僕が入門したのは、先生が道場を始めて間もない頃で、半年ほど先に入門していた2人以外は、ほとんど僕と数週間程度の違いで入った人たちばかりだった。
2人のあとに間が空いていたのは、たぶん入ってもすぐにやめていったからだろう。
見学に訪れた日、僕の身勝手な要望で、それまで週1回だった練習日が2回になり、数人が新しい曜日にも来ることになった。
(※『道場見学の日の思い出』参照)
しかし僕は僕で、その後ほどなくバイト先を変えたので、結局どちらの曜日にも通えるようになったのだが、先生は週イチに戻すことなく続けてくれていた。
(確か、だいぶ経ってから先生の都合でまた週イチになったと思うけど…)
最初、どういう経緯でだったかは忘れてしまったが、一番弟子のT君のところに、週末、同時期に入った数人でお邪魔して型の続きを教わるようになったため、太極拳九十九勢を2ヶ月ちょっとで覚えることができた。
そして道場でいつも見る面子が落ち着いて来た頃、ほとんど休まず来る主なメンバーは大体6人で、半年、一年と経つうち4人になった。
他の入門者は、入ってはやめ、入れ替わり立ち替わりめまぐるしかった。
人数的には常時10人前後で、瞬間的には20人を越えるほど増えたこともあった。
しかし、早い人だと1ヶ月もしない内にやめていった。
察するに、根気云々の問題だけではなかったのかも知れない。
当時は中国武術ブームの走りで松田さん全盛の頃。
少なくとも松田さんの本で紹介されているものとは異質だったし、
「こんなの自分が求めていたのとは違う!」
なんて思った人も、居たのかも…。
まー僕も本でしか知らなかった頃は、金兵衛先生の本はあまり読み返すことも無く本棚にしまい込んだままだったし、とりあえず今の流派で学びながらも、
「機会があれば松田さんが書いているようなものもいつか学んでみたい」
という気持ちはあった。
ただ、せっかく来たのに何も身につけずにやめるのは嫌だった。
習い始めてまず思ったことは、先生がきちんと理屈で説明してくれて、それが新鮮に感じられたこと。
僕は梶原漫画+松田本くらいの知識しか持っていなかったし、松田さんの本なんて、知識と言っても謎だらけ。
そして、こうして実際に習うようになったとき、空手の頃には考えもしなかった技の理由を教えてもらって、その一つ一つが面白かった。
また、先生は年齢が僕と近くてまだ若かったし、さすがに名人・達人とは思わなかったが、少なくとも武道や格闘技に関することは僕らの知らないことをたくさん知っていたし、技も上手かったので、
「どうやってこんな風になれたんだろう?」
と、不思議に思っていた。
だから、先生を通して、先生が学んだものに対する興味が増した。
太極拳を始めてから先生によく言われたのは、
「空手の癖が出ている」
ということだった。
だからその頃は、ひとまず空手から離れることが僕の課題になった。
空手という意味では、僕より2~3週先に入っていたK阪さんもそうだったが、僕の方が空手の癖を注意されることが多かった気がする。
K阪さんもかなり動きが空手×2しているように見えるのに、どう違うのかが解らなかった。
考えてみれば先生からは、あまり褒められた記憶がない。
後に先生のところを離れて、一度出戻り、それから10年以上経って再会するのだが、その再会したとき、
「あの頃、先生から見て僕らはそれぞれどんな感じでしたか?」
と尋ねたことがあった。
その中で僕の評価は“可もなく不可もなく”だった。
まぁ、でも、
普通ならがっかりしてしまいそうなこの言葉は、僕にとっては何となく嬉しかった。
ひょっとしたら、もっと低いかと思った。
褒められたことはあまり無かったけど、出来ていなかったわけでもなかったんだ、と思った。
我ながらなかなかポジティブ。(´ー`)
それと、青臭い歳の頃までは、何でもすぐできる方のつもりだったから、あまり考えるというところが無かった。
先生も若かったから、僕のそんなところを解らせようと意図したとは思えないが、結果的には、認められたくて色々考えるようになったのは確かだ。
…で。
話を少し戻すが、空手の癖と慣れない太極拳に、動きはぎくしゃく。
まぁ、空手の癖が無くても同時期に入った者はみんな、慣れない動きに戸惑っていた。
帰りに兄弟弟子たちと、
「これが使えるようになったら、そこいらの他の武道や格闘技より強くなれそうやけど、どれくらいかかるんやろうなぁ?」
なんて話をしたものだった。
僕としては、技を説明するとき先生は直にやってみせてくれるわけだし、少なくとも、年の近い先生がそこまで使えるようになったのだから、僕らだってそれに近づいていくことは可能なはずだと考えた。
それが本当に他の武技に対しても優位性のあるものかどうかはわからなかったが、それまでに多少でも経験したことのある柔道や空手よりは可能性が大きいように思えた。
そして、そのために必要なことは、体をどう使うかということだった。
厳密な姿勢要求を満たし、力を抜いて演武ができるようになった上で、どうやって防御するのか、どうやって強い威力を出すのか、それらを考えたとき、何やらコツがあるらしい。
型が上手くなれば自然とそうなるというだけではない、体の使い方や威力の出し方のための方法やコツ。
それが口伝というものだった。
一番弟子のT君は、時々先生に呼ばれて、みんなから見えないところで何かを先に教わったりする。
それが何なのか気になってしょーがなかった。
口伝を得ながら3年4年と経てば、その頃にはだいぶ強くなっているはずだと思った。
まーそんな感じで、ハマりつつ励んでいた。