中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

使えない苛立ち

投稿日:2008年7月7日

前項で書いた喧嘩も含めて、この時期何度か経験した喧嘩で、太極拳の技を使えたことは、一度も無い。
もちろんそれまで修練してきたことが何一つ役に立たなかったわけではないが、相手の攻撃をいなしてはね飛ばすなんてことは、夢のまた夢だった。
実際、喧嘩では、いかに殴られずに殴るか、必死になって、“化勁”や“沾、粘、連、随”どころではなかった。
でもそれは、
「自分が未熟なせいだ」
「知らないことがまだまだ多いからだ」
---と思って、どうすればいいのかを、あれこれ思案した。
けれど答えは出なかった。
ヒントになるようなことは色々あっても、決定的なとっかかりにはならなかった。
そして結局…。
今までの経験に、学んだことを幾らかプラスして喧嘩技を工夫するくらいのことしかできなかった。

考えてみれば、その時点で教わっていた理屈の範囲でも、熟練の度合いこそあれ少しはそれらしく使えたっておかしくないはずだった。
空手やボクシングなら半年もすれば多少はカタチになって組手やスパーができるようになるのに、太極拳では自由組手(散打)をやろうとしてもなかなか思うような動きにならない。
理由は簡単。
型の用法や太極拳で理想とする動きに拘るせいだ。
少なくとも僕の場合、そうだった。
それにこの頃はまだ情報も少なかったし、どうすればそんな動きができるのかを追いかけ過ぎていた。
だが、
幾ら理論が高尚でも、3年以上やっていてまともに使えないのでは意味がない。
20代前半のこの時点でも、先生のところを4年くらいで一旦離れたとは言え、一応自分なりに練習を続けていて、太極拳歴5年以上だ。
それで使えなけりゃ、まぁ、自分なりに喧嘩技でも工夫するしかないのは当然だったろう…。(^_^;)

今にして思えば、あくまでも個人的にだが、推手や型の用法のような使い方は、あまり現実的ではないと思っている。
つまり、それを無理に、使おう、使えるようになろう、としていたところに間違いがあったような気がしている。
こんなことを言うと太極拳への信仰厚き人々は異論を唱えるだろうけど、だからと言って僕は、太極拳の理論や修練方法を根っから否定するわけではない。
型に習熟することも、推手による重心や崩しの訓練も、約束組手で用法通りの使い方を覚えていくことも、それも一つの方法論だと思っている。
そしてもちろん、自分が気づいたことがすべてだとは思っていないし、気づいたことが正しいことばかりとも思っていない。
…しかし、、
型や推手の習熟を主体に“気”や“脱力”にばかり拘っている人は、僕が言うようなことを真っ向から否定することが多い。
例えば僕は、このところ筋力についてよく書いているが、“脱力”も“気”も、否定してはいない。
自分もそういう修練を経てきている。
その上で、筋肉の使い方を考える重要性や筋力向上の必要性を感じているわけだが、それを誰かにごり押ししようとしているわけではない。
「僕はこんな風に思う」
というのを、一つの考えとして、少しばかりの親切心で“考える材料”にしてもらえればと思うわけだが、相手の方が僕よりキャリアが少なくても、習っている派や師匠が違えば、
「なるほど」
と言われることも、
「参考にします」
と言われることも、ほとんどない。
いやそれ以前に、僕が
「何故そう思うか」
を、さらに問いかけて理解しようとすることもまずない。
それを聞く姿勢があるのは、返って他の武術・武道をやっている人の方だ。

…まぁ、それはともかく。

型の用法については、先ほど、
「あまり現実的ではない」
と書いたが、すべて約束上でないと使えない技ばかりだと言いたかったわけではない。
僕が言うのは、お約束的に一本突いてもらって、その一本の間に複雑な動きをするような技についてだ。
そうでなく一瞬の動きに対応する単純かつ有効な使い方もある。
一人で考えていた時期、型を練る一方、型の動きを分解して、そういうシンプルな用法を見つけようとあれこれ考えた。
そしてひとまず至ったのは、僕的に言えば、太極拳テイストのムエタイスタイルといった感じだろうか…。
その前にウチの流派で教わった構えもあったので、それも踏まえつつ。

そして、空手や他武道の試合、ボクシングや格闘技の試合などを観て、同系の技として考えられそうな動きを模索してみると、意外と共通の部分が多いことにも気がついた。
ずいぶんあとになって先生と再会してからのことだけれど、自分が気づいたことの中には、実際に改めて教わってみて、
「おお、自分で気づいたことも遠からずだったな!」
と思うことも多かった。
それでも、
正直、今も、実戦でまともに太極拳の技を使える自信はない。
というか、今回書いたように、昔思い描いていたような使い方ではなくて、自分なりの解釈・スタイルでなら、幾らか使えるとは思っているのだが…。

今の考えを少しだけ書くと、太極拳も表層的な虚飾を取り除いていけば、他の武術・格闘技と大きく変わらないと思っている。
円の動きであるとか、内部的な身体操作の面であるとか、特徴的なことは幾つかあっても、実際の動き、格闘技術として、リアルに戦うときは、結局他の格闘技と大差ないという気がしている。
最初に期待し思い描いていたのは、
「自分のダメージを最小限に防御できて、小さな力で大きな力を弾き、“気”や“呼吸”を利用した瞬発的かつ人体内部に浸透するような一打必倒の打撃をおみまいして勝つ」
といったような格闘技術だったが、それはなかなか都合良く身につくものでは無さそうだ。
だからと言って、
「そういうものは無い」
と断言する気はないし、僕自身あきらめているわけでもない。
ただ、ハナから妄想の域に入ってしまう危険を自覚し、現実的な視野を踏まえつつ考えていかなければと思っているだけだ。
そして、徒手空拳の武術に長けたとしても、それが万全とは言えないし、また、人間的な強さや値打ちとは別問題であることも解っておかなければならないと思う。

まーしかし。。
このブログの初めにも書いたように、僕が太極拳について疑問や否定のようなことを書くのは、太極拳を深く理解しようとするための試みだし、やっぱり太極拳を愛しているからだ。
それはご理解いただけるだろうか…?

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

 

はじめまして。
検索で偶然やってきました。

リアルに戦うときは、結局他の格闘技と大差ないという気がしている。
悩ましいですよね。散打等の試合を見ていても、実際、その流派のカタチが見えるものって、ほとんどないって気がします。
だけど、いきなり首を絞めに行ったりしない。それだけでも、やっている武道の動きが少しでも身に付いた成果かなと思いますが。

Posted by ichigeki.co.jp at 2008年07月17日 16:39

>ichigeki.co.jpさん

こんにちは。初めまして。
コメントをありがとうございます。

> 悩ましいですよね。散打等の試合を見ていても、実際、その流派の
> カタチが見えるものって、ほとんどないって気がします。

最近の散打はほとんど見ていないのでよくわからないんですが、
だいぶ前に見たときは、
素人同然の者同士がめちゃくちゃに動いていてがっかりしました。

でも、僕が書いた「大差ない」とは、
技術的に、大きな違いはないという意味です。

型の中にもプロ格闘技などで使われるような技は多く含まれているのに、
そういうものとは違うという認識や、観念的な捉え方をするところに、
何やら誤解があるような気がしています。

しかし、他の格闘技の真似事のような組手になってしまったら、
今やっていることに意味が無くなってしまいかねないので、
注意や工夫が必要だと思います。

Posted by hide at 2008年07月18日 04:23

太極拳も武術なら、何かしらの役には立つと思うのですが。現実は、そうは上手く行かないですね。
私は、套路で身体を練る事が一番大切だと考えてます。体の癖付けですね。
筋トレは好きではないので、やりませんが
筋肉は必要だと思いますよ。

Posted by occhi at 2008年08月29日 23:06

>occhiさん

こんにちは。初めまして。
コメントをありがとうございます。

> 私は、套路で身体を練る事が一番大切だと考えてます。体の癖付け
> ですね。

僕は、初歩はそれでいいのですが、中級以上はそれではダメだと思っている方です。
それは追々このブログでも書いていきます。
まぁ、納得してもらえるかどうかはわかりませんが…。

> 筋トレは好きではないので、やりませんが
> 筋肉は必要だと思いますよ。

およそ鍛錬と呼ばれるものは、しんどいばかりで、誰も好きではないのですよ。
好きだという人が居たら、たぶん変態です(笑)
だから僕も嫌いです。
何が嬉しくてこんなことやってるんだろうなぁ?…と思いながらやってます。。(へ_へ;)

Posted by hide at 2008年08月30日 02:16

太極拳の套路を速くしても現実的には使えません。
套路をたくさんやるとその動きが染みついていざと言う時に技の動きが出る・・・というのも無いです。
型は格闘の雛型ではなく、功夫を養う雛型なんです。
でも、套路の中に格闘のためのヒントがたくさん入ってたりするのも事実です。

套路によって功夫を養い、套路から学んだ戦闘技術を使うのが太極拳です。

いくら推手を練習しても強くならず、使うのを諦めて健康のために套路を繰り返していたら、套路が語り始めてくれました。

それまで全く使えなかった太極拳が突然使える様になりました。この経験は本当に漫画の様に劇的でした。

このブログを読んで、昔の自分が同じように悩み、試行錯誤をしていたのを思い出しました。
答えは本当にまつ毛の先にあります。
解ったら本当に「コンチクショー」と思うぐらい簡単です。

Posted by め at 2009年02月25日 21:20

》めさん

こんにちは。初めまして。
書き込みをありがとうございます。

ただ、ご意見は有り難いのですが、どうも書き方が一方的な感じがしました。
言いたいことは解りますが、僕としては正直、
「そんなことくらい解ってるよ。何を教えたいんだい?」
というような印象を持ちました。
大方は僕が過去記事の中で書いたようなことでもありましたし。。
めさんは、どちらかと言えば僕と近いご意見の持ち主だろうと思います。
しかし、あえて言えば、
初めてやりとりするときの順序として、解っていない人に教えてやるような言葉遣いで書くのは、いかがなものかな…と思ってしまいました。

また、この記事について言えば、僕にとっても昔の話です。
僕としては、
“後進の人たちの参考に”
という思いもあって、過去の自分の迷いなどを正直に書いているわけですが、どうもそのあたりをご理解いただいていない感じがしました。

でも、せっかく書いてもらえたことは嬉しく思っていますので、少しレスします。

> いくら推手を練習しても強くならず、使うのを諦めて健康のために
> 套路を繰り返していたら、套路が語り始めてくれました。

なるほど。。
似たような経験は僕にも、何度もあります。
反復の中での気づきやひらめき、体の使い方、技の使い方など、色々です。
僕の場合、怪我が元で武術をあきらめていた30代前半の時期、ほとんど練習しなくなったことで、返って気づくことが多くありました。
しかし、詳しいことはそのうち記事にして書く予定ですが、今思うと、その時期に気づいたことなど、そう大したことではないかも知れません。
結局、幾ら頭の中で高度なことを考えてみても、体がそのように動くかどうかは別ですし、何かをわかった気になっても、それが本当に核心に近い道筋かどうかは、もっと後になってみないとわかりません。
また、誰かに教わらなければ、なかなかわからないこともあります。
そして、単純などつき合いを軽視しての複雑な技など、妄想の世界です。
そんなこんなで言えば、
今の僕は、幾らか気づいたことがあったり、当初の期待以上に奥のことを教わることができたと思っていたりもしますが、実際に自分ができることとしては、ようやくマイスタイルを少し確立できたかな?…という程度だと思います。

めさんが套路から得られたことがどういうものかは、もう少し具体的に書いてもらわないとわかりませんが、少なくとも僕の経験上では、自分の内部感覚で得られたようなものは、実際に殴り合ってみるとそう役に立たないことが多いような気がします。

> 答えは本当にまつ毛の先にあります。
> 解ったら本当に「コンチクショー」と思うぐらい簡単です。

昔、松田隆智さんも、自身の著書の中で、
「秘伝とはまつ毛のごとし。近くにあっても見えず」
というような口伝を紹介していたと思いますが、それを初めて実感した気になったのは20代のときでした。
しかし、気づくことと、それによって自分がどれだけ強くなれるか、それもまた別の話ですよね。。

Posted by hide at 2009年02月26日 18:50

レスありがとうございます。
不躾な書き込みで申し訳ありません。
あまりに自分が過去に考えていたことと似ていたもので嬉しくなってしまいまして・・・。

さて、
>とわかりませんが、少なくとも僕の経験上では、自分の内部感覚で得られたようなものは、実際に殴り合ってみるとそう役に立たないことが多いような気がします。

これはまったく正しい感想だと思います。
初期の内部感覚はほとんどノイズみたいなものです。ただ、実際に勁が全身に繋がった後の感覚はそのまま物理的な作用として利用できます。

>しかし、気づくことと、それによって自分がどれだけ強くなれるか、それもまた別の話ですよね。。

私は気づくことで突然強くなるという漫画の様な経験をしました。だからこそ言えるのですが、太極拳は気づかない限り一生使い物にならない武術です。

今は何時誰とスパーをしても太極拳以外を使っている感覚はありません。逆に気づく以前はどんなに太極拳の技を使ってもそれは太極拳ではありませんでした。

武術とはありがたいもので、実際にどつきあいに使えなかったら、それは間違った理解だったという証明となります。

本当の気づきの後では套路と実用は完全にイコールになりました。

しかし、スパーをした相手に普段はスパー練習どころか、ほとんど推手すらしてないことを言っても、誰も信じてくれません。この信じられない所が太極拳の太極拳らしさなのかも知れないと感じています。

Posted by め at 2009年03月01日 00:05

》めさん

こんにちは。レスをありがとうございます。

> 不躾な書き込みで申し訳ありません。
> あまりに自分が過去に考えていたことと似ていたもので嬉しくなってし
> まいまして・・・。

いえいえ。
…そうでしたか。
僕の方もちょっと神経質に捉えてしまったかも知れません。
誤解の向きはご容赦を。

> 初期の内部感覚はほとんどノイズみたいなものです。ただ、実際に勁が
> 全身に繋がった後の感覚はそのまま物理的な作用として利用できます。

ノイズをどういう意味で使っているのかよくわかりませんが、僕が言わんとしたことは、あまり細々したことは、拙い技量では意味を為さないということです。
内部感覚云々、細々したことが生きるとしたら、その小さな違いがあきらかな差となるレベルになってからの話だと思うからです。

繋がった感覚というのは、僕なりに解ります。
まぁ、そのつもりになっていても、もっと巧い人から見れば、まだまだバラバラなのかも知れませんが。。

> 私は気づくことで突然強くなるという漫画の様な経験をしました。だか
> らこそ言えるのですが、太極拳は気づかない限り一生使い物にならない
> 武術です。

その気づきにより、繋がった感覚が得られたり…というのは、僕も経験がありますが、少なくとも僕にとっては「強くなった」ではありませんでした。
僕なりに言葉を選ぶとしたら、「一皮剥けた」ということになるでしょうか。
その繋がった感覚で、威力が増したり、急に今までより動きが体に馴染んだりしましたが、相対的に強くなったかは、誰かと本気で戦ってみないとわからないでしょう?
自分の中では、今までの自分よりは強くなった感じかも知れませんが…。

また、「太極拳は気づかないと一生使えない」は、自分の経験に基づいためさんの思いであって、そのことで決めつけることはできません。
例えば、教えてもらって、それを理解できれば使えるのかも知れませんしね。
そこを教えてもらえないから、気づく人が自分で気づくしかないのかも知れませんし、めさんがそうだとしたら、一定以上を教えてもらっていないことになります。
そして、もしそうなら、まだ先があるのに気づいたつもりになっているだけかも知れませんよ。

まーでも、僕の想像を越えて本当に「強くなった」のなら、めさんは僕などよりずっと上手かも知れませんね。

> 本当の気づきの後では套路と実用は完全にイコールになりました。

にわかには信じがたいですね。
それほど使える人を見たことがありません。
また、僕は色々ごちゃ混ぜに修得していますから、純粋に太極拳だけを使うなんてあり得ませんが、太極拳を使うとしても、套路から抽出した技であって、套路そのものではありません。
本当の使い方は隠されていたりもしますしね。

> しかし、スパーをした相手に普段はスパー練習どころか、ほとんど推手
> すらしてないことを言っても、誰も信じてくれません。

推手は、実はウチの流派でもあまり重視していません。
推手には推手の要領というか口伝があって、それを知っていればある程度優位に立てるところがあるからです。
(まぁそれでも、やっぱり慣れの部分もあると思いますが…)

ただまぁ、「気づいた」「強くなった」と言われても、あまり具体的でないので、めさんの言うことをどの程度に捉えていいかわかりらないのが正直なところです。

Posted by hide at 2009年03月01日 06:29

>ただまぁ、「気づいた」「強くなった」と言われても、あまり具体的でないので、めさんの言うことをどの程度に捉えていいかわかりらないのが正直なところです。

実際「強くなった」と言うのは強くなる前の自分を力量を知ってる人しか言えないので今からではどうしようもありませんし、「気づいた」というのも、自分の中の話であって証明のしようがありません。ただし、その「気づいた」も自分で何かを発見したものではなく、過去の文献で言われていることがそのまま本当だと確認しただけに過ぎません。

だから、私の言うことを信じるかどうかはお任せするしかないのですが、あとひとつだけ。

hideさんはすでにある程度解っておられるかもしれませんが、まだ少し難しく考えすぎている印象を受けました。
太極拳は「単純極まりない武術」です。
複雑に見えるものは実は単純なものの組み合わせでしかありません。套路は単純な根源とその組み合わせを理解するための道具です。
だから実用とイコールになるのです。

組み合わされた結果としての技をいくら憶えても現実に対応できません。だから太極拳は一般的には使えないのです。

Posted by め at 2009年03月01日 11:46

》めさん

コメントをありがとうございます。

証明云々とまでは言いませんが、どうせ書くのなら、観念的な言い様ではなくて、自分の場合はこうだったということを他人が少しは想像できる書き方をしてもらえればと思います。

例えば今回も、

> 過去の文献で言われていることがそのまま本当だと確認しただけに過ぎません。

とありましたが、どういう文献のどういう文章を指して、どう実感したのかということの、一例でもあれば、少しはめさんの言いたいことが想像できるかも知れません。

> hideさんはすでにある程度解っておられるかもしれませんが、まだ少し難しく
> 考えすぎている印象を受けました。

そうかも知れません。
ただ、自分自身の思いを言えば、僕が今まで書いている記事は、難しく考えている人に対して、
「過去の自分もそうだったけど、もっと単純なんだよ」
ということを示唆する内容になっているはずです。
疑問符のほとんどは、この世界、決めつけては角が立つことを、読者に考えてもらう感じで、濁しているためです。
例えば、
「本当に筋力を否定していいのだろうか?」
というように。

> 太極拳は「単純極まりない武術」です。

同感です。
というか、どの武術もそうだと思います。

> 複雑に見えるものは実は単純なものの組み合わせでしかありません。

同感です。

> 套路は単純な根源とその組み合わせを理解するための道具です。

ここはどうかな…。。
おっしゃられるような意味合いで作られたかどうかは、その流儀の考え方によると思います。
めさんは、自分の気づきからそう推測されているだけでしょう。
それを、こうだと決めつけた言い方や、他人に一方的に教えるような言い方は、ちょっと鼻につきます。
自分はこう思う、自分の経験ではこうだった、という言い方なら解りますが。。

もっと単純に突き詰めて言うなら、その考えでいけば、套路なんて要らないのですよ。
まー僕は実際、
「套路なんて要らないのかも知れないなぁ…」
という考えも一部持っていますが、それを他人と議論する気はないので、これはそのうち記事で書きます。

> だから実用とイコールになるのです。

ということは、型をそのまま使うということではないと思うので、僕が言うところとも差がないのでは?
僕が書いた「套路から抽出した技」というのも、型の一見複雑な動きの中にあるシンプルな根元の部分を使うということですので。
まぁ、抽象的な言い方でなくもう少し具体的に言えば、見た目はボクシングや空手とも差がないということになります。少なくとも僕の場合は。

> 組み合わされた結果としての技をいくら憶えても現実に対応できません。
> だから太極拳は一般的には使えないのです。

これは要するに、套路の型通りには使えないということですよね?
だとすれば同感です。
複雑な動きを複雑なまま使おうとして、できるはずがありません。

それと、話を最初に戻しますが、このブログは議論の場ではありません。
めさんが、

> だから、私の言うことを信じるかどうかはお任せするしかないのですが、

と言うのと同じように、僕も、僕の記事をどう受け取るかは読み手にお委せしています。
ご意見やご感想は歓迎ですが、一方的に教えるような言い方や、決めつけたような言い方は、返し方に困りますし、正直言えば面倒です。
めさんの文章を見るに、太極拳に対する考え方は、僕とは比較的近い気もしますが、人とのコミュニケーションの取り方というか、そういうスタイル、スタンスに大きな違いがあるようです。
まず、このブログの主旨をご理解いただきたいと思いますので、下記記事『はじめに』を熟読いただきたく思います。
http://doyotaichi.seesaa.net/article/30739734.html

Posted by hide at 2009年03月01日 20:32

私の文章力が低いのは確かですね。申し訳ないです。
とりえあず書けば書くほど電波っぽくなるのでここら辺で終了にいたします。

一応最後のレスを・・・

>これは要するに、套路の型通りには使えないということですよね?

そうとも言い切れません。そういう状況は少ないのですが、状況が套路の型に合致していればそのまま使える事も無くは無いです。

>「套路なんて要らないのかも知れないなぁ…」

今まで言ってきた事と矛盾するようですが、これは実は正しいです。套路ではなく太極拳を習得する方法はあります。
所詮套路は道具ですから。でも、大変便利な道具ですから、なかなか馬鹿に出来ません。

どの武術でも達人になるとあらゆる状況に対応出来るエッセンス的な部分に到達するのですが、太極拳はあえてその状態までを即席培養しようとする考えのようです。

それでは、引き続きこのブログを楽しみにしています。

Posted by め at 2009年03月01日 21:55

》めさん

こんばんは。コメントをありがとうございます。

> 私の文章力が低いのは確かですね。申し訳ないです。

いえいえ、こちらも歯に衣着せずにきつい書き方をしてしまいましたが、感情的にならずに返してくれて有り難く思います。

> そうとも言い切れません。そういう状況は少ないのですが、状況が
> 套路の型に合致していればそのまま使える事も無くは無いです。

まーそれはわからなくもないですが。。

> 今まで言ってきた事と矛盾するようですが、これは実は正しいです。
> 套路ではなく太極拳を習得する方法はあります。

これも、もう少し突っ込んだことはいずれ記事にして書くつもりですが、僕は、基本的な技(突き・蹴り・受け、など)を学んで、個別に少しずつ技を練習していく方が、早く確実に修得できるのではないかという気がしています。
太極拳の套路(と言っても正宗太極拳しか深くはわかりませんが…)は実によく出来ていると思いますが、
「少しでも早く使えるようになる」
ということに主眼をおくなら、套路中心のやり方は、ずいぶん回り道な修得方法だと思っています。

> 所詮套路は道具ですから。でも、大変便利な道具ですから、
> なかなか馬鹿に出来ません。

僕も、一見矛盾するようですが、ここは同感です。
ウチの流派は、今では套路にもあまり重きを置いていませんが、僕自身は、道場から遠ざかっていた間に、套路の反復の中から発見したことがずいぶんありました。
そしてその中に、後で続きを学んで、
「やっぱり自分で気づいたことも遠からずだった!」
と思うことが幾つもありました。

しかし反面、気づいたことは途中の段階だったと思うこともありました。
少し具体的に言えば、突き方一つにしても、体の中でどう繋がるかという部分で、自分がこうだろうと、気づいて、思っていたことが、
「それよりこうする方が力が入る」
と教えられて、中途半端だったり、まだ先があったり、ということに、改めて気づかされたり…です。

でもまぁ、それもまた、1人で練習するときには套路上に生かしたりしながら繰り返していますし、これには終わりがないですね。
それに太極拳の套路を演武すること自体、実際に使う云々は別にしても、好きですよ。

> どの武術でも達人になるとあらゆる状況に対応出来るエッセンス的な
> 部分に到達するのですが、太極拳はあえてその状態までを
> 即席培養しようとする考えのようです。

そこはどうもよくわかりません。
言いたいことは解りますが、本当にそこまで考えて出来上がってきているのか。。
太極拳を単純と言うのならなおさらですが、そういう理屈は後付のように思えてしまいます。
それに今の太極拳は、とてもじゃないですが即席ではないですしね。。(^_^;)

> それでは、引き続きこのブログを楽しみにしています。

ありがとうございます。
懲りずに覗きに来てもらえれば嬉しいです。

Posted by hide at 2009年03月02日 01:22

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