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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

T宮との交流 Part5

投稿日:2009年6月29日

T宮に教えてもらったことは、そのときの僕にとっては大きなヒントになった。
それまでは、友人との軽い組手や喧嘩の経験などで、何もやっていないよりは多少の利がある、その程度には身についている、と、自分に言い聞かせているに過ぎなかった。
中国拳法や古武術を習って、色々な型や技の理を知ったが、実質、空手を続けていた方が強くなれたんじゃないかという思いも頭をもたげていた。
しかし、立ち方や身法などは今の流派のものが馴染んでいたし、“理”に対する愛着もある。
今のものをもっと身につけて強くなりたいという気持ちの方が強い。
しかし、続けたとしても、秘密や出し惜しみの多い世界でどれほどのことを教えてもらえるのだろう?…という疑問もある。
そんな堂々めぐりの思いだった。

そんなときに参考になったのが、3月の記事『隣の芝生』で紹介したような書籍たちであり、T宮との再会で得られた情報だった。

最初にT先生の道場に通っていた頃、X先生が新しい団体を立ち上げることになってにわかに活気づいた時期があり、後進の指導者を早く育てる方針になったからと、入門して3年くらいの頃でも、
「君たちには今までなら5年以上にならんと教えんようなことも教えてるんやで」
と言われていた。
しかし一方、もう少し後で、T先生が就職活動に忙しくなり始めたせいもあったが、
「もうそろそろ習いに来るのは月1回程度でもいいかもね。今の時点で僕が知ってるようなことは君らにはだいぶ教えたから、後はそれぞれ自分で練習をしていけばいい」
というようなことを言われたことがあった。
僕らはまだまだ強くなった実感など無かったし、多少は自信めいたものがあっても、根底では一人前にはほど遠いことを判っていた。
帰りには、
「そんなこと言われてもなぁ…」
という思いを話し合った。

兄弟弟子のK阪さんは、
“型を一人で練っていけば本当に強くなれるんやろか?”
という疑問を常々持っていたし、
「やっぱり相対練習は絶対必要やと思うねん。型も大事なのは解るけど、口伝とか、教わってないこともまだあると思うし、もっと人との練習せんと身につかへんのとちゃうかなぁ?」
というようなことも言っていた。
例えば、ボクシングを習いに行った人が、
「そろそろかたちができてきたから、あとは一人で練習しなさい」
なんて言われることは、考えられないだろう。
たぶん…だけれど、K阪さんが言いたかったことは、僕たちは型と理屈を教えてもらうだけでなく、それを使えるようにコーチング(技術指導)してもらいたい、ということだったのだと思う。
当時の僕はそこまではっきりとした考えでは無かったが、やっぱり行き詰まりのようなものは感じてしまった。
そんなときに家庭内のごたつきがあって抜けてしまったが、正直言えば、もしこのときにもっと先々の希望が見えていれば、多少の困難はあっても道場をやめたりしなかったのかも知れない。
ただ、X先生が、
「これからは本当のことを教える」
と、外功に重点をおいた練習を始めた頃の、先生たちの混乱も薄々は感じていたし、よくわからないことも多かった。
…まぁ、当時のことは、色んなことが重なって、そのときに思ったことなので、「もし」や「たられば」を言っても仕方がない。
とにかく僕は、プライベートな事情と相まって、ただただ面倒になり、ただただしんどくなった。
…しかし。
やっぱり武術への未練は持ち続けていたし、仕事や生活が落ち着いたらT先生に連絡を取ろうと思っていた。
X先生によって変わってしまった教授内容も、続きが気になっていたし…。
T宮との再会はそのきっかけにもなった。
実際、落ち着いてもいないのに連絡を取って、結果的には一時的な復帰になり、また長いおいとまになってしまったのだが…。。

まぁ、それはさておき。
T宮との交流についてまとめよう。

まず“新聞抜き”の発勁練習について補足するが、これを成功させるには、インパクトの瞬間に充分なスピードを出せることが鍵だ。
逆に言えば、フォームも発勁もクソもなく、軽く拳を握って、手首のスナップを効かせて裏拳の要領でとにかく速く振れば、上手く当たれば簡単に穴が空く。
しかし突きの動作では、瞬間的にそういうスピードがなかなか出せない。
だから新聞抜き自体は、突きにおいて、少なくともT宮が言う“発勁”が、最低限うまくいっているかどうかの目安…ということになるだろう。
問題はその先の、使い方や効かせ方なのだ。
速くても、軽ければ、ジャブのようにしか使えない。
もしそうなら、難しいことを考えなくても、ジャブの練習をすればいい。
それに、T宮がやっていたような八極拳のどっしりした動作では、一歩に時間がかかる分、そのまま使えるとは思えない。
大きく踏み出して振り出すような突きがジャブのように速くても、あまり意味が無さそうではないか。。

また、寸勁などの話をしていたとき、彼は、
「拳と相手との距離がゼロでも、勁が自分の体の中を通って相手に伝わるから、実際にはゼロではない。だから効く」
と言っていた。
そのときは、
(なるほど…)
と思ったが、後で考えてみたとき、ちょっと疑問が湧いた。
T宮が説明していたように、ウエーブのように伝わるのなら、例えば、踵から発した力が拳に伝わるまでの時間はどれくらいだろう?…と。
つまり、拳を引いて、やや後ろ足に重心がある状態から、前足に重心移動して突き出す動作と比べて、似たような速さなら意味がない。
短い距離から相手を突く場合、一瞬で体の各部が繋がって強力な打撃にならなければ、実用的とは言えないのではないか…?
そう考えると、
形意拳や、形意拳的と言われる、僕が習った正宗太極拳の打ち方の方が、一見簡素に見えて力の出し方がわかりにくいが、理に適っている気がしてきた。
さらに言えば、
T宮が説明したような発勁は、あくまでも初歩で、力をわかりやすく使った、いわゆる明勁の段階でしかないのではないか、そしてそれを進めていくと、僕が習ったような打ち方になるのではないか…という仮定に至った。

そして僕たちは、そういう初歩をやっていないがために、なかなか打ち方がつかめなかったのかも知れない。
もしくは、打ち方がわかるような指導なり口伝なりを受けていないからか…?

そんな疑問も同時に湧いたが、とにかく、最初は目新しさに驚いたものの、色々考えていくと特別な差異は無いように思えてきた。
ひらめき始めると、幾つものヒントが浮かんできた。

それから、これより前に、映画『少林寺』で、縄の先につけた武器を振り回して戦うシーンがあって、飛び縄でちょっと真似てみたことがあるのだが、そのとき、とりあえず両手の縄を交互に振る練習をしてみて、縄の動きに連動して腰が動くことに気づいた。
フラフープを回すときの腰の動きを、もっとずっと小さくしたような感じだ。
(※ちなみに縄の武器は、「縄標(じょうひょう)」もしくは「流星捶」のいずれかだと思うが、映画の中で使われていたのがどちらかは憶えていない)
で、この腰使いを利用して振り出すと、T宮の突きの動きに近づく気がした。
そういうことが先にあったので、T宮の突き方は僕なりに比較的すぐに理解・消化できた。
そして、その腰の入れ方を取り入れながら太極拳をやって、それを少しずつ小さくするように試みた。

…まぁ、その後のウチの流派の身法からすれば、これは少し違うのだが、今振り返って思うに、こういうのもアリというか、手前味噌ながらまーまーいいセンいってたんじゃないかという気もしている。。

あと、心法を伴うものは一日に何度もやってはいけないと言われたが、僕は結構何度もやった。
やり方がぬるかったからかも知れないが、特に負担のようなものは感じなかった。

結局、T宮が教えてくれたことは、僕は僕なりに消化したわけだが、それが正しい道筋だったかどうかは、わからない。
彼の言う通りに一からやった方が、もっと理解できたのかも知れない。
あまり自分が学んだことの立場から見過ぎると、それが先入観や固定観念となり、理解の幅を狭めてしまう。
そういうことも踏まえて、色んな角度から柔軟に見る目を持つことも大事だ。
しかし交流期間が短かったから、いずれにしても判断のしようがない。
とにかく、今まで他派と交流した中では、T宮の説明が一番面白かったし、後々の参考にもなった。
比較してみることで自分の流派のことを理解するのにも役立った。

少なからず疑問を抱いていた時期もあったが、“隣の芝生”に過分な目移りがすることは無くなったし、彼との交流がきっかけとなって色々気づいたことの中には、T先生と再会後に教えてもらったことに近いこと、惜しいことも少なからずあった。
有益な情報だったと、感謝している。

あ、そうそう。
前項で、ボディガードの話云々書いたが、彼は生活が苦しかったようで、一緒に住んでいる女性が居たので(確か生まれたばかりの子供も居たような?)、それにまつわる事情があったのかも知れない。

T宮、もしこのブログを読んだら、連絡くれ。(^_^ゞ

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