中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行22:二年目からの数年間【1】

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さて、“第二期修行”の前回記事“21”までで、復帰後まる一年、そして二年目に入ったところまでを書いたわけだが、本記事からは、それから数年間の印象的な出来事を、何回かに分けて書いていく。

実はこのあたりのことは記憶があやふやで、時期がはっきりしないことが多い。
僕は覚え書きや記録を残すことはあっても日記を書く習慣は無いので、基本的にほとんど記憶頼みだ。
なので、心に残っている幾つかのことを、なるべく順番に書いていこうと思っているが、思い出しながらなので、多少は前後してしまうかもしれない。

また、三年目にちょっとした事件があって、それがS先生との距離が縮まっていくきっかけの一つになるのだが、それに関しては今回のタイトルとは別に、また何回かに分けて書く予定だ。

二年目に入って

S一門の新年会

前に書いた“年越し稽古”のあと、新年1月初~中旬頃には『S先生のお誕生日会+新年会』があった。
過去の断片的な記録からすると、このときの場所は、S先生の住まいや道場からも近いところにある商店街の、酒店の中にある宴会スペースだった。
僕は、この店に行ったのはもっとあとだと思っていたのだが、新年会で使った記憶はあったし、それは一度だけだったので、後々の関連を考えると、やはりこの年でないとおかしい。

実はこの店は、後に書くことと深い関わりがあるので、もう少しだけ書いておく。
この店は下町の、画像のような昔ながらのアーケードのある商店街の中にある、古い酒店だ。確か、店主の親か祖父の代からやっていると聞いた気がする。

店主はK谷さんといって、年齢は僕より二つくらい上だったと思うが、はっきりとは憶えていない。というか、今では顔もよく思い出せないので、もしかしたら年下だったかもしれないが、まあ、それはどっちでもいい。
S先生は、住まいが近いこともあって、このK谷さんと親しく、店は2階がバーになっていて、普段からここでよく飲んでいるとのことだった。
(※下の写真はどちらも2階のバー。カウンターの向かい側に2枚目の写真の椅子がある)

新年会のときは3階にもテーブルや椅子があって、そこに通されたのだが、これはそのときだけ宴会用に用意してくれたものだったのかもしれない。
その後、僕は2階のバーにしか行ったことがない。結構おしゃれに改装されていたが、K谷さんがバーを始めるまでは、たぶん元は倉庫だったのではないだろうか。

それから、確かこの日、僕は風邪を引いて熱を出していた。
何年ぶりかに少し高い熱を発して、ちょっとふらつくくらいの状態だったのだが、顔出しくらいはしておきたくて、遅れて参加した。
あと、これを書きながら、仕事で香港に長期出張中だったM井君が帰ってきていて、新年会に参加していたのを思い出した。
あとで店を出たとき、Y本さんとM井君が、
「大丈夫ですか?」
と、声をかけてくれて、僕が、
「大丈夫です。久々に風邪をひいたんですが、僕は風邪をひくと結構きついので、十人くらいにうつさないと直らないんですよ。だから、みんなにもらってもらおうと思ってね……」
と返したら、二人にあからさまに嫌な顔で苦笑いされたのを憶えている。
もちろんこちらは冗談で言っただけなのだが。

ちょっと記憶が交錯しているのだが、このときM井君がいたということは、M井君と初めて顔を合わせたのはこの時期だったことになる。初顔合わせは道場でだったと思うので、新年会の一つ前の稽古日に、道場に来ていたのだったかもしれない。

M井君と最初に会った頃のことで、僕の記憶の中で印象に残っているのは、M井君と初めてか二度目かに道場で会った日、僕が道場に入ると、T先生がめずらしく早く来ていて、M井君と鍛錬をしていたことだ。
着替えながら見ていたら、普段、稽古相手がいないせいで力が衰えているのか、ヒイヒイ言いながら耐えていて、T先生は少し余裕の表情だった。
M井君は、体格的にはT先生に劣っていない。
(へえー。T先生、やっぱり力は強い方なんだな……)
と思った。
――これが、もしかしたら新年会の前で、M井君と初めて会ったときだったのかもしれない。

力をつけるということ

S道場での二年目は、過去記事ですでに書いたことくらいしか、話すことが思い浮かばない。
年明けあたりはまだK原君と稽古していたと思うし、春頃まで彼は在籍していたと思うが、その間は、門内では力の無い者同士、力が無いなりに一生懸命、鍛錬、鍛錬、の、繰り返しだった。

“力”……というものも、そう簡単につくものではない。

『ワイドナショー』というテレビ番組でダウンタウンの松本人志が、何ヶ月か前の放送で、
「筋トレ始めようと思ってるヤツが『でもムキムキにはなりたくないんですよね』なんて言うのを聞くとイラッとする。なろうとしても、そんな簡単になれるもんやないっちゅうねん!」
――というようなことを言っていたことがあったが、まったくその通りだ。
このブログでもずいぶん前に、同系の太極拳をやっている力否定派の人が、
『私などが今さら筋トレしたとて、大して力はつかないと思います!』
と、僕に言ったのを書いたが、これも同じで、本気で力をつけようときつい鍛錬をする気もないのに、つくわけがないだろうって話だ。

もっとひどいのになると「筋肉は邪魔になる」「筋肉をつけると気の通りが悪くなる」「勁道がつまる」などと言って忌避する人もいる。
そういう人は、ちょっと重いものを持ってエッチラオッチラ運動したら簡単に筋肉がついて、そういう筋肉は武術にとっては益が無く、力で強くなるのは安易な近道でしかない――とでも思っているのだろう。
僕としては、そういう人が、
『目指す頂きは同じ。方法や通る道が違うだけ』
みたいなことを言うと、それもイラッとなる。

いやいや、全然違う山を登ってるやん! ――と。

もちろん、その人が思う、自分が登りたい山を登ることに対して、どうこう言う気はないのだけれど。

とはいえ、この時期は僕もまだまだ力が無くて、激しい筋肉痛に苛まれる日々を繰り返すだけだった。中高年になって始めた辛さも味わいつつ。
けれど、だからこそ、力をつけようとすることの大変さを噛みしめていたわけで、中国武術修行者・愛好家の間で力の否定が大勢を占めていることにがっかりしていた。
最近は徐々にそうではなくなってきている感もあるが、少なくとも十年くらい前までは「力は要らない」というのが大方の風潮だったのではないだろうか。
今でも、特に太極拳を中心とする内家拳などでは、その考えはまだまだ残っているように思うが、実態はどうなのだろうか……。

ま、それはともかく。

T先生も昔は「力は要らない」という方向の考えだった。
ウチの場合、「まったく」というほど極端ではなかったが、最初は「力は要らない」という教え方で、先生たちもまだ浅い段階で、そう信じていたから、僕らも当然そうだった。
なので、力は要らないという側の理屈もわかってはいる。
そしてあるとき急に「力の鍛錬」を始めることになって面食らったのは、過去にも書いた通りだ。

……ただ、K拳は元々そういう拳法で、西郡先生はこの拳法を長らく秘していたため、表面上は太極拳や形意拳などを教えながらも、内心では「力は要らない」という理屈を小馬鹿にしていたようだ。
そして、力の鍛錬自体は、西郡先生はもしかしたら一定以上のお弟子さんにはやらせたかもしれないが、“K拳”として教えたのは数少ない一部の弟子だけだった。
それを習ったS先生の門下でなければ、僕も習えなかっただろう。

けれど僕は、長いブランクの間に『力は必要!』ということに目覚めていたので、もしこの流派に戻って、昔と変わらない教え方で、それが納得できるものでなかったら、一定のところで見切りをつけて、あとは自分で工夫する道を選んだと思う。

K原君の退会後

K原君が退会して、いなくなると、基本的にはT先生が相手をしてくれるようになった。まあ、T先生からすれば、自分が連れてきている、自分の弟子なのだから、「自分が面倒見なければ」となるのは、当然の流れだろう。
T先生は大抵、少し遅れてくるので、その間はT田さん、TKさん、I内君などが相手をしてくれていた。
僕自身は、なるべくT先生以外と稽古したかった。
“学校”に習いに行くときはT先生と稽古しているのだから、他の人と手を合わせたかったのだ。なので、T先生が到着したとき、なるべく誰かと稽古途中であるのが望ましい状態だった。

あとは、技は多少教わりながらも、力の向上や、力の発揮の仕方などについては、特に上達した実感もないまま、二年目は過ぎていった気がする。

前にも書いたが、S先生の動き、特にミットを打つときの威力を見て、何とか盗みたいと思いつつ、道場に行く度に見ていたが、どうもよくわからなかった。

最近Youtubeで、中国拳法をやっている人がサンドバッグやダミーミットを打っている動画を幾つか見たが、僕が見たことのあるものの中では、まともなものは皆無だった。
例えば、「体ごと体当たりのように打ってますよ~」と言いたげに飛び込んで打っていて、もちろんそれなりの衝撃はあるのだが、フツーにぶん殴っても変わらないだろうって程度の当たり。
そして、体当たりという部分を取ってみても、ラグビーやアメフトをやっている人に遠く及ばないだろうというような飛び込み方だったりする。
何より、型通りの打ち方でなく、実戦を想定した距離や打ち方を試さないと意味がない。
もちろん型通りの打ち方も練習すればいいのだけれど、ショートレンジで打っていてまともな威力の動画が見当たらないのは、残念である。

T先生との稽古

金庸原作の武侠ドラマ

T先生との稽古も、相変わらずの日々だった。
稽古日、学校に行っては待たされて、まずは一緒に太極拳。技や口伝を習ったり、何か稽古をしたりして、仕上げに鍛錬。そしてまた帰りは待たされて、お酒を奢って帰ってくる。――といったパターン。

以前、T先生と“金庸”原作の武侠ドラマの話をよくしていたと書いたが、確か二年目あたりも、まだそういう話をしていたような気がする。
前は『神雕侠侶』というタイトルを挙げたが、これは“射鵰三部作”といわれるシリーズの一つで、順番は、
①射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)
②神雕侠侶(しんちょうきょうりょ)
③倚天屠龍記(いてんとりゅうき)
――と、なっている。
ただ、三作目の『倚天屠龍記』は、僕は観ていないのだが、物語の舞台が百年後になっていて、前二作の登場人物の子孫が出てくるもののストーリーとしての関連は薄いそうだ。

T先生と再会する前、ケーブルTVで放送していたのを観ていたので、再会後に共通の話題が一つできたのだった。
その後、未視聴分はDVD化されたものをレンタルで観たりしたが、上記二作以外では『天龍八部』『笑傲江湖』(しょうごうこうこ)――などが、僕的にハマッた作品だった。
それ以外はつまらなくて段々と観なくなっていったが、金庸以外の武侠ドラマになるとさらにつまらなくて、T先生との話題が落ち着く頃にはまったく見なくなってしまった。

正直言うと、ハマッたと言っている金庸原作の作品でも、ずっと面白く見ていられたわけではない。
どれもドラマは40話くらいの構成になっていて、結構長い。そして、話が行き当たりばったりのようだったり、何でこんなエピソードにそんなに尺を取ってるんだ、みたいな中だるみがあって、退屈するところも多い。
役者はほとんどが下手だし、アクションシーンは適当、演出は稚拙、ストーリーは単純――といった具合。
好きなジャンルだし、子供の頃に忍者モノが好きだったのと同じような感覚で、ついつい見てしまうのだが、それにも限界がある。

そんな感想を漏らすと、
「いや、でもこれらのドラマは、どれも金庸の原作を、ほぼ忠実にやってるんだよ?」
――と、T先生。
……う~ん。原作通りかどうかなんて話はしてないんだが。
ちなみにT先生は、ドラマにハマッて原作まで読んでいた。複数の金庸作品を読んでいたようだが、もしかしたらほとんどを読んでいたのかも?

少々脱線だが、脱線ついでにもう少し解説する。
金庸という作家は結構古くて、デビューが1955年で、1972年頃まで活動していたらしい。
日本でいうと、デビュー時期は手塚治虫とあまり変わらない。
前述の作品はどれもロードムービーのような内容で、構成的には、今風にわかりやすくいえばロープレゲームのような感じだ。
つまり、最初は弱くて経験の足りない主人公が、旅をしながら、ヒロインや様々な人との出会い、強敵との対決などを通して成長していく、という話だ。
今見ればツッコミどころが多いが、50年以上も前の作品としてはとても良く出来ていて、現代の少年漫画やラノベやゲームなどに通じる部分も多く含まれている。
なのでまあ、原作を読めば文章としての味わいや想像が膨らむところもあるかもしれないのだが、ドラマは、原作通りだとしても、お粗末であることには違いない。

細かいことを書けばキリがないくらい書けるが、それはやめておくとして、もっとも気になったのは、強さの表現がいい加減なところだった。
例えば、雑魚キャラでも、最初は主人公が勝てないくらいには強い、一応は達人という設定なのに、日本の時代劇だったら下町の大工のクマさんはっつぁんくらいにおっちょこちょいだったりする。
役者の振るまいも、まったく武術の達人らしくない。
人との距離がダンゴなくらい近すぎるときが多々あり、緊迫しているシーンでそんなに無防備だったら、不意打ちを避けられないだろうとツッコミを入れたくなる。
気配や殺気を感じて警戒するような描写もまず無い。
いや、これは、脇役どころか主人公や師匠クラスでもそうだ。
強さの表現がおかしい。誰が誰より強いというのが、言葉では言っていても、そんなふうに見えない等、演出に難アリアリだ。

設定としては、魅力的でキャラが立っている人物が数多く登場するのに、どこか間が抜けているところが一つや二つではなくて、物語に入り込んで真剣に見られるほどのクオリティではないところが残念だった。

――で、実は『射鵰英雄伝』の2017年版を、去年末、たまたまレンタルビデオを物色しているときに見つけて、よせばいいのについ借りてしまった。
そのときはまだ途中の巻までしか出ていなかったが、2002年版が全42話でDVD1枚に4話入っていたので、そのつもりで借り始めたら、何と2017年版は52話もあって、1枚に2話ずつしか入っていない。
アクションやCGが少し進化していたこともあって、相変わらずダメなところはダメダメだったが、ストーリーを忘れているところも多いし、せっかく見始めたのだからと借り続けていたら、全部見終わったのは3月末だった。

ちなみに、この記事を見て『射鵰英雄伝』を見てみようと思う酔狂な人がいたら、画質が悪くても良ければ2002年版でいいと思う。
個人的には、アクションやCGなどで多少の進化はあるものの、キャストの善し悪しは役によるし、総体的には2002年版の方が良かった気がする。
あと、本編にはあまり関係ないが、前のOP曲が好きだった。タイトルが『天地都在我心中』といって、勇ましくて耳に残る。動画がYoutubeにもあったと思う。

他の作品もリメイクされているらしいのだが、よほど暇になって、50円くらいでレンタルできるのでもなければ、もう見る気はしない。

脱線話が長くなったので、ここで一旦区切ろう。

T先生の法螺話

T先生と再会してから、変わってないなあ……と思ったことの一つに、法螺話のようなエピソードを交えて話すのが好きそうなところがあった。

例えば若い頃には、どこかの支部のナントカさんのところに空手五段の人が訪ねてきて、手合わせを望まれたが、形意拳の“閃電手”という技で捌いたら、驚いてその日のうちに入門したとか、そういった類の話だ。
(※全中連のビデオの中で「閃電手」を八卦掌の技として解説しているものがあるが、僕らは形意拳の技で張占魁の得意技だったと教わった)

ただまあ、上記はもしかしたら、東京に行ったときに上の誰かに聞かされて、それを鵜呑みにして僕らに伝えたのかもしれない。似たような話は幾つか聞かされた覚えがある。

また、T先生自身の経験として、どこかの駅でガラの悪いヤツに目を付けられて、後ろからついて来られそうになったが、階段のところですぐ後ろに気配を感じてちょっと身をよじったら、そいつが勝手に階段を転がり落ちていった、という話をしていたこともあった。
でも、T先生のことをある程度は「強い」と思っていた若い頃の僕でさえ、このときは即座に「絶対に嘘だ!」と思った。

確かこの少し前に、西郡先生に教わりに行って、そのとき西郡先生から、
「お前さんたちの技はもうまともに使うと危ない域なんだから、そろそろ逆手とかで対処するようなことも覚えないといけないよ」
――みたいなことを言われたと、得意顔になっていた。たぶんその延長でこんな法螺を付け加えたのだろう。

それに、僕がT先生の言葉を嘘だと思ったのには、一応の根拠もある。
再会してからT先生と接するうちに、ふと気づいたのだ。
どうも内容的に真偽が怪しい感じの話をしているとき、最後のあたりで口の開きが小さくなって、フェードアウトしていくようにぼそぼそと小声になっていくのだ。自信のない話をしているときもそうだ。
部分的にだから、少ない息で一気に喋ろうとして小声になっていくような感じにも見える。普通は、T先生と接することが少ない人にはわからないだろう。
それで、「あ、そういえば!」と、若い頃もそうだったような気がして、昔の階段云々のエピソードを思い出した次第だ。

ただまあ、大昔のことなので、若い頃のT先生にも本当にそういう癖があったのかどうかは、はっきりしない。でも関連して思い出したくらいだから、それだけ僕の中で印象に残っていたということだろう。
そしてまた、階段云々のことは、再会後のT先生と飲んでいるときに話題に出したことがあったが、T先生はそのことをまったく憶えていなかった。
数少ない武勇伝の一つなのだから、本当なら憶えているはずだろう。

まあ、過去のことはともかくとして、再会後、T先生にはそんな癖があったおかげで、例えば技や口伝などを教えてくれるときでも、これは嘘臭いとか、怪しいとかは、大体感じ取ることができていた。
幾つかは、その後のS先生とのやりとりで確認できたこともあった。

道場破りのエピソード

これはまあ、法螺話というのではなくて、さっきの空手五段云々と同じように、上から聞いた話かもしれないし、昔の武術道場によくある話として、どこかで仕入れた話なのかもしれない。

それは、こんな話だ。

昔は、道場破りのような人物が訪ねてくると、次のように対処したそうだ。
まず座敷に通して茶菓子または食事や酒などを振る舞い、金銭を持たせて丁重にお帰り願う。それで素直に帰らない場合は、道場に通して、窓や戸を閉め切って、大勢で袋叩きにしてしまう。――と。

時代劇でも似たようなシーンが時折描かれると思う。
逆に、道場破りに来た側の強さを現すために、道場側が全員伸されてしまう描写になる場合もあるが。

ただ、本当にこんなふうに道場破りを袋叩きにすることは、あったのかもしれないが、T先生はその話で何を僕に伝えたいのだ?
T先生の顔や口調は、昔はそれだけ荒々しかったとか、容赦がなかったとかいうことを、得意げに話している感じだったのだが、要するに、ただ卑怯な振る舞いというだけではないか。
それに現代に置き換えて考えれば、そんなことをしたら大変だ。

T先生と再会する前だが、どこかのネット掲示板で、こんな話を読んだことがある。
書き込み主が通う道場で、先生の留守中、道場見学に来た他流派の有段者から、
「何か一手教えてくれませんか」
と言われて、応対していた高弟が、
「今は先生が留守で、許可が得られませんから」
と断って、そのまま帰らせたことがあった。
すると、あとで帰ってきた先生が、その話を聞いて激怒。
「入門するでも金を払うでもなく、いっぱしに技を盗んでいこうとはいい根性だ。どうして怪我をしても文句を言いませんという誓約書でも書かせて、腕の一本でもへし折ってやらなかったのだ!」
――と。内容はうろ覚えだが、大体こんな話。
これを読んだとき、僕は、
(まるで西郡先生みたいだな。まさか西郡先生の話じゃないだろうな?)
と思った。

……まあ、これだって大人げない話だが、さっきのT先生の話よりはマシだろう。

T先生の話は、例えば、武術の流派・道場もまともなところばかりじゃない、キチガイだって多いし、こんなヤツだっている、――という例として話してくれたのなら、まだわかる。
けれどT先生の話はどこかずれていて、僕は「ん?」な思いをしたことが何度もあった。
そして、この話を聞いたあたりの頃から、僕はT先生の実力をあまり認められなくなり始めていた。
型や技は上手いし、説明も理論的でわかりやすい。力も全然敵わない。
けれど、本気で喧嘩をしたとしたら、まったく歯が立たないというほどの相手ではない。――と。

何故かと言えば、人からの受け売りそのままだったり、マニュアル的だったりし過ぎるからだ。そういう人は実戦的でない場合が多い。
少なくとも僕はそう思っていたから。

もちろん、だからといって、なめた態度を取るようになったわけではない。
以前から書いているように、先生の実力に関係なく、人に教えられるだけの技術や知識があればそれで良かったし、僕は師匠として立てる気もあった。そして実際、立ててきたし、毎回接待もしてきた。

そういう、人の気持ちが通じない鈍感さも嫌いだったが、これも縁……と、とにかく区切りのいいところまでは行こう、行って判断しよう、と思っていた。

まとめ

一年目は、稽古を通して鈍っていた体が戻っていく実感はあったものの、力はそう簡単にはつかない。
それどころか、一方的にしごかれ、筋肉痛に苛まれ、なかなか力の差が埋まっていくような気配も感じられなくて、しんどいばかりの日々が続いた。

二年目くらいで劇的な変化があろうはずもない。
力がなかなかつかないとは言っても、少しはついているのだろうが、鍛錬では門下の誰にも敵わない。
そして、鍛錬によって培っているその力を、どう使えばS先生のような強打を打てるようになるのか……?
わからないなりに「とにかくやるしかない」の繰り返し。

その間は、T先生との稽古やその後のお酒で嫌な思いをし、S道場での稽古を楽しみにすることで、怒りを堪えて過ごすといった感じ。
S先生はどういうわけか僕に良くしてくれて、色々教えてくれたので、そういう楽しみがなければ、T先生とだけだったら、僕は続けられなかっただろう。

僕は、まず三年は我慢しようと思っていたが、全部を習えないまでも一通り習うには、少なくとも五年、あるいは七、八年くらいはかかると想定していた。
もしそれくらい居続けるとしたら、まだまだ先は長いわけで、その間をどうやって過ごしていこうか……などということを、この頃は漠然と考えていた。

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