中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

殴り方の一つも

投稿日:2011年12月13日

またしばらく空いてしまったのだけど、このブログを更新しないままでいるのは本望ではないので、少し何か書いておこうと思う。

6月にメールフォームを再設置したが、その後何通かのメールをいただいた。
みなさん“ですます調”の文体で送ってきてくれていて、言葉遣いなどで不愉快に思うことはあまり無かったのだが、中には、何が言いたいのかわからなかったり、お話にならなかったりするような内容もチラホラ。。
まぁ、その辺は置いて、ある人に返信した内容の一部を、ちょっと整理してここにもアップしておこうと思う。

その前に、そのある人について。
その人は色々な武術を学んできているのだが、その人なりの事情はあるにせよ、どうも武術の核心的な部分というか、根幹的なことに少しもたどり着けないまま、あちこち渡り歩いている気がしてしまう。
いやそれどころか、根本的なことが解っていないと、僕には思えるのだが。。

僕がまだT先生と決裂せずにS先生の道場にお邪魔していた頃、S先生のお弟子さんの一人であるSくんのところに習いに来た人が居て、その人もあちこち遍歴があり、名だたる古武術流派や中国武術の道場・教室を渡り歩いてきたそうなのだが、
「どこに行っても型ばかり教えられて強くなれる気がしない」
と、また色々探す内、Sくんのところにもたどり着いたらしい。
今もSくんに習い続けているのかどうかは知らないが、ともかく、有名どころの流派名に釣られて行ったが指導者が大したことないなんてことはよくあるにせよ、何か一つを一定以上身につけないまま色々渡り歩いても、初歩や型などを繰り返すばかりになってしまうのは当然だと思う。

そしてまた、僕にメールをくれた人の場合も、多少長くやったものもあるのだが、その中には同系の太極拳も含まれていて、少なくともそれについては話の内容から大体想像がつくが、あまりよく理解しているとは思えなかった。

まぁ、それも置こう。

ただ、せっかく色んなものを習っても、表層的なところをなめてばかりいては、かじった内にも入らないことになってしまいかねない、という話の流れの中で、
「それでぶん殴り方の一つもちゃんと覚えて喧嘩に強くなれるのかと言えば、どうかな?…という気がします」
というようなことを書いた。
するとその人は、次のメールの返信の中で、
「私は喧嘩で相手をぶん殴る方法を求めているわけではないですよ。それだったら、常に鉄棒を所持して、必要な時にそれを使えばいいだけです。しかし、漫画”生活”のカナヅチおじさんではあるまいし、そういうことはしません」
と返してきた。
…まぁ、気持ちは解る。それも必ずしも間違いでは無いのだが、僕は不愉快な気持ちになった。
当然、僕は喧嘩を推奨しているわけではないし、それはものの例えだ。
だが武術が闘争の技である以上、そして拳法が人を徒手空拳で制する技として発達してきている以上、ごく当たり前に、人をぶん殴る方法も知らないでは本末転倒だということを言っているわけだ。
それを、喧嘩くらい武器を所持していれば簡単に勝てると思っているようなところも、ユーモアのつもりか僕が知っているかどうか判らない漫画を引き合いに出してくるところも、
「殴り方の一つも覚えようとしないで一体武術に何を求めて色々習ってるんだ?」
という気になったし、話の通じない間怠っこしさを覚えてしまった。

もちろん、常々言うように、武術の楽しみ方は人それぞれなので、色んな武術の型を覚えて、雰囲気を味わいたいとか、そういうのもアリかも知れない。
この人の場合は推手競技で強くなりたいとか、そんなことを書いていたが、しかし、それならハナから僕に話を求めてくるんじゃない!…と言いたいわけだ。

ちなみに、S先生にもこういう話がある。
たぶん20年以上前のことだと思うが、S先生はご自身の道場があるかたわら、一時期ある団体に招かれて拳法の指導をしていたことがある。
その団体が今も同じように存続しているのかどうかは知らないが、当時は他にも指導者を招いていて、何人かの先生にみんなで教わっているというような状況だったらしい。
うろ覚えなので細かい点は違っているかも知れないが、以下のような話だったと思う。
その中に蟷螂拳を指導している若い日本人の先生が居て、また、練習生の中に、その先生より先に同じ台湾の蟷螂拳家を訪ねていた人が居た。
仮にAくんとしよう。
その日本人先生とAくんは、まぁ、同じ師匠に習っているという点では同門になる。
台湾の蟷螂拳師匠を訪ねたのはAくんが先でも、いち早く型を習得して人に指導しているという点では日本人先生が先輩なわけだ。
で、その後は、同団体の蟷螂拳メンバーで、ツアーを組んで仲良く習いに行ったりしていたらしい。
あるときAくんがS先生に、
「いやー、台湾の○○先生は親切な方で、あまり秘密主義もなく色々教えてくれるんですよ。この前は棍と剣の型を教えてもらいました!」
と、喜々として話しかけてきた。
(僕のうろ覚えなので、実際に「棍と剣」だったかはわからないが…)
それでS先生。
「ふーん。それでアンタ、蟷螂拳の型を幾つか習って、棍やら剣やら習って喜ぶのはええけど、ホンマの使い方はこうやとか、人の殴り方はこうやとか教えてもらったんか?」
「は??」
「いや、秘密主義やないんやろ? だったらホンマの使い方やら殴り方やらそういうモンも教えてもらったっちゅうこっちゃろ?」
「いえ、そういうのは…」
「ははは。型をほいほい教えてくれるから親切やとか秘密主義ちゃうとか、それはちゃうやろ。ほいほい教えてくれることは、ほいほい教えてかまへんことやからやと、何で思わんのや?」
「…はぁ。そう言われればそうですね。そういうのを教えてもらうにはどうしたらええんでしょう?」
「まず仲良し団体さんで習いに行くのをやめるこっちゃろな。そんでアンタ、○○くん(日本人先生)よりも台湾の師匠からすれば先に来た人なんやろ? それやったら○○くんを立てて遠慮なんかせんと、こっそり幾らかでも包んで渡すとか、個人的にも訪ねて行って習うとか、したらええやろ。みんなではした金出し合ってワイワイ習いに行っても、それに見合った薄いことしか習われへんで」
---というようなことを言ってやったそうだ。

…まぁ、今、台湾や中国の先生に団体で習いに行っている人たちの状況はよくわからないが、思い当たる人は考えてみるといい。
はした金でも集まれば大金になるわけだが、それでカモられるだけに終わっていないかどうかだ。
どう捉えるかは自由だし、表演競技で行われているような型も、習いに行く人がそういうのを求めていて、大体教わった気になれるのなら問題ないのだろうけど。。

けれど僕は、このブログでも書いてきたように、知りたかったのは人と戦うすべであって、型が目的だったわけではない。
もちろん昔はそのすべを習得する道筋として、型が必要かつ重要なのだと思っていたし、型を覚えるのが楽しい時期もあったわけなのだが、ある程度経ってからは、
「じゃあこの型をどう演武すれば強くなれるんだよ?」
「使い方はどうなんだよ?」
「なんでその先の肝心なことを教えてくれないんだよ?」
と思うようになった。
本に書かれてあるような基本的な身法を守って綺麗に演じるというだけでは戦いの訓練にはならないし、高く飛び跳ねることができたり、柔軟だったり、型の上で基本的な突き・蹴りが速くなっても、それがイコール強さとは言えない。
誤解のないように言っておくが、僕は型も好きだし、型の有用性も解っているつもりだが、型にも色々あるのと、型に習熟すれば強くなれるとは思っていないだけだ。

…話を戻すが。

本当に喧嘩に使うかとか、実戦の機会があるかどうかとか、そういうことは判らないし人にもよると思うが、それを想定して稽古せずして何の武術なのだろう。
そして、徒手空拳で人を倒す技術を学ぼうというのに、そしてそのことで意見交換をしているのに、
「喧嘩なら武器を使えば済む」
などと返すこと自体、どうも致命的な勘違いをしているように思える。
まー、そんなもので人を傷つけたらどうなるかとか、法律的なこととかは置いて、もし実際に誰かに襲われて咄嗟に応戦しなければならない場面に遭遇したとして、拳法をやっているから素手で戦わなければならないということはない。
…ないのだが、しかし咄嗟であるが故に、武器や武器になるものがあったとしても、すぐには使えないこともある。
だから徒手空拳の技が大事なのだ。
そしてもちろん武器も使える上でだが、
「素手で強い者が武器を持つから、なおさら強い」
というのが徒手空拳の武術の考え方なのだ。

ともかく結論として、強くなりたくて拳法をやっているのではない人とは、僕は拳法の話はできない、ということだ。
現時点で強くなくても、強くなりたいという気持ちがあることが前提だ。
楽しみ方は人それぞれとは言うものの、別の楽しみ方をしている人は、同じ楽しみ方をしている人同士で仲良くやって欲しい。

さて、話は変わるが、、
そのメールをくれた人から、次のような話もあった。

その人が習いに行った先で聞いた話として情報提供してくれたのだが、王樹金系の流派・団体についての噂話で、内容的にはネット上でささやかれているようなことばかりだったが、このブログでもその内触れようと思っていたことも含まれていたので、一応書いておこうと思う。

長くなったので次の記事にする。

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