中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

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メールのやりとりに関連したこと

投稿日:2017年3月28日

先日アップしたメールのやりとりに関すること、面倒なのだが、やっぱり憶えているうちに書いておこう。後回しにするとなおさら面倒なので。

メールを返信していたときには、ただでさえ相手より何倍もの文字量で返していて、いちいち答えてやる義理も無いから、言いたい部分も抑えていたが、ここで公表することで、読者向けに書くつもりでいた。

その前に、まず「泰山(たいざん)」と名乗るこの人が本当に“全中連”の人なのかどうかだが、それもちょっと疑問に思っている。

武術歴 = 昭和57年全中連八卦掌専科一番弟子後専科指導を任される

昔のことなので記憶が定かでは無いが、昭和57年頃に「八卦掌専科」というコースなんてあったかな?
当時、金兵衛先生の教え方として僕が聞いていたのは、内家三拳と共に大和道と柳生心眼流がセットになっている感じだった。そして、入門当初の僕らもそれに沿って指導を受けていた。あと金鷹拳もか……。
東京本部では、何を中心にやるかというのは分かれていたのかも知れないが、特別なコース分けはまだしていなかった気がする。
内家三拳については、まず太極拳から入って形意拳、八卦掌の順で、形意・八卦は高級拳法扱いされていて、すぐには教えてもらえない印象だった。

ちなみに僕は、入門前は形意拳に興味を持っていたので、形意拳を教えてもらい始めたときには期待に胸を躍らせていたのだが、次第に「なんだ、この太極拳の中に入っているじゃないか」と思うようになって、より太極拳に傾倒していった。
八卦掌についても同様だったが、それよりも八卦掌は、型が八本しか無く、単調で面白くなくて、僕は嫌いになった。
第一、何で型がこの八本しか無いのに、変に値打ちこいているんだろうかというのが疑問だった。
当時の全中連の八卦掌はそんな感じだったと思うのだが……。

金兵衛先生は、王樹金伝の内家拳以外にも八卦掌の研究をしていたようで、入門して二年くらいの頃だったか、数十ページ程度の薄いオフセット印刷の本を買わされたことがある。
内容は、二人組で行う対練の型だったと思う。
T先生がその本の対練をみんなでやろうと言っていたが、絵がザツで、動作が非常に解りにくく、2回くらいで挫折して、やらなくなってしまった(笑)
まだ手元にあると思ってさっき探してみたのだが、見つからなかった。
あれば写真を撮って、画像を見せようと思ったのだが……。

まーとにかく、僕が習った八卦掌の型は、基本の八本の型だけだ。
当時は「八母掌」という呼称も知らなかった。
用法は、たぶん金兵衛先生の本『中国拳法 八卦掌』(愛隆堂刊)で紹介されているようなもの以外に、ちょっとプラスしたくらいのことしか教わっていない。それと口伝を幾つか。

ちなみにこの八卦掌の本、アマゾンで見てみたら「1987/11」となっていたのだが、初版の刊行年はもっとずっと前だ。
内容を確認しようと思って本棚を探したが、見当たらなかった。何年か前に一度見たので、どこかにはあるはずだが。
形意拳の本はあったが、これも重版で「昭和56年(1981)」となっていて、「おやっ?」と思った。入門前に買ったはずなのに。
もう名前も憶えていないが、昔、何冊か借りパクしたヤツが居たので、そのせいで再購入したものかも知れない。
ちなみに、これらの本の初版がいつなのかは、残念ながら判らない。

とにかく泰山氏が書いていた八卦掌の功法諸々は、メールの返信にも書いているように、僕は知らない。
まあ、砲丸を掴んでやるとか、鉄砂掌のこととかは、こういうのがあるという程度の説明は受けた記憶がある。あと鉄の輪を腕や手首にはめてやる功法とか。やった内に入らないが。
ただ、これらは王樹金から伝わったものでは無いのではないだろうか?
それにつらつらと幾つも挙げているが、結局この泰山氏はどれも身についていないのだろう?
それだってやった内に入らないではないか。

それに、型を幾つ知っているとか、功法を幾つ習ったとか、実にくだらない。たくさん習って、そのたくさんを忘れないようにやるだけでも、ずいぶん時間を取られることになるし、一つ一つの稽古が薄くなっていくだけだろう。
用法に関しては、僕が知らない隠されている用法を泰山氏が知っていたとしても、どうせ大したことではない。
この人の頭の固さからして、推して知るべし、だ。
僕の経験上で言えば「本当の使い方」なんて言ってもったいつけている用法は、実はシンプルなことを隠している場合が多い。
しかしそれ以前にこの人が言っているのは、たぶん「なんだ、そんなことか」みたいな話だろう。

東京本部での拳種別コースは、先生たちがまだ全中連に所属していた頃には出来ていた気もするが、八卦掌はどうだったろうか……。
で、この人は、自分が八卦掌が専門だからといって、
「あなたも古いのならこれくらいは習っているだろう」
みたいな言い方で質問してきたわけだが、知らんもんは知らん。
それにどうでもいい。
第一この人、習ったことはどれも使えないと言っているのだし、ダメだということを主張したいのだろう?
なのに、どうして自分の優位性を示すような口ぶりなのだ?
そして、自分が習った同じことを、どうして僕も同じように習っている前提で、決めつけて話をするのか。
もうそこからお話にならないのである。

いや、それどころか。
このブログに来て、過去記事をろくに読みもせずに、違うと言っているのに勝手に議論の場と決めつけて、僕を金兵衛先生の孫弟子ということで自分の方が直弟子だから偉いみたいな物言いで話すことからして、どうよ?
……と、いう感じだろう。
僕は、このブログの中で前にも書いているし、そして前記事のコメントへのレスでも書いているが、元師匠であるT先生が金兵衛先生の弟子だった時期があるから、一応師匠筋ということで「先生」と付けている。
だが金兵衛先生とはお会いしたことも無いし、全中連に対しては「同じ太極拳をやっている元同門」ということで(正確には同じ太極拳ではないが)、かすかにノスタルジックな思いがあるだけだ。
この泰山氏の理解力は、いろいろな面で足らないところが多すぎる。

……まあ、その辺の腹立ちは置いて、話を進めよう。

金兵衛先生は後に李子鳴からも八卦掌を学んで伝人となっているが、たぶんこれは西郡先生以下が全中連を抜けたあとではないだろうか。
少なくともウチには李子鳴伝の八卦掌は伝わっていない。

あと、この人は指導員の名を幾つか挙げていたが、実際にT先生の名はその中には無かった。
いつの時代の名簿を見たのか知らないが、昭和57年(1982)に入門したのであれば、この人が指導員になるような頃には、西郡先生以下僕たちは全中連には居なかっただろう。それくらい想像できないのか?
まあ、「昭和57年全中連八卦掌専科一番弟子後専科指導を任される」って、57年に入門したのか、57年に指導を任されたのか、判りにくいのだが、年齢からすれば「入門」と考えるのが妥当だろう。
ブログにまともに投稿できないことといい、メールの作法といい、要領を得ない物言いといい、話の通じないところといい、この人はなかなかナイスなおっちょこちょいだ。
だから武術も身に付かなかったのではないか?

それにしても、この時期に「八卦掌専科」なるコースが出来ていたとして、一番弟子ってどういうことだろう?
金兵衛先生の弟子は他にもたくさん居たはずだから、コース設立後に一番に入ったということかな? それが一番弟子?

で、金兵衛先生が、王樹金・李子鳴からあまり学ばずに自分で作った、そして全中連派生の流派は、それを工夫した程度のものだというようなことを言っているのだが、自分が金兵衛先生のところでそう感じたとしても、他のところもそうだと決めつけて、こんな物言いで言っていいことにはならない。
元々ここは議論の場ではないと僕は断りを入れているのに、それでも議論をしたいなら、せめてきちんと順序を踏んで、キャッチボールになるような会話を心がけるべきだろう。
この人の言は、喧嘩腰では無いもののイチャモンと同じなのである。

一応、僕の見解も書いておくが、金兵衛先生もそれなりに大枚はたいて一定以上の年数学んだのだから、一通りは伝授されたと考えるのが妥当だろう。
また、もしも用法に日本武術由来の工夫を入れていたとしても、何の問題があろうか。
同系の技も多いのだし、そこまで別物と考える方がおかしい。
逆に、この人の方こそ、表面的なことをなめるように、マニュアル的にしか捉えられていなかったから、本当の意味で包括的に技を理解することができなかったのではないだろうか?

武術をやっている人がみんな強いとは限らないし、武術をやったから強くなれるとは限らない。
そして強さにも、理解力にも、個人差がある。
自分が強くなれなかったからといって、何々流は使えないとか、師匠がちゃんと学んだものではないとか、笑止。

中国拳法や古武術は、現代武道やスポーツ格闘技よりも上だというイメージでやっている人も少なくないと思うが、何をやろうが、どんなに理屈が高尚な武術をやろうが、強くなれない人は強くなれない。
そして現代武道やスポーツ格闘技でも、強い人は強い。
そんなことも解らず、いい歳こいて、自分が夢破れたからと言って人に八つ当たりするんじゃないと言いたい。
そんなことは自分の中だけで反省しておくべきだ。
誰かを恨むにしても、自分の中だけにしておくべきだ。
もし人に聞いて欲しいなら、きちんと順序を踏んで、丁寧に説明するべきだろう。だだっ子か。
自分がダメだったからと言って、赤の他人を貶めたり、筋道もなく否定したりするのは、恥ずかしい行為だろう。日本人のメンタルではない。

あと、伊藤さんとやらが心眼流を使おうとしてヤクザに太ももを刺されたという件についても、書いておく。

私も心眼流の巻物はいただきましたが、現在陳式太極拳の団体にいる全中連元指導員の伊藤氏が心眼流を使おうとしてヤクザに太ももを刺された事件が昔ありましたので、稽古しても使えないわけです。

言葉のおかしいところは、まあ、指摘しないでおこう。

で、さっきの話とも関連するが、例えば柔道をやっている人が、刃物を出した相手に柔道の技で対抗しようとして刺されたら、それは柔道が悪いのだろうか?

まず理屈で言えば、得物を隠し持っているかも知れない相手が何か出そうとしたら、出す前に制するべきだ。出すのを見過ごしていてはいけない。
そして、もし出されてしまったら、自分も武器を使うべきだろう。
「心眼流を使おうとして」
――と、あるが、本当にその伊藤氏が心眼流を使おうとしたというのなら、その時点でおかしい。
フツーは、積極的なアプローチをするなら、刃物を持っている相手の腕を、叩き落とすとか、掴んで取り上げるとか、何とかしようとするだろう。
で、例えばだ。
その伊藤氏が、心眼流と太極拳と形意拳と八卦掌をやっていたとして、相手の腕を叩き落としたとしよう。
その行為は、心眼流なのか、太極拳なのか、はたまた他の拳なのか?
もちろん、自分が得意なこと、一番練習していることが出るというのはあるにせよ「叩き落とす」は「叩き落とす」だ。
結果、うまく叩き落とせたとしたら、身につけている武技が役に立ったということだし、あとで思い返せば「何々の動きを使っていた」とこじつけることもできる。
けれど、叩き落とす動作、技は、どの武術にもある。
「ここは心眼流の素振りで叩き落としてやろう」などと、ハナからわざわざ考えて使おうとするとしたら、おかしいだろう。
まして、幾つもの武術をやっている場合、これは心眼流の素振りだとか、形意拳の劈だとか、いちいち分けてやろうとするからややこしくなる。
握拳や開掌などの違いはあっても、腕を振るう動きなどの根本は同じでなければ、それこそ包括的に身につけることができないではないか。

実際の伊藤氏が、どんな状況でどんなことをやろうとして太ももを刺されたのかは知らないが、もしハナから「心眼流を使おう」みたいなメンタルで刃物を持った相手に徒手で向かっていって、やられたのだとしたら、それは太ももで済んで幸いだったと思うべきところだ。

こんな話を聞いたことがあるだろうか。
警察官が、柔道出身者と剣道出身者では、刃物を持った相手と対峙したとき、柔道出身者の方が刺されることが多いという。
何故なら柔道は、相手を掴んで投げようとする。投げようとするときには背中を向ける。だから刺される――と。

さて、この話をどう思っただろう?

もし素人や初心者でなく一定以上、武術・武道の経験がある人で、この話を「なるほど」と思った人が居たら、はっきり言おう、その人は馬鹿だ。

まあ、確かに柔道の代表的な投げ技、例えば背負い投げや一本背負いなどは、相手と密着して背中を向けるので、具合が悪い面もある。
しかし刃物という前提があれば、その刃物を無視して襟や腕を取って投げに持ち込もうとする人がどれだけ居るだろう?
そんなことをして刺された人が居たら、確かにその人自身が馬鹿だが、普通は、やはりその刃物自体をまず何とかしようとするのではないか?
剣道出身者なら警棒で叩き落とすことを優先するとか、そんな問題ではないだろう。

で、もう一度言おう。
もし、上記のようなことも考えず、刃物を無視して、柔道技を使おうとして刺された人が居たとしたら、それは柔道が悪いのだろうか?
柔道が使えないということになるのだろうか?

メール主の泰山氏は、用法がどうだとか、何をどれだけ習ったとか、そういうことに拘っているが、結局使えない一番の要因は、そういうマニュアル的な捉え方や、頭の固さ、悪さ、応用力の無さにあるのではないか?

ずいぶん前に、若い頃に不動禅少林寺拳法の人と出会った話を書いたことがある。
(※2009年03月02日『不動禅少林寺の人』)
この中で、不動禅の人から、
『人間そんなに器用に動けるもんやないぞ。ナンボ理屈が高度でもやれることはたかが知れてる。それに強いヤツはどんな武道のどんな流派にでも居るもんや。つまらん流派にでも強いヤツは居るぞ!』
――と言われた話を書いたが、まさにこれだ。

金兵衛先生が王樹金や李子鳴に全伝を授かり真伝を得ていて、真理とか真意とやらを悟っている人であったなら、この泰山氏はちゃんと強くなれたのだろうか?
伊藤さんとやらは刺されずに済んだのだろうか?
もしそうなら、名人・達人の弟子はみんな名人・達人だろう。
こういうことが解らないなら、一度病院にでも行ってきたらどうか?

それから、金兵衛先生や全中連に怨念やしこりがあるなら、まあ金兵衛先生は故人だけれども、直接、全中連に何か言えばいいのではないだろうか?
人に何か伝えたいのであれば、僕のようにブログを書くという手もあるだろう。機械オンチなら、まずはその辺の下調べも必要だけれども。
ただ、一つだけ僕との違いを言っておく。
僕も今、師匠に対する恨み辛みを含んだことをこのブログで書いているが、しかし根底には、同好の士や後進への情報提供ということがあり、そこに重きを置いているということだ。
また、現実には使い難い技であるとか、あまり効果が無いようなことを小出しにしているとか、「気」を売り物にしているとか、あるいはスポーツ化、遊び化している――等々において、全中連に限らず中国拳法を批判しているということであれば、意見が重なるところもあると思うが、僕は筋道を無視して一方的に赤の他人に噛みつくようなことはしていない。
それに、意見が重なる部分があるとすれば、それは予めきちんとこのブログに目を通してくれていれば気づいたはずである。
僕なら、もし余所のブログに意見を書くとしたら、たとえ一つの記事に対するコメントであっても、少なくともブログ全体の大筋程度は理解してから書くだろう。
そこは間違えないようにしてもらいたかった。

それから、伊藤さんとやらを引き合いに出してばかりで悪いが、先ほど「太ももで済んで幸い」と書いたが、武術家として考えるなら、本来は、相手に自分以上の傷を負わせられなかったことは恥と考えるのが筋だろう。
陳式に乗り換えたところで、そういう人は変わらないと思うが……。

……まあ、とは言え僕も、負傷したことはある。
結果を悔やんでも仕方が無い。
ただ、効率よく鍛える、強くなる、倒す、という技の理屈やその優劣は多少あるにせよ、結局最後は自分自身の問題だと思う。

僕は習った流派の技にある程度納得はしているが、ことさら、最上とも別格とも思ってはいない。
姿勢はこう、体はこう使う、というのはあるし、少なくとも武術本や表演で見かけるようなものに比べれば大抵のものより優れていると思っているが、だからと言って、それに拘ったところで、相手の方が敏捷で速ければ、なかなか当てられないし、自分の方が打たれてしまうかも知れない。
もちろん速さだけでも無いが、とにかく、理屈に拘ってもそれが通じるとは限らないということだ。

また、師匠であったT先生のことも特別強いと思ったことは無い。S先生にしたってそうだ。
これはもっとあとで書くつもりだったが、T先生のことは、ある時期からは本当に喧嘩したら勝てると思っていた。もちろん、実際にやってみなければわからなかっただろうが。
それでもT先生に習い続けていたのは、前にも書いたと思うが、自分が知らないことをT先生が知っていたからだし、そしてこの流派で習うにはT先生との関係を続けるしか無かったからだ。
そして、年齢が上がってからやり直しているわけなので、そんなに都合良く強くなれるとも思っていなかった。今だって特別強いわけではない。

ただ、そんじょそこらの者には負けたくない。
少しでも強いオスでいたい。
勝てない相手にでも、どうしても引けないと思うときには命を落とすことになってでも引きたくない。そういう胆力を養いたい。
――そう思っていたから、武術を続けてきた。
だから、若い頃ならまだしも、やり直すことになってからは、何々拳をやったら強くなれるとか、そんな期待などは持っていなかった。
T先生のところに戻ってみて、昔のようなことをやっているだけで、力の鍛錬も大したことではなかったとしても、そこは自分の工夫で何とかするつもりでいた。

まあ、大体こんなところだ。
あと、技のことで、他の人の動画などを引き合いに解説しようと思っていたこともあったのだが、それはまた、日を改めて。

以下、コメント

旧ブログからの移転にあたり、掲載当時のコメントはこの下に“引用”のかたちで付けておきます。管理人からのレスは囲みの色を分けてわかりやすくしておきます。
なお、現在はコメント機能は使用しておりません。ご意見、ご感想等はメールにてお願い致します。

こんばんは。

ブログ、拝見しました。

また、ちょいとコメントを。

>昭和57年頃に「八卦掌専科」というコース・・

いや、なかったと思いますよ、そんなの。
57年なら、僕もまだ全中連にいましたが、
そんなの聞いたこともありません。

そういうコースが出来たとしたら、
おそらく西郡先生、それに地曳さんが
出て行ったあとではないでしょうかね。

>オフセット印刷の八卦掌の本
白鶴拳のオフセット本は持ってたよな、
と本棚を見たら、埃を1センチくらい被って
存在しましたが、八卦掌の本なんて・・・

え・・・?

なに、この激薄の冊子?

えええ~っ!?

「応用八卦掌」!???

こんなの入手した覚えないんですけどッ?

hideさんのおかげで、まったく覚えのない
本を発見!(笑)

寝る直前に埃まみれの本を見るのも嫌なので、
内容はまた次のコメント時にでも。

あ~、ビックリした。

>形意拳&八卦掌

これは正宗太極拳の中に含まれてますからね。
西郡先生も、この二つにはあまり熱心でなく、
五行拳と八卦掌の型(八母掌なんて言葉、
誰も知りませんでしたよ)をやる程度でした。

>技

hideさんと同意見。

ある高名な剣術家が、

「人を斬るのに、そう幾つも方法が
あるわけじゃない。
せいぜい五、六種類くらい。
いざ真剣で斬り合いとなったら、
出せるのはそのうちの一つか二つ」

と言ってましたが、これは徒手武術でも
まったく同じじゃないでしょうか。

大鵬なんとかという大技とか、
正統何代目の秘密技とか、
第何世伝人とか・・・
そういうの大好きな人たちが
多いみたいですが、西郡先生のDNAを
少しでも受け継ぐものたちには、
そういう考えをする人は少ないと思います。
(O佐野さんくらいか)

また、長くなりました。

では、また。

Posted by ジャッキー・チュン at 2017年03月28日 23:31

>ジャッキー・チュンさん

こんばんは。コメントをありがとうございます。

> いや、なかったと思いますよ、そんなの。

やっぱりそうですか…(笑)

ただ、記憶の中でかすかに、拳種別のコースが出来ているのを知って、
「へー。東京の方は、そんな風になってるんだ」
と、思ったことが、あったような、無かったような……。
それがいつのことだったかも、よく思い出せないのですけどね。

> 「応用八卦掌」!???

そうそう! 『応用八卦掌』 それです!
「応用」が「應用」の字になってませんでしたっけ?

八卦掌の本を見つけたくだり、吹きましたよ。
それにしても、埃1センチって…(笑)

ちなみに白鶴拳のオフセット本は、憶えが無いですねぇ……。
と言いつつ、こちらも埃まみれの本が出てきたりして。。

しかしジャッキーさんも古株なのですねぇ。
僕より古いのかな?

以前、SNSでメッセージをくれた人は、本名は確かUさんでした。
その人もかなり古株だったらしいので、
たぶんジャッキーさんとは顔見知りなのでしょうね。

『応用八卦掌』の中身、どんなだったか、よかったら知らせてください。
だいぶ薄かったと思いますが、何ページあったかとか。
内容は、本文に書いたように、僕の記憶では対練の型だったと思うのですが。
あと、絵は金兵衛先生が自分で描いたものだと聞いたような……(?)

> ある高名な剣術家が、

聞き覚えがある言葉ですが、誰の言葉ですか?

剣術家と言えば、平山子竜のことを書いた記事がありますが、読みましたか?
平山子竜も、技遊びを戒めて、やはり同じようなことを言っています。
http://doyotaichi.seesaa.net/article/105661837.html

出せる技など幾つも無いと言えば、僕は形意拳も、
最初は興味を持ったものの、結局、太極拳をやれば済むということで、
あまり熱心には稽古してこなかったんですが、
五行拳は、意味が解れば、本当にこれだけで充分という気がしますね。

五行拳だけで戦えると言って、
理解できる人、納得する人が、どれだけ居るかわかりませんが……。

Posted by hide~☆ at 2017年03月29日 02:25

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