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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

10代の頃、僕にとっての武道 Part 2

投稿日:2007年9月24日

中学生になる頃、それまで住んでいた文化住宅から3LDKのマンションに引っ越し、自分の部屋を1つもらえることになった。
まさか自分の部屋ができるとは思わなかったので、僕には意外な歓びだった。

義父は、母と結婚してから、しばらくして働かなくなり、いつもふてくされてダラダラと過ごしていた。
自分のことは棚に上げて僕には厳しい。
そしてある時期から会話はほとんど無くなり、「宿題やったか?」「早よ寝ろ!」というのが普段の数少ない義父の言葉だった。
母が夕方から化粧をして仕事に出かけると、義父と2人きりになる。
僕はその時間が苦痛で、同じ文化住宅に住んでいた鍵っ子仲間のS君のところに遅くまで居たりしたが、家では4年生頃から、押し入れに寝床を作って、そこで過ごすようになった。
自分で豆電球を仕掛けて灯りを作り、眠くなるまで薄明かりで漫画を読んで過ごした。
(※S君については2007/02/12『空手バカ一代に学ぶ』参照)
あとからそれとなく判ったのだが、マンションに引っ越したのは、親たちにとって、快適な住まいに移りたかったのはもちろんだが、僕に一部屋与えてそこに追いやってしまいたかったようだ。
母は、その頃はまだ、内心は僕への気遣いがまったく無かったわけではなかっただろうが、義父が僕を嫌っていることへの気遣いの方が強かったのだろう。
母の中での優先順位は、その後も変わらない。

そんな義父があるとき僕の部屋にやって来て言った。
「おい、お前、お殿様らしいな」
「?」
「お前の親父、お殿様の末裔らしいやんけ」
どういうわけか母親からそんな話が出たらしいが、聞くと、僕の父の先祖は武士で大名なのだそうだ。
「ええっ!?」
僕は驚いた。
それが何であんな貧乏暮らしをしていたんだろう?
「100年くらい前に生まれてたら、お前、お殿様やったのにな」
と、重ねてからかうように義父は言った。
(100年くらい前って微妙だなぁ…)
と思いながら、あとで母にも尋ねた。
すると、あまり詳しく話してはもらえなかったが、父の両親も再婚していて、父の実父(つまり僕にとって祖父)は、僕が知っている祖父ではないそうだ。
祖父が事故で亡くなり、祖母が再婚して名字が変わったのだが、もし祖父が亡くならなかったら、父も僕もその姓のままだったかも知れない。
その祖父の先祖が大名なのだという。
確かに非常に変わった名字で、どちらかと言えば公家のような姓だ。
そして考えてみれば、田舎に預けられていた頃、父方の祖父はあまり僕の相手をしてくれなかったが、義理の祖父だったのであればそれも頷ける。

まるで漫画の主人公みたいだ…!

と思って、ちょっと嬉しくなった。
それからサムライというものにも興味を持ち、意識するようになった。
武道に対する憧れも増した。
そして、父は何故、空手を選んだんだろう?…と想像した。
結局、もう刀を差して歩ける時代では無くなっているからだろうというのが、単純な答えだった。
それに現代剣道と言えば竹刀剣道だし、剣道をやっている人は、素手ではただの人だという程度の認識だったので、徒手空拳で強い武道でなければ役に立たないと考えた。

そして、たぶん最初に手にした空手の入門書に書かれていたのだと思うが、
「我傷つかず、人を傷つけず、事なきを得る」
というような一文があった。
つまり空手が理想の護身術であることを説いていたのだが、似たようなことは他武道の入門書にも書かれていると思うが、ともかくそのときの僕には、この言葉がとても印象的だった。
後々、武術というものを学ぶようになって、武術的観点からすれば武器を使うことはアリなのだが、現代に当てはめて言うならば、それはよほどの非常事態に際してだろう。
また、過剰防衛になってしまうことも恐い。
「素手で事なきを得ることができれば…」
10代当時の僕はそう思った。
だから僕は、喧嘩では物を持って人を攻撃したことは無い。

ちなみに、
武術的観点から考える、戦うことは(武器を使うにせよ使わないにせよ)、相手を殺すことであって、それには相当の覚悟が要るし、そんなことは普通は一生無いだろう。
その覚悟を内に秘めていれば、つまらない喧嘩などしないで済むというのが教えだ。
サムライが抜刀するときには、その覚悟を以て抜かなければならないということだ。
…ただ、これも悩むところだ。
当時の僕がそう教えられていたとしても、やはり喧嘩はしてしまっただろうし、武器は使いたくないと思っただろう。
もちろん、夜道で窃盗・暴漢に襲われたとかなら別だけれど…。

大人になってからも、経験的に、例えば、パチンコ屋や飲み屋で他人同士が喧嘩になったのを止めたことがあるが、そんなときに突き・蹴りなどの技を使って止めるわけにはいかないし、まして武器など使えない。
そんなことをすれば自分が喧嘩の当事者になってしまう。
かと言って、何が起こるかわからない恐さも認識しておかなければならない。
つまり、どう対処するのかという点では、それはケースバイケースであり、機転の問題だという気がする。
もちろん、そもそも他人のことなどに関わらないという選択肢もあるのだが…。。

話が少し逸れた。

ともかく僕は、徒手空拳での強さというものに憧れた。
それは今も変わらない。
子供の頃から何かとちょっかいをかけられ、喧嘩ばかりふっかけられた僕にとって、まずそれを切り抜けられる術を会得することが先決問題だった。
その一方、正直言って自分は根が弱い。
自分の弱さは自分が一番よくわかっている。
手本になる父親が居ない分、武道の考え方を手本として、心も体も強くなりたかった。

そして、本当かどうかは判らないが、自分の先祖がサムライだと知って、少しばかりプライドのようなものも目覚めた。
自分の思い描くイメージで、サムライは強くあらねば…というようなことを考えて、友達に武道のことを話すときも、
「まず自分が強くなることで、人を傷つけずに事なきを得る、というようになりたいんだ」
と説明するようになった。
これがその頃の僕の武道観であり、理想だった。

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