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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

太極拳ことはじめ

投稿日:2007年1月29日

仕事の都合など諸々で前回から少々間が空いてしまった。
今後も多少ムラがあるかも知れないけれど、なるべく積極的に書いていくつもりなのでご容赦を。。

さて、本題。

太極拳を始めたばかりの頃は、とにかく型が上手くなることを目指していた。
型を覚え、気の感覚を得て、用法を踏まえ、体の使い方が上手くなれば、空手や柔道をやるより強くなれると信じていた。

太極拳は、型はバラエティに富んでいるが、用法的には最初の一合か二合で決まるように出来ている。
競技試合のようにお互いに手数を出し合うような戦い方ではない。

ここで問題が幾つかある。

中国武術に限らず、競技を前提としない武術では、主に目・ノド・金的、その他、こめかみ・関節・アバラなど、鍛えられない箇所を狙う。
「こんな技がまともに入ったらどうなるんだろう?」
と、ぞっとする。
…けれど、
もちろんそれは、使える人間が使えば…の話だ。
格闘技経験の無い素人でも、多少喧嘩慣れしている者なら簡単に顔を叩かせてはくれないように、他の急所も、なかなか思うように当てられるものではない。

また、用法説明では、主に順歩突き(同じ側の手と足が出た状態の突き。例えば右足を一歩出して右拳で突く)に対して、
「こう来たら、こう…」
と解説する場合が多い。
技の意味を知って、まず練習するためには、約束上の突きへの対処から始めるしかないので、このことが無駄だというわけではない。
しかしやはり、現実にはその通りには突いて来てくれないことがほとんどなので、その技であらゆる攻撃にどう対処するかを考えておかなければならない。
…まぁ、

「一撃で決まるのだから一本組手でも充分に想定練習として足る」

という考え方もある。
このことには一理も二理もある…が、片や乱暴とも言えるし、詭弁とも言える。
結局、ある目的に添ってやれば正しいが、別な側面からみれば必ずしも万能とは言えないということだと思う。

また、武術は元々人を殺傷する技術とはいえ、殺す気で使うというのは簡単ではない。
今の時代、まともな人間なら、強くなりたい気持ちはあっても、本当に人を殺そうと思って武術をやるわけではないだろう。
だから、喧嘩などでは、無意識にブレーキがかかって手加減をしてしまう。
上手く捌いて一発入れたとしても、もし浅ければ、即座に相手の反撃を喰らう恐れがある。
そのため、前述のような急所を狙えばいいという理屈だが、よほど慣れないと、実戦ではほとんど無理だ。
型の通りに動こうと思っても、なかなか動けない。

そして、喧嘩の経験も無く、非力で、太極拳を習って浅く、まず脱力から始めている人は、無意識のブレーキなどかからなくても、それ以前に当てられないし、当たっても効かないだろう。
ごく稀にそんな人の武勇伝があったりするのは、逆に加減を知らないことが功を奏したことにプラスして、偶然、あまりにも上手く決まったときや、そんなのが決まるほど相手も弱かったからだと思う。
もちろん、一応でもオトナなりの力があれば、思い切りぶん回した拳が顔面にまともに入れば効くに決まっている。
それと同等以上のきつい一発を、相手も動く中、小さな、速い動きで、如何に当てるかが難しいのだ。

太極拳を始めて半年や1年くらいの頃の僕はといえば、
それまで空手の動きに慣れ親しんでいたため、異質な動きに戸惑ってぎくしゃくし、返って弱くなってしまった感じになった。

技は高度で難しく、上手く使えない。
使えるようになるまでどれくらいかかるのか見当もつかず、威力にも自信がない。

…それが正直な、当時の僕の姿だった。

ただ、それでも、空手に戻ろうとは思わなかった。
太極拳の良さも凄さも解って納得したつもりだったし、自分がそれをまだ使えないというだけだった。
短い期間で答えを出すには早い。
また、それ以前に空手への失望もあったからだった。

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