことも教えてくれず、それもからかうネタにする……。
何よりこの人の最も底意地が悪く感じられるところは、自分が優位な立場でありながら、下の者に妬み嫉みのような感情を抱き、そして人を腐し貶める態度を取るところだった。
足を挫いた日の、先祖の話云々のときもそうだったろう。
上の者にはへつらい、下の者には強気に出て偉ぶる。
小者やクズの典型ではないか。

……まあ、でも僕は。

フツフツと怒りが湧くこともあれば、T先生の機嫌が良くて何となく良好な会話ができるときもあって、「まーいいか」と思ったり、微妙なバランスの上で揺れていた。
とにかく、昔、中途半端だったことを、少しでも埋めたくて。

――初めて講堂が使えなかったときのこと。
「今日は講堂が使えないんや」
「そうなんですか」
僕はまあ、別にどこでも良かった。
普段、講堂が使えることを贅沢に感じていたから、たまには運動場の片隅や廊下などでやることになっても全然構わなかった。
しかしT先生にしてみればK拳の鍛錬だけは秘伝であり、人に見せられないという思いがあったから、場所に苦慮していたのだろう。
でも講堂も周りの建物からは丸見えだったし、学校前の道路を挟んで建っていた集合住宅の窓から、人に見られていたこともあったのだけれど……。

「ええと、どこでやろうかな」
T先生は目をつぶって、校内のあちこちを思い浮かべようとしていた。
「ちなみに講堂はどうして使えないんですか?」
「明日、学校行事があって、すでに椅子をびっしり並べてあるんや」
「……あの、先生?」
「ん?」
「その椅子、一時的にどかせたらダメなんですか? びっしりと言っても、後ろの方は少し空いているでしょうし、僕らが稽古するスペースを確保するくらい、折りたたみ椅子を10脚か20脚畳めばいいだけではないですか?」
「……あ」
「一旦どかせて、稽古後に元に戻しておけば……」
「そうやな。もう一回言って許可を取ってくるわ!」
誰に許可を取るのか知らないけど、T先生は職員室の方に戻って、ほどなく講堂の鍵を持って来た。
……で、
(何でそれくらいのことに思いが至らない? こういうところがマニュアル的なんだよなあ……)
と、僕はしみじみ思うのだった。

ただ講堂に関して、同様のことはその後もあったが、使えないときもあったので、その辺はT先生だけの問題では無かったかも知れない。
お役所みたいに融通が利かない頭の固いマニュアル人間が、公立学校の教職員には多いのだろう。たぶん。

――そんなこんながありつつ。
剣道場や柔道場でも稽古するようになったことは、前回も書いたが、今日は柔道場での稽古について書こう。

まず、受け身をやって見せろと言われた。
畳の上での受け身など二十年くらいやっていなかったが、体は忘れておらず、割とキレイな受け身が出来たと思う。
左手を着くときに手のひらや手刀部分をまともに着けられないのは少々難儀だったが、一瞬のことなので、そのまま手首から腕にかけて接地させていけばスムーズに回って受け身が取れる。
T先生も一応は左手のことを案じてくれたが、僕は、
「無理なようでしたらそう言いますので、まずは普通にかけてください」
と言って、技の稽古台になった。
前にも書いたがT先生は大学時代には合気道部で、その頃すでに二段を取得していたから、昔から柔術系は上手いという印象があった。
最初の稽古のときにも逆手をかけられたが、昔よりずっと上手くて、きれいに極まっていて、とにかく痛いのナンノ。

柔術系を知らない人のために一応説明しておくと、逆手を極められたとき、「痛い」あるいは「マイッタ」と知らせるために、自分の体のどこか、または床を、パタパタとタップする。
ちなみに、去年習いに来ていたIさんに逆手を指導している動画で、Iさんが「アイテテ……!」と言いながら少しずつ逃げていっている場面があるが、そういうのは素人のすること。
教えてもらっているときは、極まったところで黙ったまま耐えて、痛いのはタップで知らせるのがお約束だ。
また、その動画で言えば、僕の方は完全に極めずに加減しているからIさんは少しずつ逃げるわけだが、僕からすれば「あれ?」って感じだった。
十年のキャリアだと聞いていたし、Iさんが習っていた団体でも一応は柔術系のことを教えているはずだったので。
しかしIさんは、手ほどきさえまともにできないほど、柔術に関しては素人同然だった。
……正宗太極拳をやっていたなら、手ほどきくらいはすぐ出来て当たり前だったのだが。型がそういう動きになっているので。

それはともかく、T先生の上達には年月だけでない別の理由があった。
前に勤務していた学校の同僚に大東流合気柔術をやっている人が居て、その人が習っている先生のところに、二年ほどお世話になっていたそうだ。
その間、改めて得るところもあったらしい。
それまで仕事が変わったり子供が生まれたりして多忙だった時期、S先生のところにも行かなくなっていて、数年間は武術をやめていた期間があったというのだが、それが一段落ついた頃に大東流と縁があったと言っていた気がする。

T先生は僕に攻撃パターンを色々要求して、それに合わせて技をかけた。
その度に僕は、痛みでパタパタと自分の体をタップする。
そういうことを何度か繰り返した後、逆手から投げに持っていこうとして、T先生は、はたと止まった。
「?」
技の途中で止まったので、どうしたのかなと思っていると。
「……投げられぇや。……弟子やねんから!」
僕は内心、苦笑。
「いや、投げるなら投げてくださいよ。先生が途中で止まるから……」
するとT先生は動作を再開したので、僕はそれに合わせて転がった。
「先生、さっきのは中途半端なところで先生が遠慮されたからですよ。僕の方はまだ投げられるほど崩されてませんでしたから、自分で転がるには早いと思って待ってたんですよ」
起き上がりながら僕がそう言うと、T先生は「そうか」という感じで頷いて、あとは何度か繰り返し僕を投げた。

僕に逆手や投げをかけるのに慣れてくると、まるで味を占めたかのように、時々柔道場を稽古場にしては、僕に技をかけ続けた。
僕もT先生の動きに合わせて素直に技にかかるようにして、小気味よく投げられていた。
その間、僕に稽古をさせてくれないわけではなかったが、なかなか師匠には技がかからないから、逆手などは上手くいかないし、まして遠慮もあるから投げには持って行きにくい。
こういうとき同じように習っている兄弟弟子が居ないというのは不便だ。

ただ、僕も素人では無い。
少しずつ勘も戻ってきて、体も鍛えられてきている。
柔術系の技はそれまでほとんどT先生からしか習っていなかったが、前述のように太極拳の型にも含まれていて、同じような動きはある程度身に付いているのだ。
そして、技をかけられ続けることで、慣れ、理解し、覚える部分がある。
つまり実際にはかかりにくくなるのだ。耐性もついてくるし。
T先生が技をかけようとするとき、心の中で「あ、今のは外そうと思えば外せたな」とか「かけ返せたんじゃないか」とかが、わかるようになってくる。
もちろん稽古台になっている側は、相手に合わせて技をかけられてあげるという面もあるが、それでも上手い人に技をかけられたら、技の流れの上では、その人にコントロールされてしまう。
少なくともそこは抗えないように隙間無く技をかける稽古をするわけだ。
けれども、かけられる方は、素直にかけられることで相手の稽古に協力する反面、かからないための稽古にもなっている。

それと、もう少し突っ込んで言うと、柔術の逆手や投げが、実際にそのまま使えるか、いやそもそも手首や腕を掴んでくるシチュエーションがどれだけあるのか、などという声もあるだろうが、こういった稽古は必ずしも逆手や投げだけが目的では無い。
体の使い方、捌き、武器の操法、そして打撃技の稽古も含んでいるのだ。
相手がどの方向に崩れやすいか、弱いか、というのも何となくわかるようになってくる。だから打ち方、方向など、打撃にも応用できる。
そういうことを知らず、カタチ通りに“型”として反復するだけになれば、それはそういう型通りの技にしかならないだろうけれども。

しばらくするとT先生は、
「何か掴みかけてる感じがする。もう少しで一皮むけそうや!」
などと言い始めた。
(……そうかなあ?)
僕は別に、変わった気配も、変わりそうな気配も感じなかった。
そしてまた、僕があまりにも小気味よく投げられ続けていたので、T先生は悦に入った様子になっていた。
「きみ、簡単に(技に)かかり過ぎや。こんなに簡単に投げられたら自分が名人になったかと勘違いしてしまうわ!」
僕は、「んん?」って感じ。
雰囲気的には、「合わせ過ぎだ」(そんなに簡単に投げられてしまったら稽古にならない)と言っているのではなくて、僕のことを、いとも簡単に技にかかるほど弱いとからかっている感じだった。
(何をトンチンカンなことを……!)
僕はまた、心の中でT先生に対してしらけてしまうのだった。

それから、T先生が僕に逆手をかけて、タップしているのになかなか離してくれなかったことがあった。
T先生はにやついた顔で僕の手首を極めたままだった。
僕はあまりの痛さに、咄嗟に反対側の手でT先生の手を取り返してほどき、そのままT先生の指を取って捻った。
「あっ、あっ!」
一瞬のことにT先生は驚いて、あっさり僕に指を取られて慌てた。
僕はそこで我に返って、「すみません」と言ってその手を離した。
「……………………」
T先生は黙ってしまって、すぐには何も言えなかった。

『指を取るのは柔術の奥だ』
……と、それまでにもT先生から教わっていた。
しかしまあ、単に「指を取る」というだけなら素人でも考えるし、実行する者も居るだろう。実際、子供の頃にもそういうヤツは居た。
そういうヤツはもしかしたら大人の誰かに教えてもらったのかも知れないし、その誰かは、元は柔術などの武術経験者だったかも知れない。
あるいは他の武術経験者から巡り巡って伝わったのかも知れないが、しかし本当に、自分で考えただけかも知れない。
「指を取る」なんてことは、それくらい単純なことだ。
武術の場合、多少は取り方やコツがあるにせよ。
そして、単純かつ有効だからこそ、それには警戒が必要だ。
まさか反撃されるとは思っていなかったにしても、極めているつもりだった逆手技を返された上、指を取られたことは、T先生としては恥ずかしいことだったろう。
あの沈黙の何秒間かは、ぐうの音も出ない状態だったに違いない。

けれど、僕を小馬鹿にするのを改めるほどのことでは無かったらしい。
T先生の僕への扱いの軽さは、まだまだ続くのである。

次回は学校教員としてのT先生にスポットを当てる。

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