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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

空手に感じた限界

投稿日:2007年2月15日

空手 Part 3』で、中学生の頃に習っていた空手流派で感じた疑問や不満を書いた。
ただそれは、あくまでも拙い少年時代の主観であることを断っておく。
未熟な理解力と2年程度の中途半端な習得で、何もかも解るはずがない。
今回もそういった部分が多いかも知れないので、量りつつ読んでもらいたい。

僕が何故、しょっちゅう喧嘩を売られたのかというと、大きな理由は2つだと思う。
一つは目立つことと、一つは見かけが強そうではないこと。
小さい頃はよく女の子と間違われて、
「女みたいな顔して生意気だ」
と言われたものだった。
で、強そうにも見えないから、何かとインネンをふっかけられる。
あと、転校生は目立つということもあるけど、それに加え僕がまだ東京弁だったことも一因だったかも知れない。
言葉の違いや、関東に対する嫌悪感。
また、大阪全体がよそ者に冷たい土地柄なのかどうかはわからないが、茨木にしろ大阪市内にしろ、ともかく、
「どこのヤツや?」
から始まって、ちょっかいをかけられてばかりだった。
何度も喧嘩して、同学年では強い方だというのが浸透し、多少はそれが通るようになっても、
「あいつホンマに強いんか?」
と思われることは多々あったし、『空手バカ一代に学ぶ』のときのように、
「オレがやったる!」
みたいなこともあった。

空手道場に通う前、思い描いていたのは“一撃必殺”だった。
少なくとも、何の格闘技経験も無い者に対して圧倒的な実力差があれば、もっと余裕のある対応ができる思った。
喧嘩を売ってくる不良だのヤンキーだのという連中は、チャラチャラしているだけで実際には弱いと思っている人も居るかも知れないが、必ずしもそうではない。
力の強いヤツ、喧嘩慣れしているヤツも居る。
それでも、基本的に努力が嫌いな連中がほとんどだから、空手をやって一定以上の腕前になれば圧倒できると思った。
例えば大人と子供ほど強さに差があれば多少の人数を相手にしても蹴散らせるし、あるいはその中で一番強そうなヤツを一発でKOできれば、それ以上争わないで済むかも知れない。
また、それくらいの実力と自信がつけば、内面から出る凄みで喧嘩を売られることも無くなる、喧嘩を避けることもできるはずだ、と。。
これが、まぁ、その頃の理想だ。

空手を習いに行く前は、入門書を買って来て簡単な型を2つほど覚えたりした。
巻き藁を自作して叩いたこともあった。
近所には瓦屋があって、欠けたものや割れたものなど古い瓦が無造作に置かれてあったので、廃棄するものだと思って片っ端から試割りをしていたら、ある時見つかって怒られたこともあった。
ブルース・リーのブームが一段落して、極真空手全盛の頃か…。

僕が通った空手道場では、誰も巻き藁を突いている者は居なくて、
「どうやって拳を鍛えるのだろう?」
「試割りはしないのだろうか?」
「これでは一撃必殺には遠いかも知れない」
などと思った。
しかし稽古で先輩の軽い突き・蹴りを食らってもかなり痛かったし、
「拳を鍛えるのなんてもっと後だ」
と言われた。
そう言われれば確かにそうだろうし、まず動きの習得が先決だというように理解した。
しかし、前にも書いたが、試合を見たときには、
「何故、型と組手はこうも違うんだろう?」
という疑問が芽生えた。
まぁ、それはそれとして、励んでいたのだが、漫画『空手バカ一代』を読んで憧れていた極真空手の試合を見たときには、ちょっとがっかりしてしまった。
『地上最強の空手』という極真のドキュメンタリー映画が上映されたり、“熊殺し”の異名を持つウイリー選手が話題になったりした頃だ。
試合は手による顔面禁止で、突きと回し蹴りとローキックの応酬。
道着が乱れたり、掴み合いになるとレフェリーが一旦割って入り、疲れてくるとお互いに胸をド突き合うばかり。
漫画の中で寸止めルールの空手を“空手ダンス”と否定していたけど、だからといってこれでは、技もへったくれも無いようにしか見えない。
空手の試合というより我慢比べのようだ。
顔面禁止にするなら、寸止めや、もしくは防具やグローブをつけてやり合う方が有効じゃなかったのだろうか?
確かに、あれほど鍛え上げ、体で突き・蹴りを受け止めるのは尋常じゃないけれど、でも少なくとも僕がやりたかったのは小が大に勝つための、“技”としての空手だった。
もし小が大の攻撃をまともに喰らったらひとたまりもない。
多少の耐性は無ければならないにしても、体をビルドアップしてガツンガツン、ドスンドスンやり合うというのは、納得がいかなかった。

もちろんこれは中学生の頃の感想だ。
不快に思う方や、異論のある方も居ると思うけれど、その頃の率直な思いを記憶の限りありのまま描写しているのでご容赦願いたい。

ともかく、僕が感じた空手の現実は、柔道で言うところの“柔よく剛を制す”が崩れたような格好のものだった。
で、そんなときに夢を与えてくれたのが松田さんで、太極拳や中国武術だったわけだ。
中国武術には、都合のいいことが幾つもあった。
拳を鍛えなくていいこと、筋肉をガンガン付けなくていいこと、歳をとっても衰えないこと、などなど。。
これらも、今となっては幾らかの異論はあるのだが、都合のいいことは信じやすいものだ。

また、中学2年の頃、よく目が霞むようになったことがあった。
小さい頃に別れた僕の父は、視力が悪く、コンマゼロ以下で、身障者扱いだった。
何故そんなだったのか知らなかったので、もしかしたら遺伝的なものかと思った。
結局は、栄養の偏りやビタミン不足が原因だったらしく一時的なものだったのだが、僕は漫画を描くのが好きで、視力が悪くなることに対する不安があった。
そしてさらに、
「空手で拳を鍛えると、視神経と繋がっているため目が悪くなる」
というのを誰かから聞いてから、拳を鍛えることを躊躇するようになった。
これは本当かどうかわからない。
しかしその頃は調べもしないで鵜呑みにした。
それでなくとも、とんでもなく拳を鍛えている人は拳ダコが骨とくっつくほどになっているそうで、そこまで鍛えてしまったら緻密な絵が描けなくなるんじゃないかと思った。
それから、プロの格闘家になりたいわけではなかったし、どこまでも強くなりたいとまでは思っていなかった。
上には上が幾らでも居ることくらいはわかっていたし、そんじょそこらの者に簡単には負けないだけの腕前と、強い相手にでもイザというときには怯まず向かっていけるだけの胆力を養えれば、それでいいと思っていた。
だから、拳を鍛えず、体をでかくするような筋トレをしなくても強くなれそうな太極拳や中国武術に対する期待が膨らんだ。
しかし大阪に習えるところが無かったため、あきらめて、高校を卒業して空手を再開しようと思っていた。
そして、先生との出会い。(※『道場見学の日の思い出』参照)

結果的には、正直に言えば、太極拳や中国武術を学んだことは、回り道を選ぶことになってしまったと思っている。
しかし、空手に戻っていれば良かったとは思わない。
手っ取り早く強くなれなかった面はあるけれども、それ以上に得たものもある。
あのまま空手を続けていたとすれば、きっとわからなかっただろうと思えることが幾つもあるし、ものを考えるきっかけにもなった。
そして何より、自分に合っていると思えたし、それはずっと変わっていない。

空手も、きちんと伝わっている流派やそれを学んでいる人は、きっと中国武術とどっちが優れているなどと比べられるものでは無いと思うけれど、ポピュラーになった分、映像などで公開されているような範囲の技術しか学べない人が大半だという気がする。
こういった見方がどれほど的を射ているかはわからないが、少なくとも10代当時の僕としては、大体習えることが見えてしまった気になったし、それで強くなろうと思ったら拳を鍛えて体をでかくするしかないと思ってしまった。
それが空手に感じた限界だった。

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