声優の「田中一成(たなか かずなり)」君が亡くなった。
彼は僕の元兄弟弟子で、当ブログの中でも「T中くん」として登場していたのだが、追悼の意を表して、故人の思い出を語っておこうと、名前を出すことにした。
◆ニュース記事(2016-10-11)
声優の田中一成さんが脳幹出血で死去 49歳 『ハイキュー!!』『ぬ~べ~』などに出演
彼が亡くなったことはニュースの1、2日後に知ったのだが、前回まであんな記事を書いていたので、この件を途中に挟みたくなくて、全部が済んでから書こうと思い、留保していた。田中君のことを思い出しながら、頭の中で整理しつつ。
過去、田中君が出て来る記事は、以下の三つ。
◆「T中くん」に触れている当ブログ記事
一時復帰とその後(2009年07月26日)
若い頃の話の続き(2012年10月23日)
兄弟弟子たちの本音(2012年10月24日)
(※これ以外の記事で出て来る「T中」は、別人)
実のところ田中君とは、昔、ほんの数ヶ月のあいだ一緒に稽古しただけで、それ以上は特に親しくしたわけではない。
田中君のことを僕が親しみを感じて憶えていたのは、彼が、僕にとって馴染みのある北新地の、古い料亭の息子だったこと、そして愛嬌のある雰囲気の子だったことからだ。
けれどずいぶん昔のことだ。
T先生と再会後に彼の噂を耳にして一度連絡を取ってみようと思っていたのだが、もし連絡したとしても、彼は僕のことをすぐにはわからなかっただろうと思う。
当時を振り返ろう。
T先生のところに一時復帰させてもらった20代半ばの頃、たった一人の兄弟弟子として、入門半年ほどの田中君が、そこに居た。
田中君はT先生が教員をしていた高校の卒業生で、高校生の時、T先生が武術をやっていると聞いて、友達と数人で組手を挑んだことがあったのだそうだ。
と言っても、たぶんふざけてお遊び程度にやっただけだと思うが……。
確かそのときのメンバーの何人か、あるいは全員が、少しは何らかの武道経験があると言っていた。田中君は柔道をやっていたらしい。
しかしT先生に軽くあしらわれて、中国拳法に興味を持ったのだそうだ。
これは当時、田中君自身に聞いた話だ。
そしてまた田中君は、専門学校生だったと記憶していたのだが、実は大学生で、あとで調べてみたら、大阪芸術大学の出身だった。
ちなみに僕は今、その近くに住んでいるのだが、数年前に僕が飲みに行っていた飲み屋でアルバイトをしていた女の子が芸大生で、その子が声優を目指していると言うので、田中君の名を出したら、「あーっ、知ってます!」と言って驚いていた。
田中君は売れっ子声優というわけでは無かったし、年齢も上がっていたので、20歳くらいの女の子が彼のことを知っているとは、相当ディープなアニメファンだなー、と笑った。
それから、これも後で調べたことだが、田中君は「青二プロ」という声優プロダクションの養成所にも通っていたらしい。
このことを昔、「専門学校に通っている」という風に言っていたのかも知れない。
そしてその後、田中君は、青二プロに入った。
さらについでだが、青二プロと言えば、僕の母が、やはり北新地で飲み屋をやっていたのだが、柴田秀勝さん(『タイガーマスク』の“ミスターX”や『デビルマン』の“魔王ゼノン”など)、増山江威子さん(『キューティーハニー』の“如月ハニー”や『ルパン三世』の“峰不二子”など)を始めとする青二プロの声優さんが、仕事で大阪に来た際に飲みに来て下さっていたそうだ。
店を畳んでしばらくしてからその話を聞いて、母から声優の名前が出たときはちょっと驚いた。人の繋がりって面白いもんだ……。
田中君と稽古していた頃は、このブログで書いている「力の鍛錬」のサワリをやっていた。
当時の彼は、背は僕よりほんの少し低い程度だが、ころっとした感じに太っていて、僕からすれば力が強そうに見えたが、鍛錬ではどうにか僕の方が優位を保っていた。
「hideさんは細いのに、内側からぐーっと力が出て来る感じがしますね」
するとT先生が横から、
「まあ、きみよりキャリアが長い分、力の使い方を知ってるからなぁ」
などと言っていたのを憶えている。
この頃の鍛錬は、まだまだ入門程度。回数も一つの動作を30~50回程度だったので、後からすれば可愛いものだった。
そして稽古帰りに、新御堂筋という高速道路のような国道の下の空き地で、太極拳の型の続きを教えたことも何度かあった。
「半年もやっていてまだそんなところまでしか覚えていないの?」
「はい。遅い……でしょうかねぇ?」
「うーん。まあ、僕らは2ヶ月ちょっとで全部覚えたからねぇ。でも、ちょっとでも技を使えるようになりたかったら、型くらいは早く覚えた方がいいね」
――というような会話をしつつ。
ただ、この頃には型を覚えることが前ほど稽古の中心では無くなってきていたので、田中君があまり進んでいなかったのもしょうがない面もあった。
僕は、前に兄弟弟子たちと道場の稽古日以外にも会って稽古できたことが楽しかったから、田中君にもそう勧めて、「よかったら連絡して来て」と言った。
けれど、それからしばらくすると田中君はT先生のところに来る日が減って、結局、しばらく休むことになってしまった。
僕は、避けられているのかなあ、という気にもなっていたのだけど、後になって思えば、大学と養成所のかけ持ちだったのなら、道場に来られなくなったのも頷ける。
田中君と一緒に稽古した思い出はこの程度なのだけど、それから十年以上も経ってT先生と再会してから、昔の兄弟弟子の話が出て、田中君の話も出た。
「そういば僕が一時復帰したときに田中君という、先生が勤めていた高校の教え子だという子が来ていたでしょう。あの子はしばらく休むとかで来なくなりましたが、あれきりだったんですか?」
「いや。あれからしばらくして戻ってきたよ。それで2年くらいはやってたんやないかな?」
「へー。戻ってきたんですね。てっきりそのままやめたのかと思ってましたよ」
このときT先生が年数を2年と言ったのか3年と言ったのかよく覚えていないのだが、それ以上長くはやっていなかったと思う。
でも、あのままやめたのではなかったと聞いて、ちょっと嬉しかった。
「あとは東京に行ってしもうたからね。彼は今、アニメ関係の仕事やってるわ」
「えっ、アニメですか?」
「うん、そう。前に会うてた頃にそんな話せんかったかな?」
「いいえ。知りませんでした」
僕は驚いた。僕だって漫画家になりたかったし、アニメだって嫌いじゃなかったから、そんなことならもっと色々話せたのに、と、残念に思った。
「絵を描く仕事なんですか?」
「いや、声優やねん」
「へぇ。じゃあアニメ声優なんですね。芸名とかあるんですか? それとも本名のままで?」
「本名やろ。『田中一成』やけど、わかる?」
「いえ、知りません。あとで調べてみます」
そして帰って早速、検索。
何と、ウィキペディアにも載っているではないか。
次の稽古のとき。
「先生、田中君のこと調べましたよ。売れっ子というほどではないみたいですけど、結構色々出てますね。名の知れた漫画原作のアニメにも出ていますし、主要キャラクターに声を当てているのも幾つかあります。主役をやっているのもありましたよ!」
「へぇー。僕はよく知らんのやけど、少年ジャンプでやってた“ぬーべー”とかいう漫画のアニメに、割といい役で出てるって話は聞いてたんやけど」
「ああ、それです、漫画原作のアニメ」
『地獄先生ぬ~べ~』は、連載開始当初は、僕がまだ少年ジャンプをギリギリ買って読んでいた頃で、それも読んだり読まなかったりだったので、作品に対する思い入れはほとんど無い。そしてアニメの方は観ていなかった。
だから田中君がやっていた役もわからなかったのだが、T先生によると「アニメが好きで声優になった」という田中君が、自分の夢を叶えて、それなりに活躍しているのを知って、陰ながら応援したい気持ちになった。
「最近では、ちょっと前に“コードギアス”というのがありましてね」
「うーん。知らんわ」
「サンライズのロボット物ですよ。ロボットはあまり主じゃないんですけどね、これは僕も見てました。この中の、脇役ですが割とよく出て来るキャラを田中君が当ててました。番組ラジオのパーソナリティなんかもやってたみたいですよ」
「へー。思ったより活躍してるんやなぁ」
T先生もガンダムを見ていた世代なので、「サンライズ」というアニメ制作会社の名は知っている。
それから田中君のHPがあったので、そこを見に行った話もした。
趣味・特技の欄に「柔道初段 中国拳法」と書いてあって、ちょっと嬉しかったので、一度メールでもしてみようかと思っている、等々……。
ただ、ちょっと残念に思ったこともあった。
彼が『コードギアス 反逆のルルーシュ』でやっていた役は、ちょっとダミ声っぽく声を作っていたのだが、もちろんそれは役作りだからいい。
「ふぅん。田中君てこんな声だったっけか」
と思う程度だったが、その後、青二プロの彼のプロフィールページにサンプルボイスがあって、聞いてみたら、なかなかいい声だった。
まあ心持ちハスキーな感じの声ではあるが、ダミ声ではない。
(※サンプルボイスは、この記事を書いている時点で現在も残っているのを確認したが、僕が十年くらい前に聞いたものと同じかどうかはわからない)
そのときすでに40歳近かったから、年齢的に今からは難しいかも知れないけれど、若い時期にいい役をもっとバンバンもらえなかったのかなぁ、と……。
つまり、もったいないという意味で。
そんな話を一通りすると、T先生。
「まー、声優って(競争が)難しいんやろな。何年か前に東京に行くことがあって、連絡して田中君のところに泊めてもらったことがあるんやけど、声優の仕事だけでは食われへんて言うてたわ」
「へー。田中君、どう食いつないでたんですか?」
これもよく憶えていないが、アルバイトをしているんだったかな。あと、生活費は奥さんの方にかなり頼っているとかいう話だった。
「そうなんですか。実家はお金ありそうなのに……」
と、好き勝手な噂話。
もちろんこれは昔の話だから、その後はちゃんと稼ぐようになったのかも知れない。
「しかし先生、結婚してる夫婦の狭い家に泊めてもらったんですか?」
僕は笑いながら尋ねた。このとき、マンション住まいを想像してこう尋ねたのだけど、本当にマンション住まいだったかどうかは思い出せない。もしかしたら奥さんの実家とか、一軒家だったのかも知れない。
が、いずれにしても、一部屋余ってるとかでも無い限り、僕ならちょっと泊めてもらいにくいなぁ、と、思ってしまった。
「……うん、まあ。で、お礼に武道のマッサージを教えてあげたよ」
と、T先生。
「マッサージ……」
ウチにはエロ系の技もあると聞いていたので、僕はふとそれを思い浮かべた。
「まー、さすがに僕が奥さんにやるわけにはいかんから、田中君にやってあげて、それを同じように奥さんにやってみ言うてやらせて、そうそう、てな感じでね」
「そらそうでしょ!」
もちろん、これは疲れを癒やすマッサージで、エロ技を教えたわけでは無かったのだが……。
その後は、田中君のことを「やってるかなあ?」と、たまにチェックしていた。
長らく見ないでいるとき、ふとアニメのエンディングのテロップなどで名前を見かけると、「おお、出てる!」と勝手に喜んでいた。
短い一言二言程度の役だったら気づかないこともあるが、似た声を聞くと「もしや?」と積極的にテロップを確認することもあった。
そして、そんなときはまたウィキペディアを見て、「最近は何をやってるんだろう?」と調べてみたり……。
結局、僕が田中君に連絡をしなかったのは、まあ、それほど親しかったわけじゃないからというのもあるけど、今までの記事でも幾らか触れたように、T先生との軋轢があったからだった。
田中君との縁もT先生を介してのものだったわけだし。
……まあ、T先生とのことはいずれまた。
ちなみに、僕は今でもアニメをよく観ている。
と言っても、見るようになったのは2000年代後半以降で、過去の人気作で言えば、例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』は放送時ではなく、だいぶ経ってからレンタルで見たし、『けいおん!』などもそうだった。
最初は、たまたま目についた作品を、観たり観なかったりだったが、そのうち欠かさず観るような作品が一つ二つあるようになってきて、今ではかなりの本数を観ている。
それまでは、漫画家になりたい気持ちがうやむやになった頃から漫画もあまり読まなくなっていたのだが、TVアニメはそれよりも早く、最初のガンダム以降は面白いと思う作品に出会うことが減ってしまい、あまり観なくなってしまった。
特に80年代後半から90年代のアニメは、ツンツン尖った線が目立つ絵柄が多く、それが好みでは無かったこと、コントラストの強い(陰が濃い)表現やオレンジ色がきつい配色などが嫌いだったこと、規制により血が光になったり、内容的にもいいものがあまり無い気がして、観なくなってしまった。
さらに言えば、一般の歌手の楽曲が採用され始めて、その曲自体はいい曲でも作品の世界観と合っていないと思えることがままあったし、声優が大幅に代替わりしてアイドル声優と呼ばれる人たちが出始めたが、その頃の若手声優の声に馴染めなかったこと、なども、観なくなった要因だった。
そんな時期に田中君がデビューしていたとはつゆ知らず。
深夜アニメをきっかけに最近のアニメを観るようになった頃は、作画の質が段違いになっていることにも驚いたが、今の声優さんたちの上手さにも驚いた。
田中君は、アニメでは役をもらうことが少なかったようだが、長らくその業界で活躍し続け、洋画の吹き替えやナレーションの仕事などもやるようになっていたので、彼もまた、実力のある声優の一人だったと思う。
数年前から僕は、漫画もまたよく読むようになった。
今さらではあるけれど、創作に対する意欲が戻ってきて、何かを残したいという気持ちが湧いてきたのだ。
それで、勉強や探求の意味も含めて、もちろん作品を楽しむのも込みで、改めて、漫画を読んでいる。
田中君は、例えメインキャラは少なくても、たくさんの仕事をこの世に残していて、とてもうらやましい。
武術に関しては、田中君は年数が浅いためそんなに色々は知らないようで、T先生によると、力の鍛錬も本格的なところまではやらせていなかったらしい。
でもプロフィールに「中国拳法」と書くくらいだから、好きな気持ちは残っていたのだろう。
もしそうだったら、もちろん彼が僕を憶えていて歓迎してくれたならだが、そのうち兄弟子面して、シブチンのT先生が教えなかったことを、ちょっくら僕がフォローがてら親切に教えてやろうか、なんてことも考えていた。
そして最近は、T先生とも切れたし、その後S先生とも袂を分かって、一人になったけど、漫画やアニメは好きなので、とりあえずアマチュアの電子書籍でもいいから、そして必ずしも漫画でなくてもいいから(例えば小説とか、武術に関するものとか)、何か本を一冊書き上げたら、一度メールでもしてみようかと思っていた。
ネット上での発表や電子書籍などに着目して、そんなことを思っていたのもつい最近のこと。
そんな矢先、亡くなってしまうとは……。
まだ若く、僕より年下なのに、残念。
田中君の訃報が流れた後、ネット上では彼の死を悼む声がたくさん流れた。
僕が思っていたよりもずっと彼は、認知度も人気も高かったらしい。
田中君、安らかに……。
ご冥福をお祈り致します。