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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

技は力の中にあり

投稿日:2009年5月6日

太極拳の世界では、“力を使わずに相手を倒す”という考え方が、ごく当たり前に浸透している。
他の武術でもそういう考えはあるけれど、僕の知る限り、太極拳がダントツだと思う。
技術的に似ていると言われる合気道では、
「力は要らないと言っても、ある程度ベースとなる力は必要だ」
と、筋トレをする派もあるそうだが、少なくとも日本で行われている太極拳の大半は、筋力否定派ではないだろうか…?

僕も昔は、力はそんなに要らないと思っていた。
例えば相手が攻撃してくる腕を推手のように逸らせる場合、ゴムマリのような弾力を維持する程度の力は必要だが、腕力で強引に弾いたりするような力は不必要だ、と。
まぁ確かに、
力任せと言われるような力の使い方や、力むような力の出し方は、必要ないのかも知れない。
しかしそれでも、根本的に力が無ければ(筋力が無ければ)、体の芯を作ることはできないし、張りや弾力を維持することもできない。
何より、相手をぶっ倒すだけの威力が出せないのではないだろうか?

…と、僕は思う。

そう思うようになった経緯は今までの記事からも察してもらえると思うが、まだもう少し段階がある。
少なくとも僕的には、今よりもっと未熟だった頃に、通用しなかった経験があるからと、手のひら返しに考えをコロッと変えてしまった、というのではなくて、幾つかの事柄を少しずつ複合的に考えて判断した結果なのだ。

今の考えを端的に表現するなら、
「力はあって力を使わないような力の使い方ができる」
とでも言おうか…。(ちょっと観念的かな?)
また、
『技は力の中にあり』
という言葉もある。
これは極真空手の故・大山倍達氏の言葉だそうだ。
もしかしたら大山さんの場合、プロレスラーと対戦した経験(出来合いの興業だったという説もあるけれど…)や、少なくともそういう大男たちと関わってきた経験から出た言葉なのかも知れない。
しかし僕は、
「力が無ければ技は生きない」
という意味で、含蓄のある言葉として捉えている。

…で、ちょっと話が前後するけれども。。

僕が、子供の頃に空手をやっていたことは何度か書いた。
その空手も、しばらく続けていると疑問だらけになった。
これも前にも書いたが、特に極真空手の試合を初めて見たときには、大男同士が腹や胸をどつき合い、我慢比べをしているようで、
“力で勝る相手を技で制する”
というようなものには見えなくて、少々がっかりしてしまった。
そして、それから長年に渡って、極真やフルコン系空手がウリにしている“パワー空手”という言葉さえも嫌いになった。

…しかし。

力を養うこと、体を鍛えること、は、古来、武術が重んじて来たことだろう。
強靱な体と人並みはずれた膂力があってこその技…というのが、本来の、至極当然な考え方であったはず。
それを、
「特別鍛えなくても、力は無くても、技を習得すれば大の男を倒せる」
というような言葉に踊らされる方が、妥当性を欠く考えではないのか?

もちろん、技の理というものはあるし、ある程度はそれで通用する部分もあると思う。
だが、恵まれた体格に、何らかの武術・格闘技経験があり、並はずれた筋力を併せ持った者が相手なら、どうだろうか…?
もし、名人・達人と呼ばれる人がヘビー級のプロ格闘家に勝てたとしても、そんな域に達していないひょろひょろ体格の修行者には、無理だろう。
それに武術の世界は秘密も多い。
3年、5年とやっていても、他の武道や格闘技なら当たり前に教わっているような技のコツさえ教わっていなくて、うまく使えない場合もある。
そんなことならもう少しシンプルな攻防技術を、筋トレと合わせてやった方が確実なのは自明の理だ。

また、古の沖縄空手では、特殊な練功法や道具が秘伝になっていたと聞く。
打たれ強くなり、攻撃の威力を増すための方法。
それはつまり、“技”のために必要なカラダになることだ。
昔は、筋トレと言っても、普通の人は、重たいものを振ったり持ち上げたりするくらいしか思いつかなかったかも知れない。
だからこそ先人の工夫が秘伝だったのだろうけど、今は様々なスポーツ分野で人体やその動きに必要な筋肉が研究されている。
そういう意味では、近代的な筋トレ法を取り入れた極真空手は、非常に画期的だったのかも知れない。
穿った見方をすれば、もしかしたら、、
大山さんは古流の鍛え方をご存知なく、若木竹丸氏との出会いもあって、そういう方法に至ったのかも知れないが、だとしてもその工夫は評価すべきだという気がする。

そして、もう一つ言いたいことだが。

鬆腰(ファンソン)を重視した套路や瞑想式の站椿を重んじる人も、それらの習熟と積み重ねを大切に思っているだろう。
もちろんそれは間違いではないと思う。
しかし、力も、簡単にはつかないし、地味で苦しい積み重ねなのだ。
以前、僕が、
「力も必要ですよね」
程度に話すと、のっけから意外なほど拒否反応を示した人が、
「私などが今さら筋トレしたとて、大して力はつかないと思います!」
と返してきたことがある。

…そりゃそうさ。
そう簡単に力がつくなら、誰も苦労はしない。。

中学のときに空手の道場に通い始めて、しばらくして、突きが風を切る音が出るようになり、成長期だったこともあって、最初は見る見る体が変わっていく実感があった。
そして10代の頃の僕は、並みの人よりは筋肉質で、力もある方だったが、どんどん筋力が増し続けていたわけではなかった。
それどころか、やらなくなれば衰える。
積極的に力の鍛錬などしていなかったので、武術を再開したばかりときの僕は、ごくフツーの中年のおっさんだった。
今だって大した力はない。

そして、まぁ…僕の場合、ガンガン体を大きくしようとは思っていないが、ガンガン大きくしたい人も、実は簡単にはなかなか大きくなれない。
体質的な例外や、脂肪も含めて(つまり太るという意味で)大きくなることはできても、筋肥大を繰り返して見る見る筋肉を成長させるということは、難しいのだ。
日々の鍛錬により時間をかけて、
「すごい力」
を持てたとしたら、それ自体が立派な“技”と言えるのではないだろうか。
また、そういうカラダでこそ、身法も、脱力も、攻防の技も、生きるのではないだろうか。

それでもやっぱり、筋肉は邪魔になるとか、体が固くなるとか、脱力できなくなるとか思っている人には、理解できないことだろうけど。。

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