先月はまるまるサボってしまった。申し訳ない。
早速だけど前回の続き。S道場に行き始めた頃のこと。
……そう言えば。
K拳のことは、どの程度書いたかな? ――と思って、この文章を書く前に過去記事をざっと見してみたのだが、まばらに触れただけのようだったので、改めてこの拳法の鍛錬について、ざっくりではあるがまとめて説明しておこう。
K拳の鍛錬は、要は、主に二人組で行う筋トレである。
一般のスポーツでも、あるいは他の武術・格闘技でも、目的の運動に合わせた筋トレを行ったりはするが、鍛え方や鍛える部位など、それぞれがバラバラであることが多い。
その点、K拳の鍛錬では、各部の連動や全体の繋がりを重視する。
例えば腕を鍛える場合でも、体のどこを支点にして力を入れるか、足からの力をどのように使うか、といったことが、動作の中で求められる。
つまりは、一般的に知られている中国拳法の練功として、型(套路)の中で少しずつ養うようなことを、力を以て強制的に叩き込む感じだ。
もちろん人によって身に付き方には差が出るし、理解にも個人差があるので、あまり解らずにやっていれば大雑把になったりはする。
しかしそれでも、打突の際には、普通の筋トレを行っただけでは得られない威力が出せるようになるだろう。
よく中国拳法で説明される、足から纏絲を伴いながら波のように伝わって拳に達する、――というような説明のものではなく、ただぶん殴れば、纏絲もクソも無く拳が当たる際には瞬時に繋がっているイメージだ。
だから短い距離や小さな動きでも、大きな衝撃を与えることができる。
……まあ、そうでなければ実用的ではあるまい。
太極拳のように、型を通して自己の身体や精神などの内面と向き合いながら「体をどう使うか」ということを気長にやっていたら、なかなか大きな力を発揮することはできない。
推手や約束組手の上で相手を吹っ飛ばすことができるようになっても、実戦でそれができるかと言えば、難しいだろう……。
しかし拳足に、ただ繰り出すだけで通常で考える以上の威力があれば、それだけで戦うための武器たり得るだろう。
本来、武術の鍛錬とはそういうものではないのか。
またK拳の鍛錬では、技に関係した動作を、負荷をかけ合って行うのだが、これ自体がK拳の“型”と言える。
そして“推手”や“組手”のような意味も含んでいる。
初歩的なやり方としては「握手」や「腕相撲」のように腕を組んだかたちで行うが、徐々に段階的に、より実用的なものへと発展していく。
もちろん足の鍛錬もあるし、部位別の鍛錬もある。
但し、メインとなるのは、やはり「腕」を中心とした鍛錬だ。
それに伴って肩や背中、胸や腹などの筋肉にも負荷がかかり、立って行うことで足腰にも負荷がかかる。つまりは全身、ということになる。
人間同士で行うことにも意味がある。これについては追々。
……まあ、これ以上は、鍛錬に関する具体的なことはあまり書かないと思うが、大体こういったことを理解してもらっていれば、このあとの話もわかりやすいかと思う。
T先生との鍛錬では、さっき説明した腕を組んでやる初歩の鍛錬を予めざっと済ませて、通常なら三年目からになるという、K拳の鍛錬の中で最も中心的な役割を担う鍛錬をやらせてもらえるようになっていた。
そこはたぶんS先生が、僕のキャリアを考慮して、
「メインのヤツをやらせてやれ」
と、T先生に言ってくれたのだろう。
あとT先生にとっても、初歩の鍛錬ばかりだとあまり稽古にならないから、僕に早く覚えさせようという目論みもあったようだ。
もしかしたらS道場に行き始めた頃にはまだだったかもしれないが、メインのは大体この頃からだったと思うので、K原君との稽古に合わせて、という面もあったかもしれない。
またこの鍛錬は、この頃S道場では“定食”と呼ばれていた。
そう呼ぶようになったきっかけはわからないが、いつものメニューだから「定食」――ということだったらしい。
最初にお邪魔した6月末から、二、三週空いて、二度目の訪問。
このときにK原君と初めて会ったのだったと思う。
K原君は、もう少しあとで顔を合わせることになる“ST君”と、前回の記事で稽古をつけてもらったS井君の、職場の後輩とのことだった。
(※ST君に何故“T”を付けて二文字にしているのかというと、S先生と同じイニシャルなので区別するため。漢字を付けていないのは、この場合、範囲が狭くて名字が推測できてしまうため。今後、他の人にもこういう名前の付け方をすると思う)
K原君は、当時30歳くらい。まだ20代だったかもしれない。
華奢で、いかにも真面目で大人しい感じの人だった。
武道歴は、確か子供の頃から学生時代まで剣道をやっていたとかで、腕前は二段だと言っていたと思う。
拳法は職場の先輩であるST君やS井君の影響で興味を持ち、誘われて入門したらしい。
僕の記憶では、K原君は僕より少し背が低くて細身だったから、背格好は、身長170cmくらい、体重60~63kg、といったところだったろうか……。
鍛錬での力は、ほぼ互角。
しばらくすると、体が大きい分は僕の方が少し優位で、スタミナは若いK原君の方がある、という感じだった。
ただ、三年やっていてこのときの僕と互角だったのだから、最初はよほど力が無かったらしい。誰かがK原君のことを、
「入門してきたときはひょろひょろで、いかにも頼りない感じだった」
と言っていた気がする。
けれどまあ、このときの僕にとっては、ちょうどいい相手だった。
但し鍛錬以外では、K原君はまだまだ初心者に近かった。
余所の、一般的な空手道場などで言えば、たぶん入門して半年か一年程度の人の動きだ。
それに、ウチの流派には真極流その他の柔術も入っているため、木刀を振るうような稽古もするのだが、その際の木刀の振り方を見たとき、
(あれ? 剣道をやっていたにしては、ちょっと違うな……)
と、何となく違和感を覚えた。
例えるなら、それまで現代剣道しか知らなかったせいか、木刀をただの長い棒のようにしか捉えていない動き、とでも言おうか……。
現代剣道でも、初心者が野球のバットを振るような振り方をしてきたら違和感を覚えるだろう。そんな感じかな。
で、僕は前回の記事でも書いたことを、また改めて感じていた。
どうやら下のお弟子さんは特にだが、稽古が鍛錬に偏りすぎていて、技が疎かになってしまっている。だから余所の半年か一年くらいの動きなのだ。
少なくとも僕にはそう思えた。
――とは言え、
僕自身もまだまだわかっていないことが多い上、そんなことを言える立場にもない。そこはあまり見ないフリをして稽古を続けることにしていた。
それから、これも私見だが、K原君は拳法や柔術のような徒手武術に関しては、あまり筋がいい方では無かった。続けていれば何かのきっかけで化けることもあるので先のことはわからないが、少なくともこの時点では。
だから、鍛錬以外の、組手や、柔術の逆手などを稽古するようなときには、あたふたしたり、タイミングや角度や距離の取り方が未熟で、うまく動けないことが多い印象だった。
また、S先生が何かを説明してくれたとき、言葉や意図を適切に理解するところも乏しかった。だからなおさらうまく出来なかったり、指示と違うことをやろうとしてS先生に「ちゃうやろ!」と、どやされたりする。
これは他の人にもあったことだけれど……。
――だから、力の鍛錬を除けば、僕との“功”の開きは明らかであったはずだが、けれどT先生などは、僕の力の無さばかりを指摘して、K原君がちょうどいい稽古相手だとからかう。
確かに鍛錬に限ればそうだが、T先生の言い方も相まって、僕は内心それが少々腹立たしかった。
まあ、そんなこんなだったが、K原君は人当たりが良くて、上には従順で、僕に対しても気を遣ってくれて、付き合いやすい男だった。
力は互角と言ったが、会ったばかりの頃は、やはりそれなりにしんどくて、どうにか力負けせずについて行ける、という程度だったから、こちらの方がやや分が悪い印象だったのが正直なところだ。
それに周りのお弟子さんたちは、K原君のことを「力が無い」とからかっていたから、遠回しに僕も言われているようで、それも当時は些か悔しい思いだった。
話変わって、S先生への謝礼だが。
月が変わったので、また何か持って行かなければと、二度目もワインを持って行った。
前回もだが、ほどほどのカジュアルワインを二本買って、額としてT先生への月謝の半分ほどになるようにしていた。
で、稽古が終わって着替えているときに渡そうとしたのだが、それを見るとS先生は即座に「要らん!」とそっぽを向いてしまった。
僕は呆気にとられ、どうしていいやら、わけがわからなかった。
結局、無駄になったワインは、T先生にあげた。
一本をあげて、もう一本は自分で飲んだのだったかもしれない。
そして次のT先生との稽古日、どうしてワインを受け取ってもらえなかったのかを尋ねると、ワインには飽きたらしいとのことだった。
なんだそりゃ、と思いつつ、謝礼をどうしたらいいかを再び相談すると、
「現金がいやらしいと思うんだったら、ビール券とかでええんちゃうか」
とのこと。
(いや、現金の方がすっきりしてていいだろう)
僕は内心そう思ったが、T先生の言に従って、次は五千円分のビール券を買って持って行った。
するとそれは受け取ってくれた。
だが、これにはまだ続きがあって、その次の月にはまたそのビール券にもそっぽを向かれてしまった。
体調が思わしくなくて病院で検査を受けたら、酒を控えるように言われたのだという。
それで酒をやめたそうで、ビール券は要らん、というわけだ。
僕は内心ちょっと頭にきていた。T先生にだ。
T先生は毎週S道場に行って会っているのだから、そういう話を聞いていたはずだろう。
以前もワインが無駄になったが、今回もまたビール券が無駄になった。
T先生には月謝の上に毎回お酒を奢ったりして出費もバカにならないのに、人の懐のことなど知らんぷりだ。
ちょっと一言教えてもらっていれば、ビール券を買わずに済んだのに。
いやそもそも最初から現金で良かったのだ。
『この人の指図に従っているとろくなことがない』
この頃から、はっきりとそう思うようになった。
で、僕はそのままにするわけにもいかず、次の稽古のときに現金で五千円を封筒に入れてS先生に渡し、その後は現金にしたのだった。
それからあるとき、S先生が僕のところに近づいてきて、こんな会話があった。
「おい、毎週は来られへんのか?」
「あ、いえ。T先生から当面は月2回程度と言われていまして……」
「そうなんか。毎週来てもええんやぞ」
「ありがとうございます!」
それをあとでT先生に話すと、ちょっと渋い顔をしていたが、
「Sさんがそう言うてはったんやったら、ええんちゃうか」
と言ってもらえた。
それ以外にも、S道場に行き始めてから二度、三度と顔を見る内、S先生は何かと僕を気にかけてくれるようになって、時々僕の横に来て説明や指導をしてくれていた。
だからビール券にそっぽを向かれて、その月はまあいいや、と、そのままにしておくわけにもいかなかった。
しばらく酒をやめていたS先生だったが、二ヶ月もするとまた飲むようになっていた。どうもやめている方が体調が悪いと。
それでまた病院で検査を受けたら、正常に戻っていたそうだ。
前はよほど飲み過ぎが続いたときに病院に行ったから、検査上で色々数値に異常を来していただけだったのだろう。たぶん。
ほぼ毎週行くようになってからは、僕も少しは場に慣れてきて、K原君との稽古のときにも、時々、
「いや、さっきS先生が説明してくれたのは、こうこうで~~」
と、補足や助言を口にするようになっていた。
S先生はどういうわけか少し離れたところに居ても聞き耳を立てていて、
「そうそう! そうや!」
と言ってくれたりする。
昔、T先生の一番弟子だったT君が、S先生の預かりになっていて、T君と一度再会したとき、
「S先生にはお世話になりました。色々気を遣ってもらいました」
と言っていたが、こういうところだったのだろうな、と思った。
それから、S先生やT先生の兄弟弟子であるT田さんも、よく教えてくれていた。
あるとき、“楼膝拗歩”の感じで掌打を打ってみろと言われて、T田さんが持って構えてくれたミットに向かって「こんな感じでですか?」と、まずは打ったかたちの姿勢をして見せた。
「いや違う。相手の攻撃を捌いて打つときは、大体こんな感じやろ」
僕がしたのは従来の型通りのかたち、T田さんが示したのは、型で言うなら“小架”だ。だがこのときの僕はそれをまだあまり知らない。
とにかく、20センチも無い短い距離で打てということだった。
で、打ってみたが、カス当たり。
「違う違う。もっとこういう姿勢で、こことここの力を抜いて~~」
などと言われ、そして打ってみたら「ズバ~ンッ!」と大きな音を立てて、いかにも瞬間的な力を出せた感覚で小気味よく当たった。
このときはたった一回の助言で僕が思った以上の打撃ができたものだから、T田さんが一瞬、驚いた顔をしたのが目に入った。
昔の僕だったら、四年、五年の頃でも、言われて即座にできたかどうかわからない。たぶんできなかっただろう。
やはりここは、ブランクがあっても、その間に色々研究・工夫してきたことが頭にあったから「こんな感じかな?」と切り替えて打つことができたのだと思う。
以前、T先生が僕のことを「普通の人の三倍くらいのペースで上手くなる」と言ってくれたのもそうだし、このあとも時折同様のことがあったが、その意味では、細々とでも続けていることが大事ということだろう。
ひとまず今日はここまで。次回はこの続き。
今月はもう一度アップできると思う。