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徒然エッセイ

真正・真伝とは…!?

投稿日:2007年7月16日

中国武術の世界では歴史や系譜を喧伝する風潮がある。
名門であるとか、名人・達人を排出したとか、また、最強と言われた誰それの弟子だとか、そのまた弟子であるとか。。
そして、名人・達人の逸話を伝え、その名が入った系図を示して、優位性を説く。
「当門は真正である、真伝である」
---と。
もちろんそのこと自体をいけないと言いたいわけではない。
ただ、我々日本人は、あまりにもたやすく真に受け過ぎて、そういう風潮をなおさら増長させてはいないだろうか…?

日本人はとかく権威に弱いと言われる。
どこそこの公認・認定だとか、その世界で有名だとか、有名・著名人が認めたものだとか、そういったものを信じて重用する。
いわゆるお墨付きというヤツ。
自分の目で判断するよりも、権威の方に目が行き、そういったものに価値観を囚われてしまいやすい。
…まぁ、余所の国でも同じだろうが、日本人が特にそう言われるのは、やはり他と比べてもその傾向が顕著だからなのだろう。
ブランド大好きな国民性なのもその一端かも知れない。

では、“真正”な武術とは、どういうものを言うのだろうか?
そして“真伝”とは何なのだろうか…。

例えば太極拳で言うなら、
「源流の趣を損なわず正統な系譜により代々受け継がれてきている」
---ということだろうか?
そうだとして、
前述のような事情を鑑みれば、幾らかの疑問も湧いてくる。
言ってしまえば、
「何がそれを証明するのか?」
また、
「もっともらしい系譜があれば“真正”と言えるのか?」
…という点だ。
これはなかなか判断が難しい。

思うに、どんな武術も、ちゃんとした技法を伝えている流派なら、核となる部分に大きな差は無いと僕は考えている。
そしてその核というのは、型が豊富にあることや、書籍などで語られているような表面的な理論や、漠然とした概念ではなくて、もっと具体的に、
「体をこう使うんだ」
と説明し伝えることができるものだと思う。
そしてそれは、何度も言うが、書籍で説明されているような基本的な姿勢や身法ではなくて、そのベースの先にある本当のやり方、使い方だ。
そういう核を持っていることが、その流派や師範の武術が“真正”ということではないかと思っている。
だから、少なくとも僕的には、名門と言われる流派だとか、有名な誰それに学んだとかいうことが、即、イコール、「真正」ということにはならない。
仮に真正な流派・師範に学んでも、そこを伝えられていなければ意味がない。
そして、納得できる技術を持っていれば、系譜なんて関係ないし、源流でなくても、ごちゃ混ぜ流派でも構わない。
返って他を取り入れて進化していると言えるかも知れないではないか。

そして“真伝”ということだが、何が本当なのかということは、学ぶ側からはなかなか判断できない。
誰それが有名老師に学んで「奥義を得た」「真伝を得た」「全伝を伝えられた」などという話を聞いても、やはり何がそれを証明するのかと思ってしまう。
また、日本でも時代劇などで、
「〇×について修行すること△年、ついに免許皆伝を得た」
というようなセリフが出てくるが、現実、今の世の中で、そんな風に目録や認可状をもらったと聞いても、それがイコール強さの証明と言えるだろうか?
現代で用いられている段級だって、必ずしも強さの証明にはならない。
そして、
「本当のことはすぐには教えられない」
として隠し、体操のような型と、きちんとした説明の無い“気”の修練と、推手で攻防のほとんどを会得しようとするのが、今よくある日本の太極拳事情だという気がする。
問題は、隠しているのか、知らないのか、学ぶ人はなかなか判断できないというところだ。
…で。
「真伝」という言葉の解釈だが、先に書いたこととも重なるが、表面的な技法の先にある真の技法…ということになると僕は考えている。
つまり真正な武術(流派)の核となる部分、ということだ。
その方向でいけば、
幾ら真正・真伝を謳っていても、下肢を鍛えたり、基本的な身法を習得するための大きな型ばかりを長期間練習させられるだけでは、仮にその流派なり師範なりが本当の技術を持っていたとしても、果たしてそれを、門を叩いた人たちすべてが、続けていればいつかすべからく教わることができるものなのかどうか…。
そして、本当のことをまだ教えてもらってもいないのに、自分が学んでいるのは本物だと、系譜や名前だけで信じ込んでしまっていいものかどうか…。

ちなみに僕は、前にも書いたように、元々それほど大した望みを抱いていたわけではない。
もちろん最初は「気」や「発勁」にあこがれたし、「奥」や「秘伝」と言われるものを得てみたいと思っていた。
伝承系図に自分の名を連ねることができたらカッコイイなんて考えたこともあった。
でも今はそういうことにはまったく興味がない。
僕のような甘ちゃんが、何年ものブランクを経て、衰えた体に鞭打ってどこまでいけるかなんて、たかが知れている。
だからといって最初からあきらめているわけでもないが、現実的に可能な範囲で、好きな道として細々とでも続けていければいいと思っている。
昔は、隣の芝生は青く見えるの例え通り、やはり目移りもした。
色々な武術がある中で、自分が習っているものはどのような位置にあるのかをあれこれ考えた。
他派に比べて見劣りするように思ったこともある。
そういう意味では、迷いもなく自分が学んでいるものを真正と信じてひたすら励んでいる人の方が幸せだという気もする。

しかしまー。。

結局、他派のことは深くは解らない。
解ろうと思ったら実際に学ぶしかないし、深い部分を知ろうと思ったら、何年も費やしてそこで修行するか、大金をはたいて技を買うか、だろう(たぶん)。
それなら、もっと身近なところで、町道場で空手を習う方が賢い気もしてしまう。

まぁ、僕にとっては、今の流派が体に馴染んでいるので、今さら自ら鞍替えしようという気はほとんど無い。
他を習いに行くとしたら、今のことにプラスして役立てるためとか、練習の機会を増やすため、こっそり自分が思っていることを試すため…などといった理由になるだろう。
そういう意味では最近、体力があるうちに合気道やグローブ空手の道場に行ってみようか…と思ったりするのだけど、仕事やら生活やら金銭やら、何だかんだと腰が重い。
こんなことを言っていて行かないままだったりすると、先生から「言い訳人間」扱いされたりするのだけど…。。

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