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徒然エッセイ

20代前半の喧嘩 Part1

投稿日:2009年7月27日

20代前半の喧嘩と言えば、特に印象に残っているのは、前に“2つの突き”で書いた2回の喧嘩だが、まぁ、細かい小競り合いは、それ以外にも何度かあった。
その中で、まともにやり合ったのは1回だけだが、勝って痛い目に遭ってしまった例として、書いておこうと思う。

まずそこに至るまでの、僕の周辺事情から。。

入門して2年くらいの頃、先生のお宅が商売を廃業されて、建物を取り壊し、マンションを建てることになった。
何度かは先生宅の周辺で野道場状態だったが、たまたま僕が家の近所にあるT会館を見つけて、そこを借りることになった。
たぶんそれから1年半くらい(?)、このT会館を使っていたと思う。

その頃、これまた偶然、会館からほんの1~2分の距離にある喫茶店のバイト募集の広告を見つけ、面接に行って、採用された。
24時間営業の店で、3交代の勤務、休みは月2回だけだ。
ただ、道場があるので、面接してくれた店長に相談して、練習のある日曜日は数時間抜けさせてもらうか、入る時間を夜にして欲しいと頼んだ。
その代わり、家が近いので、急に人が抜けたときなどは極力融通を利かせて穴埋めに入るということで、許可してもらった。

僕は調理で入ることになっていたのだが、何人か先に入っている人が居て、中(カウンター内の厨房)は手が足りていたので、最初はホールだったり、中だったりした。
どちらも出来るということも、融通が利いて便利と判断されたようだ。
休みは少ないが給料が良くて、確か21万円くらいあったと思う。
当時、普通に喫茶店で働いたら、つめつめに入らせてもらっても15、6万円が限界だったろう。
実は、その当時流行っていたのだが、ポーカーゲームを主体としたTVゲームの賭博機を置いている店だった。
経営者は元ヤクザで、表向きは奥さんの経営、店長は奥さんの弟だった。
働いている連中も、最初はチンピラっぽいのが多かった。

入店して1~2週間の内に、2人くらいと口論になったりした。
経緯は憶えていない。
その内の1人はすぐ辞めて、もう1人は、確か26歳で、後に店がガサ入れに遭って閉店を余儀なくされるまで一緒に働いた人だ。
名前は憶えていないが頭文字が「な行」だった気がするので、仮にNさんとしよう。
Nさんは喧嘩腰で凄んで来て、僕は買ってやるつもりでオモテに出たのだが、結局、殴り合いには至らなかった。
それからは何故か、5~6歳も下の僕のことを、さん付けで呼ぶようになった。
そしてNさんは、最初は調理の仕事だったのだが、僕がカウンター内の方が好きだと知ると、自分はホールに出るようになった。
まー、ホールの方が暇な時は座っていられて楽なんだけど…。

その調理場のスタッフは、みんな適当にしか調理ができなくて、チーフを任されている僕と同い年のヤツが、一人で仕込みを担当していた。
特に、ポーカーゲームを一日中やりに来る常連が多いので、種類が少ないなりに料理は不味くないようにとの、オーナーの奥さんの意向で、カレーとハンバーグだけは店で仕込んでいた。
あとはピラフの具やコールスローや諸々、包丁を満足に使えない連中のために切っておいてやらないといけない。
そこで、僕はチーフと同等程度のことが出来たので、手伝っている内に、少し頼られるようになった。
僕も高校時代から喫茶店でバイトをする内、多少は包丁やフライパンの使い方を教わっていたし、卒業後も飲食店で働いたりして、調理を覚えていたからだ。
チーフは、中卒か高校中退で、レストランで何年か修行したそうだ。
もちろん彼も料理人として一人前とは言えなかっただろうが、この程度の店でならチーフとして雇ってもらえたわけだ。
少しツッパっていて嫌なところもあったが、同い年だし、それまで一人でやらなければならなかったことを僕が手伝うようになったので、一目置かれるようになった。
あとは、最初に居たチンピラっぽい連中はほとんど、客ウケが悪いので徐々に切られて、新しいスタッフとしてフツーの若い男の子や女の子を雇うようになった。
Nさんだけは、チンピラっぽいものの調子よく立ち回っていたので、そのまま残った。

そして、それから間もなく、チーフが突然行方不明になってしまった。
噂では在日韓国人のグループと何やら揉めて、逃げてしまったそうだ。
そうなると仕込みができるのは僕しか居ない。
すでに僕は、常連客から料理が美味いと認められていて、僕が出勤して来るのを待って食事を注文する人が増えていたので、店長からもチーフの代わりを頼まれた。
そして僕がヌシ状態になり、居心地のいい職場になった。

まーそんな調子で、その後勤めた先でも、特に飲食店などでは、それなりに立場を確保するのが上手く、もしくは、何故か嫌なヤツが向こうから姿を消してくれたりして、行く先々の職場で重宝がられながら過ごしてきた。

ただ、喫茶や軽食程度の店でも、男世界では、もちろん場や人によりけりだけれども、牽制し合うようなところがある。
僕は、軽く扱われたりパシリになったりするのは嫌なので、愛想良くはしても、恭順の意志は見せない。
もちろん上下関係があれば、多少は職務に関係ないことでも言うことを聞いてやるが、同じバイト同士、少し先に入っているくらいで、いちいちへつらうのは面倒臭いしキリがない。
だから僕は、武道の心得があることを隠したりせずに、空手や拳法の話をすることにしていた。
見かけは優男タイプでも、少しばかり武道や喧嘩技のことをレクチャーしてやれば、構えや腰つきが素人っぽくないことは相手にも判るようで、一目置かれるようになり、喧嘩をしなくて済むようになるからだった。

前述のNさんや、その店でも、実は最初にそういうことを効かせていたのだ。
もちろんこれは諸刃の剣で、余計に相手を煽ることにもなりかねない。
実際、このあとの話では、大喧嘩してしまうのだ。
しかしそれは、僕がそんな牽制をしていなくても、相手はちょっかいをかけてきていたし、なめられ抑えつけられながらやり過ごすか、喧嘩になるかしか、無かったと思う。

…ただ。。

実は、T先生に最初に習っていた頃、先生の前では、とてもじゃないがそんなことは言えなかった。
T先生は一見文化系で、武道をやっていることも人にはあまり言わないタイプだった。
当時、必殺仕事人の中村主水のようにしていたいともおっしゃっていた。
僕もその影響を受けていた時期があって、T先生の考え方は一時お手本になったのだけど、やっぱり僕はそういう人間ではなかった。
しかしそれを知られると、拳法を教えてもらえなくなるかも知れないと思って、猫をかぶっていた。。(^^;
今は、素のままの自分を知ってもらおうということや、武術の話をするときに自分の経験や思いを伝えるために、普通に話しているけれども。。

まぁ、強さを内に秘めて、ごくフツーに接して、言うべきところは毅然とした態度で言えて、もしそれが通じず、理不尽に喧嘩をふっかけてきたら瞬殺KO!…なんてことが、ほぼ確実にできるのなら、自分が何かやっているなんて言わなくていい。
だが僕が生きて通ってきた道は、予め相手を牽制しておいて、
「喧嘩になったらタダじゃ済まないぞ」
と知らせておく必要があるような、バカの多い世界だった。

それに、僕は、
中村主水のように表面上は事なかれを通す生き方よりは、小うるさいけど真っ当なことを言うガンコ親父のようでありたいのだ。

そんなわけで、武術の心得があると話しておくことは、僕にとっては処世術的な意味での兵法の内だったのである。
つまり“核の抑止力”というほどではないけれども、戦力をちらつかせることが外交の手段や戦争回避になるのと同じことだ。
まー大層な戦力とは言えないのが痛いところだけれど。。

少し戻るけれど、ポーカーゲーム喫茶は、僕がたまたま休みを取った日に、ガサ入れ。
翌日には新聞にも載り、店長は実名、ほんの半月ほど前に入ったバイトの18歳の男の子は「少年A」として記載された。
アブナイアブナイ。
僕がその場に居たら、実名で載るところだった。
僕だって料理作ってるだけのバイトに過ぎないのに。。
でもちょっと世間知らずだった。。

それから数ヶ月後、道場の稽古帰りに兄弟弟子たちと梅田に寄って、何の流れだったか、ちょっと遅くなったことがある。
そのついでに繁華街から少し外れのラーメン屋に寄った。
すると偶然、ポーカーゲーム喫茶で働いていたNさんがラーメン店員になっていた。
「あ、hideさん! お久しぶりです!」
「お久しぶりですね。ここで働いていたんですか。良かった」
「今日のお連れのみなさんは…?」
「前に武道やってるって言ってたでしょ。兄弟弟子の人たちなんですよ」
「そうですか。じゃあ、今日は僕がみなさんの分奢りますので!」
「いやいや、何でですか。払いますよ(笑)」
こんなやりとりをして出たのだけど、店を出るまで黙ってた2歳上のK阪さんが、
「hideくんもなかなか裏の世界に精通してそうやね」
と、ぼそっ。
「裏の世界って。T会館の近くの喫茶店で働いていたとき一緒に居た人ですよ(笑)」
「いやいや~、hideくん。あんな(ガラの悪そうな)人が、あんだけhideくんに気を遣って話すなんて、フツーやないやろう?」

…まぁ、確かに、Nさんみたいな年上のチンピラが気を遣うくらい、時には殴り合うつもりで、ギリギリの駆け引きをしたりしていたのは事実だけれど。。(^^;

<< Part2へ続く >>

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