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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

空手 Part 3

投稿日:2007年2月3日

僕が通っていた道場は、3駅ほど離れたガラの悪い繁華街の外れにあった。
道場は板の間と畳の間があって、それぞれ曜日や時間帯によって、板の間は空手・剣道、畳の間は柔道・合気道が共同で使っていた。

練習日は週に3回。
指導は主に二段の先輩たちが数人で行っていて、館長が来ることはあまり無かった。
来ても、稽古を見てもらったことは1~2度しか無かったように思う。
大勢をざっと見渡して、稽古している者の間を通りながら、目についた者にちょっと声をかけるという程度だ。

中学生は一応、少年部という扱いだったが、当時は空手ブームの初期で、子供の空手人口はまだそれほど多くなかったため、少年部と言っても大人と一緒に練習をしていた。
時間帯が確か、夕方からの2時間とその後の2時間に分かれていて「1部」「2部」と呼んでいたように記憶しているが、少年部が参加している1部の方も、大人が6割くらいだったように思う。
2部では、指導員をやっていた二段の先輩たちより上の人も来ていたようだ。

僕が習った流派には、最初に基本の“天の型”“地の型”というのがあって(これで同じ流派の人には判ってしまうだろうけど)、その後“平安”の5つの型へと続く。
“天の型”は、剛柔流の、確か“撃砕初段”という型と同じだったと思う。

道場までの3駅ほどの距離は自転車で往復していたが、ほとんど休まずに通った。
長い間憧れ続けてきた空手をようやく習えて嬉しかった。
最初の3ヶ月くらいの間に、砂利道を裸足で走ったあと突っ張る板の間で踏ん張ったりしたためか、足の裏の厚皮が剥けたのが一番辛かったが、その間も練習は続けた。
指導員をしていた先輩の1人が、最初は、同時期の入門者の中で何故か僕にだけ風当たりがきつかったが、一度練習中にいきなり腹を蹴られて、うずくまってしまったが何とかすぐ立ち上がると、
「お。なかなか根性あるやん」
と笑って、それから目をかけてくれるようになった。

その頃、褒められたのは、調息のための呼吸法と、追い突きと、三本組手だった。
呼吸法は、一斉練習で突き50本だの蹴り30本だのをやる合間に調息のために行うのだが、あるとき指導員先輩の1人がふと僕に気づいて、
「おい、ちょっとこっち来てみろ」
と他の先輩を呼んで、2人で僕を見てしきりに感心し始めた。
「こいつ凄いな。初心者で始めからこんなに呼吸法の上手いヤツ、初めて見たワ!」
僕としては、最初にかたちを教えられて、あとは先輩の真似をしていただけなので、本当はどうやるべきなのか、何がどう出来ていたのかが解らない。
結局今も解らないままだが、その調息呼吸法だけは練習の合間に未だにやっている。
追い突きは、一歩踏み込んで、出した足と同じ側の拳で突く基本技。
右足なら右拳。
一本組手(約束組手)のときなど、攻撃側はこの突きを行って、受け側はそれに対して基本技の練習をしたり、技を試したりする。
三本組手とは、攻撃側がこの追い突きを三本連続で出し、受け側は3本を受けて、3本目のときに攻撃を返す。
例えば、下段払いで3本受けて、3つ目を受けたとき中段突きを返す、というように。
この三本組手のときに、
「突きに迫力がある」
「逃げるのが速い」
と言われていて、実際、三本組手のとき初段以下の人は、大人でも僕の突きをなかなか上手く受けられなかった。
…まぁ、とは言え基本練習の一つなので、これが上手かったからどうということもないのだが、当時はそんなことを褒められただけでちょっと悦に入ったりした。

苦しくも楽しかった空手稽古だが、この頃すでに思っていた疑問や不満もあった。
まず一番は、先輩の指導が、その人によって内容が異なることがあった点だ。
例えば下段払い。
最初に教えてもらったときは、肘から手首にかけての腕の外側で受けると教えられた。
その後、先輩によって、
「手首をもっと返せ」
とか、
「もっと真っ直ぐにしろ」
とか、説明が一致しなかった。
骨が表皮に近いあたりで受けると痛いのに、
「そうそう。それでいい」
と言われたりする。
またある先輩は、鉄槌のように拳の小指側の側面で打ち落とすのだと説明した。
確かにそれだと相手は痛いしダメージも大きそうだけど、果たしてそれが“下段払い”と言えるのかどうか。
そして、そのやり方でやると、また別の人に怒られたりした。
結局、人によってやり方が違うのだ。

今思うと、急速に団体が大きくなったせいだったのかも知れないけど、やっぱり未だに、空手をやってる人と話をするとき、
「あなたの流派では、下段払いや上段受けは初心者にどう教えてますか?」
と聞くと、似たようなことがある。
「下段払い?ああ、それならこうやろ?だけどこんな受け実際には使えへんやん」
みたいに答える人もいる。
尋ねているのは、使う使わないではなくて、どう伝わっているかということなのになぁ…。

僕が居た流派の館長は、後で知ったが沖縄の古流を受け継いでいる人だったらしい。
結構、大御所級の人だ。
しかし僕らが学ぶ支部道場など末端は、そんな技には触れられない。
今は、現代空手もさらに進化したし、古流は古流で見直されているし、他の武術も色々と研究や公開が進んでいるので、僕の少年時代のようなことは無いのかも知れない。
しかし、そこに居てどんな風になれるというビジョンがあまりイメージ出来なくなっていった。

入門して半年以上経ってからだと思うが、この流派の大会があって、見に行った。
確か、ウチの支部の、三段か四段の人が優勝だった。
軽いフットワークで手足が非常に速かったのは、とても印象に残っている。
しかし全体的に何だかしっくりこない試合だった。
みんな軽いステップを踏んでフェイントをかけ合っていて、それまで思い描いていたような空手の技らしいものが見られなかったからだ。
「実際にはこんなものか…」
と、半信半疑な気持ちで見ていた。
そして何故か、当時、政財界の影の大物と言われた某氏が出てきて瓦の試割りをやって見せていたのだが、仕込みとしか思えないようなおかしな割れ方。
さすがに中学生の頃の僕でも、一緒に観ていた友達と大笑いしてしまった。
…ただ。
館長の、鎌を両手に持った型の演武はすごかった。
鬼気迫る勢いで会場の空気がガラッと変わった。
「すごい!さすが館長!いつかあんなのも習えるんだろうか!?」
と思った。

その後、しばらくは、大会で優勝した人の組手技に影響を受けて真似していたのだが、どうも何かが違う。
友達や、似たようなレベルの者同士でやっていると、遊びのようなノリになってしまう。
僕のやり方が真似事の範疇でしか無かったせいかも知れないのだけど。。
それに何故、型と組手はこうも違うのだろう?

そして、空手ブームで門下生が多かったためか、2ヶ月毎に昇段試験があったのだが、僕は前述のように食費やお小遣いを削って通っていたため、毎回受けることが出来なかった。
級は8級からだが、試験ではよほど下手で無い限り最初は7級をもらえる。
それから1級ずつ上がっていく。
7、6、5、4、3、2、1と上がって、初段補、そして初段。
9回の試験で初段なら、通常は1年半で黒帯というわけだ。
毎回受けられなくて、その間休まず稽古に行っていても、試験を受けたときには1級しか上がらない。
毎回試験を受けている人は、まず大抵1級は上がる。
「儲け主義やなぁ~!」
と、一緒に通っていた友達としょっちゅう愚痴った。
2年ほど通っているうちには、指導員の先輩から、
「お前、2部も練習して帰るか?」
と誘ってもらったりするくらいに打ち解けていたのだが、最初の頃の記事でも書いたように、月謝を溜め込んでしまい、事務所の前を通るのが辛くなった。
事務員の女性はいつもニコニコしていたし、人も多かったので素通りすれば気づかれないのだが、しかしそれで稽古に出続けるわけにもいかない。
それに昇段試験を受けるときには事務所で手続きしなければならないし…。

…というわけで、一旦道場をやめることにした。
高校生になってバイトをするようになったら、また改めて来るつもりだった。
しかし結局、それきりになってしまった。

道場をやめても1人で練習を続け、同じように空手をやっている友人と組手をやったりはした。
しかしその間、好きな女の子が出来て、しばらく思い続けて大失恋し、そのショックで何もかもやる気が失せてしまった。
(ここ、笑うところぢゃないよ。。(-_-;))

高校の間、1年半くらいは、ほとんどサボってしまったかも知れない。
高3になって、同好の友達が何人か出来て、練習を再開した。
それから、
空手の練習を再開した途端、立て続けにケンカしたり、色々あったが、卒業して、1月3日にアップした『道場見学の日の思い出』に繋がっていく。。

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