僕がY崎やK野と殴り合いをしてまで話をつけたので、カズは自由になれた。
本人は、僕もはっきりと理解できないほどY崎を恐がっていたので、本当に一日経って解決したとは、にわかには信じられなかったようだ。
マサは、どれほど僕が苦労したか解らないらしく、
「お。ようやったな。hideが話つけたんか。さすがやの」
と、あっさり流した。
「お前な…。オレがどんだけピンチやったか解って言うとんのか!…あのな、最初から聞かしたるわ」
と、僕は喧嘩の経緯を細々と話した。
その後も僕は、いい気になって親しい者に武勇伝として語った。
だが本音は、本当にギリギリの勝負だった。
不思議の勝ちと言う他なかった。
今なら、幾らかの分析はできるが、それはまた項を改める。
ともかくこの喧嘩以降、Y崎は僕に負けたことで評価を落とした。
逆に僕は評価が上がったのかというと、そうでも無かった。
「まぁ、空手やってるだけのことはあるわな」
という程度だ。
幾らか強いとは思われていても、めちゃくちゃ強いとは思われていなかったわけだ。
大体僕は、遊ぶ相手が大人しい連中が多い。
漫画ばかり描いていたし、僕自身が大人しくなったことで、中学2年の頃から人気が出てきて、女の子にもモテるようになった。
軟派なイメージが拡がっていた。
もしかすると、そういうことで目の敵にされていたのかも知れない。
Y崎との後日談だが、喧嘩の日以降、一度ふらっと僕の家を訪ねてきた。
喧嘩の後、1~2週間経った頃だ。
これもやはり夜8時頃だったか。。
僕は驚いた。
仕返しに来たのだと思った。
だが平静を取り繕って、
「…おう。どうした?」
と訊いた。
「ちょっとな。上がっていいか?」
断ろうとしたが、
「何もせえへんやんけ。何となく話したくなっただけや。ええやろ」
と、おだやかな口調で言った。
Y崎の様子が変わっていたので、僕は部屋に上げることにした。
ここでやり合うことになるにしても、もし相手がその気なら今日断っても同じことだ。
覚悟するしか無いと思った。
部屋に入ると、Y崎はレコードに興味を持った。
(※注:CDではなく、レコードの時代です、はい。。(^^;ゞ)
そのとき僕が持っていたレコードは、ほとんどが義理の叔父さんからもらった演歌やフォークソングばかりだった。
「あんまり無いやろ。それより何か飲むか?」
Y崎はそれでもレコードを漁り続け、1枚を取り出した。
「お!吉田拓郎あるやん!」
出したのは『旅の宿』だった。
「え、そういうの好きなんか…?」
ちょっと意外だった。
それにしてもまたベタなモン抜き出したものだと思った。
その頃の僕にしてみれば、吉田拓郎の情緒ある味わいよりも、曲が大雑把に感じて、それほどお気に入りのアーティストではなかった。
特に『旅の宿』はベタに感じて、あまり聴かなかった。
「いや、ちゃうねん。これのB面の曲がええねん…。かけてええか?」
と、レコード盤を取り出した。
「ああ、ええよ。B面はオレも一応聴いたけど、ええと…」
「おやじの唄言うねん」
コワモテのY崎が音楽を味わい深く聴く姿は、あまりにも意外だった。
曲が終わると、
「もう1回かけてええか」
と言いつつ、何度もかけた。
結局、20回くらいリピートした気がする。
それはこんな歌詞だった。
おやじの唄
詞:吉田拓郎 曲:吉田拓郎
おやじが全てだなんて言いませんよ
僕一人でやった事だって沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を疑うことを教えてくれたこと
おやじは悲しいくらいに強い人でしたよおやじが全てだなんて言いませんよ
僕一人でやった事だって沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を裏切ることを教えてくれたこと
おやじは泣きたいくらいにひどい人でしたよおやじが全てだなんて言いませんよ
僕一人でやった事だって沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を愛することを教えてくれたこと
おやじはみじめなくらいに一人ぼっちでしたよおやじが全てだなんて言いませんよ
僕一人でやった事だって沢山ありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが生きると云うことを教えてくれたこと
おやじはやるせない位に精一杯でしたよおやじが全てだなんて言いませんよ
誰だって一人でできること位ありますよね
一つだけ言ってみたいのは
おやじがいつもの口ぐせ通りに生きぬいてみせたこと
おやじは誰にも見られずに死んでいきましたよおやじが全てだなんて言いませんよ
だけどおやじもやっぱり人間でしたよ
死んでやっと僕の胸をあつくさせましたよ
死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ
Y崎の親父さんはこの時点でまだ存命だったと思うが、こいつなりに何か思い入れがあったのだろう。
前に書いたが、親父さんは日雇い労働をしていて、大家族で貧乏で…という噂を聞いていたので、僕もあれこれ想像をめぐらせて複雑な気分だった。
しばらくして、
「Y崎、そろそろ…」
と言うと、
「ああ、すまんな」
と立ち上がって玄関に向かった。
帰り際、
「また来てもいいか?」
と言われた。
僕は、何と言ったのかよく憶えていないが、とにかく言葉を濁した。
今さらY崎と友達にはなれない。
それに、にわかに信用することもできなかった。
だが『おやじの唄』は妙に耳に残って、それからもよく聴くようになった。
ずっと後の話になるが、大人になって、自分の実父と再会したが、色々あって喧嘩別れをした。
そして疎遠になっている内に、父は亡くなってしまっていた。
だが血は濃いものなのか、そのことを聞いたとき僕は泣き出してしまった。
その夜、僕の頭の中ではこの『おやじの唄』が延々流れていた。
中学を卒業してしばらくした頃、紫色のチンピラ風スーツを来たY崎を見かけた。
噂ではヤクザになったらしい。
人相はさらに悪くなっていて、視界に入る者を蹴散らさんばかりの目つきだった。
後々になって、ふと思った。
あのとき、自分が友達になってやっていれば、Y崎のその後は変わっていたのだろうか?
…と。。
でもやっぱり、自分の生き方は自分で決めるものだ。
何をやっているかは関係ないが、あのときの僕はY崎の性質・性格を拒否したのだ。
K野にしてもそうだが、すでに尋常でなさ過ぎた。
もしそこまで荒れていなければ、友達になれたかも知れなかったが…。。。