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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

太極拳と筋力

投稿日:2007年7月30日

太極拳は筋力が要らないと言われている。
力を抜き去ることで、
“筋力ではない強い力”
---が、発揮されると考えられている。
そしてまた、それをそのまま信じている人も多いようだ。
しかし、
幾ら何でもまったく力が要らないはずがない。
そもそも筋力が要らない運動など無いのだ。

太極拳に限らず、武術では「力は要らない」ということがよく言われる。
ある面その通りだと思うが、それだけで完結できるかと言えば・・・だ。
どんな武術・格闘技でも、筋トレをやったり叩いて鍛えたりするのに、何故、太極拳だけ普通の人が普通の体力のまま強くなれて、老人になっても強さが衰えないと思うのだろう?
そこには、どこか間違った解釈が混ざっていないだろうか…!?

「力を抜く」ということだが。
例えば人は歩くとき、力を入れて歩こうと意識するわけではない。
けれど筋肉は確実に伸縮運動しているし、そこには力が働いている。
それ以外の日常的な動きについても、力を意識するわけではないが、やはり力は使っている。
その日常的な動きを支える筋力さえも衰えると、立ち上がるのにも
「どっこいしょ」
と声を出して息まなければならなくなり、歩く姿も崩れてきてしまう。
あまりにも一般的な、TVの健康番組のような話だ。
太極拳が人を殺傷し得る武術であるなら、そういう日常的な動きを支える程度の筋力で事足りるだろうか…?
また、力を抜く、いわゆる“脱力”は、力をどう使うかという一つの技術であって、基本的に筋肉量や筋力が左右するものではないと思う。
「筋肉は邪魔になる」とか「筋力が強いとできない」とか、そういったことは迷信だろう。
筋肉・筋力が脱力を阻害するという根拠があれば、それを知りたい。
そしてまた、力をとことん抜こうとするのは感覚的・観念的なことであって、本当にすべて抜けてしまったら、戦うどころか、人は立つことすらできない。
…まぁ、こんなことを脱力信者に言うと、どこまで抜くのかというミクロな単位での押し問答になってしまうのだけど、僕としては、
「余計な力みを取り去る」
という程度でいいと思うし、それが妥当な言葉の表現だと思っている。

ところで、少し前から一般の人の間でも古武術がブームになっているようだ。
生活上の動きだけでなく、特に介護に役立つとして注目されていて、筋力に頼らずに人を抱え起こす方法などがよく紹介されている。
この場合も、正確に言うなら、力が要らないのではなくて、力を上手に使うということになると思う。
今まで思いきり力を使わなければ出来なかったことが、驚くほど楽に出来るようになったりするので、感覚的には「力は要らない」「筋力に頼らなくても出来る」となるのだが、その方法を知ったからといって、子供が大人を抱え起こすのは難しいだろう。
自分の体力に応じて出来る上限があるということだ。
その上限をさらに上げようと思ったら、体力の基礎値を上げるしかない。
つまりは筋力ということになってくるだろう。

ただ、ここで言いたいのは、
「結局は筋力がものを言う」
という至極当たり前な現実ではない。
その当たり前なことを軽んじて、感覚的・観念的世界に甘んじてしまう危険性を説いているのだ。
さっきの子供と大人の例えだが、これを武術に置き換えた場合、もちろん、子供と大人が戦ったらどうなるかということではなくて、それくらいの体力差があったらどうなるかということだ。
基本的に圧倒的な力の差に打ち勝つのは困難だ。
何事にも理屈があると思う。
脱力ならば、脱力のメカニズムというものがあるはずで、それをよく考えて、どのように体を使うか工夫する努力をすべきで、どこまでも力を抜き去ればいいと信じるだけでは、結局は迷路にハマリ込むだけのような気がする。

また、武術にとって重要な力とは、いわゆる“火事場の馬鹿力”のような、通常考えられない力を発揮することで、そういう力をいかにして出すかを目指す一面もあるはずだ。
逆に忌むべき力とは、すでに述べたように、無駄に力むことであって、それは体の動きを阻害するし、居着きにも繋がる。
だから力を抜けと言われるのも当然のことだ。
僕も、きちんとそれが出来ているのかと言われれば、自信がない。
だがこういうことには終わりがない。
どこまでも習熟を目指すのはいいと思うが、それ一つに囚われていては武術の修練としてバランスのとれたものとは言えないだろう…。

ともかく、筋力はあるに越したことはない。
だが筋力に頼る動きになってしまうのは良くない。
そこは、僕が言うのも単純なパワー信仰ではないのだ。
しかし普通の人が普通の体力のまま、型を練り脱力に習熟すれば強くなれると信じている人には、このニュアンスがそもそも伝わらない。
話が通じた上で反対意見なのはいいが、ハナから話が通じないのは、まるで世間で騒がれるカルト教信者のようでさえある。

ところで。
太極拳を始めてから数年の間は、僕も太極拳は力が要らないと思っていた。
先生からもほぼそのような方向で教わっていた。
しかしある時期、先生方がとある先生に師事して新団体を創ろうとしていた頃から、外功的なトレーニングも行うようになった。
当然、今までからすれば逆のことであったため戸惑いも生じた。
ただ、それまでも、筋力を否定していいのかという迷いはあったので、半信半疑ながら受け容れてはいた。
何より、そのような戸惑いは先生たちも感じて通った道だろうと理解していたからだ。
兄弟弟子のK阪さんは、筋トレそのものには否定的では無かったが、太極拳でそれをやるということについては合点がいかない様子だった。
「今まで習ったことは何だったのか?」
---と。。
そしてその理屈を教わらないまま僕は道場を去ってしまったので、自分なりに整合性が取れてくるのは、ずっと後のことだ。
そのきっかけは喧嘩の経験だったりするのだが、それはまた別項で。

 

以下、コメント

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後になって気づくことってありますね

Posted by ああ at 2016年01月19日 01:47

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