中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行19:復帰後、初めての忘年会

投稿日:2017年12月9日

この年の忘年会の話を書く前に、他に書こうと思っていたことが何かあったのだけど、ブログの移転作業をしている間に忘れてしまった。
最近は考えていたことをすぐに忘れてしまうことが増えてきたので、思いついたら逐一メモするようにしているのだけど、ちょっと油断してしまうとこれだ……。

まあ、それは思い出したら書くとして、元から予定していた忘年会のことを、今回は書くことにする。ちょうど時期的にも重なっていることだし。

それから、今回から、長い文章には小見出しをつけて目次を付加することにした。
文章全体を読まないと意味が無いのはもちろんだが、部分的に読み返したいときには目次があると便利だし、区分けすることで多少読みやすくなるかな、と思って。

積立に関して

まず、年末の飲み会=忘年会のことなのだけど、今までの記事ではこの二つの言い方をしていたようなので、今後はなるべく「忘年会」に統一して書くようにする。
同様に、新年の飲み会は「新年会」、ただ夏の飲み会は、特に「納涼会」というような言い方もしていなかったと思うので、これはこのまま「夏の飲み会」で。
まあ、ことさら断りを入れなくても通じるとは思うけれど。

さて、忘年会と練習用具購入の積立として、月謝とは別に月3千円を納めていたことは、以前にも書いたが、この年、僕は7月分からだったので、積立金を管理しているT田さん(S先生やT先生の兄弟弟子)から、
「今年は戻りは無いぞ」
と言われて、余ったお金が返ってくることは無かった。

積立金は毎年、年末に幾らかは返してもらえることになっていて、忘年会の最中、みんなに封筒が配られていたのだが、その後にもらった封筒の中身は、大抵1万円か1万5千円だった。内訳などは入っていない。
――これについては、僕はその後もちょっと解せなかった。

月3千円だから、年間にして3万6千円だ。
……けれど、忘年会の飲み代は一次会の分だけだから、一人あたりの金額は知れている。
一次会はいつも安い店で、予め団体予約で入っている。
たぶん一人あたり5、6千円、高くても7、8千円まで、というところだったろう。
料金外の酒や料理を幾らか追加していても、せいぜい1万円までだったのではないだろうか。

仮に1万5千円返ってくる場合のことを考えてみよう。
残りは2万1千円。
忘年会の一次会で1万円とすれば、それで残り1万1千円。
積立を払っていたのは、S先生以外を数えると12~13人居たはずだから、この1万1千円で考えても13~14万円になる。
それだけの分の用具なんて、毎年買っていたかなぁ?
……と、いう気がする。

もちろんこれはケチで言っているのではない。
例えば、S先生だけでなく、その兄弟弟子のT田さん、T先生、TKさんらが積立を出していなくて、その人たちの一次会の飲み代をみんなで持っていたとしても、別に構わないし、そういうことになっているのなら、それはそれでいい。
ただ、どうなっているのかがまったくわからず、どこに消えているのか不明な金額としては、ちょっと大きいんじゃないかな……とは、思ってしまうわけだ。

一次会

メンバーが集まるまで

この日のことは割と憶えているが、場所は心斎橋で、大丸百貨店の東側方面にある、無国籍料理だったかの、小洒落た居酒屋に集合だった。
僕は早めに到着したが、すでに2、3人は来ていたと思う。
それから間もなくS井君が現れて、来ている中では一番下だからというので、店の入り口付近に立って、あとから来る人を誘導してあげる役割になっていた。
それで僕も、付き合って一緒に立った。

そして他のメンバーが次々と到着。T田さんも現れた。

僕はそこで、T田さんに披露しようと思って仕込んでいたネタをポケットから出した。
数日前に百円ショップに行った際、ピンポン球を見つけたので、それで閃いて、ピンポン球を二つに割り、目玉を描いた。
その目玉を手の内側に仕込んで片目を覆い、目にくっつけて、
「T田さん、何か片目がおかしいんですけど、ちょっと見てもらえませんか」
すると覗き込んだT田さんが、飛び出している僕の目玉を見て、驚く、――という寸法だった。

もちろん見るからに描いた目玉だから、本物そっくりで驚くというような代物では無い。けれど一瞬は「あっ!」と思うだろう。
実はそれまでに余所でもやったことがあったし、水商売をしていた頃にネタにしていたこともあった。
経験上は百パーセントの人が、驚いたあと吹き出していた。
驚きや笑いの度合いは、人により多少の差はあるにせよ。

けれどこのときのT田さん。
「何や? それ何や? 何がしたいんや?」
と、しらーっとした感じの反応だった。
僕は返答に詰まって、
「いや、ちょっと冗談で驚かそうと思ったんです。すんません」
T田さんはそのまま奥に行ってしまった。

僕にとっては、目論見が外れてちょっと意外だった。
T田さんは割と陽気で、気さくで、特に門内では、こういう冗談が最も通じる人だという印象だったからだ。
道場でもちょくちょく談笑していたし、笑ってもらえるくらいにはコミュニケーションが成立していて、親しくなっているつもりだった。
そうでなければ僕だってこんなことは思いつかない。
T田さんに笑ってもらいたくて、T田さんのために仕込んでおいたといってもいいくらいだったのに……。

ただまあ、ちょっと失敗だったが、怒らせたというわけではなかったし、あきらかに不機嫌という態度では無かった。
例えれば、大阪人が面白くないギャグに対して冷たい態度を取るときの、そんな感じだ。
あとで席に着いたら、T田さんは近くに座っていたが、いつも通りに僕とも談笑していたので、気を悪くしていたわけではなかったのだろう。
もしかしたら冷たい反応も、それはそれでT田さんなりの“返し”だったのかもしれない。

入り口で立っていたS井君は、K原君が来ると誘導役をK原君に指示して店の奥に行った。
僕は新参者なので、そのままK原君と立っていることにした。

AO君とのこと

メンバーがほぼ揃って席に着くと、冒頭でS先生が何か挨拶をして、乾杯。
まずはビールだが、3リットルくらい入るんじゃないかというような、でかいピッチャーに入れられて、それが二つ三つ運ばれてきた。
けれどそれを500ミリリットルくらいのビールジョッキに注ぐので、すぐに無くなってしまう。
メンバーはほとんどの人が結構飲める方だから、あっという間に飲み干して、次々頼むと、店員も呆気にとられながら運んでくる有り様だった。

で、前にも書いたが、後に白血病になって長期休むことになってしまうAO君が、このとき来ていたらしいのだが、僕はすっかり忘れてしまっていた。
挨拶程度に来てすぐに帰ったのだったかな?
もしかしたら、このときにはすでに発症していたのかもしれない。

AO君とは、これも以前書いた、僕がSNSで某氏に噛みつかれて数回やりとりした件があったのだけれど、そのときにメッセージをくれたことがきっかけだった。
内容は、
「自分たちがやっていることは一般の中国拳法の人たちとは違うのだから、話も受け入れられないようなバカは放っておけばいいし、何もタダで教えてやることもないでしょう」
――と、文章はこの通りではないが、そんな感じだった。

そのときの僕は、この、
「タダで教えてやることもない」
という部分に、苦笑しながらも、ちょっと懐かしい思いがした。
昔から師匠たちがよく言っていたようなことだったからだ。
あきらかにその影響を受けている「同門なのだな」という思いで、僕はAO君に親しみを感じたのだった。

ただ、傍観だけしていて、あとでこんなことを言ってくるのもどうよ、という気はしたのだけれど、まあ、それはそれとして。

ついでに言うが、この「タダで」云々、また、その背景にある孤高を気取った考え方は、僕はあまり好きではなかった。
師匠たちも、そのまた師匠から言われてきたようなことなのだろうし、言わんとすることもわかるし、また、それはその通りなのだろう。
けれども、そうやって閉じこもっているのもどうかと思ってしまう。
自流を特別として値打ちをこくのもいいが、それでは自己満足に終わるだけになったり、井の中の蛙になってしまいかねないではないか。

僕は、もっと若いうちに、ある程度のことをきちんと習って、他の格闘技と交流を持つとか、他流が参加できるような空手の大会に出るとか、そういうことをやってみたかった。
“奥”のことは隠しておくにしても、現代武道や格闘技と“ルールあり”でやり合ったとして、まったく通用しないというのではお話にならないし、そこから得られるものだってあるはずだ。

相手だって、
『組手や試合なら勝てても、喧嘩したら負ける』
というようなことは、わかるヤツにはわかると思う。
要は、“ルールあり”で後れを取ったとしても、そういうところを相手に感じさせられるほどの自分であるかどうかだろう。
もしそう思わせるだけの技量がなければ、そこはまた精進するための課題がわかって、収穫というものだ。

もちろん、一生に一度あるかどうかわからない、イザというときのために、内に秘めた刃を常に研ぎ澄ませておく、ただそれだけを繰り返し行っていく、――というのも、武術修行の在り方ではあるのだけれども。

脱線。このことはまた別で書くとして、話を戻そう。

二次会

T先生のこだわり

最初の店は2時間ほどでお開き。盛り上がってきたところで出なければならなくなった。
当然、二次会があるという話。
T先生やT田さん、あと家庭の都合がある何人かは一次会のみで帰路へ。
別れ際、T先生が、
「この人、夜の世界のことはなかなかのもんやから、よろしく! そっちの経験だけは豊富やから!」
と、僕のことを、そんなふうにみんなに言って帰って行った。
相変わらずT先生、ひっかかる物言いしかできないのかと思ってしまうが、これはS先生もそういうところがあったので、その影響だろう。
それはともかく、どうやら参加したい気持ちもあったようだ。

事前のT先生との稽古日にも、二次会への参加を僕に尋ねていたが、そのときは「羽目を外さないように」と釘を刺しつつ、自分は教師だからそういう場に行くのはあまりよろしくない、みたいなことを言って、不参加としていた。
そういう場とは、スナックやラウンジなど夜の店に、風俗店なども含んでのことだったが、時折そういうことを口にしていた。
特に風俗は、教え子が働いているところに出くわしたりしたらバツが悪いというようなことまで理由にしていたが、僕は内心「バカじゃないか」と思っていた。
まあ、僕も風俗には行かないが、知り合いが働いているのに出くわすなんてのは、話には聞いても、そう滅多にあるものじゃないだろう。
それに風俗ならバツが悪いにしても、飲み屋でバッタリの何が悪いのだ。
よほどいかがわしいところを想像しているのか、そんな考えになってしまうほど世間知らずだったのか……。

K原君の逸話

この忘年会の前に、語り草になっていたK原君の逸話を聞かされていた。
前年だか、前々年だかの、忘年会の二次会で、みんなべろべろになるまで酔っ払って、店の中で大はしゃぎだったらしい。
何かの料理屋の座敷で、仕切り程度のところなので、他の客の目もあったのだが、お構いなしに大盛り上がり。
K原君は正体を無くすほど酔っ払って、店内の庭のようなところにあった池に頭を突っ込んで、髪を濡らしたまま意識を失ってしまった。

そのとき近くに、割と名のある落語家たちが何人か来ていて、それを笑いながら見ていたのだが、その一人が、しばらくした日の落語のマクラでネタにしていたそうだ。
それをお弟子さんの誰かがTVで見て、
「あ、あのときの。それ、オレらのことやん!」
と、また語り草に加えられた。

細かいことはよく憶えていないが、とにかくそのときのことは、よほど楽しかったらしく、何度も何度も語り草になっていた。
あまりにも同じ話になり、その度に、それこそ落語や漫才のネタのように、同じ口調、同じ展開になるので、さすがに僕は3、4回目あたりからは「またか」と思うようになったのだけど……。

まーそれはともかくとして、そんなに楽しい酒なら、僕もご一緒したい。
それにまだあまり周囲に溶け込めていなかった僕としては、親睦を図る意味でも、楽しい二次会を期待していたのだった。

飛び込みで入った店

実を言うとこの日はあまり体調が良くなくて、一次会の途中からしんどくなり始めていた。
僕は、酒は好きだが、基本的にはあまり強くない。
一定以上飲めるかどうかは、気分や体調による。

子供の頃には、物語などの影響で、酒だけはそこそこ飲めるようになりたいと思って、中学生くらいの頃から飲み始めていた。
大人になったばかりの頃はビールが苦手で、最初は中瓶1本を飲むのがやっとだったが、これは、酔うというより腹が張るせいだった。
それが飲めるようになったきっかけは、友達と談笑しながら飲んでいるとき、いつの間にか何本も飲んでいたことだ。
そんなふうに他の種類の酒も、誰かと楽しい酒を飲んでいるときなら自然と進むといった感じになった。
一人のときなら、面白い映画を観ているときとか。
あと水商売をしていた頃は、仕事で飲んでいるときなら飲めた。

体が受け付けないときは、すぐに真っ赤になってしまう。
たぶん肝機能が弱っているときなのだろう、滅多に無いが、ひどいときは腕や首元などがまだらに赤くなる。
ただそれも不思議なもので、その日はもう無理、というときもあれば、小一時間もしないうちに引いて、そこから飲めるようになるときもある。
とにかく、赤くならないときや、赤くなっても引いたあとは、幾ら飲んでも平気なくらい飲めたりする。

で、この日は早くも赤くなっている状態。このままだとまずい。
状態が引くのを待ちながら、一次会の後半あたりからはセーブ気味に飲んでいた。

そして、一次会の店を出て、帰宅組と別れてからは、二次会参加者の7、8人でぶらぶらと徒歩で移動。

あれ? いつまで歩くんだ? どこまで行くんだ?

何と、二次会の場所は決めていなかったらしい。
行くはずだった店がダメになったからだったかな?
とにかく、飲み屋が集まっている界隈に来ると、何件か店の扉を開けては、交渉。
そんなこんなで、一見(いちげん)の店にようやく入った。

店内は広く、スペース的にはラウンジだが、作りはスナックやバー。
どう違うのかと言えば、店のシステムについては長くなるので省くが、ラウンジはボックス席主体で低いテーブルと深く座れる椅子、スナックはカウンター主体でボックスはあってもオマケ程度、バーも同じくカウンター主体でそれ以外の席は高めのテーブルや椅子、といった感じ。
もちろんこれは経営者の方針やセンスにもよるので、あくまで傾向的な話だが。

この日入った店は、形式はスナックなので、基本的にはカウンターの中で何組ものお客を相手するのがメイン。
ボックスで接客してくれる女の子も何人かは居たが、そこそこ忙しく、全組には手が回らない状態だった。
僕たちは2~3テーブルを占拠していて、女の子が一人、二人、接客してくれていたが、他の席とかけ持ちなので、めまぐるしく移動。
確か椅子も高めで座りにくく、周りもうるさくて、あまり落ち着かなかい状態が続き、その間にもまた客が入ってきたりしていた。
それでS先生が不機嫌になり、結局2時間もしないうちにあっさりおひらきとなった。
その頃には僕は体調がマシになっていたので、拍子抜け。
そして、二次会の店に入ったのが10時を回っていたから、終電には間に合わない時間。
確かこの日も、住まいが近いS井君と、タクシーで帰ったのだったと思う。
(※S井君とはその後も何度か一緒に帰った)

S先生が不機嫌になったことの一番の原因は、やはりちゃんと相手をしてくれる女の子が居なかったことだろう。
……ただ、僕は、あとで考えるとその方が良かった気がした。

それより前の飲み会の写真などを、後に見せてもらったが、スナックやラウンジなどの店で、お触りバーでもないはずなのに、お弟子さんたちもだが、女の子とぴったりひっついて写っている写真が何枚もあった。
中には胸やお尻を触っていたり、遠慮している場合は触っているフリだけして、にやけて写っていたり……。
ただ、一緒に写っている女性たちは、大抵笑っていないのだ。

僕はそういうノリというか、飲み方には、ちょっとついていけない方だ。
T先生などは、水商売経験があるというだけで、僕のことをもっとエロ好みだと見ていた向きがあったが。
正直、僕も男だから、女は好きだし、エロいのも好きだが、節度は守る方だ。特に親しくもない他人に対しては、なおさら。
夜の商売の人に対してであっても。

SNSでの日記

T先生の逆鱗

結局、僕にとって第一回目の飲み会は、特別面白いものでは無かった。
翌日だったか、何日か経ってからだったか、SNSに日記を書いた。
その頃は割とマメに書き込みをしていた。
ただ、それほど面白かったわけでも無いから、その感想をそのまま書くわけにもいかない。それで幾らか面白おかしく書こうとした。
T田さんとのことも書いた。
先にも書いた、驚かせて笑わせようとして、失敗した話だ。
原文を紛失しているので正確にはわからないが、大体は先の通り。
脚色したところと言えば、締めくくりに「おそるべし、T田さん!」というようなことを書いたくらいか。
そしてこのことは、日記全体からすればほんの一部でしかなかった。

翌日になってからだったと思うが、T先生からメッセージが届いていた。
次の稽古の予定についてだろうと思って開いてみると、ナント、この日記に対する怒りが書かれていた。

「はあ?……」

僕はキョトンとして、しばらく呆然としたと思う。
意味がわからなかった。
T先生が書いていたことは、記憶の限りでだが、
『目上のことをからかうなど言語道断。そういうことは許せない。すぐに日記を削除せよ。さもなくば考えがある』
――というような感じだった。
まあ、からかい半分だったのは事実だが、悪意のあるからかいではない。
親しみから、笑ってもらおうと思ってのことだったし、まあ……僕の意図に反して相手のT田さんが気を悪くしたというのなら謝るが、少なくとも僕の文章からそういうところは汲み取れないと思うのだが。
なので、怒るにしても、T田さんに事実関係を確かめて、T田さんが怒っていたなら、その上で僕を咎めるべきだろう。

で、「破門も辞さない」というような感じの怒りように、僕は正直、呆れる思いしかなかった。
もう本当に、こんなことを言われるくらいなら、いっそやめてやろうと思った。
それどころか逆に、キレてぶん殴ってやりたいくらいの気持ちだった。

……けれども。

せっかく武術をもう一度やり直そうと思ってこの一年やってきたわけだし、しかもすでにずいぶんと我慢をして、お金だって使ってきている。
最低でも三年は頑張ってから答えを出そうと思っていたことにも反する。
今やめたら、あまりにも中途半端。
そう思う気持ちが、僕を踏み止まらせた。

結果的にそれが良かったかどうかは微妙なところだが、とにかく僕は、言われるままに日記を削除し、T先生に謝った。

そしてこのことも、僕がT先生を大嫌いになっていく、印象的な出来事の一つになった。

後日譚

ずいぶんあとのことになるが、何年も経って、T先生と決別し、S先生にお願いして、S先生とマンツーマンで稽古するようになってからのこと。
稽古が終わってS先生と飲んでいるとき、何かのきっかけで、上記SNSの日記のことが話題に出たことがあった。
確かS先生から、
「そういえばお前、Tに日記を削除するように言われたことがあったんやろ?」
というようなことを尋ねられて、
「あれ? 先生、そのことをご存知だったんですか?」
――というような話になったのだったと思う。

S先生の話では、T先生が僕に日記を削除させたあと、次の金曜日の稽古後に、それをS先生とT田さんに報告したそうだ。

金曜日の稽古後は、先生たちはいつも、兄弟弟子だけで近くの飲み屋に寄るのが恒例になっていた。
道場で言えば、S先生、T田さん、T先生、TKさんの四人だが、たまに他の人が来ることもあったらしい。昔の稽古仲間とか。

そのときTKさんが居たかどうかは知らないが、とにかくT先生は二人に、例の日記のことを報告した。
『hideくんが失礼なことを書いていたので、その日記を削除させました』
――と。
S先生とT田さんの反応はというと、二人はキョトンとして、
「何で?」
という感じになった。
「何をお前、そんなに怒ったん? それで何で削除させたん?」
お二人は、ただただ、クエスチョン。
「T田さんもそういう反応だったんですか?」
「そうや。オレもT田も、あいつの言うことが理解でけへんかったわ」
「ははは……!」
これに関して、僕はようやく、ちょっと溜飲が下がった思いがした。

そういえば道場でも当時、T田さんから尋ねられたことがあった気がする。
「hideくん、日記を削除したの、あれ、何でや?」
「あー、実は、T先生に削除するように言われまして――」
というような会話が、あったような、無かったような……。

ちなみにT田さんは、件の日記を、削除前に読んでいたと思う。
アクセスした「あしあと」が付いていたように記憶しているので。
それに、削除後に僕は、削除したという旨の断りを書いたので、読んでいない人にも「何やら削除したらしい」というのは伝わっただろう。
それがささやかな、僕の抵抗だった。

おわりに

まー、この年の忘年会の前後にあったこと、感じたことの幾つかは、結局、後々の出来事にも繋がったりしていて、そういう示唆があったような気がしている。
今となっては、ただ懐かしいだけだけれども。

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