中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

中国武術のコミュ

投稿日:2009年12月3日

ブログの更新を4ヶ月サボっていた間、実は某所で太極拳のコミュを立ち上げたりもしていた。
一応説明しておくと、コミュとはコミュニティの略で、一定のテーマに添った会員制の掲示板のことだ。

以前、これまた別の某所の某コミュで、ちょっと意見を書いたことがあるのだが、そのとき、アクティブなメンバーの1人に噛みつかれて、鬱陶しくなってやめてしまったことがある。
確か、型に関することだったと思う。
書いたことの詳細は憶えていないが、たぶん、型は必ずしも全部をやる必要は無いとか、単練(分解した一つ一つの技を練習する)でも良いというようなことや、型は言語のようなもの…というようなことを書いたと思う。
(そのコミュを見に行けばログが残っていると思うが、見に行って探すのが面倒臭い(^^;ゞ(笑))
型に関することは、いずれこのブログでも取り上げるつもりなので、また改めて書くけれども、とにかくその時、僕に噛みついてきた人の意見は、
「太極拳の型は、一連の動作を行って気の運用をすることに意味があるのだ」
というようなことだったと思う。
まー意見は意見。人それぞれ。それはそれでいい。
ただ、意見交換の仕方として、高飛車で一方的な決めつけで話す物言いに呆れてしまい、そのことを注意するレスを返して、あとは無視し、間もなくそのコミュを退会した。

また、その少し前から2ちゃんねるの過去ログを漁ったりしていて、ネット上の中国武術系掲示板の雰囲気は大体判っていたし、型偏重で知識・理論武装した人の考えも大体掴んでいた。
だが、さすがに2ちゃんねるの雰囲気にはついていけない。
会員制のコミュならもう少しいいやりとりができるかと思っていたのだが、大して変わらなかった…。

要は。
ネット上で思うことを書くにしても、浅いところからせいぜい中級程度のところまでについてしか書けない。
もし議論をふっかけられて、それに反論しようと思ったら、自分の学んだものを晒さなければならなくなる。
何で礼儀もわきまえない相手に、何の得にもならないのに、タダで教えてやらなければならないのだろう…?
そして、そういった輩は、素人を煙に巻くような理屈をペラペラと説いて、初心者から有り難がられているが(本人にはそういう思いは無く、物識りなつもりなのだろうけど)、実質、何の説明にもなっていないことが多い。
そんなこともあって、人との議論を避けて、このブログを始めた。
はじめに』で書いたことは、まー言ってしまえば、上記のようなことへの予防線というわけだ。

…しかし。
今までこのブログを通じてレスやメールをもらったりする内、人とのコミュニケーションも恋しくなり始めた。
元々、人との交流が嫌いなわけではない。
最初は、新しく入った某所の中国武術系のコミュに入ったが、面倒臭い“教えてやろう君”はどこにでもいるものだなぁ…と思った。
まぁ、物をあまり考えていなさそうな“教えて君”も数多く居るので、それで成り立っているのかも知れないけど。。
…で。
自分がホストの立場なら、そう荒れることも無いかも知れないと、自分でコミュを立ち上げてみることにした。

…ただ、残念ながら、今は発言も止まって、停滞している。

中国武術の世界は、元より型偏重の世界だ。
そこで型について否定的な意見を言うのは反感を買いやすい。
もちろん僕の意見は、否定ではない。
しかし否定と取られやすいことを言っているのだろう。。
例えば、
「これといった型が無い武術もあるし、そういった武術は型がある武術より劣るのかと言えば、そうも言えない。きちんとした攻防の理屈や技術があり、原理的なことが判るなら、型は必ずしも必要ない」
というような意見を書いた。
これが、型に対する否定になるだろうか?…と思うのだが、中国武術を愛する人たちには、否定と取られることが多いようだ。
それと。
僕がまだ言及していないことまで、勝手に先走って捉えて、それに対する反論までしてくるから、
「そんなこと言ってないじゃない」
という繰り返しになる。
だが実は、そういう人の言いそうなことや物の捉え方は手に取るように判る。
僕自身、中国武術に関わってきた年月は30年以上で、その人たちの考えは、僕も通ってきた道だからだ。
その僕が、何故そういう意見なのか、ということを、何故考えないのだろう…?
もしそれを考えれば、まだ何かありそうだとか、理解できてない部分を埋める何かをこれから説明して欲しいとか、もう少し聞いてから判断しても良さそうなものだ。
そして、結局は、お互いに深い知識があったとしても、奥の奥まで伝え合うことはできないのだから、少しでもニュアンスを感じ取って、
「参考にさせてもらいます」
という姿勢でいれば、お互い身になる部分もあるのではないだろうか。
そこをステレオタイプな常識、価値観、解釈で捉えて反発するから、それにそぐう意見しか理解できないし、受け容れられない。
僕が今まで書いてきた“力”の必要性の話だってそうだ。

…で。
何で反応が判りきっているのに、反感を買うようなことを言うのか、と思うだろう。
それは、やはり、通じる相手を探しているからなのだ。
人の話をきちんと聞く姿勢を持っている人、というだけで、これほど探すのが困難なものか?…と思ってしまうけれど。。

ちょっと愚痴っぽい話に終始してしまったが、僕がやっているコミュに興味を持ってもらえる人は、まだしばらくは続けてみるつもりなので、よかったら某所を探して、入会申請して下さい。
すでに某所の会員かも知れないあなたは、そこでコミュを探せば見つかるかも?
但し、ひやかしや、不毛な議論をふっかけに来るような人はお断り。
また、コミュのルールを読まずに入会申請してくる人は、単純に却下しています。
(流行らせることが目的では無いため、人数が少ないにも関わらず、ここ1~2ヶ月で5~6人を断っています。<入会申請の時点で、ルールを読んだかどうかが明かなので)

某所の所在がどうしても判らないという人は、メールでお尋ね下さい。

※このコミュはもうやっていませんが、内容的にこの記事は残しておくことにしました。
(2017/12/02)

 

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

hideさんお久しぶりです。

公私にわたり色々とお忙しい様ですね。

僕もここ三ヶ月ほどはとても仕事が忙しく練習と言える練習が出来ませんでしたよ。
まぁ、練習より仕事のほうが大事なので仕方ないんですけどね(T_T)。

ところで太極拳のコミュで噛み付かれたんですね(笑)

確かに中国武術の世界は極端に型に傾倒しがちです。
ともすれば、型をより多く習うことで他人より強くなる錯覚を持ちがちでもあります。

「太極拳の型は、一連の動作を行って気の運用をすることに意味があるのだ」とhideさんに言ってきた方がいたそうですね。
僕も一時期そう考えていました。そう教えてもらいましたしね(^^ゞ
でも、ある日ふと考えるんです。

先生に教えてもらった練習を続けて鍛えた<氣>で突きの威力は上がっているんだろうか?

仮に<氣>で威力が青天井に上がるのならば、それ以前に自分の体内でどうやって<氣>をコントロールするんだろう?

いや、それよりも頭の中が真っ白で体が緊張している状態で喧嘩で型通りの用法で相手を制することができるのか?

など、色んなことを考えました。

僕が思うに噛み付いてくるような人は、自分の学んだ技術を現実と照らし合わせたことが無いのだと思いますよ。
もしかすると自分が盲信しているものを守りたいという純粋すぎる気持ちが言わせているのかもしれませんね。
ちゃんとした理論や理屈はないのだけれど、ただただ

『中国拳法は他より強いんだ』

みたいなね。
まっ、僕もそうでしたけど・・・(^^ゞ。

Posted by がみ at 2009年12月04日 23:30

>> がみさんこんにちは。お久しぶりですね(笑)

> まぁ、練習より仕事のほうが大事なので仕方ないんですけどね(T_T)。

大人になれば仕方がないですよね。
僕もやはり、昔ほどの練習量は無いです。(^^;ゞ

> ところで太極拳のコミュで噛み付かれたんですね(笑)

本文にも書いているように、このブログを始める前の話ですけどね。
また、ネット上の中国武術家の中では、割と有名人の一人のようですが。。

> 僕も一時期そう考えていました。そう教えてもらいましたしね(^^ゞ

僕もそうです。
そして、師匠たちも、昔は(まー師匠たちが20代の頃の話ですが)、
「型を見れば強いかどうか判る」
なんて言っていた時期がありますよ(笑)

確かに、型を見れば、こなれているかどうか、一定以上の技量かどうかくらいは判ると思いますが、強いかどうかは別の話ですよね。。(^_^;)

> 先生に教えてもらった練習を続けて鍛えた<氣>で突きの威力は上がって
> いるんだろうか?

“気”の技術はあると思うんですが(一応、多少は知っているつもりですが)、武術としての技量あってのものだと思います。
また、“気”の話を少しでも出すと、“気”にも色々あるから、それぞれ分けて話す必要があるとか、高飛車に発言する輩が居ますが、何故こっちがそういうことを知らないという前提で一方的に言うんだろう?…と思ってしまいます(笑)
また、そう言うのなら、少しでも具体的なことを言えばいいのに、そういうお節介な注意のみであったり、観念的なことをちょこっと書いて、何の説明にもなっていなかったりします。
そういう人は「馬鹿」というものが何故「馬鹿」なのかも判っていない気がします(笑)

…で。
“気”を鍛えて威力が上がるかどうかですが、まず心の持ちようという意味での“気”で言えば、それを知ることによって幾分上がる部分はあると思います。
また、内観的な“気”の鍛錬によって得られる気感の部分では、劇的な向上は無いんじゃないかという気がします。
そういう“気”の鍛錬は、結局は外面に結びつく練功となり、同時に筋骨が鍛えられることで向上が望めるのだと思います。
まー未だにまだ学習途中のこともあるので、今のところの見解ですが。。
(他にも“気”の解釈はありますが、とりあえず省きます)

> いや、それよりも頭の中が真っ白で体が緊張している状態で喧嘩で型通りの
> 用法で相手を制することができるのか?

そこを武術的には“心法”的な口伝で説明するのですが、そんなに便利なものじゃないと思いますね。。
ただまぁ、心の持ちようを説いた解説や逸話などは、下手な技術解説書よりはずっと為になると思いますけれども。。

> 僕が思うに噛み付いてくるような人は、自分の学んだ技術を現実と照らし
> 合わせたことが無いのだと思いますよ。
> もしかすると自分が盲信しているものを守りたいという純粋すぎる気持ちが
> 言わせているのかもしれませんね。

同感ですね。
もしかしたら喧嘩したことも無いんじゃないかと思ってしまいます。。
ただ、喧嘩の経験が幾つもある僕でさえ、一時は幻想に陥っていましたから、一概には言えませんけど。。(^^;

ところで、本文に書いたコミュですが、良かったら来ませんか?
まだこのブログで触れていない解説もありますよ(笑)
メールで訊ねてきてもらえれば、入り方を教えますよ。(^_^)b

Posted by hide at 2009年12月05日 03:25

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