中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

太極拳事情

投稿日:2009年6月1日

予定としては、2009年03月20日の記事『隣の芝生』の続きをアップしようと準備中なのだけど、ちょっとその前に…。

このところ筋肉の話や“脱力”の話が続いたが、つまるところ太極拳でどう戦えばいいのかが問題だ。
筋肉と脱力の関係については、最近は武術系雑誌でも、
「筋肉を鍛えると脱力ができないというのは迷信である」
という方向になってきているようだ。
確か『秘伝』だったと思うが、1~2年前の“筋肉を鍛えよう”というような特集の号で、そのようなことが書かれてあった。
まぁ、雑誌等で今までどういうスタンスだったのかはよく知らないが、中国武術や古武術の一部で、
「筋肉は邪魔になる」
という考えがあったのは確かだろう。
(ちなみに、『秘伝』は毎号買っているわけではない。他の武道雑誌や季刊のように出る中国武術雑誌なども含めて、本屋で手に取って、気が向いたら買うといった感じだ)

で、とりあえずここでは太極拳に話を絞るが、太極拳をやっている人たちの多くが何故、筋肉を否定し、脱力に拘るのか、大きな理由としては2つだと思う。
1つは、太極拳で理想とする、例えば“暖簾に腕押し”のようにいなして相手の自滅を誘うような戦い方には、筋力が必要ないと考えられていること。
もう1つは、体内での力の伝達には、一定以上の筋肉があると邪魔になると考えられていること、だろう。。
そして、そのために、力をとことん抜くことばかりを模索し、型(套路)や站椿で自己との対話をひたすら繰り返す。。

…まぁ、その方法を信じて修行に励んでいる人には、僕は何も言うことはない。
ただ、それをおかしいと感じている人、一定以上やっていても実感が得られず迷っている人、などに、ちょっと参考になればという思いで書いている。
それはやはり、僕自身が通ってきた道だから。

細かいことを言えば、僕が習っている流派では、太極拳だけではなく日本と中国の幾つかの武術を合わせてまとめ上げたような体系で行っているので、他派の太極拳をやっている人と同じ土俵上で話をすることはできない。
そして、
“気”の武術だとか、“発勁”云々、“用意不要力”諸々…なんて、今では客寄せパンダなくらいにしか捉えていない。
だから個人的には、実は、太極拳に特別執着しているわけではない。
しかしそれは太極拳をバカにしているのではなくて、みんなが惹かれているのは虚飾の部分で、核となるところは他の武術と特に変わらないと思っているだけだ。
そしてまた、
太極拳自身も、時代に合わせて変わっていかなければならないと思っている。
例えば、太極拳は(他の拳法もそうかも知れないけど)、戦前や、もしかしたら100年以上前の、中国人同士や、対他派(中国)拳法を想定した術理から出来上がっていて、そこから進化していないのでは?…と思ったりもする。
今では世界中のいろんな武術・格闘技が広まってきているのに…だ。
路上の喧嘩においても、現代人がどんな動きをするか(どんなことを仕掛けてくるか)は、大きく変わってきているだろう。
今なら素人でもボクシングやフルコン空手のように構えてジャブやローキックを放ってくることはままあるわけだし、昔ほど“ド素人”丸出しな人が多いわけではない。
それに対して、今まで書籍などで解説されてきたような用法がその通りに使えるだろうか…?
もしかしたら、隠された部分の理を用いれば、他の格闘技やあらゆるシチュエーションに対しても、対応可能なのかも知れないが、オープンな範囲のテクニックで考えた場合、どうだろうか…。
太極拳のオープンなテクニックと言えば、主に順歩突きをどう捌くかという用法と、推手くらいだろう?
あとは、多くの人たちが、解らないまま、真理に近づこうとして、型にこだわり、站椿や推手に励んで、“気”や“意念”や“呼吸”や“放鬆”(あるいは“脱力”)を追い求めている。。
これって真っ当な“武術”の姿なのだろうか。。
文化教室でヨガやストレッチやダンスと同列にやるのは、それでいいけれど。。

…で。。
今は情報も豊富だし、ネットで動画まで観られたりする。
“YouTube”にも太極拳の動画はたくさんある。
しかしほとんどは、あまり参考にならない套路、現実的でない用法、一方的に弟子(?)を翻弄して見せている推手…などだ。
酷いのになると、例えば双推手などで相手をハネ飛ばすとき、両腕を深く折り曲げて反動をつけていたりする。
「それって押してるやん!屈筋やん!まるまる力やん!」
と、お笑いバリにツッコミ入れたくなる。

何が“気”で、どこが“発勁”やねん。。(^◇^;)

まだそれなら、空手の解説等を観た方が参考になるのではないだろうか。
以下に紹介する動画は、正道会館の元館長、石井和義氏の解説。
周知のように脱税事件などの後、最近はあまりオモテに出てらっしゃらないようだ。
この人についても評価は色々あるだろうが、この動画に関しては、僕はなかなか説明も上手くて参考になると思った。
ただ、顔面禁止のフルコンルール上での組手テクニックなので、ツッコミどころもないわけではないのだけど、そこはそこなりに考えようもあるだろう。

続きや、他の動画も観たい人は、直接YouTubeで検索してもらいたい。
ご参考までに。

※YouTube動画を削除しました。閲覧できなくなっていたため。
(2017/12/02)

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

はじめまして。
実は、かなり前から興味深く読んでおりました。ケンカの話から始まって、どのように戦いのやり方を吸収するかと言う主題を真摯に追求されているようで非常に共感できるものがありました。私自身は台湾で武壇の武術を学んでいますが、まさに今回おっしゃられたこととまったく同じ事を感じていました。そしてまた、石井館長の動画ですが、私たちが型などから理論的に学習した内容を、自分の体を通して実戦的に体得されていることが感じられ驚いた記憶があります。
まさに言われているとおり、人間である以上は闘争の核となるべき技術に差異はありません。それなのに「伝説のOO拳」と言うパッケージだけに陶酔し優越感を持ち続けるのは健全な姿ではないと思います。
もちろん中国武術特有、武壇特有の優点はありますが、それはボクシングでも空手でもまったく同じです。

Posted by 東方異人 at 2009年06月05日 10:06

>> 東方異人さん

こんにちは。初めまして。
コメントをありがとうございます。

台湾に行って直接現地で修行されているのですか?
もうどれくらいやってらっしゃるのでしょう?
すごい熱意ですね。

武壇と言えば、松田さんの本をよく読んでた頃は、
「いつか習ってみたい」
とあこがれを抱いていたものです。

武壇系の武術をやっている団体は、今では日本にも幾つかあるようですね。
台湾に通いながら習っている人も多いんでしょうか?

> もちろん中国武術特有、武壇特有の優点はありますが、それはボクシングでも
> 空手でもまったく同じです。

まぁ、ボクシングは元より、空手も最近は競技色が強いですし、武術の原点に立ち返って考え比べてみれば、それら競技武道・格闘技も、実戦的にはどうかと思う点が無くはないです。
例えば、空手は顔面禁止だし、関節技や投げも禁止です。
ボクシングでも許可されていない攻撃が幾つもあります。
だから、普段慣れていないような攻撃をされると弱いと言われたりします。
しかし中国拳法をやっている人が、空手やボクシング相手にそういうことができるのか?…ということが問題です。。
武術は「何でもありだ」ということを盾に、競技武道や格闘技を軽んじる風潮がありますが、そう言いながら、型や推手以外に、ちゃんと体を動かす練習をしていなかったりする。
しかも体はひょろひょろ…。
そういう人たちが、強くなりたいという気持ちを根底に持ちながら幻想に甘んじている姿を見ると、今後はもっと違った考えの人たちが、新たな道を開いてもらいたいものだという願いを禁じ得ません。
残念ながら僕の時代は、今よりずっと情報が少なかったですし、また個人的な事情もあって、いろんなことに気づくのが遅くなってしまいました。
僕が書くことが、若い世代の人たちに一石を投じることができれば幸いに思っています。

これからもよろしくお願いします。

Posted by hide at 2009年06月05日 14:09

早速のお返事ありがとうございます。
だらだらとかれこれ長くやっております。
最近は自分の練習と、仲間との練習が主です。基本的に私の周りでは台湾の人たちは対打や応用にはまったくの無関心で、日本から来る友人と主にやっています。
ただし、拝師もしているし一門と切れたわけではありませんしそのつもりもないです。
やはり師は師、門は門、尊重すべき存在であることは変わりません。
周りで言えば、型しかやらなくてもひょろひょろの人はほとんどいません。中国武術は骨の中から外に膨張してくる不思議な効果があります。一見メタボですが、そういうのとはちがいます。
功力もみなそれなりにあります。
ただ攻防に関しては、言われたように100年も前の技術を踏襲しているだけと言う感じはあります。フェイントや連打などにはまったく免疫がありません。
ただし、否定するのではなくそこから発展すると言う姿勢が必要であると思っています。

Posted by 東方異人 at 2009年06月05日 17:07

>> 東方異人さん

ご返信をありがとうございます。

では今は台湾にいらっしゃるのですね。
長くやっているということは学生ではないでしょうし、武術のためにそちらに住んでいるのでしょうか?

> やはり師は師、門は門、尊重すべき存在であることは変わりません。

まぁ、それはそうですね。
人との繋がりや上下関係の礼儀を無視していてはこの世界で学ぶことはできませんし、武術以外でもごく当たり前のことです。

> 周りで言えば、型しかやらなくてもひょろひょろの人はほとんどいません。
> 中国武術は骨の中から外に膨張してくる不思議な効果があります。一見メタボ
> ですが、そういうのとはちがいます。

言いたいことは解ります。
型もきちんとやればそれなりにカラダが出来てくると思います。
そういうやり方もありますしね。
僕がブログの中で書いているのは、“脱力一辺倒”なやり方でひょろひょろのままでいるような人のことを言っているのですよ。

> ただし、否定するのではなくそこから発展すると言う姿勢が必要であると
> 思っています。

そこは僕も同じ考えです。

せっかく先人が積み重ねてきたものがあるのに全部壊す意味がありませんし、そんな気は僕もありません。
また、習ったことがベースになければ、今のように自流のことも他者のことも検証することはできませんでしたしね。
僕が言いたいことは、2007年04月05日の記事『文化・生活様式と格闘技術』の中でも書いていますが、
“兵は常に新たなるべし”
---ということです。
よかったらこの記事を読んでみて下さい。
http://doyotaichi.seesaa.net/article/37848166.html

Posted by hide at 2009年06月06日 02:32

hideさんこんにちは。

<太極拳でどう戦うかが問題・・>とありましたが僕はそれ以前に<太極拳でどう戦うか判りづらい>という部分に問題があると思っています。

ボクシングは元々型などありませんが、基本のパンチを(ジャブやストレート等)ミット打ちやサンドバック打ちなどで徹底的に体に染み込ませますよね?だから何も考えずとも様々なシチュエーションの攻防でスムーズに体が動くんだと思います。

でも・・・僕が学んだ太極拳を客観的に見たときにそういう部分があまりにも足りないのじゃないのかな?って思うんです。
僕が感じる問題点をあげると・・

・型の中に明確な自ら仕掛ける突きのパターンが極端に少ない。(もしかしたら防御についても同じことが言えるかもしれません)

・ボクシングや空手のように基本の攻防練習が無い。

・打撃力を増す練習が無い。

上記のことは僕個人が感じたことですので断言はできません。

ただ、僕の仲間とちょっと自由組み手をしたときに仲間の1人が『どうしたらいいかわからないです(T_T)』と言ったことがあるんです。
そのことが僕が上記に挙げた問題点と重なるかは判りませんが、太極拳自体にこの様な問題点があるのは間違いないような気がしています。

もちろん個人の理解力や拳歴にも左右されるとは思います。

でも、本当に何も拳歴も無いような人が王樹金系の太極拳だけを練習して、格闘技経験者や街の好戦的な人間を相手にして制することができるのか?
もっと言うと最低限自分の体を守れるのか?

はっきり言って疑問です(?_?)。

※hideさんのお陰もありフリーメールアドレスを取得したので記入させて頂きました。

Posted by がみ at 2009年06月07日 23:39

>> がみさん

こんにちは。コメントをありがとうございます。

> <太極拳でどう戦うかが問題・・>とありましたが僕はそれ以前に<太極拳でどう > 戦うか判りづらい>という部分に問題があると思っています。

まさにその通りですね。
僕自身も今までの記事の中で「どう戦えばいいのかわからなかった」と何度か書いていますが、結局、昔ながらの、回りくどいことから少しずつ小出しに教えるという、特に中国武術に顕著な悪しき慣習があると思います。
単純でつまらない練習をさせて人を見るとか、実はそれが大事なことに繋がっているとか、色々理屈はつけられますが、1年なら1年、3年なら3年なりのことが身につかなければ意味がありません。
これは言い過ぎかも知れませんが、「中国人は金に汚い」と言われることや「騙される方が悪い」という考え方にも繋がる気がしてしまいます。
もちろん、多くの指導者がそんな風に悪意を持っているわけではないと思いますが、簡単には伝えられないということと相まって慣習化しているところがあるのも事実だと思います。

> ボクシングは元々型などありませんが、基本のパンチを(ジャブやストレート
> 等)ミット打ちやサンドバック打ちなどで徹底的に体に染み込ませますよね?

そうですね。
ボクシングと同系の技は太極拳の中にもあるんですが、最初からそうと教えてもらえないし、単純な突き蹴りをたくさん反復することもありません。
それで型通りの分解用法を練習しても、なかなか使えるようにならないのは当然だと思います。

> ・型の中に明確な自ら仕掛ける突きのパターンが極端に少ない。(もしかしたら
> 防御についても同じことが言えるかもしれません)

自ら仕掛けるパターンというのは、太極拳に限らず、型の中には存在しないのではないでしょうか。
しかしそれは、仕掛けることができないのではなくて、いかに難しいかでしょう。

試合等では、攻撃はいきなりガツンではなく牽制のようなことをして突破口を開くのが一応のセオリーです。
例えばボクシングでは、ジャブを繰り返して、相手の隙を窺ってワンツー、チャンスと見ればストレート、連打、というように…。
しかし実戦では、ゴングが鳴ったり、お互いに準備して「始め!」ではないので、いきなりガツンの方が大事だったりします。

太極拳的には、相手のどこかに触れに行く感覚で、当てられるならそのまま当て、反応によっては崩しと攻撃を同時に行う、ということになっています。
つまり攻防をほぼ同時に行うわけなので、「防御→攻撃」も「仕掛け→攻撃」も、あるいは「攻撃」も、ニアリイコール…ということでしょう。
まぁ、理屈としてカッコイイですが、簡単ではありませんね…。
いずれにせよ、組手テクニックのようなものも含めて、自ら仕掛ける練習もしておかないとダメだと思います。

> ・ボクシングや空手のように基本の攻防練習が無い。

そうですね…。
無いというより、あまりしないということですね。
また、推手や散手がそれに代わるものとされていますが、中国拳法特有の“搭手”(お互いに手を触れ合ったかたち)からの攻防は現実的ではない気がしますし、他の格闘技を想定した練習もしておかないと。。
まぁ、太極拳の場合、型の中ではほとんどが掌で、蹴りはあまり重視していないという理屈がありますが、本当にその通りかは疑問ですしね。
ちなみに太極拳は“拳”と付くのに掌が中心なのは何故かというのがありますが、ウチの流派的には拳の用法を内包しているからと伝えられています。

> ・打撃力を増す練習が無い。

上記のこととも重なりますが、攻撃技を反復練習し、まずその動きを染み込ませてスピードをつけることが大事だと思います。
それをあまりしないことがまず打撃力にも影響するでしょう。
そして巻き藁やミットやサンドバッグに相当するような練習もあまりしませんし、筋トレも否定的な考えが多数派になっています。
型と呼吸法を繰り返して何年も何十年も経って習熟すれば、強大な威力が出せるようになって、歳をとっても衰えない、と考えてる人が多いですからね。。(^_^;)
流派や指導者によるのでしょうけど…。。

> でも、本当に何も拳歴も無いような人が王樹金系の太極拳だけを練習して、
> 格闘技経験者や街の好戦的な人間を相手にして制することができるのか?

まぁ…僕は、陳伴嶺・王樹金系の太極拳はよく出来ていると思っています。
しかし、回りくどい段階を踏んだ教授方法や、やらなければならない練習をお座なりにしているようなところに問題があるのです。
どんなことにも素質はありますが、それでも、3年続けた人が素人とは段違いのことができるようでなければ、やり方が間違っていると思いますね。。

フリーメールの件、ありがとうございます。
オフレコの話などがある場合は、メールでも結構です。

Posted by hide at 2009年06月08日 04:16

hideさん ご返事有難う御座います。

太極拳の指導体系や決して少なくは無い指導者達の陋習など王樹金系の太極拳をとりまく環境は全くをもってhideさんの言うとおりだと思います。

hideさんは<太極拳10年門を出ず>という言葉をご存知でしょうか?
一般的には太極拳の高度な戦闘のスタイルを身につけるまでにとても長い期間が必要ということでこの世界にまかり通っているのですが、僕の考えから言えばいつもまでもシステム化する気のない練習・指導体系にあぐらをかいているだけだろっ!!<(`^´)>って感じですね。
もう少し穿った言い方をすれば『成果が出るのは10年かもしれないし20年かもしれない・・・でもとにかく無心で先生についてきなさい』ともとれるから恐ろしいです。
でも、これに似た感覚が中国武術界に大きな範囲で広がっているような気がしています。
この感覚があるかぎり中国武術はいつまでたっても<使えない>といわれ続けるでしょうね。

ところで、僕には儚い望みがあります。
僕はよく中国武術を比較するときボクシングを引き合いに出すのですが、ボクシングは全国各地どこのジムに行っても一応のボクシング技術は学ぶことが出来ると思っています。
なので、王樹金系の武術も秘伝とか口伝等無しにそうなってくれれば良いと思うんです(^_^)。

>ちなみに太極拳は“拳”と付くのに掌が中心なのは
>何故かというのがありますが、ウチの流派的には拳
>の用法を内包しているからと伝えられています。
と書いてあるのを見てちょっとドキッとしました。
実は仲間の1人に『太極拳って本当は掌じゃなくて拳を使うんじゃないの?』って考えている男がいるんです。
・・・もし同じ意味で重なる言葉であればとても重要なポイントですね。

Posted by がみ at 2009年06月10日 23:37

>> がみさんご返信をありがとうございます。

> 太極拳の指導体系や決して少なくは無い指導者達の陋習など王樹金系の太極拳を
> とりまく環境は全くをもってhideさんの言うとおりだと思います。

…まぁ、王樹金系に限らないでしょうけれどね。。
代表的な金兵衛先生のところや地曳さんのところは、昔からの教え方を守りながら指導してらっしゃるのでしょうし、どの段階でどれだけ教えてもらえるかが問題なのだろうと思います。
昔のことを言えば、内容的には、それまでに習った空手よりも奥深い理論や実戦的なことを教わったとは思っていますが、本当に実戦を想定した役立つ練習をしていたかと言えば、そうと言えない部分も多い気がします。

> hideさんは<太極拳10年門を出ず>という言葉をご存知でしょうか?
(※以下略)

『太極十年不出門』ですね。
まぁ確かに、どんな技芸も、一人前になるにはそれなりの年季が必要だとは思いますが、ひとまずどう戦うかもあまり教えてもらえずに年月が過ぎるというのは納得できませんよね…。
結局、昔からある回りくどい教授法というのは、極端な言い方をすれば、長く金を取るための方便でしかない気がします。

> 僕はよく中国武術を比較するときボクシングを引き合いに出すのですが、ボク
> シングは全国各地どこのジムに行っても一応のボクシング技術は学ぶことが
> 出来ると思っています。
> なので、王樹金系の武術も秘伝とか口伝等無しにそうなってくれれば良いと
> 思うんです(^_^)。

そうなればいいですね…。この世界では難しいでしょうけど。。(^_^;)
ただ、口伝などは、中には他の武道・格闘技や、下手すると一般スポーツなどで普通に行われているようなことも含まれますから、そういうことはもったいぶって秘すべきではないと思います。
その上で、オープンな範囲のテクニックで充分に空手やボクシングと張り合えるものでなければ、武術としての太極拳は衰退していくだけじゃないでしょうか。
でもまぁ…。
僕は今やっているこの太極拳が好きだけど、形意拳や八卦掌がミックスされているというだけでなく、ウチでは他の拳法も併習していますし、太極拳はこうでなければというものもありません。
だから太極拳全体の行く末などはどうでもいいんですけどね。。(^_^;)

> 実は仲間の1人に『太極拳って本当は掌じゃなくて拳を使うんじゃないの?』
> って考えている男がいるんです。
> ・・・もし同じ意味で重なる言葉であればとても重要なポイントですね。

逆に言えば、“太極掌”じゃなく“太極拳”なのに、そこを考えてみないというのもおかしなものです。
掌には掌の利点もありますし、套路上で掌が中心になっていることにも意味があると思いますが、技法を拳に置き換えて考えてみると、空手やボクシングのようなテクニックを含むことがよく感じ取れると思います。
ただ、僕が教わったように、本当に何代も前から「本当は拳なんだ」と伝えられてきたのかどうかはわかりません。
余所でもそうだと思いますが、基本、
「自分は師匠からそう教わった」
ということでしかないと思いますので。
あとはその説明がどのようになされていたかによって納得する以外、推測して思うしかないですからね。

Posted by hide at 2009年06月11日 14:40

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