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太極拳ってど〜よ!?

鍛志会

『鍛試会』名称の由来

投稿日:2012年7月20日

同好会=鍛試会のホームページが完成したので、それに関連した話を一つ。

その前に、記事カテゴリに“鍛試会”を新たに加えたので、ご報告しておこう。
今後は鍛試会やその活動に関することはこのカテゴリに書いていくことになるだろう。
過去分の同好会関連の記事は、特に移動させずに、そのままにしておく。

では本題。

“鍛試会”の名称は、僕の父に関係している。
僕が小さい頃に両親が離婚したことは前に触れたと思うが、それで実父と別れたのは小学1年生の終わり頃だった。
父親が空手をやっていた影響で僕も空手に憧れを抱き、後に道場通いを始めたりするわけだが、父が本当に空手をやっていたのか、どれほどの腕前だったのか、は、正直判らなかった。

両親が離婚して1年ほど経った頃、小学3年生のとき、知らない女性が学校に訪ねてきたことがあった。
父親が再婚した女性で、僕に面会を求め、
「お父さんがあなたに会いたがってる。私たちと一緒に暮らさない?」
と申し出てきたのだった。
そのときの気持ちや経緯は省くが、ともかく僕はそれを断った。
それからしばらくして、父親が近くに引っ越してきて住んでいるらしいことを母親と義父が話しているのを聞いた。
そして、父親が僕と直接話をさせて欲しいと言ってきて義父やその家族と揉めたことがあったらしいのだが、僕は父と顔を合わせることは無かった。。
僕は、義父との間に確執があり、心の中では実父を慕う気持ちがあった。
(会いたい!)
と思っていたのだが、うまく言葉に出せなかった。

そしてまた何年か過ぎた頃…。
ある日、路上で父を見かけたことがあった。
「!!」
父は乳母車を押していた。
見間違いかとも思ったが、僕は心臓の鼓動が一気に高まって、そのとき一緒にいた友人に慌てて話し、つき合ってもらって、父の後をつけた。
すると父は、あるマンションに入って行った。
(ここに住んでるのか?)
僕の普段の行動圏内だ。こんな近くに…?
思わず追いかけて階段を駆け上がった。
エレベーターが上へ上へ行くのを各階で確かめながら。
エレベーターがどの階で止まるかをランプで見てからにしても良かったのだろうが、そのときの僕は部屋がどこなのかを確かめたかった。
当時のマンションに備え付けのエレベーターは昇降速度が遅かったので、急いで駆け上がれば追いつけると思ったのだ。

実際、追いついた。

5階か6階だったと思うが、エレベーターのドアが開き、中から父が乳母車を押して出てきた。
僕は鉢合わせしてしまって、驚いて友人と一緒に階段をバタバタと1階分ほど駆け下りてしまった。
父は僕だと気がつかなかったらしい。
父は視力が極端に悪く、視覚障害者なのである。
それから階段をまた上ったが、父はどこかの部屋に入った後だった。

そのマンションに父が住んでいたのかどうかはわからなかった。
誰かを訪ねて来たのかも知れないからだ。
いやそれよりも、本当に父であったのか…?

後で判ったことだが、結果、それは父だった。
父は再婚した女性とそのマンションに住んでいて、乳母車に乗っていたのは腹違いの弟だった。
弟は年齢が一回り下なので、そのときの僕は小学6年生だったことになる。
その後も僕は、気になって、そのマンションの近くを何度かうろうろした。
確か一度か二度、また父を見かけたことがあったと思うが、どこかへ行く様子だったので、後をつけるのははばかられた。
そして、その後はパッタリ見かけることが無くなったので、父はまたどこかへ引っ越したのだろうと思っていた。。

高校生のとき、家は豊中市に引っ越した。
高校卒業後に拳法を習うようになったとき、住んでいたのはこの豊中市の家だ。
卒業後、家庭内のごたごたがあり、それがきっかけで家を離れ、一人暮らしを始めた。
それまでにも家の中で一人暮らし同然の生活をしていたのだが、アパートを借りて住んだのは21~22歳のときだ。
暮らし始めたのは小・中学生時代を過ごした地域だ。
そこは義父の実家がある町でもあったのだが、その頃、義理の祖母とは仲が良かった。
ただ、慣れ親しんでいたはずの土地に戻ってみると、意外と友人たちとは会う機会が少ない。
そしてまた、しばらくして夜働くようになったので、なおさらだった。

休日のある日、近所の寂れた居酒屋に入った。
僕は酒を飲むときにはあまり食べないので、一人で居酒屋に行く習慣は無かったのだが、そしてその店はあまりにボロっちくて敬遠していたのだが、その日は何故かふと気が向いたのだった。
敬遠していた理由はもう一つある。
その店のそばには右翼活動をしている人の家があり、街宣車がいつも2~3台止まっていて、ガラの悪い連中もそのあたりでよくたむろしていた。
店はそういう連中が利用しているかも知れなかった。

入ってみると、休日の遅い時間だったこともあり、客は中年男性が一人だけ。
店内は、ボロいだけでなく、一体いつから掃除していないんだろうと思うほど汚く、何かわからない臭いニオイがしていた。
店をやっているのは40代くらいのママさん一人。
でもまぁ、、
せっかく入ったんだからと、ビールと一品か二品頼んで、黙々と飲み始めた。
ほどなく男性客が帰ったので、客は僕一人になった。
それからママと何となく世間話を始めたのだが、それが続く内、何となく自分の生い立ちを話し始めたら、ママの目が心なしか少し潤んできたように見えた。
(意外と人情家なのかな…)
なんて思いつつ話していると、突然、
「あんた、もしかして、ひでちゃんと違う?」
と言われた。
「えっ!?」
僕は驚いて、
「何で僕の名前を!?」
と尋ね返した。
するとママは、
「わかった…。もう解ったよ。私、あなたのお父さんのこと知ってるんよ。あなたのお父さんがね、いつもあなたのこと話してたよ」
と、事情を話してくれた。
父は、再婚した女性ともその後別れてしまって、前述のマンションを出たあとも近所に住んでいたらしい。
そしてこの居酒屋のママと一時つき合っていたそうなのだ。
まさか親父の元カノだったとは。。(^^;

…で、ママは親父と何年か暮らしていて、別れたが、電話で話したりする程度の繋がりはあるとのことで、早速その場で連絡をしてくれた。

--とまぁ、そんなことがあって、僕は父と再会することになったのだった。。

前置きが長くなった。
その後の親父とのことは長くなるので省くが、ともかく、親父と会い、弟も紹介されて、それでしばらくはつき合いがあった。

再会してまだ数回程度の頃、僕は子どもの頃から気になっていた空手のことを尋ねた。
「お前、空手に興味があるのか?」
「あるどころか、お父さんから空手の手ほどきを受けた記憶があったからね。道場に通っていたことだってあったよ。その後は中国拳法をやるようになったけどね…」
「そうか…」
聞くと、父は沖縄空手をやっていたそうで、一時は沖縄に住んでいたのだという。
最初に興味を持ったのは中学生のときで、佐賀か長崎の港で小舟を盗んで沖縄に行こうとしたこともあったらしい。
(いや、もちろん行けるはずないんだけどね…)
そして、沖縄時代の兄弟弟子たちと数人で空手の流派を立ち上げたのだという。
「えっ? 流派作ったの!?」
「そうや。タンシリュウと言うんや」
「タンシリュウ? どんな字?」
「“鍛魂流”と書くんや」
「えー? それだとタンコンリュウになるんとちゃうの?」
「細かいこと言うな。オレらがそう読んでるんやからええやないか!」
修行したのは剛柔流だったそうだ。
まー流派を作ったと言っても、数人で勝手に名乗っていただけだろう。
それに一体いつ沖縄に住んでいたのだろう?
「沖縄には本当の空手の猛者が幾らでも居ってな。オレの周りも大山倍達なんかいつでもやったる言うてる連中ばかりやったわさ!」
「…んー。まー言うのは幾らでも言えるけどねぇ…」
親父は、もうまともにやらなくなって久しいと言いながら、多少覚えているようなことをやって見せてくれた。
確かに、やっていたことはやっていたらしい。
しかし今思い返してみても、古流の沖縄空手のような感じはしない。
それでも、親父のことを知っている人たちからは、親父のことを、
「喧嘩が強くて乱暴者だった」
と聞いていたし、空手も喧嘩も、どれほどかはともかく、きっとそうだったのだろう。。

また親父はその当時、主に地上げ交渉の仕事をしていたのだが、親父の友人・知人からはそんなに評判の悪い男では無かった。
僕は、やくざまがいのことをしているのではと心配していたのだが、友人の中には、関西のそこそこ大きい電機メーカーの会長職の人や、大手パチンコ店の会長なども居た。
あとはその辺の中小企業や個人経営の社長やオーナー連中がチラホラ。
どうやらそういう連中からちょっとしたヨゴレ仕事を引き受けているらしかった。
おかげで金回りがいいらしく、家には手下が2~3人出入りしていて、仕事が無いときは毎日のように遊び歩いていた。
親父と再会するきっかけになった居酒屋付近の右翼連中も親父の仲間で、親父はその名刺も持っていた。

…何とたくましい。。

当時は親父のそういうガラの悪い側面が嫌だったのだが、身障者でありながら自分の身一つでやくざや右翼と対等に張り合って、いつの間にかカタギの世界の曲がりなりにも上に立っている連中と交友関係を築いていた親父。。
僕は、何度か父と喧嘩をしてしまい、行ったり行かなかったりで、そうこうしている内、僕が知らない間に胃がんで死んでしまっていた。
亡くなる数年前、ビルメンテの会社を興していて、弟はまだ学生だったから僕に委せようと探してくれていたらしい。

まーそんなこんなで、亡き父を偲んで…ってほどのものでもないが“鍛魂流”のことが頭にあった。
しかし、肉体どころか魂を鍛えるなんて言えるほど大したことは僕はやっていない。
それで、“魂”を“試”にしたわけだ。
いわゆる格下げ(笑)
でもこの方がちゃんと“シ”と読めるしね。。

ま、それが『鍛試会』名称の由来。。

※一部の文章を変更・削除しました。
※『鍛試会』は『鍛志会』と名称を改めました。
※『鍛志会』は、現在は同好会ではありません。
(2017/12/03)
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