中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行01:T先生との再会1

投稿日:2016年11月23日

さて、ここから改めて、僕の修行経験とそれにまつわることを書いていく。
これに関する記事は、本記事タイトルのように「第二期修行」として連番を振っていくので、別件の記事を挟んだときは、それで区別して欲しい。
過去の記事と重複するようなことも交えて書くので、記憶違いをしていて少し違うことを書いてしまうことがあるかも知れない。もし、明らかに食い違うような箇所を見つけた場合は、ご指摘いただければ有り難い。
そういった場合は、なるべくきちんと思い出して訂正するように努める。もちろん自分で見つけた場合も、そのようにする。

30代前半のあるとき、利き手である左手を大怪我した。
その夜、救急車で病院に運ばれた。
応急処置のあとは麻酔で眠らされ、翌日の夕方から全身麻酔で手術。そして2週間の入院。退院後は1ヶ月ほど、ギブスで固めた腕を三角巾で吊って過ごした。
具体的には、中指、薬指、小指の腱が手首のあたりで切れてしまい、親指側の太い血管も切れた。
ガラスで切ったその傷は、手相の「生命線」の終わりあたりから手首に向かって稲妻のように走り、二十数針縫う長さだった。
ギブスが取れ、三角巾が取れても、力はなかなか戻らず、左手では2、3キロ程度の物も持てなかった。

利き手と言っても、箸やペンは小学2年生の頃に右手に矯正させられていたので、そこは困らなかったが、他はほとんどが左利きである。
例外は剣やバット。これらはずっと右だった。
以前、母から聞いた話では、赤ん坊のときは右利きだったが、親の不注意で右手首を骨折したことがあって、そのとき右手がしばらく使えず、左利きになってしまったそうだ。
たぶん子どもの頃の順応力で、普段の生活上のことはあっさり左利きになってしまったが、チャンバラや野球などはまだ知らなかったから、それらを覚える頃には他人に合わせて右で覚えたのだろう。
こう書くと、普通の人よりは利き手ではない方の手も使えて、器用そうに思われるかも知れないが、僕自身は、返ってバランスが悪いような気がしていた。

怪我は治ったが、腱が切れた手首のあたりは弱々しく、傷跡の付近を触ると痛い。
接合した部分の組織が人並みの強さを取り戻さないことには、無理をすればまた切れてしまいそうだった。
こうも利き手が弱く不自由になってしまっては、武術など無理だと思った。
そんなわけで、あきらめてしまった。

また、このとき、ミナミで経営していた飲み屋を畳んで失業状態だったが、働こうにも何もできそうになくて困窮してしまっていた。
そこから立ち直るまでずいぶんかかった。運良く仕事をもらえて、今の住まいに引っ越し、生活が整うまで数年。
その頃には、すっかり武術など飛んでしまっていた。

収入が上がった時期には、それまでの長い貧乏生活の反動で飲み歩き、今度は体調を崩し気味になった。
大きな病気こそしなかったが、胃の調子が悪かったり、一日中体がだるいというような日が増えた。
そして、亡くなったやしきたかじんじゃないが、ユンケル飲んで、また飲み歩く、というような生活を繰り返していた。
ある年には、ひどい夏バテになった。
主食はざるそばとコーンフレーク、などという有様。
さすがに「これではいかん。体を鍛えよう!」と、思うに至った。

それで最初は、通販で見るような健康器具に目が行って、幾つか買ってみたのだが、どれも長続きしない。
効果云々よりも、やっていて面白くないのだ。
楽して脂肪が減るとか、腹筋が付くとか、運動がそれほどきつくないから実感が湧かないし、きつくない分を数で補おうとすると、退屈な時間が長くなってしまうだけだ。

それで結局、太極拳に立ち返った。

何故、最初から太極拳ではなかったのかと言えば、やはり怪我の影響で、もう武術としてはやれないだろうということがしこりになっていたからだった。
でも、すでに中年。怪我の後遺症が無かったとしても、今さら武術でも無いだろう。
そう思い、そこは割り切って、「健康のために」ということにした。

で、やってみると。
ナント、九十九勢を忘れてしまっているではないか!

もちろん全部を忘れてしまっていたわけじゃない。ブロックごとには大体憶えているが、ところどころの繋ぎが判らないといった感じ。
そして他の拳法の型も、同様……。

太極拳の順番については、陳伴領の著書『太極拳教材』を持っていたので、それを見れば確認できるが、「一人でやるんだからいいか」と、あやふやなまま演武していた。
やってみると、型は忘れていても、動きは体が覚えている。
自分で工夫した体の使い方もほぼそのままだ。
傷跡付近が弱いこと、握力が女並みであること、怪我の後遺症で手刀や掌打はほとんど使えないこと、などが懸念されたが、拳だけは何とか使える。
少し体が戻ったら、また武術としてやってみようか、ということも考え始めた。
前のようにやるのは無理だとしても、細々とでも、と。

その後はまた、本を買ったり、格闘技の試合を観たり、ネットで武術関連のHPや掲示板を見たりするようになった。

ほどなく、“全中連”のHPを見つけた。
「おお、懐かしい!」
思わずHP上で販売していたビデオを購入。
ちょっと驚いたのは、届いたビデオが新聞のチラシに包まれていたのだが、裏の白い無地の面に「おかずをチンして食べなさい」というような鉛筆書きがあったことだ。
娘さん(二代目柔心斎さん)だろうか? お子さんが居るのかな?
などと想像しつつ、ちょっとにやけてしまった。
記念にとっておこうと思ってどこかに直したはずだが、どこに直したかな……。

それから、自宅内で突きの稽古をしていたとき、左肩を痛めてしまった。
定位置のまま伸びやかに放つような突きをやっていたのだが、体は動きを覚えていても、想像以上に体がヤワになっていて、肩が耐えられなかったらしい。
何本か左右交互に突いているうち肩に違和感が生じたのに、構わず突いていて、結局痛めてしまった。
土台を鍛え直さなければ……。

まずは2キロのダンベルを2個買って、両手に持って腕を伸ばしたまま交互に上げ下げ。太極拳の「開太極」の動きを片手ずつやる感じだ。
あと、これもダンベルを持ったまま、突きの動きをゆっくりやったり。
このときは2キロ程度でも、10回もやればちょっときつく感じるような体力。一旦休んで2、3セット。そんな運動をちょろちょろとやっていた。

そうこうしていた頃、巷ではSNSが流行り始めた。
たまたま女友達が電話をくれたときにその話になったので、僕も紹介してもらって入った。
そしてSNSの日記に、武術のことをちょっと書いたり、中国武術関連のコミュにも何か書いたりした。
幾つか前の記事に書いたコミュでの件は、時期的にはもう少しあとのことだったと思うが……。
(ちなみにそのコミュでの件は、ずいぶん前にもこのブログで書いたことがあった。少し前に過去記事を拾い読みしていて気づいたのだが……)

何ヶ月か経った、ある日のこと。
時期はその年の11月。駅前付近の行きつけのスナックで飲んでいたら、携帯電話に着信があった。
SNSにメッセージが届いたことを知らせる着信だった。
「誰だろう?」
内容を見て、その場でひっくり返ってしまいそうなほど驚いた。
メッセージは、T先生からだった。

いやそれ以前に。
T先生のHNを見て思わず吹いてしまった。
昔懐かしい某アニメのキャラクター名をもじったHNだったからだ。
赤い柔道着を着たその主人公のことは、僕も子どもの頃には大好きだったので、T先生が使っていたそのHNを昔、同じように思いついて、自分も使おうかと思ったことがある。
しかしまあ、漫画・アニメ・ゲームなどのキャラ名や、それをもじった名前をHNにしている人はよく居るけど、幾ら何でもいい歳こいてそれは恥ずかしい。ネーミングも安直過ぎる。
と思って、僕は使わなかったのだが、まさかそんなHNを使っているなんて。
そんなことを店のママや女の子に話して、僕は大笑いした。
けれど同時に。
先生からメッセージをもらった嬉しさで、はしゃぎまくってもいた。
たまたま入ったSNSで、先生の方から見つけてもらえるなんて!
それも、こちらから連絡をしてみようかと思っていた矢先に、だ。
「十年以上も空いていたのに、こんなことってあるんだなー」
――と。

家に帰ると早速、今までのことをつらつらと書いて返信した。
長々とご無沙汰してしまって申し訳ありませんでした、ということや、今まで何をしていたかということ、それから、できればもう一度武術を習いたいということ、などを書いたように思う。

それから、電話で話した。
返信メッセージに電話番号を書いておいたので、たぶん翌日あたりだったと思うが、早速、先生の方から電話をくれた。
僕は、電話代がかかるからこちらからかけ直すと言って番号を聞き、仕切り直した。
懐かしい声が受話器から聞こえて、そのときの僕は涙が出そうなほど嬉しかった。

改めて、怪我をして武術をあきらめてしまっていたこと、少し前から軽い運動程度に練習を再開していたこと、左手がどの程度動くか、などを説明した。
「ふーん。まあ、でも、出来ないことは無さそうやね」
「先生は、道場……というか、教えるようなことは、今もされてるんですか?」
「いや。僕はあれからずっと教員やってるしね。それに今は公務員やから、そういうことはできないんや」
ちょっと前に書いた声優の田中くんが来ていたときは、私立高校の教員だったが、その後公務員試験を受けて、今は公立学校の教員をやっているとのことだった。
僕は、武術として、どこまでやれるかはともかく、体がなまっているから太極拳だけでもやり直そうと思っていると告げた。
「うん。まあ、それはええんちゃうかな。改めて言うのも何やけど、ウチに伝わってるこの太極拳はええよ。やっぱりこれは体にええと思うわ。W先生なんか、今でも太極拳やってはるしなー」
「えっ、W先生、今もそんなにお元気なんですか?」
「うん。もう90歳を過ぎてはるけどね」
「……すごい、ですねぇ!」

まあ、もちろん長寿をもたらしているのが太極拳だけとは断定できないだろう。けれど、振り返ってみても、近しかった同門の人たちは、ほとんどが入院するような大きな病気をしたことが無い人ばかりだった。
S先生のお弟子さんで一人だけ、白血病になって闘病生活を送ることになった人が居たけれども、幸い早期にドナーが見つかり、手術後は順調に回復して、僕がまだ所属していた時期に全快した(※術後5年間再発しなければ全快と考えていいそうだ)。

そしてT先生は、
「個人的に教えることは構わないよ。以前のアフターフォローとして、太極拳くらいは使えるようにしてあげよう」
と言ってくれた。
僕は内心、そんなことをはっきり言えるほど先生たちは進んでいるのか? そうだったらいいな、と思った。

「ところでな……。太極拳やるのもええんやけど、ウチの流派は今、別の拳法を中心にやってるんやわ。一応、外には伏せてるんやけど、昔のよしみできみには教えてあげるけど、“K拳”と言うんや」
僕はそれにはあまり驚かず、ちょっと笑って、「またですか」と返した。

「そういえば、真極流はあれからどうなりました?」
「ああ、きみも真極流をやったんやな。どこまでやったっけ?」
「一人型を、確か三本……でしたっけ。心眼流と八極拳を足したようなヤツ。あれだけですけど」
「そうか。まあ、あのあともうちょっと入ってきたけどな。二人でやる型もあるし。でも熊蔵先生が亡くなってしまったからな」
「そうなんですか。ご高齢のようでしたしね……。で、そのK拳というのは、どんな拳法なんです? 金鷹拳の代わりですか?」
「いや、実はこれは、西郡先生が若い頃に習った拳法で、ずっと隠してはったものなんや。きみも前に“力の鍛錬”をやったやろ? あれも実はK拳の鍛錬やったんや」
「ええっ!? アレ、太極拳の“奥”やて言うてませんでした!?」
「まー、あの頃は僕もそう聞いてたしな。でも、まったく嘘というわけでもないと思うで」

つまり、こういうことらしい。
どんな拳法でも、真っ当な流派なら、相応の威力を培うための練功法が必ずあって、当流の内家三拳の場合、王樹金からは伝えられていないものの、K拳の鍛錬によって、ウチなりの内家三拳に仕上がっている。――と。

……ただ。以前、真極流が入ってきたときも、
「外では見せるな。もし誰かに見せることがあっても、訊かれたら、浅山一伝流とでも言っておけ」
と言われて、「それはどうよ?」と思ったことがあった。
秘密にするのは仕方が無いにしても、嘘はいかんだろう、と。

まあ、そんな、あまり感心しないところはあったものの、教えてもらったことについては、僕は大体納得していた。
松田隆智さんがもたらしたものや、それに近そうなものたちは、蓋を開けてみると、ちょっとがっかりさせられることが多かったが、西郡先生の下での武術は、T先生やS先生がまだ若かった頃でさえ、ある程度は納得できたのだから、他にどんないいものがあるとしても「俺はこれでいい」と思っていた。
前に中途半端にやめてしまったとき、何かが足りないという思いはあったにせよ、何をやっているかわからないとか、ここに居ても強くなれる気がしない、というような思いは無かった。
とにかく、まだ途中なのに、余所に行って一からやり直すのは面倒だし、まして、怪我の後遺症で、どこまでやれるかもわからない。
もっと言えば、年齢も上がって、今さら空手の大会や格闘技の試合に出ようと思っているわけでも無いし、それどころかフツーの中年のおっさんになってしまっているのに、何を高望みすることがあるだろう?
三度拾ってもらえたのも縁というもの、この流派でいけるところまでいこう。
最終的にがっかりしてしまう結果になったとしても、そのときはそれであきらめよう、と思った。

「ところでな、hideくん」
ちなみにT先生は、実際には僕のことは苗字で呼んでいた。復帰後のS門下では、僕を下の名前で呼ぶのはS先生と、その兄弟弟子のT田さんだけだった。
「はい?」
「K拳というのは凄い拳法でな。Sさんの許しをもらわんことには、きみに教えてやるとは、まだ言えんのやけどな。ちょっとサワリだけ言うとな、拳法以外にも色んなことが伝えられてるんや」
「と言うと?」
僕は“T宮”とのことを思い出していた。きっと“気”のことや、医術、占術、呪術などのことだろうと想像して、それらのことですか、と問い返した。
「まあな。それもそうやけど、それにな、女をイカす方法とかもあるんや」
「へー」
僕はそれらの話にはあまり興味を示さなかった。
まったく興味が無いというわけではなかったが、医術、占術、呪術などは、試すことができないし、女をイカす技も、今からだと、教わる頃には幾つになっているのだろう、と思ったからだ。
それよりも、拳法そのもの、だった。
太極拳だけでいいから、ちゃんと使えるようになるところまで教わりたかった。

そして、来月一度会おう、ということになった。
教えるかどうかも含めて、とにかく一度会ってから、と。
12月。クリスマス前の頃だった。

(つづく)

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