中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

本来あるべき姿の太極拳

投稿日:2012年3月8日

今回は、今までに僕が見聞きしたことからの、あくまでも推測や想像での話だ。
必ずしも的を射ているとは限らないのだが、個人的にはこう考えている、ということなので、予め断っておく。

二十数年前、“とある拳法”の外功鍛錬を、太極拳の練功法としてやり始めた頃、T先生からこういう話を聞かされた。
X先生が交流のある台湾の先生のどなたかから聞いた話らしい。
それによると、
大抵どの流派でも門下生には、今の中国武術の現状と変わりなく、
「力は必要ない」
と言って、やはり型を中心に教えるとのことだ。
しかし、きちんとした鍛錬法が伝わっている流派なら、内弟子などには特別な練功法を教えて鍛えておく。
手合わせを申し込んでくる者があった場合など、相手をするのはそういう本当の鍛錬を積んだ鍛えられた弟子だそうだ。
だから、ほとんどの門下生は細い体やぶよぶよの体だったりするが、古参の弟子にはがっしりした体つきの者が必ず居る、とのことだった。
この話を聞いたときは、
「なるほど」
という思いと、
「取って付けたような話だ」
という思いが入り交じっていた。
何故なら、型を中心にした稽古でも、やりようによってはそれなりにしんどいし、数をこなしていればある程度は筋肉質になるからだ。
実際、その当時、僕を含めた古株の兄弟弟子は皆、やや細身か平均的な体つきだったが、4人共それなりに筋肉質だった。
また、
「南派拳の話じゃないのか?」
とも思った。
太極拳の足りないところを南派拳式に改変して行おうとしているんじゃないかと。
ただそれでも、太極拳の特徴とされるような戦い方をどうやれば出来るようになるのかわからなかったし、まだ中途半端な僕には、
「この先に何があるんだろう?」
という興味もあり、ただ言われるままにやるしか無かった。

ところで、太極拳の歴史やら背景やら、勁論や技に関係ある思想云々も含めて、松田隆智さんの著書や中国武術雑誌に書かれていたことを熱心に読んだ時代もあったのだが、今ではあまり詳しく憶えていない。
まぁ…当然、自流に関係あることは解っているつもりだが、僕が習ったことは必ずしも過去に読んだそれらと一致するわけではないし、今では、本などに小難しく書かれてあることの大半は、当たり前のことをこねくり回したこじつけ理論のようなものだと思っている。
それはともかく。
諸々、ひとまずうろ覚えのことも思い出しつつ書いてみよう。
但し僕が人から聞いた話なども織り交ぜて書くので、読む人がそれぞれのリテラシーにおいて感じ取ってもらいたい。

松田さんの昔の本では、確か、太極拳の源流と言われる陳家溝に伝わっていた武術は、元々は少林拳のようなきびきびした拳法で、それが陳家太極拳の原型だと書かれてあったように記憶している。
また、陳一族に伝わっていた拳法は、太極拳という名が普及する前は“十三勢長拳”と呼ばれていたとも書かれてあったと思う。
人から聞いた話では、陳家溝に伝わっていた武術は、上記のものと、今の太極拳に近いような動きの拳法との二系統あって、それが楊家派以降の太極拳になったという説もあるそうだ。
しかし一般的には、楊家派の創始者である楊露禅(1799-1872)が陳家溝で陳家太極拳を学んで、子や孫の代を経て今のようなゆっくりとした柔らかい動きのものになったと言われている。
ちなみに「太極拳」という名称は楊家派以降のもので、後に陳式のものも太極拳を名乗るようになったそうだが、その辺の詳しいことは知らない。
それはさておき、太極拳に限らず形意拳も八卦掌も、それ以外の内家拳と言われるものも、どこか体操や踊りのようで、少林拳や南派拳に比べれば力強さに欠けるように見える。
ある老師によると、
「人に見せる型などそれで良い」
とのことだそうだ。
返って、
「ありゃ何だ。あんなものが武術か!?」
と、軽んじられるためにわざとそう見せているようなもので、その裏できちんとした鍛錬を積んでいればいいのだ、と。
太極拳についても同様のことが書かれてあったのをどこかで見た憶えがある。
また、自流を隠して、表向き太極拳の道場として門を構えている流派もあるそうだ。
ただ、その老師によれば、太極拳も、本来あるべき姿を隠して、オブラートに包んで見せていたのが、武術としての太極拳ということらしい。
そして太極拳は、そういう面がそのまま普及して定着してしまった、というわけだ。
だから太極拳も、あまり知られていないが、流派によってはちゃんと体を鍛えるところも残っているとのことだ。
けれどこんなことを書くと、
「太極拳は今の姿のままで立派な武術だ」
という反論も聞こえてきそうだ。
例えば、ゆっくりやることにもゆっくりやるなりの意味はあるし、“気”や呼吸など諸々のやり方もある。
ただ、しかしそれは、格闘技術の訓練そのものと言うよりは、体づくりや体の使い方などの意味がほとんどで、それでいて即効性は無いし、攻防技術に直結するような理屈でも無いと思える。
しかもちまたで言われるほど威力養成にも繋がらないのではないだろうか。

でもまぁ、上記のようなことは、僕が自分で直に調べたりしたわけではないので、どこまで信憑性のあることか、どこまで的を射たことか、は、それぞれ判断してもらいたい。

ともかく、多少乱暴承知で、太極拳も本来の姿はごく当たり前に荒々しい拳法だというのが僕の解釈だ。
また、大昔から今のような細々した理屈などあったはずが無いし、あっても、有効なこととそうでないことが入り交じっていたのではないだろうか。
細かい理屈は権威付けであったり素人を煙に巻くものであったりして、根幹として大事なことは別できちんとあるのだ、というのが、僕の感想だ。
なので、外功鍛錬を始めた当初は、
「これでは太極拳じゃ無くなってしまうのでは…?」
などと漠然と思っていたのだが、復帰後改めて鍛錬を始めてみると、その間に自分で技を研究して思ったことも含めて、また、教わった他の武術のことも含めて、
「どんな武術も結局一緒!」
と、思うようになった。
日本の武術も中国の武術も、骨格部分はそう変わらなくて、そこに何らかの創意工夫が幾らか加わって自流が出来上がっているだけで、どれが特別ということは無い、と。
太極拳が、
「相手の力を受け流して、自らもあまり力を使わずに相手を制する」
なんて言っているのは、そういう技術を顕著に謳っているだけであって、他の武術にまったく無いほどユニークな技術など無いと思う。
そして、強くなるために当たり前にやらなければならない重要な体づくりを、姿勢の完成度や身体操作や“気”の運用等に預けて、型稽古中心で強くなろうなんてのは虫が良すぎる。
太極拳の型をやっても、お互いに動き合っている中での攻防技術は養われないし、瞬時の防御や攻撃の当て勘などは個人のセンスに依存してしまう。
そこに、技を使えるようにするための様々な稽古法や鍛錬法など、元より工夫があって然りだ。
なので、あくまでも個人的な思いだが、“とある拳法”の鍛錬は、太極拳に本来あるべき部分を補填しているというのが僕の理解だ。
またそれは、太極拳が太極拳で無くなるような改変とは思っていない。

そしてこの鍛錬、僕らは入門から3~4年でようやくサワリを稽古し始めたわけだが、僕はなるべく早い段階から教える方針だ。
まぁ、僕らの時代には色々あって時間がかかってしまったけれども、そして僕個人は紆余曲折あって回り道してしまったけれども、こういう鍛錬は早い段階からやる方がいいに決まっている。

ちなみに。
T先生と再会して稽古を始めたばかりの頃は、最初は型のおさらいをしていた。
1ヶ月ほど経った頃、T先生から、
「そろそろ“鍛錬”を始めようか」
と言われた。
僕はそれまでに色々とこの鍛錬の素晴らしさを聞かされていたので、
((こんなに値打ちこいたこと言ってるようなら、どうせまたなかなか教えてくれないんだろうな…))
などと思っていた。
一方、ブランクもあったし、しばらくは型だけでもいいや、と気長に構えてもいた。
なので、思ったより早くて意外だった。
するとT先生、
「きみのことをSさん(S先生)にも話してあるんやけどな。とりあえず今は型やってるって言ったら、すぐにでも鍛錬教えてやれって言われてな。僕は半年か1年くらい型でも教えとこうかと思ってたんやけど、Sさんからもそう言われたことやしな!」
と言って笑っていた。
ご本人は、至って親切に、そして優遇的に対応していると言いたげな感じだ。
((う~ん、やっぱりか。勿体付けるところはT先生も相変わらずだな…))
と思いつつ、その時点でまだ再会していないS先生に心の中で感謝した。
そのS先生。
割と最近になってからの話だが、僕も自分の練習相手が欲しいので、ブログを通じてひとまず同好会のようなものを作って太極拳を中心に人に教えようと思っていると話したことがある。
その際、鍛錬についてはどれくらいから始めさせたらいいかお伺いを立てたのだが、S先生はすかさず、
「すぐにやらせたらええねん!」
とおっしゃった。
この鍛錬は地味なものだし、最初からやらせても意味などなかなか解らない。
教えてもなかなか伝わらない。
仮に何種類か経験して数ヶ月も続かずやめたとしても、その人には意味も価値もわからないし、浅い理解でどんなことを思おうがその人の勝手。
もし内容が中途半端に余所に漏れたところで大した問題ではない。
--というのが、S先生のお考えだ。
S先生ならそうおっしゃるだろうと思っていたが、直接そう聞いて僕は安心した。
そして実は僕も同じ考えだった。
なので、興味ある人は連絡をくれるといい。
正宗太極拳を剛の鍛錬込みで習いたければ。

まとめとして。

元々、正宗太極拳の用法を教わり始めた頃にも感じていたのだが、僕が習った太極拳は、ふわふわと受け流して弾き飛ばすというよりは、弾力のある受け方をしてガツンと喰らわしてやるという感じだったので、一般的な太極拳とはちょっと違うイメージを抱いていた。
松田さんが書いていたような太極拳の戦い方を思い描いていた頃は、その前提で考えてしまっていたので、何かが欠けているんじゃないかという物足りなさを感じたりしたのだが、結果的にはこっちの方が真っ当だと思うようになった。
それでも、型の初伝的な用法などは、やっぱり大方が幻想だと思っている。
シンプル化して考えていけば、空手や他の拳法と大差無いというのが、僕の結論だ。
(まー今までにも何度も言っているようなことだけれども…)
また、この項でも書いているように、太極拳も本来の姿は荒々しい拳法だと思うので、様々な理論を取って付けて高級拳法扱いして、上品に王侯貴族が学んだとか値打ちこいているのが、おかしなイメージが一人歩きする元になっているという気がしている。
結局そういったことは客寄せの宣伝文句に過ぎない。
何を学んでも、どれだけ強くなれるかは結局、個人の問題なので、どの拳法が優れているとかよりも、自分の好みに合うものをやればいいと思う。
もちろん、指導者がちゃんと教えてくれて、習ってみて納得できる理屈があってこそだが。。

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